日常の変化
「ミニマム!」
チュン・・・
目の前の消しゴムは僅かに質量が減少し、体積もそれに比例して小さくなっている。
相変わらず目を凝らさないと分からないレベルだけど・・・・
「ふぅ・・・今日はこんなところかしらね」
日課の魔法の詠唱とメンタルトレーニング。
その後は筋トレに、室内マラソン。
いつものお決まりのコースを今日も消化していた。
オークションの日から一週間。
王都から帰宅した私たちはいつもの日常の生活を取り戻そうとしていた。
最も以前と完全に同じというわけではない。
エノクが言うには街の様子が以前と比べてピリピリしているという。
彼はもちろんオークション事件の事は職場の人間には言っていない。
職場の人間にオークションの事を聞かれても、楽しかったとか、勉強になったとか無難な受け答えだけしているという。
しかし、あれだけ大事になった事件だ。エノクが口を閉ざしていても噂が広まるのに時間はかからないだろう。
現に、既に会場を襲撃した鎧の化物の噂が密かに町の中で広まりつつあるらしい。
神話のアイテムが強奪されたというのはとてもではないが隠し通せるものではない。
出品した各地のギルドの面子もあるだろうし、
落札者に至っては超高額な代金を支払っているにも関わらず、届かないなんてことになったら黙っているはずがない。
クレームを付けることはもちろん、代金の返金を求めるだろうし、
契約不履行ということでカーラ王家と商人ギルド連盟を激しく責め立てるのは想像に難くない。
せいぜい数日で良くも悪くも結果が出るだろうと私は予測している。
見事カーラ王国が神話のアイテムを取り戻してなんとか事なきを得るか。
または、強奪された事を世間に暴露され、王国中に混乱の嵐が巻き起こるか・・・・・
・・・エノクの事が心配になる。
まだ、箝口令が敷かれているから工房の同僚たちには気づかれていないけど、
エノクがオークションに参加していた事は周知の事実だ。
そこにオークション襲撃事件の報が飛び交えば生還者のエノクに注目が集まるのは自明の理。
・・・質問攻めに合うだけならまだいい。
危ないのはエノクが会場でなんらかの不都合な情報を目撃していた場合、
誰かしらに“口封じ“をされる可能性があるかもしれないという事。
「・・・って流石にそれは考えすぎか」
「どうも最近心配性になっていけないわね・・・・」
自分の考えに、自分で突っ込みを入れる私。
そもそも生還者はエノクだけでもないようだ。
エノクは貴重な生還者の一人だろうけど、
まさか会場の人間全員が殺されたというわけでもないだろうし、
口封じなんてそもそも誰にされるって言うんだ。
オークション会場の人間は漏れなく巨人の被害者だ。
そこから逃げ延びたからといって、他の人間になんの不利益を被らせることがあるだろうか。
「・・・・・」
「いや・・・でも待ってよ・・・」
・・・そう言えば、エノクが会場は“ストーンウォール“で閉鎖されていたと言ってたわね・・・
商人ギルド連盟の魔術師がやったかもしれないっていう話だ。
結果的にストーンウォールは巨人達に蹴破られたっぽいから、あまり関係ないかもしれないが
閉鎖されていた影響で逃げ延びられなかった人はいるかもしれない・・・・
商人ギルド連盟に会場の人間を見殺しにしたと悪評が立つ恐れがある以上、
エノクは不都合な情報を持っている人間になり得る!
これはリスク要因として押さえて置かなければならないわね・・・
それに、リスク要因としては例の“カイン“の件もある。
先日聞いた時はびっくりしたんだけど、どうやらエノクには目の敵にされている貴族のお坊ちゃまがいるらしい。
エノクをライバル視しているだけに飽き足らず、
あろうことか公衆の面前でエノクに暴行を加え、罵詈雑言を浴びせたという。
はあ・・・そんな奴がここの町の領主の息子とか笑っちゃうわよね・・・
そんな事を他の要人がいる場で行ったら、自分の家の名誉が傷付く事が分からないのだろうか?
