第30話 生きて
そのステータスを見て、俺以上におどろいていたのはミルザだった。
「まさか、ここまでとはね……」
驚嘆して、目を見開いているミルザに俺は訊ねる。
「無職の特性がこれだったんじゃないんですか?」
「確かに、驚異的な成長率が無職の特性だけど、ここまでとは思わなかったよ」
「そんなにすごいんですか?」
「ああ、おそらくあなたがまだ若いっていうこともあるんだろうけど、これは本当に驚異的さね」
俺はこの驚異的という言葉に胸を躍らせた。
初めは無職で最弱だと罵られたが、これならあいつを、晴人を見返してやることも夢ではないかもしれないと、俺には一筋の希望が見えていたのだ。
俺の1番の願いはミルザの願いを成就させることだが、他にも、俺を虐げた奴らを見返してやりたいという想いも少なからずあったのだ。
「俺は、もっと強くなりたいです」
力強くミルザに言う。
すると彼女は静かに微笑して、言った。
「あなたはもっと強くなるさね。 なんて言ったって、私の弟子なんだからね!」
この日から俺はさらに修行に励んだ。
読んだ本もたまに復習しながら。
そして、数々の条件をクリアしていき、この場所で手に入れられるスキルはほぼ全て取得していった。
当然、未使用にしている。
いざという時に、SPがなくなってスキルが使えないといったときのためだ。
だが、日に日に成長しているのを実感している中で、ひとつ気にかかることがあった。
それはとても黙認できるような気がかりではなかった。
ミルザが日に日に衰えていったのだ。
特に外見的な変化は見られない。
しかし、その体から感じる覇気や威厳のようなものがだんだんと薄れていっているような気がしていた。
そう、それは、まるで生命力だけが、抜け落ちてしまっていっているような。
「──本当に大丈夫なんですか?」
俺は毎日俺のレベル上げに付き添ってくれるミルザに対して次第にそう声をかけるようになっていた。
俺がそう言ってもミルザは「大丈夫だよ」と優しく微笑んでいつもついてきてくれる。
そう言ってくれる彼女の声も、度々弱々しくなっていく。
今となっては、ミルザの援護なしでもここにいる魔獣は容易に倒せるようになっていたのだが、それでもミルザはまるで俺の成長を見たいと言うかのように頑なに着いてくるのだ。
そんなミルザを見ると、どうしても無理に止めることなど出来なかった。
自分のことを見守ってくれている。
そんな、俺にとって、母のような温かさを感じていると、どうしても、言いかけた言葉が引っ込んでしまうんだ。
そんな状態のまま、およそ半年がたった時、ミルザはついに倒れた。
「ミルザさんっ!?」
俺は慌てて駆け寄り、ミルザを抱き抱えると、そっとベッドに横たわらせる。
今、ミルザから感じられる力という力がどこにもなかった。
息は異常な程に浅かった。
「ミルザさんっ! うぅ、どうしてこんな──」
俺はベッドの傍らで今にも泣きだしそうに呻く。
まるで別人のようになってしまった彼女は今にも空の上へ行ってしまいそうで、胸が張り裂けそうなくらい痛かった。
俺はずっと「ミルザさん! ミルザさん!」と呼びかけ続けた。
すると、瞼が少し上がり、本当にか細く、力のない腕が俺の涙が伝う頬にそっと触れる。
そして、いつものように優しく微笑んで弱々しく言った。
「そんな顔するんじゃないの」
声はあまりに小さく弱々しかったが、俺はそんな声に直ぐに反応した。
「ミルザさんっ! 目が覚めたんですね!」
「心配かけて、ごめんなさいねぇ」
そう言いながら、か弱く微笑んでいる優しい頬を涙が流れていく。
俺の頬に触れている手は、とても優しかったが、冷え切っていた。
ミルザが謝るのを聞いて、俺は首を強く振って、その冷たい手を握りしめた。
「ミルザさん、きっと大丈夫ですよね? すぐにまた元気になりますよね? そしてまた一緒に魔獣を狩りに行きますよね? 一緒に魔獣を食べれますよね?」
俺は狂ったようにそう囁き続ける。
頭の中では本当は分かっている。
ミルザともう二度とそんな日常を送ることなどできないということを。
それでも心が納得してくれない。
また教わりたい、また魔獣を狩りに行きたい、まだミルザとの日々を送っていたい。
前世と今世、2つの人生を合わせても、1番幸福だったあの時間を、いつまでも続けて、味わっていたい。
あの温もりに永遠に包まれていたい。
俺が何度も何度も泣きながら訊ねると、ミルザは嬉しそうになって、そして悲しそうに首を横に振る。
「本当はあなたも分かっているのさね? 私はもう……」
「───っ! そんな、そんなことって!」
「もうすぐ天命が尽きるさね。 今まで黙っていたのだけれど、本当はあなたと出会った時にはもう、ほとんど寿命が残っていなかったの」
「なんで、そんな大事なことを……」
「………心配、させたくなかった。 あなたが気兼ねなく強くなれるように。 もし言ってしまえばあなたはきっと私のことを心配して、修行どころじゃ、なかった」
「それでも……! それでも、俺にとってはそんなことよりもあなたの方が大切だった」
「……これは、私の勝手なワガママ。 あなたが日に日に成長していく姿を見ていると、それだけで嬉しくなって……このままでいいと思ってしまった」
俺はその言葉で追求するのを辞めると同時に彼女の想いを蔑ろにしまいと、心に無理やり納得させる。
ミルザとの時間が終わってしまうのだということを。
俺はより一層、ミルザのちいさな拳を強く握りしめて、穏やかに微笑んで呟いた。
