第132話 シルバ・ラッドロー②
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────シルバ・ラッドローは孤児だった。
いや、孤児になった、という方が正確だろうか。
彼は親に捨てられたのだ。
よく覚えてはいないが、きっと5、6歳の頃だった。
理由は恐らく育児放棄。
物心着いたころから父親がおらず、母が女手1つで彼を育てていたが、とても貧しい家だった。
とある日、母親にどこかも分からない遠くの土地に連れていかれた。
「ここで待っていなさい」
母親は、そう言って彼に大きなパンをひとつ手渡し、どこかへ行ってしまった。
去り際に、母親は1度立ち止まって、掠れるような小さな声で「ごめんね」と言ったことはよく覚えている。
彼は母親のその言いつけを守り、ずっとその場で待ち続けた。
雨が降っても、夜になっても。
パンも全て食べ終えて、空腹に襲われながらも彼は母を待った。
しかし、いつまで経っても彼の前に再び母親が現れることはなく、彼は幼いながらにも、自分は捨てられたのだと理解した。
その内、空腹であることなどもすっかり忘れて、とてつもない眠気に襲われるがまま、そっと目を閉じた。
もう二度と目覚めることはないかに思えた彼だったが、どういうわけか再び目を覚ます日がきた。
今まで感じたことのないような柔らかな感覚を背中に味わいながら、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
ぼやけた視界に映りこんだのは、知らない天井だった。
(ここは……)
どこかと思ったその瞬間、突然視界に何か丸い形が入ってきた。
「───あ」
それは見知らぬ女の子の顔だった。
10歳くらいだろうか。
そんなことを考えていると、その顔はすっと視界の中から消えてしまい、それと同時に、
「イリーナさぁぁん! この子、目をさましましたよ!」
少女がそう叫ぶと、遠くの方からバタバタと慌てたような足音が近づいてくる。
ガチャりと扉が開く音がした。
次の瞬間、また別の人の顔が視界に入る。
中年くらいの女性の顔だった。
「良かったぁ、やっと目を覚ましたのね」
その顔が一瞬だけ、母親の顔に見えたようなな気がして、
「おかあ、さん……?」
ついうっかりそう零してしまった。
彼女が母ではないことなど、最初から気がついていたはずなのに。
女性は悲痛な表情を浮かべながらも、彼のことをそっと抱き寄せた。
「……ごめんなさい。 私はあなたのお母さんじゃないの……」
女性は彼を抱きしめながら、さらりさらりと髪を撫でる。
その声は、とても優しくて、少しだけ涙に震えていた。
「でも……でもね、これからは私達が───」
その時は、何がなんだかよく分からなかった。
けれど、どうしようもなく温かくて、なぜだか無性に涙が溢れた。
「あなたの家族よ」
───こうして彼は、その孤児院に引き取られることになった。
孤児院では、シルバと同じような境遇の子供や、何らかの理由で親を失ってしまい行き場を無くした子供達を引き取っており、シルバを含めて20人の子供がそこに暮らしていた。
そしてイリーナという中年女性と、シエラという若い女性が、2人で子供たちの世話をし、もう1人、ウーガという中年の男性が出稼ぎに街に出て孤児院を切り盛りしていた。
しかし、当然といえば当然だが、孤児院もそれほど豊かではなく、シルバが10歳になる頃には、子供の数も5人増えて、経営が少しずつ厳しくなっていた。
そんな時、シルバが11歳になり『上級拳闘士』という上位戦闘職の天職を授かった。
怪我で引退してはいたが、ウーガが元々冒険者をやっていたということもあり、シルバは自分も何かしたいと、直ぐに冒険者になることを決意した。
未成年が大きな都市で働くことはあまり良しとされてはいなかったが、冒険者だけは別だった。
力のある者ならば、未成年でも大きな街で雇ってくれる。
もちろん猛反対を食らった。
当然だ。
冒険者は命懸けの仕事なのだから。
それでもシルバは引かなかった。
イリーナとシエラは最後まで反対していたが、ウーガは条件付きでシルバが冒険者になることを承諾した。
その条件は、1年間、自分が稽古をつけて、大丈夫と判断できたら、というものだった。
1年たりとも惜しかったが、シルバはその条件をのみ、ウーガの稽古の元、ひたすら修練した。
そして1年後、当時12歳のシルバはウーガの口添えを得て、晴れて冒険者になった。
想像以上にシルバの稼ぎは良く、孤児院の経営は少しずつ上向きに回復していった。
