アリシア・アレクサンドラ
翌日、私はギルドへの加入手続きに向かった。ギルドは、ユーリの家から約一キロほど離れたナーミア区にある。
ナーミア区は、地域の面積も広く、数多くの優秀な人材がここに集まるため、「ギルドが誇る宝庫」と呼ばれている。もちろん宝庫と呼ばれるだけあって、ギルドの規模もノースセルシオンの中では群を抜いて一番の大きさだという。
そんなギルドで、私は加入申請のための誓約書や申請書などを書かされた。出身地なども書くことになっていた。申請書に嘘を書くわけにはいかず、正直に自分の故郷を書き込んだ。
申請書と誓約書を書き終え、ギルドからの承諾届が出るまで、私達はギルドの内装や色々な人たちの様子を眺めてながら待っていた。
「ギルドって、凄いところだね。」
「そりゃ、そうだろ。こんだけ色んな人がいるんだから、性格も強さも十人十色だよ。変人揃いだと思うけど。」
私は、ユーリの話を聞いていなかった。一人で座って剣を磨く女性のことが気になって、それをずっと眺めていたからだ。
とても美しい女性だ。しかし、身体や顔にはいくつもの傷があり歴戦の猛者というような印象を受けた。少し堅苦しく、話しかけづらい雰囲気を醸し出している。周りの人には無い独特なオーラだった。その女性は、しばらく見ていた私に気付いたようで、こちらを睨みつけてきた。私は慌てて目を逸らして、目のやりどころを探した。
「ねぇ、聞いてる?」
そして私はユーリがずっと横で話かけていたことにようやく気づいた。
「ごめん、聞いてなかった。ちょっとあの人が気になってさ。」
私は恐る恐る目線を女性の方向にゆっくりと向けた。彼女はこちらを見ていなかったので、少し安心した。
「あの人?あの人なら、アリシア・アレクサンドラだよ。恐らくこのギルドで一番の実力と実績の持ち主。その力が功を奏し、ノースセルシオンの王が彼女を城に招待することが何度かあったんだ。」
そんなに凄い人だったんだ。どうりで他の人とは違う何かを感じ取れたんだ。私は益々、アリシアという女性に興味が湧いてきた。
しばらく待っているとカウンター受付から私を呼び出す声が聞こえた。
「きっと採用が決まったんだ。ミア、行こうぜ。」
「うん! 楽しみだよ。」
私達はカウンターへと向かったが、悲報を受けることになってしまった。
「はぁ!? 何でだよ!?」
「ユーリ君! 落ち着いて!」
不採用という結果になってしまい、とても悲しかったが、ユーリが激怒してしまい、それを鎮めようとするのも精一杯だった。
「も、申し訳ございません! しかし、それが上からの報告だったので、仕方ありませんよ。こ、今回は、」
「うっせぇ! 何がダメなのか説明くらいしろって!」
受付嬢が喋っている途中で、ユーリは反論に出る。ギルドにいるみんながこちらに視線を向けており、私は涙目の状態で口論を傍観することしか出来なくなった。
「何をやっている。」
二人の口論に割って入ったのは、さっき私が眺めていたあのアリシアという女性だった。 アリシアは、二人の言い分を少し聞き、私の申請書と誓約書に目を通していた。
「不採用になる理由がない。採用の印を押せ。上には、私がそう言ったとだけ伝えておけ。」
「あ、あなたがそう言うのなら、仕方ありませんね。」
受付嬢はそう言って少し息をつきながら、大きな印を申請書に押し込んだ。
そして採用通知を私は受け取った。ユーリは呆然としながら立ち尽くしていた。私はお礼を言おうと思ったが、アリシアは既にここから出ていったようだ。
「すごい・・・な」
私はアリシアの持つ器の大きさに深く心打たれた。感謝を伝えられなかったことで、私の心の中にモヤモヤが宿ることになった。
「なんで俺が言っても通じないんだよ。」
ギルドでの申請を終えた帰り道、やや不満だった様子のユーリが怒りを露わにする。
「でも、あの人のおかげでギルドに入れたよ。感謝しないと。」
私はそういった後、少し視線を右に向けた時、ふと何かに気づき通り過ぎた視線を戻した。アリシアさんだ。私はそう思うと、いても立ってもいられずに、彼女の元へ向かった。ユーリは恐らく気づいていないだろう。感謝だけ伝えて、すぐ戻ると思っていたので、ユーリには何も言わずに後ろからそっと離れるように進んだ。
しかし、彼女を目前とするも彼女の持つ不思議で独特な雰囲気のせいか、声をかけるのを躊躇してしまった。暫く声をかけることすらままならずに、ただ後をつけることしか出来なかった。この行動の根源は、ただの興味本位から生まれた衝動でしかなかった。
人々が入り乱れ、活気溢れているような街から随分と離れた。周りには空にまで届きそうな程の大木が凛々しくそびえ立っている。
周りには木以外の何も見えずに朝か夜なのかもわからないような道が淡々と続く。本当に、どこまで歩けばいいのだろう。少し歩くのに疲れてきたところで、森の中にある小さな家が見えてきた。
「あれが、アリシアさんの家・・・なのかな?」
