第176話 芽生えた違和感
ルナ・オルヴェールの紹介から始まった朝のホームルームが終わり、俺とシルバ、エルフィアとラフィーはアルドに呼び出されていた。
「ごめんね、これから授業もあるのに」
顔の前で合掌するアルドに俺は「いいですよ」と笑いかけた。
「たぶん、あのルナって子のことっすよね?」
シルバが付け加えた。
「そう。 君たちなら何となく察しはついているんだろうけど、彼女、ルナ・オルヴェールさんは、ニーナさんと同じく、特別研修生なんだ」
ニーナと同じ、つまりは障害を持った学生を入学させる制度の試験運用で選ばれた生徒のことだ。
アルドから聞いてはいたが、試験運用という施策をとる以上、ニーナだけではサンプル不足となる。
そのため、入学時期に若干のズレはあるものの複数名の生徒を特別研修生として各クラスに配属しているそうだ。
最終的には、障害を持った学生専用のクラスの運用を見込んでいる。
「じゃあ、あの盲目っていうのはやっぱり……」
「あぁ、言葉通りの意味さ。 ルナさんは全盲、完全に視力がないんだ。 だからこそ、君たちには、僕ら講師にはできない部分で彼女の学生生活をサポートしてあげて欲しい」
不憫そうに聞くエルフィアにアルドはそう返した。
それが正しく、今俺たちを呼んだ理由だということはなんとなく分かっていた。
真っ先に応えたのはラフィーだった。
「まかせてください!」
ラフィーの意見に賛同の点頭をする俺達を見てアルドはほっと吐息を零し「ありがとう」と言った。
「まぁ、俺達の出る幕はないかもですけどね」
賑わう教室の扉の向こうに目配せして苦笑した。
みんなルナに興味津々のようだし、聞こえてくる声からしても彼女に親切にしようとしているのは分かる。
「そうだね。 みんないい生徒達だ。 ただ、あまり生徒同士を比較するようなことはしたくないんだけど、僕はこのクラスで君たちのことを最も信頼しているんだ。 それにニーナさんの件で特別研修生の事情も理解してくれている」
確かに、研修生の事情は他の生徒達より理解がある。
今回はあくまでも特例、実験的な受け入れだ。
アルド自身も不安があるのだろう。
信頼しているなんて面と向かって言われるのはちょっと照れるが、彼の信頼には応えてあげたい。
そう思っているのがどうやら俺だけではないことは首を降れば分かった。
「分かりました。 ニーナのこともありますし、できる限りサポートをしたいと思います」
「頼もしい限りだよ」
4人の総意を代表してアルドに伝えると彼はそう言って安心したように微笑んだ。
「あ、そうだ。 本当は彼女自身に聞くのが1番いいんだけど、一応ルナさんのことを少し教えておくよ───」
ルナ・オルヴェールはニーナと同じ特別研修生であると同時に、ロッドハンス王国子爵家、オーケルン家の令嬢でもある。
アルドも、オーケルン家が彼女のような養子をとっていたことは初耳だったようだが、子爵家たっての熱望により今回、研修生として受け入れることになったそうだ。
先天的な盲目を患いながらも文武共に優れた才覚を持ち、魔法の技術にも秀でた才女、天職は『薬師』。
そういったことを軽く説明してアルドは、1限目の講義を担当する教室へと向かっていった。
俺達も教室に戻ると案の定、ルナの周りには人の壁が出来ていた。
やんややんやと声をかける人の隙間から、少し困ったように笑うルナの姿が見える。
「おォ、お前ら。 ルナさんが困ってるじゃねェか。 声掛けたくなるのは分かるが、もうちょっと考えてやれや」
シルバがそう声をかけると、生徒達ははっと気づいて、ルナに謝りながらそぞろにはけて行った。
さすがはナンバーズ、説得力がある。
まぁそれに加えて、目つきの悪さも起因しているのかもしれない。
「ありがとうございます」
ルナがこちらの方に顔を向けてニコッと笑った。
「わりィな、みんな悪気があるわけじゃないんだ」
「いえそんな、みなさん私と仲良くしようとしてくださって、とても嬉しいですしありがたいです」
はけて行った生徒たちをみやりながら謝るシルバにルナはゆっくりと首を横に振った。
「そっか、懐が深くて助かる。 オレはシルバ・ラッドロー。 よろしくな。 そんでオレの隣にいるのが───」
「ユウ・クラウスだ」