そして、冒険者稼業を始めて3年後、その若さに見合わぬ実力から、既に冒険者界隈ではすっかりと有名になっていたシルバに、とある申し出が届いた。
それが、王立ミシェド学園へ入学して欲しいとの申し出だったのだ。
最初はシルバもその申し出を断った。
なぜなら、今の稼ぎでも孤児院の経営は少しづつだが良くなっていたからだ。
いくら学費を免除すると言っても、冒険者としての稼ぎが当分なくなってしまう。
だが、学園はどうしてもシルバに入学して欲しかったらしく、冒険者での稼ぎには及ばないが、孤児院に対して、いくらかの支援金を学園側から出すと申し出てきた。
更に、上位の成績を収める、つまり『上位保持者』になれば、シルバ個人に対しての支援金も出すと。
それに、国で最も大きな学園を好成績で卒業していれば、冒険者に比べて遥かに安定して収入を得られる職にもつく事が出来るだろう。
そんな考えも脳裏を過ぎり、学校へ通うという憧れも少なからずあって、その提案を受けるのも良いかもしれないとも思ったが、それでもシルバは迷っていた。
他の子供達は学校になんて通えず、皆働いている。
その中で自分だけそんな贅沢をしていいものか、と。
そして、思い切ってイリーナ達や、他の子供達にその申し出を打ち明けた。
少しでも反対されたら絶対に申し出を断ろうと決意して。
しかし───、
「いいじゃない! 行ってきなさいよ、学園。 きっと楽しいわよ!」
「シルちゃん、あんなに小さかったのに……すごいわねぇ……」
「シルバにぃちゃんすげぇ! かっけぇ!」
「やるじゃねぇかシルバ。 いい土産話聞かせろよな」
「まぁ、きっと出世して、美味しいもの食べさせてくれるんでしょうね」
「やべぇ、俺も負けてらんねぇよ」
みんなの反応はそんな賛美の声声だった。
反対する意見など微塵もなかったのだ。
そこでシルバは気づいた。
自分はみんなのために、という理由でも学園に行っていいのだと。
「分かった、オレ、学園に行く! そんで、みんなに美味いもんたらふく食わせてやれるくらい出世してやるぜェ!」
そうして、孤児院のみんなの後押しもあり、シルバはミシェド学園に入学することになったのだ────。
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「まァ、てな具合だな。 長話に付き合わせて悪かった」
シルバは話を終えると、そう言って少し重たくなった空気を紛らわせるように、けろりと笑った。
しかし、俺はその話を聞いて、不躾にもこう言わずにはいられなかった。
「……いや、重た! 俺とシルバっていつそんな重い過去を打ち明けるような深い仲になったっけ!?」
まだ出会って数時間くらいしかたってないぞ!
なんというか、そういう、その人の結構深部に関わる話って、もっと関係を深めてからするものじゃないの!?
いや、もしかして冒険者をやってると、そういう風潮になったりするのだろうか?
明日をもしれぬ命を預け合う仲間。
時間なんて関係なく深い仲になる的な。
そんな考えを脳裏に浮かばせていた時、シルバが「あはは」と、静かに笑った。
「なんでだろうなァ。 オレもこんな話をするつもりァなかったんだが……なんつゥか、ユウには無性に話したくなっちまったんだよなァ」
「……」
その気持ちは、分からなくもない。
シルバの話を聞いて確信した。
俺とシルバは似ているのだ。
1度全てを失って、縋るもののないなか、救ってくれた人がいて、場所があって。
その恩返しをするために、今を生きている。
「ま、まぁ、シルバが俺とそのくらい深い仲になりたいんだってことはよく分かったよ」
照れくさく思いながらも、俺も少し薄暗い雰囲気を変えようと、茶化すようにそう返した。
すると、シルバも「ははっ」と、元通りに調子に戻って、
「どっちがだってんだァ」
俺の方を指さしながら、ニヤリと笑った。
それを皮切りに、お互いにくすくすと笑い合い、和やかな空気が漂った。
「まァ、ユウの話もその内聞かせてくれや」
「……あぁ、そうだな」
てっきり俺の方の身のうちも話す流れかとも思ったが、俺がこのまま話したら、間違いなく、この和やかな雰囲気を崩してしまう。
それをシルバも分かってのその発言だったのだろう。
ならばその意図を汲み取る他あるまい。
「それに、ユウは少し謎めいてた方が面白ぇしな」
「はは、なんだよそれ」
そんな調子で、入学式初日の夜は過ぎていったのだった。
最後までご拝読ありがとうございました!
次話から本編に戻ります。
 




