第104話 ただの無職
「ところで、さっきの試合についてなんだけど、いくつか質問してもいいかな?」
アルドはそう言ってから「あ」と、何かを思い出したような息を漏らした。
「もちろん、言いたくないことは、答えなくても構わないから」
彼はそう付け加えたが、正直、先の試合において、俺が何かを隠すようなことはない。
それが、サイオスの教えである、対戦相手への敬意の表し方の一貫であるし、勝者の義務なのだろう。
まあさすがに、俺の素性、主にエルフとの繋がりとか、今後の目的とかを聞かれると、返答しかねるのだが。
ただ、彼の眼差しを見るかぎり、そういった類についての質問ではなく、アルドが敗れることとなった俺の戦法についてだろうから、恐らく心配はいらない。
なので俺は「構いませんよ」とにこやかに返し、質問に応じることを承諾した。
「ありがとう。 それじゃあ早速なんだけど、さっきの、あのスキルはなんだい?」
「さっきのと言うと?」
「あれだよ。 一気に距離を詰めて、急に懐に入ってくる、アレだ」
「ああ、アレですね。 あれは『瞬進足』という技で、スキルじゃありません」
答えると、アルドは「瞬進足?」と、復唱して首を傾げる。
「アルドさんは『輝白一閃』というスキルはご存知ですか?」
「ああ、もちろん知っているとも。 高レベルの上級剣士か勇者、あとは剣聖だけが所持できるスキルだろう? 1度だけ見たことがある────って、まさか!?」
アルドが目をかっ、と見開いた。
その、まさに驚愕といった表情から察するに、どうやら彼は自分がした質問の答えを見つけたのであろう。
俺は確信して小さく頷いた。
「多分、お察しの通りだと思います。 あの技は、そのスキルを、模したものです。 つまり、簡単に言えば、格段に劣化した輝白一閃ってわけですね」
するとアルドは瞬きもせず棒立ちになり「信じられない……」と、うわ言のような声を漏らす。
しかし、彼はその直後なぜか、くすっと微笑を零すと、目を閉じてゆっくりと首を横に振った。
「いいや……。 信じるよりほかないんだろうね。 あんなの見せられちゃさ。 だけどそんな芸当、どうやって身につけたんだい?」
どうやって、か……。
いざ訊かれると返答に悩む。
まあ、素直に言えば、2年間エルフの国に滞在している間に、そこの国王に教わった、というのが真実なのだが、さすがにそこら辺の事情に言及されるのは困るので、ここら辺はなるべくはぐらかすことにしよう。
話したくないことは、話す必要は無いと言ってくれていることだし。
「……とある方に、教えて貰ったものです」
一応嘘はついていない。
正確に言えば『とある方』ではなく『とあるエルフ』に、ということにはなるのだけの事だ。
そんなことを愚考しつつ、一か八かそれとなく「誰なのかまでは言及しないでくれ」と、視線で伝えてみると、何かしらの意は受け取ってもらえたようで、アルドは「うん」と頷き、自分の左目でウィンクした。
「そうなんだね。 となると、もう1つ訊きたいんだけど、いいかい?」
───お、誰なのかについて訊いて来なかった。
もしかしたら、俺の本意が伝わってくれた可能性高いんじゃないだろうか。
ひとまず俺は「どうぞ」と会釈する。
「確かに『瞬進足』は凄い芸当だけど、あそこまで手も足も出ないことはなかったようにも思えるんだ。 もちろん、その技を侮っているわけじゃないし、自分の力不足だったっていうことも理解してる。 だけどこう、なんというか、違和感があったんだ。 3回目の瞬進足。 君の動きがすべて残像のようで、剣を振り下ろした頃には、そこには君の姿がない。 まるで、視覚が麻痺しているみたいな、そんな感覚だったんだよ」
アルドは、俺の瞬進足に対して、気を使ってフォローを交えながら、そう言ってくれたが、実際のところ彼の言う通りなのだ。
瞬進足はあくまでも、スキルの劣化版。
それも、精度や威力も格段に低いもの。
いくら、俺が固有スキルで補正をかけたとしても、本来ならば、アルドほどの強者に手も足も出させずに圧倒できるはずがない。
ならばどうすればいいか。
「それは俺が、『錯覚』を利用したからです」
そして俺は、アルドを圧倒した力の種明かしをした───。
反射速度というのは、言わば視覚、聴覚、触覚、様々な感覚器官から得た情報を脳が処理する速度のことだ。
