第141話 失意の中で
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「なん、だ……これ……」
強い痺れが全身を巡っている。
力という力がすべて抜け落ちていく。
揺らぐ視界はぼやけており、身体の感覚がみるみる間に鈍くなっていくのが分かる。
もう手足はほとんど動かない。
先程まで構えていたはずの剣先は、ぶらりと地面を向いてた。
「うっ……」
酷い吐き気と頭痛が追って襲いかかってくる。
三半規管が麻痺し、平衡感覚は既にほとんどと言っていいほど失われていた。
まるで頭蓋の中で脳が踊っているようだ。
地面がずっとぐらぐらと揺れている。
今はただ立っていることすらままならなかった。
何が起きているのか、必死になってこの状況を理解しようとするが、頭がまるで上手く回らない。
普段ならきっと、直ぐにでも思い当たる節が見つかっただろう。
だが、今の俺はとても普段通りではいられなかった。
考えろ、考えろ……ひたすら自分に諭し続けるが、頭の中は乱雑になっていく一方だ。
そんな時───、
「おいおい、始まった直後からよそ見か?」
そう叫びながら、何かかが猛烈な速さで俺の方へ突進してきた。
直後、その影を見る暇もなく、景色は反転し、鈍い音が響く。
同時に鋭い衝撃と凄まじい痛苦が腹部に走った。
「がぁっ……!」
何が起きたのか分からないまま、俺は大きく吹き飛び、地を転げ回る。
何度も体を地面に激しく打ち付けられ、ぺしゃりと倒れ伏せながらようやく止まった。
「っぁあ……」
全身が軋むように痛い。
先程までは辛うじて立っていることができていた身体も、もうピクリとも動かなかった。
口内に土と苦い血の味が広がる。
ただ、魔法障壁が展開している限り、本来ならば外傷を負わないはずだ。
にもかかわらず俺の口の中に血の味があるのは明らかに異常な状態。
しかし、その発想に至ることすら、今の俺にはできなかったのだ。
現在の状況を確認しようとして、片方の瞼を半分ほど開くと、その視界が恐ろしいほど真っ赤に染まっていた。
「ぅあ……」
そのことに対する驚愕と同時に感じた、腹の中を掻き回されるような不快感に俺は思わず呻き声を漏らす。
するとその時、真っ赤になった景色に何者かの足元が映り込んだことに気がついた。
サク、サク……と土を踏む音を立てながら、それはゆっくりとこちらへ近づいてくる。
そして数秒後、ついにその足は俺の眼前にまで迫ると、ピタリと止まった。
「クククっ……」
頭上から、この上なく気味の悪い笑い声が降ってくる。
それは、この状況を笑わずには居られないといったような、紛うことなき嘲笑だ。
その笑い声に、背筋を冷やしていると、次瞬、頭に強い痛みが走った。
アーサは俺の髪を掴み、俺の顔を自分の眼前にまで持ち上げていた。
真っ赤な視界に映ったのは、試合直前にも浮かばせ、俺のトラウマを想起させた、あの悪魔のような邪悪な微笑みだ。
そんな微笑に怯む俺の顔を眺めてアーサは「ククっ」と、再び心底楽しそうに笑うと、
「いやぁ、あっけないなぁ」
顔を近づけ、睨みつけるように俺の目を覗き込むと、皮肉めいた口調でそう囁いてきた。
全ては自分の思い通りであるとでも言わんばかりの表情。
できることなら言い返してやりたい、この状況から脱して、反撃したい……どれだけそう思っても、声は上手く出せず、身体は全く動かない。
そして何より、俺の身に何が起きているのか未だに分からない。
「何が起きた?って顔してるな。 だけど別に、何もおかしなことは起きてないぜ?」
何も起きてないなんてことあるものか。
こんなはずじゃなかったんだ。
内心でそう叫んでも、それが声になることはなく、誰に届くこともない。
そんな俺に構うことなく、アーサは続ける。
だがその声は、先程までのものとは一変していて、
「お前が弱いからこうなってる、ただそれだけの話だろうが!」
俺に向かって説教めいた怒声を上げた。
それはなんだか、敢えて声量を大きくして、スタジアム内に響き渡るようにしているようで、どこか演技じみている。
「なぁ……もうそういう見苦しい言い訳はやめろよ! お前は正真正銘の無職。 分不相応だったんだろ。 それに、お前に迷惑してる奴は沢山いるんだ。 だからとっととこの学園から去ってくれねぇか?」
アーサの言葉を受けて、スタンド席がざわつき出していた。
――――――
「やっぱりあいつって無職だったんだな」
「あいつ、不正で入学したらしいぜ?」
「うわっ……それはやばいだろ」
「入学できなかった人が可哀想すぎるよね」
「しかも、強姦魔なんだって」
「えー! うそでしょ?」
「まじまじ。 学園生も何人も襲われてるって」
「ほんと最低!」
「他にもいろいろ良くない噂が立ってるしさ」
「ほんとキモイ。 なんで生きてるんだろ?」
「死ねばいいのに」
「早く消えてくんないかなぁ」
―――――――
ハッキリとは聞き取れないものもあったが、数々の罵倒の声と軽蔑の眼差しがスタンド席から俺の元へと降り注がれていた。
終いには、
「────きーえーろ!」
ふと誰かが、席から立ち上がり、手拍子をつけながら、そんなことを言い出し始めた。
そして、彼に扇動されて、その意思はまるで波のように周りにも伝染していく。
「「きーえーろ!」」
1人……また1人……と、立ち上がって声を上げる者は、とてつもない速度で数を増して、
「「「きーえーろ!!」」」
「「「「きーえーろ!!!」」」」
最初のうちは数十人単位に収まっていた声も、ほんのあっという間にスタンド席全体にまで広がっていた。
既にスタジアム内は俺に対する非難の声で溢れかえっている。
「「「「きーえーろ!!!」」」」
───なんだよ……なんなんだよ!
俺が一体何をしたって言うんだよ!
心中で悲鳴をあげる。
いつもならば、そんな声は耳に入らないはずだったが、この時の俺には甚だしく堪えるものだったのだ。
そこに追い打ちをかけるように、アーサは「くははは!」と、煽り笑いを浮かべながら、俺のことをひょいと投げ飛ばした。
そして、クシャりと転がった俺の元へ再び歩み寄り、
「おいおい、言われてんぞ? ざまぁねぇなぁ! なぁ、今どんな気持ちだよ? 俺に教えてくれよ」
頭を足で踏みつけながら「なぁなぁ?」と、快感そうに訊いてくる。
───あぁもう、なんか……ダメだな……。
頭の中が真っ白になっていく。
身体はビクとも動かず、声は一切上げられない。
きっとこのまま、地面の味を味わいながら、全てが終わるのを待つだけなのだろう。
「「「「きーえーろ! きーえーろ! きーえーろ!……」」」」
スタンド席から降り注いでくる罵倒、軽蔑の声は止む気配もない。
だが、今の俺には何をどうする力もないのだ。
いや、最初から俺にはなんの力もなかったんだよ。
そうやって、失意の中で全てを諦めようとした、その時だった。
「───ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!」
悲しみと怒りに満ちていて、涙に震えた悲痛の叫びが轟いた。