どういう神経していたらそんな頭の悪い事が出来るのか私には理解できない。
理解したくもないけど・・・
カインのお父さんであるエルグランデ伯爵はどうやら良識がある方の様だから、
ヤツが起こした行動に今頃激怒して、息子を折檻しているかもしれない。
その場合、逆恨み先がエノクに向かう可能性もある。
いずれにしてもエノクの今の状況が芳しくないのは間違いないか・・・
何らかの対策を講じておく必要があるだろう。
最悪、商人ギルド連盟や、カインの影響が及ばない範囲まで逃げる事も考えておくべきだ。
先立つものがあればの話だけどね・・・
「・・・・ふぅ」
私は一息ついて、頭を振った。
さっきからネガティブな事ばかり思い浮かんできて嫌になってしまう。
メンタルトレーニングは誰もいない部屋の中で目を閉じ、ただ己の思考と向き合う時間だ。
それが一日の大半になるため、考え事もありとあらゆる事に及んでしまう。
私は目下閉ざされた空間におり、外界から得られる情報は限られている。
もっぱら防護カバンの中から見た外の世界と、エノクから聞いた話が主な情報源だ。
必然的にエノクが見て、聞いて、感じたことが私の思考対象になる。
従って、ここ最近私がオークション事件の事ばかり考えてしまうのは、これはもう仕方のないことだろう。
エノクから聞いた話が強烈過ぎて、考えないようにしようと思っても無理な話だ。
「はぁ・・・これじゃ逆に集中できないわね」
「気分転換に外行きたいなぁ・・・」
エノクにお願いしてちょっと連れて行ってもらおうかな。
別にカフェ行ったり、ショッピングしたりとかそんな事を趣味に持つような女ではないのだが、
以前も言ったように私はアウトドア派なのだ。
気分転換はもっぱらランニングと、外の風に当たること。
外出ただけで、ある程度気は紛れる。
「ふぃーーーー・・・」
バフッ!!
後ろのクッションに大きく伸びをしたまま倒れ込む。
完全にダレた。
そして、おっさんみたいな声出してしまった・・・
いかんいかん・・・
私はまだ18だぞ・・・何老け込んでんねん・・・
そう思っても一度途切れてしまった集中力を戻すのは至難の業だ。
そのまま意味もなく天井を見て時間を過ごす。
パタパタパタ・・・・
しばらくそうしていると外から足音が聞こえてきた。
ガチャ!
「ただいまー!」
エノクが帰ってきた。
時間はもう夕方の5時に差し掛かる頃だった。
「おかえりー」
エノクに出迎えの挨拶をする。
彼は食材が入った袋を抱えていた。
帰宅時に近くの食材店で材料を買ってきたようだ。
「レイナ、ただいま!今から夕飯作るからちょっと待っててね!」
「はいはーい。ゆっくりで大丈夫でーす」
そう言ってクッションの上で手をひらひらさせながらエノクに返事をする私。
まだ料理手伝うならともかく、これじゃぐ~たらしているだけの居候だ。
いや、まあ実際そうなんだけど。
トントントン!
エノクが包丁で野菜を切る音が台所から聞こえてくる。
今日はなんの料理を作ってくれるんだろう。
昨日作ってくれた蒸し鶏の香味ネギタレ和えは美味しかったな~
この家事スキル羨ましい・・・・
エノクは本当いい旦那さんになるわぁ・・・
いつものようにエノクの料理風景を私は羨望の眼差しで見つめていた。
トントントン!
