第156話 魔女
オルセンの元に近くの街の警備部が到着したのは、翌日の昼だった。
昨日にオルセンを襲った髭男達は、王都からはぐれてきた大規模盗賊団の残党だったそうだ。
王都ではその盗賊団の討伐作戦が実行され、そのほとんどを取り押さえることに成功したものの、1人の幹部とその一派を取り逃してしまったらしい。
しかし、すぐには指名手配は出されず、オルセンのような小さな村には未だその情報が届いていなかったのだ。
そこにつけ込み、残党一味はオルセンのような小さな村や集落を襲い物資を得ながら逃亡していた。
そんな一味を、レイシア・コルヌスという一人の少女が全滅させてしまったというのだから、駆けつけた警備隊もこれには驚愕を隠せなかった。
しかし、氷の中には確かに盗賊団の残党が飲み込まれていた。
村人の証言からも、レイシアがそれを成したということは間違いなかった。
そうして、大規模盗賊団の討伐作戦はたった1人の少女によって、思わぬ形で完遂されてしまったのだ。
しかし、レイシアやオルセンの住人にとってはこれで一件落着とはいかなかった───。
◇◆◇◆◇
「…うっ」
「ニーナっ…!」
盗賊団の一件以来、意識を失っていたニーナは事件の3日後にようやく目を覚ました。
彼女が意識を取り戻したことに母親は泣いて喜び、父親は隣のベッドで安堵したように微笑んでいた。
父親の傷も決して浅くはなかったが、なんとか命を取り留めていた。
ニーナの方も命に別状はなかったものの、多くの打撲痕や切り傷を残す、悲惨な姿になってしまった。
だが、彼女を苦しめることになるのはもっと別の事だった。
「ニーナさんの右腕と右脚の神経が氷に侵されてしまっています。 残念ですが……恐らく、もう二度と動かすことは出来ないでしょう」
目を覚ます前のニーナを診察した隣町の医者は彼女の身体にそう診断した。
原因は言わずもがな、あの時の氷によるものだ。
しかもただの氷ではない。
魔法の氷、それも、10人もの人間をいっぺんに凍りつかせ殺してしまうほど強力な。
恐らくレイシアが発生させたであろうあの氷は、村の面積の半分にも登る領域と盗賊団全員を凍りつかせた。
その時、盗賊団の1人に取り押さえられていたニーナの右半身もその氷の中に巻き込まれてしまったのだ。
それが原因であることは、医師の目から見ても明白だった。
目を覚ましてからしばらくして、ニーナは自身の身体の違和感に気づいた。
「ねぇお母さん。 右手と右足に力が入らないの…」
自分でもきっとどこかで分かっていたのだろう。
この腕と脚が二度と思うように動かすことが出来ないということを。
そして、自分の夢が潰えてしまったということ。
ニーナはそう言って引きつった笑みを浮かべながら、涙を零していた。
◇◆◇◆◇
レイシアもまた、あの一件のあとすぐに気を失っていた。
原因は大量の魔力消費による、脱魔力症。
つまり、あの時の氷は全てレイシアの魔力と魔法によるものだったのだ。
彼女が目を覚ましたのは、気を失ってからちょうど半日ほどが経った頃、警備隊が到着したくらいの時だった。
最初は自分でも何が起きたのか判然とせず、未だに凍りついた景色を見ても困惑するばかりだったが、次第に自分が何をしたのかに気づいていった。
なぜなら、彼女を見る周りの目と態度がこれまでとは明らかに一変していたからだ。
それは決して、村を救ってくれた恩人に対する眼差しではなく、ほとんどが恐怖や驚愕、怯え、不安の感情だった。
それもそのはずで、たった11歳の少女が武装した屈強な盗賊団を全員殺し、瞬く間にして辺り一面を氷の世界に変えてしまったのだ。
そんな強大な力を目の当たりにしてしまえば、そんな風にレイシアのことを見てしまっても無理はない。
彼女の両親でさえも、当然レイシアが無事であったことに喜びつつも、怯えや驚愕を隠しきれてはおらず、レイシアは幼いながらにも理解していた。
