第147話 河村晴人
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「はぁはぁ……」
───こんなはずじゃない。
アーサ・ライルボードは息を切らしながら心中で不平を零した。
ユウの魔法障壁付与剤に仕込ませた毒は確実に効いていたはずだ。
観客だって、自分の味方をしている。
とっくにユウの心は折れているものだと思っていた。 それらしい様子も窺えた。
なのにどうしてユウは立ち上がり、立ち向かってくるのか。
仮に動けるようになったのだとしても、どう考えてもこちらの方が優位に立っている。
なのにどうして、こんなにも焦っているのか。
そんな風に考えながらも、アーサは本当は気づいていたのだ。
気づいていたからこそ、分かっていたからこそ、ここまでする必要があった。
「クソっ……」
アーサは悔しげに舌を打った。
毒を使い、周囲を巻き込み、全て計画して、入念に準備してユウに勝とうとした。
それでもユウを潰しきれなかった、倒せなかった、勝てなかった。
認めたくはない。
それでも認めなければならない。
どれだけ傷つけられようとも立ち上がるユウを見た。
その真っ直ぐな目を見た。
その目に宿る強い覚悟を見た。
そんな彼に、アーサは奇しくも憧れのようなものすら抱いてしまったのだ。
あんな風に真っ直ぐに生きたかった、と。
同時に自身の過ちと愚かさを思い知った。
だから、彼は剣を握りしめた。
ここでユウの望み通りに真剣勝負をしてやる事が、今自分にできる最大限の敬意ある行動であり、そうしなければならないと、不意に思ってしまったのだ。
その後、アーサとユウは文字通り真剣な勝負をした。
そしてアーサは戦っている最中もユウの強さをその身でひしひしと感じていた。
同時に、どう足掻いても勝てないとも悟っていた。
ユウから打ち込まれる剣撃は重くどこまでも真っ直ぐで、アーサは身体よりも心がきしきしと痛かった。
クソっ、クソっ……と戦っている間何度も零した。
それは、ユウの対戦相手として全く相応しくない自分への強い嫌悪だ。
どれくらい戦ったかははっきりしていない。
ただ分かることは、自分が圧倒的に敗北し、地に臀をつけているということだった。
「俺の勝ちだ、アーサ」
ユウは座り込むアーサに歩み寄りそう告げた。
その時、ふとこんなことをこぼしてしまった。
「油断なんてしてなかった。 途中まではシナリオ通りだった。 あれだけやって、それでも俺は、お前に勝てなかったのか、ユウ……?」
アーサは自分の弱さを証明して欲しかったのだ。
同時に、ユウの強さの理由を聞いてみたかったのだと思う。
その言葉に対してユウは「お前に話すことなんてほとんどねぇよ……」と言った。
しかし、その後「ただ……」と言葉を切り返すと、
「一つだけ言えるのは、俺には成すべきことがある。 お前に勝つことなんざその通過点ですらないんだ」
返ってきたその言葉は分かるようで、よく分からないものだった。
だが、
──俺はお前みたいに、自分のために生きているんじゃない──
最後のこの言葉は、重く深く響いて、アーサの胸を締め付けた。
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アーサ・ライルボード……河村晴人は元来、目立つような人間ではなかった。
勉強ができるわけでもなく、運動神経が良いわけでもない。
小中学は太っており、ドン臭く、気弱だったこともあって、よくいじめにもあっていた。
そして高校に進学する時、親の転勤で遠い街の高校に通うこととなった。
その時、晴人は誰もかつての惨めな自分を知らない地で、やり直そうと自分を変えた。
ダイエットをして、髪を整え、ファッション雑誌で服装にも気を配り、喋り方も変えた。
するとどうだろう。
いじめられっ子で惨めな河村晴人なんて、本当はいなかったかのように、高校では人気者になった。