流石に家にまで上がり込む訳にはいかないので、感謝の意を伝えるためにしばらく木陰から様子を伺うことにした。少し待っていると家からアリシアが出てきた。さっきとは違い、弓を持ち軽めの武装をしている。こんな物騒な物を持たれては、さらに声をかけづらくなってしまうばかりだ。
彼女の雰囲気に負けてしまうのは、都の人間に慣れていないというのもあるだろう。しかし、それだけではない。彼女には、何かがある。そんなことを考えている内に、気がつけばアリシアは弓を射ていた。木に貼り付けた的を見事に射抜いていた。迅雷の如く放たれた一線は、全て的のど真ん中を貫いている。
しかし次の瞬間、目にも留まらぬ速さで迅雷が私の髪を掠める。気がつけば私は、地に腰がついていた。あまりの恐怖で私は何も言えず、唖然としながら彼女の目を見つめることしか出来なかった。アリシアは弓をしまい、こちらに向かってくる。私は腰をついたまま少し後ずさりする。
「貴様、一体何のつもりだ?」
上から睨まれるように見下ろされる。
「あっ、感謝を、伝えたくて。」
恐怖は抜けないが、伝えるべきものは伝えなければならないと思ったので、正直に事情を話した。声が震える。
「余計だ。感謝する程でもない。ここまでわざわざ付いて来る必要もない」
「だ、だから矢を私に?」
「私がそんな器の小さく下劣な人間に見えるか」
「そ、そんなわけじゃ!」
私は立ち上がり、両手を広げて大きく振る。
「最初から気づいていた。何故最初から声をかけない。気に入らん。」
「ご、ごめんなさい!」
「まぁいい。そんなことよりだ。貴様、私が放った矢に反応していたように見えたが、あれは意図して避けたのか?」
「はい。そうですけど、あんなの避けないと死んじゃうじゃないですか。」
「当てようとはしていないんだが、あの矢を不意に受ける者は、普通は反応できずに立ち尽くすだけだろうが。となると・・・中々に面白い。」
アリシアは考えた後、少し笑みを見せた。
「お前は中々の素材かもしれないな。努力を惜しむな。日々鍛錬していれば強くなる。」
「じゃあ!私を鍛えてください!」
私は咄嗟に声を上げた。強くならないといけない。自分の知らない世界で生きていくには、少しでも強くなる近道が欲しかった。しかし、私がそう言った瞬間にアリシアは顔を曇らせた。
「それは甘えだ。それと、私に関わるとろくなことがない。大事なのは経験だ。ギルドの仕事をこなしていけ。」
アリシアはそう言うと、ゆっくりと家へと入っていった。
「あっ、まだ」
まだ話していたかったが、呼び止める頃にはもう彼女の姿は見えなかった。
私は長い時間をかけてようやくユーリの家に帰宅した。もちろんユーリの怒りを買う結果になってしまったのは言うまでもなく、私はただただ恐縮し何度も謝罪を繰り返した。
「ギルドに捜索依頼を提出しようかと思ってたところだったぞ。まったく。」
椅子に座っているユーリは、珈琲のようなものを口にしながら、うんざりとしたような口調でため息をつく。
「ご、ごめん! 本当にごめん!」
私は何度も何度も頭を上げ下げする。
「そんなに謝らなくても大丈夫なんだけど、一体何をしていたんだ?」
「ア、アリシアさんと・・・。」
私は自分の行動を何一つ隠さず、全て起こった出来事をありのまま話した。
「そんなことだったのか。わざわざ後をつけるまでもないだろうに。」
「アリシアさんのこと、もっと知りたくて。興味を持ったの! 色々あの人のこと知ってるなら、教えて欲しいな。」
私は目を輝かせながら身を乗り出す。
「俺の知ってることなら話せるけど、俺も彼女のことをよく知ってるわけでもないから情報には限りがあるよ」
「聞かせて!」
私はさらに身を乗り出す。ユーリは私の好奇心に圧倒されたのか、少し引き気味に話し出した。
「彼女は、世界を救った英雄としてこのノースセルシオンで崇拝されてるような偉大な人だよ。十年前、彼女がまだ十八の頃だった。簡潔に言えば、ノースセルシオンを脅かす存在だった黒龍をたった一人で倒しちまったんだ。彼女は一夜の内に、ノースセルシオンの救世主と称され、王城にも招待された。その手腕は、黒龍を倒す前からも巷で話題となっていた。彼女を知る者は多かったが、黒龍を倒してからその地位を確かなものとしたんだ。今や彼女を知らない者など、誰一人として存在しない。でも、」
ユーリは途中で話を止めてまた少し珈琲を飲んだ。
「でも?」
「彼女はあれ以来、人との接触を出来るだけ避けているんだ。多人数が推奨されているような依頼でも、全て一人で引き受ける。以前はそんなことなかったみたいだが、何故こうなったのは誰もわからない。」
「そうなんだ。色々聞かせてくれてありがとう。アリシアさんは、とってもすごい人なんだね。私も、アリシアさんみたいになりたいなぁ。」
私は窓を開けて、空に浮かぶ月を見上げてそう言った。月は彼女の使っていたあの弓のようで、鮮明に、眩い美しき光を放っていた。明日はギルドでの初仕事だ。憧れに近付くためにも、ここで技術を磨いていくことを空に誓ったのだった━━。