「ラファエルと申します」
「エルフィア・ハーミットです」
シルバに続いて自己紹介するとルナは1人ずつ顔を向けて名前を復唱していった。
「シルバさんに、ユウさん、ラファエルさん。 それに……エルフィアさん」
最後、エルフィアの名前を呼んだ時、何故か妙な違和感を覚えた。
彼女自身も同じように思ったようで「?」と首を傾げていた。
「はーい、席についてくださいね〜」
ちょうどその時、1限目を担当する講師が教室に入ってきた。
「そんじゃ、オレらも席につくわ。 何か困ったことがあったらなんでも言ってくれよな」
「ええ、ありがとうございます。 よろしくお願いします」
そうして俺たち4人も各自の席についた。
あの違和感に関しては、俺もエルフィアも特に気には停めず、気のせいだろうくらいに思った。
1限目は数学で、担当するのはルーシーという女性講師だ。
特別研修生のことは当然、全講師メンバーに伝わっているとアルドからは聞かされている。
ただ、ルナが入ったとはいえ、数学では特別変わったことなく授業は進んでいった。
授業が半ばに差し掛かったところで、ルーシーが教科書の大問を黒板に書き出した。
「じゃあ、この問題解ける人ー! 挙手してね〜」
シーンと静寂に包まれる教室に僅かな唸り声があがる。
俺たちSクラスは、かなり先の範囲まで授業が進んでいたから、正直ちょっと難しい問題だった。
俺も解けないことはないが計算に少し時間がかかりそうだ。
前世でも数学がほんとに苦手だったんだよなぁ。
そんなことを考えつつノートに問題を書き込んでいると、左前方で「先生」と記憶に新しい声と共に手が挙がっていた。
最前列の窓際に座る少女、ルナに視線が集まる。
「問題を口頭で聞かせて頂いてもよろしいでしょうか? その式であれば多分答えられると思います」
「あ、そうだった! ごめんなさい!」
ルーシーは慌てて謝ると、彼女の席に駆け寄って口頭で問題を伝えた。
「どうかしら?」
「大丈夫です。 宜しければ私が前に出て解きましょうか?」
「え、ええ。 もちろんよ! さ、こっち、気をつけてね」
そうして黒板の前に連れられると、ルナは「では」と一言呟いて、さらさらと問題を解き始めた。
それから20秒ほど。
「どうでしょう、合ってますでしょうか?」
「すごいわね、正解よ……」
いとも簡単に解き終えてしまったルナの解答をまじまじと見て、ルーシーは呆気に取られたようにそう言った。
次瞬───
「す、すげーーー!」
「なんで分かったの!?」
「そんなやり方ある!?」
「ルナさん天才すぎ!」
教室内には生徒たちの歓声が飛び交った。
感服と賛美の声に応えて、ルナは嬉しそうに微笑すると「ありがとうございます」と一言添えてお辞儀した。
その後、ルナを席に戻しルーシーが解答の説明を行ったのだが、どうやらルナの用いた方式は数学者や学術家が用いるような手法だったそうだ。
1限目以降も午前中は、魔法学、歴史、語学と座学の授業が続いたが、どれをとってもルナは非常に優れていた。
そして午後の実技演習でもルナの才覚を目の当たりにすることになる───。
「──そ、そこまで! 勝者、ルナ・オルヴェール」
一体、何が起きているんだ……。
彼女の模擬演習を見て、俺は呆然となった。
基礎体術の実技演習、1体1の格闘訓練で、ルナは相手となった同クラスの女子生徒に完勝を収めていた。
担当講師であるニックスもこの結果には驚きを隠せないようだった。
相手になった女子生徒もさすがにSクラスというだけあって決して弱くはなかった。
足を使ってはならないというハンデを抱えていたとはいえ、動きを見ている限りそこまで完敗するようにも思えない。
しかし、どの攻撃もまるで見えているかのように、否、見えている人以上の反応速度でいとも容易く避けていた。
本当に全盲であるのかすら疑わしいほどの身のこなし。
ルナ・オルヴェール……只者では無いことだけは分かる。
彼女は本当に、ただの研修生なのだろうか。
ルナに対する疑念が脳裏に浮かんだ。
そして、エルフィアだけが俺と同じように彼女に対して違和感を覚えているようだった。
しかし、後に思えばエルフィアだけは、もしかしたら全く別の違和感を感じていたのかもしれない。




