第16話 魔獣
あの後、俺は保存食のパンと、ミルザさんが作ってくれたスープを頂いた。
スープは村で食べていた物とは、味も具もだいぶ異なっていたが、断然こちらの方が美味しかった。
それはもしかしたら、久々の食事だったからという理由があったのかもしれないし、ミルザさんが作ってくれた物だったからなのかもしれない。
何はともあれ、それは、また泣いてしまいそうになるほど、温かな食事だった。
「ごちそうさまでした」
空腹だったせいもあって、おかわりしたスープもぺろっと感触すると、俺はミルザにそうお礼をした。
すると彼女は「おそまつさま」と、安心したように、ほっと微笑んだ。
その優しげな笑顔に、また心が温かくなる。
「でも、育ち盛りの男の子には少し味気なかったかしらねぇ」
「全然そんなことないです! すごく美味しかったです」
「ふふ、ありがとう。 でもそうさねぇ……よし、じゃあ今から捕りにいきましょう」
「捕りにいく?」
「そう。 いいもの食べさせてあげる」
────そんなわけで、俺とミルザは現在、洞窟の奥を歩いていた。
修学旅行の日の洞窟を彷彿とさせる、少し不気味な気配と、湿気った空気が漂う薄暗い空間。
「ここには何があるんですか?」
ミルザの横を歩きながら、俺はそう聞いた。
食材というのなら、あの地底湖で魚でも釣ったほうが早いだろう。
それに、ここにあるのは岩だけだ。
苔の1つも生えてはいない。
いったいここに何があると言うのだろうか。
まさか虫!?
虫はちょっと……いやでも、ミルザさんが出してくれるものを食べないわけにも……。
そんなことを考えていると、
「ここにはねぇ、とっても美味しい食べ物があるの。 お肉は好きかい?」
ミルザさんは心做しか、ウキウキとしていて、鼻歌なんかも歌っている。
そんな美味しいお肉がこの先にあるのか?
「え、ええ。 お肉好きです」
「それなら良かった」
この会話だけ切り取れば、平和な日常系なのに、と内心考えていたが、この先で見たものは、そんな淡い期待などするなと言っているような悪質なのものだった。
「さて、さっそく獲物発見ね」
少し奥の方にちらりと見えたそいつは、見ただけでも分かる、とてつもなく危険な生物だった。
「あの、あれっ、て……、魔獣、ですよね?」
俺の歯と足がガクガクと音を立てて震えていた。
魔獣とは魔物よりもさらに凶暴、凶悪で能力の高い上位個体のことを指す。
奥に見えたのは狼のような見た目で頭に角、煌々と凶悪に輝く隻眼をもつ、いかにもな魔獣だった。
あれはやばすぎる。
あんなのと戦ったら俺なんかの首、一瞬で落ちる。
それにしても、あいつのことを獲物なんて言っていたミルザさんはいったい何をする気なのだ?
むしろこちらが格好の獲物だろう。
それでも彼女は臆することなどなく恐怖は微塵もないように軽い足取りでヤツに近づいていく。
「あ、あれはやばいですって! 逃げましょう!」
俺は慌てて、魔獣に立ち向かっていくミルザさんを止めようとするが、彼女はこちらに振り返って。
「大丈夫さね、黒狼くらい大した強さじゃない。 固いけど、味は結構いけるさね」
彼女はそう、笑いかけてきたのだ。
まるで不安の色など見せるどころか、むしろ嬉しそうに。
あれが大した敵じゃない?
いやいや、めっちゃ強そうなんだけど!?
それよりも、味の方を気にするミルザさんの方が不気味に感じられた。
しかし、その反応を見る限り、彼女にとって奴に勝てるということはどうやら必然であり、それ以前に黒狼など、単なる恰好の食材でしかないらしい。
それでも「助けなきゃ」と俺は腰の剣に手を伸ばす。
黒狼とミルザの距離はすでに5メートルほどで、目と鼻の先と言えるくらいの距離だった。
その時、彼女がもつ大きな杖の先端に淡い光が集合していく。
その光は綺麗な紅の鮮色に色を変え、小さな火の玉状になる。
大きさはソフトボール大ほどだ。
そしてミルザさんはそのまま杖を空を切るように横に振ると、火の玉はまっすぐ黒狼の方へ向かっていく。
すごい速度で飛んでいくそれは、さしずめプロ野球のピッチャーの球のごとき速さだ。
黒狼は慌てて躱そうとするが畢竟、間に合うはずもない。
小さな火の玉が大きな狼の体を一瞬でこんがりと焼き焦がす。
「す、すごい……」
俺はその光景を見ながら呆然としていた。
数秒で炎は消火したが、その間聞こえ続けたヤツの断末魔は二度と耳から離れないように痛烈なものだった。
プシューと音を立ててそこにぐたりと倒れる黒狼は完全に絶命していた。
あれは中まで完全に火が通っている。
驚きのあまり、俺の目ががその死体に釘付けになっていると、突然青い光を放って死体が消えた。
「き、消えた?」
どこに行った?
たしかにあそこにはあの狼の死体があったはずなのに。
困惑に狼狽えている俺を他所にミルザさんは「ふぅー」と一仕事終えたサラリーマンのように吐息をついた。
「1匹目確保ね。 さぁ次はもう少し大物をねらおうか」
「あれよりも大物が!? というかあの狼はどこへ?」
俺は彼女に駆け寄り、怪我がないのを確認すると、そう質問する。
「あぁ、アイテムボックスに入れてあるから、大丈夫さね。 時間がたっても温かいまま食べられるよ」
「は、はぁー……」
俺は呆けたような溜息をこぼした。
いったいこの人は何者なんだ、と改めて思いつつ、今度じっくりと話を聞こうと思った。
そして、どこかで彼女のように強い人間になりたいと思う自分がいた。