そして自分に自信が持てるようになり、次第に、自分は特別な人間なのだと、その自信は過剰化していった。
だが一番にはなれなかったのだ。
なぜならば、同じクラスには、瀬戸 裕也という絶対的な一番がいたからだ。
それでも、当時の晴人は別にその事について気にしてもいなかった。
高校二年になってすぐに、晴人に沙耶という初めての彼女が出来た。
晴人の高校生活はまさに順風満帆だったといえる。
とある日の夜、晴人の携帯に沙耶から突然電話がかかってきた。
その声は震えていて不思議に思った晴人がビデオ通話にすると、そこに映ったのは、顔に傷を負って泣いている沙耶の姿だった。
何でも、隣のクラスの男に怪我を負わされたという。
その男の名は───三木原 奏真。
その時の晴人は怒りでどうにかなりそうだった。
特別である自分の可愛い彼女を傷つけた、三木原 奏真という男が憎くてたまらなかった。
沙耶は奏真に復讐したいと言った。
当然、晴人はそれを快諾し、奏真に対する復讐が始まったのだ。
その晩、晴人と沙耶はSNSで三木原 奏真の話を広めた。
二人ともクラスの中心人物だったこともあって、直ぐにその話はクラス中、学校中へと伝わっていった。
そして教師をも味方につけ、ついに三木原 奏真を停学させることに成功したのだ。
しかし沙耶の復讐はこれに終わらなかった。
次は、奏真と仲良くなった振りをしろと沙耶は晴人に命じた。
そして仲良くなったところで、実は演技だったのだと明かし、絶望させるのだと。
この作戦を聞いた時晴人は、そこまでやる必要があるのか?と沙耶に言い返した。
すると沙耶は、できないなら別れると言った。
晴人は違和感を残しながらも、その計画を聞き入れることにした。
だが晴人は嫌々引き受けたというわけではない。
それはむしろ晴人にとっても都合が良かった。
なぜなら、彼を陥れようと動いていた時、晴人は、自分が一番になれていた気がしていたからだ。
彼女を知らぬ男に傷つけられ、そのために復讐をすると言い出した時、誰もが晴人に同情し、すすんで協力してくれた。
その時は瀬戸 裕也よりも、間違いなく晴人の方が大きな影響力を持っていて、クラスの中ではまさに一番になれたように感じていた。
それは晴人にとって、何よりも気分が良かったのだ。
そんな優越感をいつまでも味わっていたいと、一番であり続けたいと、晴人は傲慢にもそう思った。
修学旅行の時、復讐半ば崩落事故に巻き込まれ晴人たちはクラスごとおかしな異世界へ転生したのだが、当然、その想いが消えることはなかった。
しかし、転生後の世界では再び、瀬戸 裕也がクラスを仕切るようになっていた。
その事に晴人はそれまでは気にならなかったはずの不満を抱くようになっていった。
そんな時だ。
天職授与があり、晴人は『勇者』という、特別な天職を授かり、奏真は『無職』という無能の烙印を押された。
奏真は怒り狂い、親友だと思っていた晴人に助けを求めた。
これは晴人にとって、これ以上ない絶好の機会だったのだ。
ここで奏真を裏切り、奏真にヘイトを向ければ、クラスの連中は自分に従い、再び一番になれるのではないかと、そう思った。
いざ実行に移してみれば、結果は晴人の思い描いていた通りとなった。
クラスメイトのほとんどは晴人に合わせ、奏真を集団で攻撃しにかかった。
きっと奏真を攻撃していた連中にとっても、晴人の演出は都合が良かっただろう。
皆、自分が誰かより優れていると証明したいのだ。
そして同時に、自分が周りと異なる意見を出し、クラスで浮いてしまうことを恐怖しているのだ。
だからこそ、奏真を敵とすることでクラスは団結し、晴人は再びクラスのリーダーとして持ち上げられることになった。
思えば、奏真に対する恨みや憎しみなんてもうなかった。
それどころか、奏真と関わり、その人柄を知っていく中で、彼の言う通り本当は濡れ衣を着せられただけで、全ては冤罪だったのだろうことはとっくに察しがついていた。
しかし、その時には既に引き返せないところまできてしまっていたのだ。




