近衛と侍従
騎士団の詰所を出た時には、太陽は完全に昇り眩しい光を大地に照らしていた。
私達は今、王妹殿下が住まう離宮へと向かっている。
足早に歩いて出来るだけ意識しないようにしているが、
周辺の建物の様子が嫌でも視界に入ってきてしまう。
「ひどい・・・」
「おのれ。テロリストどもめ・・・」
グレースとアイナが顔をしかめ、身体をわなわなと震わせている。
暗闇の中では分からなかった昨夜の惨状の大きさが今はハッキリと認識できる。
数多くの兵舎棟が剥き出しの状態で倒壊しており、壁の内側の方が“焦げ“による損傷が激しい。
内側から爆発でも起きない限りはこの様な形状にはなり得ない。
魔力結晶体が保管されている軍の倉庫区画ならともかく、
寝室しかないはずの居住区画までこの有様だ。
昨夜の爆発が事故ではなく“事件“だと物語っている明確な証拠だろう。
「お前たち・・・表情と態度に出ているぞ。その怒りは今後にとっておけ」
「我々が公に姿を見せる時は、常に気高く優雅に振る舞うよう心がけろ。特に王宮内ではな」
「・・・はっ!失礼致しました」
グレースとアイナは私の言を受けて、気を引き締め直した。
私は彼女たちを先導しながら離宮へと足を運んでいく。
常に胸を張り、視線は前を見て、顎は地面に対して垂直を保つ。
そして、決していきり立たずに、余裕のある表情で冷静に行動をする。
甲冑を身に着けていても、優雅に上品に。
周囲の憧憬の視線を受けながら私たちは王宮内の街路を進んでいく。
この街路の先には“ヘルヴォルの館“が一際大きな存在感を放っている。
芸術の都とも謳われているカーラの王宮にふさわしく、その壮麗さは諸国の使節団も感嘆の声を上げる。
ヴァルファズル5世陛下が住まう王宮の主となる建築物であり、
意匠を凝らした大理石で作られた館は太陽の光を浴びて白く輝いている。
館へ通ずる長い街路には彩り鮮やかな花壇が造園され、入口前には巨大な噴水と楯の乙女であるへルヴォルの銅像が訪問者の目を奪う。
館内も数多の芸術作品と絵画が所狭しと並べられており、カーラの栄華と威風を世に知らしめていた。
だが、今回進むべき場所はヘルヴォルの館ではない。
私は館の正面をチラリと横目にしながら街路を右折した。
そのまましばらく進んでいくと、緑の屋根が付いた石造りの建物が見えてくる。
あそこが目的地、エレオノーラ王妹殿下が住まう離宮だ。
離宮の周辺にもやはり花壇が植えられており、落ち着いた情緒ある風景が私達を癒やしてくれる。
しかし、建物の佇まいはヘルヴォルの館と比べたらとても質素だ。
よく手入れはされてはいるものの、所々補修された跡があり、風化して全体的にくすんだ色合いが年季を感じさせる。
これはこれで風情があると言えなくもないのだが、
王妹殿下の華やかな風聞しか知らない人間が見たら、住んでいる場所に驚くかもしれない。
いくら先代王の末子とはいえ、殿下の名声とその影響力を考えればヘルヴォルの館に住んでいると思うのが当然だろう。
実際、陛下は兄妹の中でもエレオノーラ殿下を一番高く買っており、ヘルヴォルの館の一室に殿下の部屋を用意させている。
しかし、殿下は兄妹間の序列を壊す恐れがあるとして一度もその部屋を利用していない。
人里離れたこの離宮で今も暮らされている。
「敬礼!!」
入口の見張りの兵士に敬礼を受ける。
私達は答礼をしながら、そのまま離宮の中に入っていく。
館内もやはりシンプルな内装だ。
目立つ装飾や絵画が応接間の一室にあるくらいで、他は観葉植物が置かれている程度。
質実剛健な殿下の気質がよく表れているお住まいだ。
建物の2階へ階段で上がり、廊下の一番奥にある部屋へ私達は歩いていく。
