第168話 再会計画②
───放課後、時刻は4時過ぎ。
さすがに夏が近いということもあって、春の陽気というにはやや暖かすぎな空気。
校舎棟1階の空き教室、その1番後ろの席に腰掛けながら、俺はふと窓の外を眺めていた。
何を考えていたのかと聞かれると返事に困る。
ただ、もしかすると、まだどこかに迷いがあったのかもしれない。
これから自分のすることはほんとうに彼女にとって最善のやり方だったのか。
そうこう考えている暇もなく、約束の時間はやってくる。
ドタドタと慌てたような足音が教室の外から聞こえ、その次瞬どんっと勢いよく扉が開かれる音がした。
「───ユウっ!!」
同時に聞こえてきた聞き馴染みのある声、しかし久方ぶりに聞く声、透き通るようなその声の方に視線を移す。
しなやかに結われた銀髪は肩と連動するように上下に揺れていて、赤い瞳は少しうるっとしていた。
「よ、レイシア」
席を立ち上がりそう声をかけると、彼女はくっと息を整え、少しほっとしたように表情を緩めると、ゆっくりとこちらへ歩んでくる。
「すまない、待たせたよね。 講義のあとに呼び出されてしまって…」
「いいや、俺もさっき来たところだから。 それより呼び出しって、レイシアの方は大丈夫なのか?」
「うん、レミエルがちょっと講義で注意を受けて。 まぁボクのせいなんだけど…もう大丈夫だから安心して」
「そ、そうか?」
レミエル、あいつまた何かやらかしたのか?
なんて言ったらどこぞの天使に「またってなんや、またって!」って突っ込まれるだろうな。
そんなことを内心思っていると、レイシアは「それよりユウ」と言って俺の肩をそっと掴んだ。
「……身体の方は大丈夫なのかい?」
「あ、あぁ。 見ての通りなんの問題もないよ」
そう言えばレイシア達には、俺がオルセンに行っている間、怪我の療養で学校に来れないという風に伝えてもらうようアルド先生にお願いしたんだった。
やや気後れしつつ、俺は腕あげて回復したことをアピールした。
「それならほんとうに良かった……」
するとレイシアは安心したように溜息を漏らした。
しかし次の瞬間、レイシアは何かを思い出したようにはっと目を見開いた。
「そうだ! ボク、ユウに謝らないといけないことがあるんだ!」
「え?」
突然のことに戸惑いを隠せない俺を他所に、レイシアはがばっと頭を下げる。
「序列戦の時はほんとうにごめん! あんな態度をとってしまって……せっかく応援してくれて、祝勝会だってする予定だったのにっ。 ボクのせいで雰囲気を壊してしまった……ほんとうにすまなかった!」
「……」
そうか、レイシアはあのことずっと気にしていたのか。
今日会った時から気になっていた目のくま、いつもより若干パサついてしまっている髪。
こんなに必死になって謝るレイシア。
俺でも流石に分かる。
「俺の方こそ、不安にさせてごめんな。 最近ちゃんと寝れてなかったのって、多分それが原因なんだよな」
俺は静かにそう言って、枝毛の飛び出た彼女の髪に手ぐしを入れる。
するとレイシアはぱっと顔を上げ、頬を赤らめながら慌てて自分で髪を整えだす。
「あ、いやこれはっ……さっき走ったせいでボサボサになって。 あはは…」
レイシアは気まづそうに目をきょろきょろとさせながな、弱々しく笑う。
「不安、だったんだ……。 君に、嫌われてしまったのではないかって。 あれっきり会えないし、謝ることさえできなくて。 ずっと不安で、不安で……」
肩を震わせ、俯くレイシアに、俺はそっと撫でるように彼女の肩に掌を添えた。
「あんなことで俺はレイシアのこと嫌いになったりしないよ。 むしろ、レイシアに何かあったんじゃないかって、ずっと心配してた」
「……ほんとうかい?」
「ほんとうだ」
目をうるうるとさせながら顔を上げるレイシアに俺は笑いかけて力強く言った。
「そんな簡単に嫌いなれるわけないじゃん? 大事な友達のこと」
まさかこんな台詞を言う日が俺に来るなんて、思ってもみなかったな。
そう言うとレイシアは、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、強ばっていた表情はすっと柔らかくなり、触れていた肩からは力が抜け、すとんと落ちたようだった。
そしてずっと引っかかっていた胸のつっかえが取れたように溜め込んでいた息と一緒に安堵の言葉を零した。
「良かった……。 ほんとうに…」
そんな様子の彼女を見ているとほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
しかし───
「レイシアごめん。 俺はもう1つ君に謝らないといけないことがあるんだ」
「? ユウが謝ることなんて何も…」
落ち着いてきたレイシアにもう一度向き直ってそう言うと、彼女はぽかんとした様子だった。
「今日までの2週間、俺は怪我の療養で学校に来れてないってたぶん聞いてたと思う」
「え、う、うん。 アルド先生にはそう伝えられてたけど…」
「あれは、嘘なんだ」
「え?」
「俺は今まで、ある人に会いに行っていたんだ。 そしてその人はレイシア、君に合って欲しい人でもある」
困惑の色を隠せないレイシアの向こう側に目配せをし「はいってきてくれ」と合図を送る。
すると、打ち合わせ通り扉ががらりと開き、同時に車輪の回る音が聞こえてくる。
俺の目線とその音に反応し、レイシアもまた、俺の見据える先、扉の方へと振り返った。
「────ぇ」