「・・・・・」
そんな中、僅かな違和感が私をよぎる。
・・・うん?なんかちょっといつもと違うわね・・・
いつもより包丁を扱っている時間が長い気がする。
しかも、何か材料を切っているのならともかく、ただまな板を叩いている時があった。
こんな事はここ1ヶ月見てきた中で初めてだ。
エノクの様子がどこか上の空だ。
私はちょっと声を掛けてみることにした。
「・・・エノク?」
「・・・・・」
「・・・エノクぅ~」
「・・・・・」
「おーい、エノクさんや~」
「・・・・・」
駄目だ。
なんか深く考え込んじゃっているみたいで、こちらに気がつかない。
うーむ・・・これは思ったより深刻かもしれないわね・・・
「ちょっとぉ~!エノク!」
「綺麗なお姉さんが呼んでいるんだから、答えなさいよ!」
少し強めの口調でエノクに呼びかけると、彼はようやくこちらに反応した。
「・・・あっ、うん?」
「・・・・どうしたんだい、レイナ?」
「何か今呼んだ?」
「・・・・・」
彼は不思議そうな顔をしてこちらに振り返った。
綺麗なお姉さんというワードをスルーしたのは、とりあえず今回は置いておこう・・・
「エノク、どうしたのよ。上の空じゃない?」
「さっきから野菜じゃなくて、まな板切っているわよ・・・」
「・・・・えっ?・・・・あっ・・・・」
エノクは私の言葉を受けて切り傷だらけのまな板を見て声を上げた。
彼は私を見ると、気まずそうな顔をして乾いた笑い声を上げる。
「あ・・・あははは・・・」
「・・・おい」
そんな状態を見て思わずエノクにツッコミを入れてしまう。
さすがに放っておくわけにもいかないので、ちょっと一息入れさせた。
「エノク、ちょっと休憩して話さない?」
「料理は今すぐじゃなくても大丈夫だから」
「・・・・う、うん。いいよ」
少しキョドりながら、彼はエプロンを外して私の傍までやってきた。
いつものように彼はダイニングテーブルの前の椅子に座り、
私は仮設住宅の前のクッションに座る。
「それで?」
「・・・えっ?」
「今回は何を思い悩んでいるの?」
私の単刀直入な問いかけに彼はポカンとした表情を返す。
こんなやり取りを私達はもう何回しただろうか。
そしてこの後は決まって・・・
「・・・やっぱり分かっちゃうかい?」
とエノクが口にするのだ。
そんな彼に私は半ば呆れるように返事をする。
これもいつもの流れだ。
「・・・そりゃあね」
「まな板叩き続けている人を見て、普通だと思う人はいないわよ・・・」
「そ、そうだよね。あはは・・・・」
エノクは再度乾いた笑いで取り繕う。
私はそんな彼に話の続きを促した。
「それで、結局何があったの?仕事で何かあった感じ?」
「・・・・うん。まあ、ちょっとね・・・」
「と言っても何か特別な事件があったわけじゃないんだ・・・」
「魔力結晶体の精錬をしていた時に、集中できなくて親方に怒られちゃってね・・・」
「そんな集中力で精錬してたら大怪我するぞ!・・・てね」
「あんな初歩的なミス久しぶりにしちゃったから、自分の不甲斐無さに落ち込んでいたんだ・・・」
「・・・なるほどね」
単純に仕事で失敗して凹んでいたというわけね。
ただ、問題は何故仕事で集中出来なかったかよね・・・
まあ、思い当たる節としちゃあれしかないんだけど・・・
「オークションの事まだ気にしてる?」
「・・・・!!」
エノクは私の言葉に大きく目を見開いた。
やがて観念したかのように心の内を吐き出し始める。
「やっぱりそれも分かっちゃうかぁ・・・」
「レイナの言う通りだよ」
「中々、あれからも気持ちの切り替えをすることが出来なくてね・・・」
「ついつい、あの時の光景を思い出して自己嫌悪に陥っちゃうんだ」
「レイナが以前言っていたように、周りを気にしてもしょうがないのは分かっている」
「だけど、そう簡単に割り切れるもんでもないんだよ・・・」
「・・・うん。まあ、そりゃそうよね・・・」
エノクに相槌を打ちながら同意の言葉を口にする。
ぱっと感情を切り替えることが出来ないんだから人は苦労する。
周りの言葉を気にする必要はないと言った私でさえ同じ事だ。
こればかりは時間が解決してくれるまで待つしかないだろう。
「・・・ねえ!エノクは明日仕事休みでしょ?」
「私久しぶりに街の中行ってみたい!」
「・・・あ、うん。いいけど・・・」
「どうしたんだい、急に?」
突然の誘いにエノクは目を丸くしながら私を見据える。
そんな彼に対し私はおどける様にウインクを返した。
「き・ぶ・ん・て・ん・か・ん・よ」
「私達には必要でしょ?」
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