途中メイド服姿の給仕たちとすれ違いお互い挨拶を交わす。
「おはようございます。クラウディア様」
「ああ、おはよう」
王妹殿下に仕える侍女達だ。
朝の給仕は既に始まっており彼女たちは忙しく動き回っていた。
彼女たちの姿を尻目に私たちはさらに奥へと進んでいく。
すると王妹殿下がいる部屋の前に設置された椅子に誰かが座っていた。
「リーファ殿・・・」
部屋の前にいたのは“リーファ殿“だった。
彼女は私を認識すると、緊張の面持ちを見せていた表情を崩す。
そしてその場を立ち上がり、足早に近づいてきた。
「・・・ああ!!良かった。クラウディア団長・・・!」
「無事な姿を見れて安堵致しました」
「昨夜は心配で満足に眠れませんでしたわ」
「・・・ご心配をお掛け致しました、リーファ殿」
「幸いなことに、私と私の部隊も賊に襲われることはありませんでした」
私の返答を聞くと、リーファ殿は嬉しそうに気品溢れる笑みを浮かべた。
彼女の名前は“リーファ・クロイツェル“
年齢はエレオノーラ殿下や私より9つ上の32歳。
殿下が幼少の頃より仕えており、殿下の侍従秘書官を勤めている。
彼女は異色の経歴を持ったお方で、異世界からの“転生者“だ。
異世界の歴史や世情に詳しく、その豊富な知識で殿下や我が騎士団の相談役も勤めてくれている。
これまでに何回も彼女の助言に助けられて来ており、殿下も私もとても頼りにしているお方だ。
「・・・そう。それは不幸中の幸いでしたね」
「貴方の身に何かあれば、殿下も平静ではいられないでしょうから、本当に良かった・・・」
「偉大なるリーヴ神と楯の乙女の加護に感謝致しましょう」
リーファ殿はそう言うと、大神殿のある方に頭を向け静かに黙祷を捧げた。
私も“形だけ“は彼女を真似て黙祷を捧げる。
私は正直そこまで信仰に篤い訳ではない。
「リーファ殿・・・殿下のご様子はいかがですか?」
目を開いた私は殿下の様子について聞いた。
緊急事態ということもあり、昨夜は一晩中リーファ殿とエミリアが殿下のお側にいたはずだ。
「今は寝室で“エミリア副団長“と一緒におられます」
「私の方はここで来訪者の取り次ぎをさせて頂いておりましたの」
「・・・そうだったのですか!それはご足労をお掛け致しました・・・」
そう言って私は頭を下げた。
通常なら、来訪者の取り次ぎは殿下を警護する近衛騎士の管轄任務だ。
わざわざ侍従秘書官という殿下の右腕となるお方がする様な業務ではない。
だが、昨夜は副団長のエミリア以外の騎士は全て救助任務に当たることになってしまった。
結果的に取り次ぎをリーファ殿がやらざるを得なかったのだろう。
彼女には毎度頭が下がる。
「いいえ・・・私の苦労など殿下とクラウディア団長に比べれば大したことはありません」
「私にも戦える力があればと、どんなに思ったことか・・・」
「この身に宿ったスキルが戦い向きのものであれば、貴方のサポートも出来ましたでしょうに・・・」
リーファ殿は静かに首を振りながら残念がる。
彼女に宿ったプライマリースキルはいずれも文官向きのものだったはずだ。
「そんな事仰っしゃらないでくださいリーファ殿」
「私に事務官としての才能が無いように、人には向き不向きがあります」
「戦いや荒事は我々にお任せください」
「貴方の迅速な事務能力と的確な助言があるからこそ、殿下や我々が安泰でいられるのです」
「今は王国の危急の時。これまで以上にリーファ殿のお知恵に頼ることになることでしょう」
「どうか私達を支えてくださいませ」
私はリーファ殿の前に手を差し出し、握手を求める。
「・・・ありがとうございますクラウディア団長」
「そう言って頂けて少し胸のつかえが取れましたわ」