それでも涙は止まることを知らなかったが。
「俺、きっとあなたが見たかった世界をつくってみせます……。 俺の人生は全てあなたのものです」
固い決意の元、そう言うとミルザは嬉しそうに微笑んで言った。
「私はね、あなたの母親代わりのつもりだった」
ミルザは最後の言葉でも言い残すかのように静かに、そして穏やかに呟く。
「だから師匠になってくれって言われた時は、ああ、
それもいいなぁって思ったのさ」
「俺も、不躾かもしれませんが、あなたを……ミルザさんを母のように思っていました。 だからあなたの姓を欲しがったんです」
「そうだったの……。 私はあなたの母親になれた?」
「はい……。 俺には勿体ない、最高の母でした」
声がさらに小さくなり、瞼が急に閉じた。
まるでもうすぐ眠りについてしまうように。
「……母親になることは私の憧れだったのさ。 だから今、あなたみたいな人を育てることができたことを、本当に誇らしく思う」
「……はい」
俺はもう泣くのを堪えるのを辞めていた。
彼女の、俺の母のために涙を惜しまなく流そうと決めた。
男ならあまり泣くんじゃないよ、と、ミルザには言われていたけれど、今くらいは、大切な人との最後の時間くらいはいいよね。 そう心に言い聞かせた。
「あなたなら、きっとこの世界を、みんなが笑って、仲良くできる世界に変えられる。 あっちに行ってもずっとユウくんを信じているさね」
「きっと……絶対に、あなたの願いを叶えます……」
俺がそう言うのを聞いて、彼女はすっと息を吸った。
きっと本当に最後の力を振り絞ったのだろう。
そんな気がした。
そしてこれまでで1番穏やかに、1番美しく微笑んで。
「───生きて」
その声はあまりに弱く、小さく、ほとんど音声としては聞き取れなかったが、彼女がそういったのは声が聞こえなくとも、分かっていた。
「はい……今まで俺をそだててくれて、俺に温もりをくれて……本当に、ありがとうございました……」
俺は深く、深く頭を下げた。
この感謝は決して忘れない。
その言葉が彼女に届いたかは分からなかったが、きっと届いたのだろうと信じていた。
だって、ミルザはとても満足そうに眠っていたのだから。
俺はそのまま一晩中泣き尽くした。
ここまで誰かのために泣くということはもう二度とないだろうと思いながら。
◇◆◇◆
光の世界。
辺りはゆらゆらとぼやけていて、どこを見渡しても、向こうに拡がっているのは無限の地平線。
しかし、そこに1つの人影を見つけた。
その人影を、視界の片隅に捉えた瞬間、彼女の唇が震える。
目頭が、燃えるように熱い。
鼓動が高鳴る。
どくんどくんと痛いほどに。
彼女はまるで、磁石の如く惹き寄せられるように、ふらふらと、溢れる涙をぽたぽたと、足元に落としながら、その人影の元へと近づいていく。
そして、彼女は掠れる声で、涙に震える声で、ついに、その名を発したのだ。
ずっとずっと、もう一度逢いたかった、最愛の彼の名を。
「────アルくん」
彼に向かって、手を伸ばす。
───彼の温もりを感じたい。
───彼の優しさに包まれたい。
───彼の甘い声を聞きたい。
そんな思いだけが、今の彼女を支配する。
彼と彼女の距離が縮まっていく。
彼は、穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女の伸ばした手にそっと触れて、自分の方へと抱き寄せる。
「───ミルザ」
最愛の彼女の名を、優しい吐息に乗せて、静かに呼んだ。
2人は、お互いの温もりを、優しさを、包み込むように、抱きしめ合った。
ミルザは、ひたすらに泣き暮らす。
彼の大きな肩に、その綺麗な顔を埋めて。
アルマークは、そんな彼女の背中を、頭を、優しく摩っている。
決して涙を流さない彼だが、その涙腺は今にも崩壊しそうであった。
「アルくん……アルくん……」
「ああ、ここにいるよ……」
「私、すごく頑張ったよ……。 アルくんのために、すっごく頑張ったの」
「分かってる。 ずっとずっと、君のことを見ていた」
「もう、離さないで……」
「もう、離さない……」
そして、より一層、優しく、強く、お互いの体を抱きしめて、唇を重ねた。
とても長く、とても甘く、とても優しい時間だった。
暫くしてようやく、重ねた唇を、抱きしめていた体をそっと離す。
「……ファーストキス。 凄い遅くなっちゃった」
ミルザは、とても満足そうに、それでいてどこか少し複雑そうに微笑んで、呟いた。
「時間なんて、関係ないさ。 だって────」
アルマークの目から、とうとう涙が零れ落ちる。
「───僕達は、今、こんなにも幸せなんだから」
ミルザの唇が再び震えた。
そして、その頬をだんだんと緩ませていく。
「……そうね。 とっても幸せ。 本当に、幸せ……」
目を伏せて、そう呟く彼女の表情は、とても穏やかで、心の底から幸せそうだった。
「それじゃあここからは、彼の行く末を見守っていくとしようか。 2人で」
アルマークは、ミルザの手をそっととると、無限の地平線のその先を眺めながら、そう呟いた。
続けてミルザもまた、優しい目で、その方を見つめる。
───ユウくん。 可愛くて、かっこよくて、強くて、優しい、私の、私達の大切な子供。
───どうかあなたの行く末が、幸せなものでありますように。
───そして、願わくば、私達の見たかったもの、見せて。
───ここで、ずっとずっと、見守っています。 2人で。
───生きて。 ユウくん……。
ミルザとアルマークは、慈愛に満ちた瞳で、繰り返しそう願い続けた。




