第20話 亡霊
ミルザは静かに語りはじめた。
どこか遠いものを見るようなうっとりとした目だ。
意を決した様に俺の目をしっかりと覗き込んで、すっと穏やかに深呼吸した。
「私は、本当はもうこの世に居ないはずの存在なのさね」
いきなり衝撃的な発言が彼女の口から飛び出す。
何か事情を抱えているだろうとは思っていたが、まさか自分はこの世にいない人間だと言い出すとは思わなかった。
「この世にいないって、どういうこと、なんですか?」
俺は目を丸くして訊ねた。
理解の範疇を大きくとびこえた言葉に俺は動揺を隠せなかった。
「驚くのも無理はないさね。 それでも怖がらないで欲しい」
不安そうにこちらを眺めてそう言う。
そんなに心配しなくても、俺がミルザを怖がることなんてない。
少し不気味とは思ったことがあったけれど。
「そんなことは絶対にありませんよ。 あなたがたとえ何者でも、俺は絶対にあなたを信じています」
俺がそう断言すると安心したように胸をなでおろして、ふっと一息つくと再び話し出す。
「まずは私が何年間この迷宮にいるのかさね」
黙々と話し続ける。
俺は静かに、時に頷きながら、時に驚きながらその告白を聞く。
彼女が話したことを要約するとこうだ。
ミルザは文字通りこの迷宮で150年間を過ごし、今年で200歳になるそうだ。
なぜその年でそんなに若い見た目なのかと訊ねると。
「ただのずるさ。 女は若さが命だからね。 肉体の老化を防ぐ魔法を使っていたのさ。 そもそもこれだけの長命、たとえ賢者であってもありえるはずがない。 だから私はこの世にいない亡霊なの」
ミルザは少し気まずそうに苦笑いした。
彼女の言う通り、いくらミルザの天職が『賢者』だとは言っても、せいぜい普通の人間の寿命と比べても10から20程しか変わらない。
それでも彼女がまだ生きているのは魔法のおかげなのだ。
だからこそミルザは自らを亡霊と言う。
なぜそうしてまで、この迷宮で亡霊として1人で過ごしたのか。
理由はたった1つの願いのためだった。
ミルザの願いとは、この世界に200年周期に忽然と訪れる『災厄の聖戦』という種族間で行われる大規模な戦争を終わらせることだ。
そして、種族が違うもの同士でも友好的に関係を築き、誰も差別されない世界を作ること。
誰もがそんな夢を馬鹿げていると言った。
それでもミルザは諦めなかったのだ。
必ずできる、必ずやってのけてみせると。
そして150年間この迷宮に結界を張って引き篭もりながらその方法を探していた。
なぜ迷宮にこもる必要があったのか。
邪魔するものがいたからだ。
ミルザはここ数百年で敵なしと言われてきた魔人について始めに研究を開始した。
しかし、自分達を脅かすミルザの存在に魔人は気づき、命を狙われたため、この迷宮にこもる必要があったのだ。
もちろん、150年間1度も外へ出ていないということはない。
資料集めのために外出はしていたが、それでも細心の注意を払う必要があった。
しかし、なんとか魔人に勘づかれることはなく、これまでやってきたそうだ。
そしてミルザは自分の知識を継承し、この世界の平定を託す人材を待った。
それは彼女のもつ【運命の導き】という固有スキルにより、この年に自分の前に現れることがわかっていたそうだが、始めは俺がその人だとは思わなかったそうだ。
しかし、先の件でミルザは俺がその人材であると確信をしたらしい。
「なんで俺だったんですか? こんな弱くて、小さな、最弱の無職が……。 俺にそんなことができるなんて思わない。 馬鹿にされて終わるだけだ」
俺は理解しつつも、いきなり世界を変えてくれなんて言われて二つ返事ができるわけがない。
こんな非力で最弱の無職がそんな大きなことを成せるはずがない。
「それでも私はあなたに託したいの。 私の知識と願いを。 わがままだってわかってる、それでもあなたこそが世界を変えられるって本気で信じてるさね」
彼女は心成しか焦ったように話す。
「でも俺は、ただの無職で、少し知識を入れたところで、なんの力にもなれないんです」
俺は自分を卑下するように俯きながら訴える。
「あなたは非力なんかじゃない。 ましてや最弱なんかでもない。 むしろあなたこそが、英雄となるべき人なのさ」
「なんで、そこまで言えるんですか? 俺があの時ミルザさんを助けられたのだって、本当にただの偶然だった!」
俺は少し息を荒だてて言った。
そうだ、俺は弱い、そう言い続けられた、俺は犯罪者だ、みんなの邪魔者だ。
そう扱われてきた俺が英雄なんかになれるわけがない!
「いいや、偶然なんかじゃない。 あなたは、あなた自身の力で私を救ってくれた」
「そんなわけない! 俺は弱いんだ。 最弱なんだ。 だって無職なんだ。 だから────もういいんだ……」
俺は諦めるように、嘆くように、声を震わせる。
「無職が本当に最弱の職業だって誰が決めたのさ?」
「……へ?」
俺はその一言に呆然となった。
そして、天職をもらった時のことを想起させる。
確かあの時、神父は自分たちが無職と『呼ぶことにした』と言った。
そして過去に1人だけ俺と同じ天職だったやつがいて、そいつが今どうしてるかはわからないといった。
つまり誰も無職の能力を知らないんだ。
知らないものはなんとか定義づけるしかない。
それで無職と定義付けたのだ。
それが結果的に最弱に結びつくのは仕方がなかったのかもしれない。
明らかに他の天職に比べて見劣りしてしまうステータスだったのだから。
「無職が最弱じゃないって、そういうんですか?」
俺はまだ信じられない、とミルザに訊ねる。
だってそうだ。
もし何か隠された能力があったとしても、それは知らなければ使い物にならないし、誰かがそれを教えてくれるはずもない。
だったらそんな力ないにも等しい。
「魔人のことは知ってるね?」
いきなりそんなことを聞いてきた。
「まぁ、知っていますけど。 それがどうしたんですか?」
「魔人とは今このサーナスで最も強いと言われる種族さね。 そして私はその魔人について研究したのさ」
「はい、聞きました」
若干生返事になる。
「無職っていうのは歴代にあなたを含めてたった2人だけなのさ。 あなた以外のもう1人。 それは、魔人を統べる最強の存在。 現魔王なの」
俺はそんな発言に呆気にとられた。
開いた口はなかなか閉じてくれない。
動揺して、体が硬直する。
「い、いま、なんて?」
俺は聞き間違いではないかと、もう一度訊ねる。
「この世界で最強を誇る現魔王こそが、あなたと同じ無職の人間なの」
俺は数分間、硬直状態から抜け出せずにいた。