そして、そこにいる人物を見て、レイシアは目を大きく見開き、さらに深い戸惑いと、驚愕の混じった吐息を零した。
「───久しぶり、レイシアちゃん……」
車椅子に腰掛ける彼女は、緊張の面持ちでそう言った。
「ニーナ、ちゃん……?」
掠れる声で、震える唇で、レイシアは久しぶりに再会する友の名前を呼んだ。
◆◆
───数時間前。
「待っていたよ、ユウ」
「お久しぶりです、アルド先生」
俺はニーナと共に、ミシェド学園正門前へと来ていた。
エルフィア達が上手く伝えてくれたのだろう、アルドは門前で俺たちの到着を待ち構えてくれていた。
「彼女が、ニーナさんかい?」
アルドがニーナの方を見やってそう聞くと、彼女は慌てた様子で自己紹介をする。
「は、はい! ニーナ・アイセンと申します」
「ありがとう、会えて嬉しいよ。 ニーナさん」
アルドは緊張しながらも自分に名乗ってくれたニーナにそう言って、左手を差しのべた。
ニーナもやや気後れしつつ、それが握手の所作だということに気づくと、スカートの裾で手を拭いてその手を彼の掌へと伸ばす。
「こちらこそ、ありがとうございます。 色々と手配してくれたってユウから聞きました」
「いえいえ、こちらからお願いしたことだからね。 それより、こんなところで立ち話というのはなんだし、詳しいことは中で話そう」
そうして、アルドに発行してもらっていた、ニーナの入校許可証を貰い、詳しい話の続きはアルドの執務室ですることとなった。
まず話したのは、俺がニーナを王都連れてくるまでの経緯。
そして最も重要なこと。
ミシェド学園でのニーナの扱いについてだ。
ここ王立ミシェド学園は日常エリアを除き、当然の事ながら学生、講師、関係者以外は立ち入り禁止。
入校には学生証、もしくは入校許可証が必要となる。
現状はアルドが発行してくれた入校許可証で入っており、今はニーナは学校関係者という立場である。
しかしこの許可証は1日効力のため許ため使えるのは今日だけ。
そこをどうするかはアルドに全て任せていたのだが───。
「それで、ニーナの扱いについてなんですが……」
「そのことなら大丈夫だよ。 なんとか準備は間に合った───」
話していた時、部屋の入口の方からコンコンというノックが聞こえてきた。
「お、ちょうどいい時に来たね」
そう呟き「どうぞ入ってー」と扉に向かって呼びかける。
「──失礼します」
扉が開くと同時にに聞こえてきたのは、よく聞き馴染んだ声で───
「あ、マスター!」
「え、エルフィア!? ラフィーまで!」
入ってきた2人に振り返り、驚きを隠せない俺にアルドは「僕が呼んだんだ」と後ろから声をかけてくる。
「あれ持ってきてくれた?」
そしてエルフィア達に向かってそう訊くと、2人はその手に持っていた物を広げる。
それを見て、俺とニーナは目を見開いた。
「ニーナさんの扱いについてなんだけど。 研修生ってことになったんだ。 だから、みんなと同じ学園指定の制服を着てもらうことになる」
エルフィア達が広げていたのは、紛れもなく、ミシェド学園の女子生徒用の制服だった。
ニーナもさすがに圧倒されていて、何が何だか理解が追いついていないようにあたふたとしている。
「2人はニーナさんの着替えを手伝ってもらうために呼んだんだ。 女性の講師でも良かったんだけど、やっぱり同年代の女の子の方が緊張しないかなって思ってさ」
「……」
すっかり呆然となってしまったであろうニーナの方を見ると、俺の想像とは裏腹に目をきらきらとさせて制服の方を見ていた。
「か、かわいい……」
ただ、エルフィア達が持っている制服ではなく、着ている制服なのだが。
「それじゃあニーナさん、着替えてきて貰ってもいいかな? 彼女達が手伝ってくれるから」
「ほんとうに私が、着ていいんですか? 制服を」
「もちろんさ。 むしろ着てもらわないと困ってしまうよ。 嫌だったかな?」
「い、いえ! とんでもありません! ここの制服を着るのは私の憧れだったんです!」
食い気味にそう言うニーナにアルドはふっと微笑んで「それは良かった」と返した。
「それじゃあ2人とも、ニーナさんのことよろしく頼むよ」
「了解ですー!」
エルフィアはやはりニーナに対しても人見知りを発揮しているのか、無言で頷き、ラフィーは元気よく手を上げて応えていた。
「さ、行きますよー、ニーナさん!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
そうしてラフィーは率先してニーナの車椅子を押していった。
きっとラフィーのことだから、彼女に緊張させまいと敢えていつもより明るく振舞っているのだろう。
ラフィーの後ろをついて行くエルフィアは部屋から出ていく直前に俺の方を見て、ほっと安心したように微笑むと、胸元で小さく手を振った。
『またあとでね』
声は聞こえなかったが、小さく動く口元を見てエルフィアがそう言ってる気がした。
「それにしても、よく研修生なんて通りましたね」
3人が出ていった後、改めて俺は驚きの残る声でアルドにそう訊いた。
「以前から身体に障害を持つ学生でも、その運動機能以外の能力を鑑みて入学させるべきではないか、という考えはあったんだ。 身体の障害のせいで優秀な人材が埋もれてしまわないようにね。 だから今回は実験的な取り組みと言ってもいい。 色々特例ではあるけどね」
アルドはそう言って片目を閉じた。
それはまるで、裏道を使わないとは言ってないけどね、なんて言うような悪戯な表情だったが、改めて俺は彼の凄さを実感した。
 