しかし、そんなのはまだマシな方で、一方では怒りの念を抱くものすらいた。
それは、彼女の氷によって、周辺の作物が全てダメになってしまったからだ。
ただでさえ、備蓄も少なく納税したばかりで厳しい状況にあるというのに、これから収穫していくはずの作物まで台無しにしてしまった。
それに対し、憤りを感じる者もいたのだ。
そんな扱いと環境に心を摩耗させながらも、レイシアはとにかくニーナの無事を願っていた。
しかし、現実は彼女に対してあまりに非情だった。
事件の3日後、ニーナが目を覚ましたということを聞いてレイシアは一目散に彼女の元にお見舞いに行った。
最初の頃こそ、お見舞いに来るレイシアに感謝するニーナだったが、次第にその表情は影を見せていった。
そしてある日のこと───。
「ねぇニーナちゃん! 今日は天気がいいし外に行こうよ。 車椅子、ボクが押すよ!」
レイシアはいつものようにニーナの所へ来ていた。
時間さえあれば彼女の元にいって、話をするか外に連れ出してあげていた。
ニーナは右腕右脚を動かせなくなってから、自分だけでは動くことが出来なくなっていたからだ。
それにレイシアも大きな責任を感じていた。
その日もまた、天気がいいという理由をつけてニーナを外に出してあげようと声をかけたのだが。
「ニーナちゃん?」
ニーナはベッドの上で窓の外を見つめながら黙ったままだった。
いつもなら「ありがとう」と微笑んでくれるはずなのに、とレイシアは不思議に思って「ねぇ」と何度が呼びかける。
すると、
「……いい加減にしてよっ!」
突然ニーナは激昴し、レイシアを睨みつけた。
そんなニーナの態度に困惑しながら、レイシアは声を震わせる。
「…ど、どうしたの?」
「分からないの!? あなたのせいで私、こうなってるのよ! この右腕も右脚も、もう二度と動かない! もう二度と弓を引くことも出来ない! 私が王都の学園に行くのが夢だって知ってたでしょ! こんな身体じゃ行けるわけない! あなたが! 私から全部奪ったのよ!」
息を荒らげ、たくさんの涙を浮かべながら、ニーナは叩きつけるようにレイシアにそう叫んだ。
本当はニーナだってわかっていた。
レイシアに悪気がないことなんて。
けれど我慢できなかったのだ。
右の手足の自由を奪われ、夢を奪われ、その原因が今ものうのうと自分の前に現れて、自由に歩き回っている。
それがまるで見せつけられているようで、ついついそのストレスをレイシアにぶつけてしまったのだ。
暴言をぶつけてくるニーナに、レイシアも泣き出す。
「ご、ごめん…ごめんなさい…」
そしてそう何度も謝りながら、ニーナの方に近づいていくと、彼女はレイシアに向かって「近づかないで!」も叫び、枕をばっと投げつけた。
そして、今のレイシアにとって最低最悪なことを言ってしまったのだ。
「この、魔女!」
その言葉を聞いて、レイシアは固まった。
全ての思考は停止し、まるで現実味がない。
酷い悪夢でも見ているのではないかと思える程にその言葉は彼女の心を突き刺した。
当時のレイシアは、盗賊団の事件以来村人からよくこんな風に囁かれていた。
『魔女』や『化け物』だと。
それを、最も言われたくない人に言われてしまったのだ。
まるで全身の血が引いていくような感覚で、彼女の目はこの世の終わりでも見ているように虚ろで、絶望に染まっていた。
そんなレイシアの表情を見て、ニーナははっとなり、慌てたように口を手で覆う。
レイシアもまた、とてつもない吐き気に襲われ、口を手で塞ぎ逃げ出すようにニーナの部屋を出ていった。
向けられた小さな彼女の背中を見て、ニーナはとんでもないことをしてしまったと自覚し、自己嫌悪に啼泣した。
この日を境に、レイシアは人と関わることに怯え、すっかり心を閉ざしてしまったのだ。
 