そして錯覚は、その情報処理の過程で、元々脳にインプットされていた情報と、新しく入った情報とが混濁することで生じる知覚的混乱。 つまりはある種の勘違いのようなもの。
この技の場合は、動きの速度に凄まじい緩急を付けることで、それを引き起こしたのだ。
動き出しのモーションを媒介として速度を2回連続で脳にインプットすることで、3回目に同じモーションを視認した瞬間に、脳は無意識に1回目と2回目の時の速度の情報を彷彿させ、3回目の速度の情報を誤認する。
それによって、アルドの意識は、3回目の速度を、1、2回目の速度と同じだと勘違いしてしまったのだ。
例えるならば、野球でピッチャーが早いストレートの球を投げた後、同じ振りで遅い球を投げてバッターの早振りを狙う、所謂チェンジアップ。
その時のバッターの脳内では、同じようなことが起きている。
ただし、錯覚を利用したこの技は、経験やそういった状況を仮定した鍛錬を積むことで、急激な変化に対する耐性が身につけば、容易に克服できてしまうものだ。
さらに言えば、仕組み上、前もって相手がこちら側の動きを把握しきれていないということが大前提となっているため、当然のことながら同じ相手に2度目は有効打になりえない。
しかしそれでも、俺みたいにスキルも魔法も使えないやつにとったら、強力な手札になるというわけだ。
「───まさか、そんなところまで考えのあの戦法だったなんてね。 結局、最初から僕は、君の掌の上だったってわけか……」
一通りの種明かしを説明し終えると、アルドは小さく溜息を吐き、そう呟いた。
しかし、見る限りその表情はどこか満足気だった。
「こう言ってはなんだけど───本当に……君は一体何者なんだい?」
そう訊いてきた彼の表情は先程とほぼ変わらず柔和なままであったが、その眼差しには強い疑問の念が含まれている。
何者か、か……。
確かに彼が訝しむのは至極当然のことだ。
ただ、実際何者かと訊かれても、これだとハッキリ言えるような明確な答えは持ち合わせていない。
まあ以前エルフィアには、つい勢いで『世界を変える男だ』などと、黒歴史級のイタイ台詞を吐いて、後から悶絶する羽目になってしまったのだが。
しかしそれよりも、今の俺の事情を知らないアルドに対して軽率に答えを出すわけにもいかない。
だから今は、自分のことをこう表現する他ないのだろう。
「そうですね───」と言葉を挟み、
「人よりもちょっと多めに努力した、ただの無職、といったところです」
人差し指を1本立てて答えると、アルドは、俺のとぼけたような回答に一瞬呆然となるが、その表情は段々と綻んでいき、ついには可笑しそうにくつくつと笑い出した。
「あははは。 そうか、なるほど。 それなら納得だよ。 これじゃあ、孤高の魔女なんて呼ばれる彼女もついつい惹き寄せられてしまうわけだ」
アルドの妙な納得と、謎の発言に俺は頭の上にハテナマークを浮かべる。
「えっと、どういうことですか?」
「それは───」
と言いかけたところで、突然アルドの顔が青ざめた。
「───と、いけない! もう行かないと」
「え!?」
何にか不味いことに気づいたようなアルドに、俺は思わずそんな声をあげる。
するとアルドは合唱して、申し訳なさそうな表情を浮かべると、
「実はこの後、君の合否を決める大事な審査会があるんだ。 君と話すのが楽しくてついつい時間失念していたよ」
その時、審査員席の方に視線を送ると、そこには既に先程居た5人はいなくなっていた。
確かにまずい状況のようだ。
アルドにとっても、俺にとっても。
話の続きは気になるところだが、致し方ない。
それに、ちゃっかり俺と話すのが楽しくて、なんて嬉しい理由を付け加えてくるあたり、本当に憎めない。 実は相当の策士なのではなかろうか。
「分かりました。 俺のことはいいので、早く行ってください」
俺が苦笑して言うと、アルドは「ありがとう」と一礼して、
「それじゃあ、話の続きは後日、君が入学した後にしよう」
「分かりました。 じゃあ次会うときはアルド先生と呼ばなきゃですね?」
「はは、そうだね。 楽しみにしておくよ」
そうして、アルドは「それじゃあ行ってくるよ」と言い残して、俺に背中を向けると、すたすたと出口へと走り去っていった。