「私でよければ、今後も殿下と貴方をお支えいたしましょう」
リーファ殿ははにかんだような笑みを浮かべながら、私の手を取る。
そして、お互い固く握手を交わした。
私より年上のお人なのに、たまに妙に無邪気で可愛らしい一面を見せるところがこの人のチャームポイントだ。
王妹殿下もそんな彼女だからこそ、幼少の頃より彼女を秘書官として任命し続けているのだろう。
「・・・さて、それでは早速ですが王妹殿下にお会いできますか?」
「至急、殿下にご報告があるのです」
「・・・分かりました」
私の声色が厳しくなったことを感じ取り、リーファ殿の表情も引き締まる。
コンコン・・・・
リーファ殿が殿下の部屋の扉をノックする。
しばし間を置いた後、中から声が聞こえてきた。
「・・・・だれだ・・・?」
中から外を警戒するような声が聞こえてきた。
殿下の声ではなかった。この声はエミリアだな・・・
「私です。リーファです」
「クラウディア団長がいらっしゃいました。扉を開けてください」
「・・・分かりました。今開けますので扉から後ろに下がっててください」
彼女の言葉に従い私とリーファ殿は扉から少し離れた場所に下がる。
ガコン・・・
内側のかんぬきを外す音が聞こえた。
ギィ・・・
そして、扉は外側に向かってゆっくりと開いていく。
私が中を伺おうと、目を凝らした瞬間・・・
・・・これは・・・殺気!!?
「リーファ殿!!下がって!!」
シャキン!
私はリーファ殿の腕を強引に引いた!
彼女を下がらせると同時に、腰元の剣を瞬時に抜刀する!
後ろに控えていたグレースとアイナも異常を察知し、剣を抜刀した。
「この反応の速さ・・・やはりクラウディアか」
扉が開いて姿を現したのは短髪黒髪の女剣士・・・エミリアだった。
彼女はいつでもこちらを刺し殺せる体勢で剣を構え、
上段から冷たい殺気を放ってこちらを見下ろしていた。
「エミリア・・・えらく厳重な警備だな」
「当たり前だろ・・・あんな事件があった後なんだからな」
「きちんと姿を確認せんと安心なんかできん・・・不満か?」
「いや・・・それでいい。それでこそ殿下の近衛だ」
シャン・・・
私はエミリアに肯定の言葉を返すと、抜剣した剣を鞘に納めた。
それを見てエミリアやグレース達も剣を納める。
彼女は“エミリア・ハンネセン“
我が近衛騎士団副団長を勤めており、第2小隊の隊長も兼務している。
年は私より7つ上の30歳。
185cmの上背とキリッとしたクールな容貌も相まって、同性にやたらとモテる凄腕の女剣士だ。
元々は精鋭の第1近衛騎士団に所属していたが、上官といざこざを起こして追放されてしまった。
そこを彼女の能力を見込んで私が勧誘したという経緯がある。
第9近衛騎士団では団員の訓練も担当しており、鬼教官として恐れられている。
もっとも、厳しさの裏返しは面倒見の良さを意味しており、任務にも忠実。
王妹殿下や他の騎士団員からの信頼は非常に厚い。
私も彼女に全幅の信頼を寄せている。
「殿下の警護ご苦労だったな。殿下は今どちらに?」
「・・・向こうにいらっしゃる」
エミリアはクイッと首を向けると寝室がある部屋の扉を指さした。
「早く行ってやれ。お前の事を一晩中心配されていたぞ」
「・・・分かった」
私は頷くと、後ろに控えていたグレースとアイナに向き直る。
「・・・グレース、アイナ。お前たちは私の報告が終わるまでここで待て」
「はっ!」
二人は敬礼をして、その場に留まった。
私とリーファ殿、そしてエミリアの3人で殿下のいる寝室に向かう。
コンコン・・・
私は寝室の扉をノックして、中に向かって厳かに声を発した。
「・・・殿下。クラウディアただ今戻りました」




