第一のルール
部屋の中に曙の光が差してくる。
見晴らしの良い場所に建物が設置されている事もあり、
明けたばかりだというのに、その光量の多さに思わず目が眩んでしまう。
寝不足の目に正直これは堪えるわね・・・
昨夜は満足に眠ることが出来なかった。
カーラの王宮の空を赤く焦がした炎が一晩中私の瞳に張り付いていた。
そして、あの巨人達の姿も・・・・・
ただ事じゃないことが起こっていた。
エノクの事が心配でたまらなかった。
・・・エノクどうしたのよ?
なんでまだ帰ってこないのよ・・・
昨夜は一晩中待ったが、エノクは戻ってこなかった。
こんなに不安になったことなんて、いつ以来だろうか・・・
あの子の目に何か合ったとしても私はなにも出来ない。
ただ祈る事しか出来ない自分が情けなかった。
元の大きさだったら、真っ先に駆けつけにいったのに・・・
「・・・エノク無事でいて・・・」
ぼそりと私はそう呟いた。
寝不足で黒いクマが付いている目をこすりながら、会館を見守り続けていた。
そんな中、背後ではゴロン・・・と何度も寝返りを打つ音が聞こえてくる。
「・・・ZZZ・・・ZZZ・・・」
おーおーー・・・
私とは反対に気持ちよさそうに寝ちゃって・・・
妖精って無邪気なものねぇ・・・
心配事とか全くないんだろうなぁ・・・
リリーが身を丸めたネコのように私のクッションの上で眠っていた。
もし、彼女が言葉を発する事ができたら「ムニャムニャ」と寝言を言っていたんじゃないだろうか。
そう思えるほど彼女は呑気に眠りこけている。
彼女を見習って少し仮眠を取ろうとしたが、結局エノクのことが心配ですぐに目を覚ましてしまった。
コツ・・コツ・・・コツ・・・・
その時だ。
朝も十分明けた頃、廊下から足音が聞こえてきた。
足音は非常にゆっくり近づいてきており、
その足取りはなぜか重たく感じてしまう。
「・・・・!!」
バッ!!
リリーが急に飛び上がるように起きた。
彼女の突然の行動に私も驚いてしまう。
「あ・・・ちょっ・・リリー!!?」
「どうしたの!?」
ヒョイーーーーン!!!
声を掛けたのも束の間、リリーはあっと言う間に窓から飛び出して、大空へと消え去ってしまった。
「リリー・・・」
彼女を呼びかけるがもうここに戻る気配はなかった。
今の私には彼女に毒づく元気もない。
いつかまた再会できればいいけど・・・・
ガチャ・・・
足音はこの部屋の前で止まり、そのまま音の主は部屋に入ってきた!
ヤバッ!隠れなきゃ!
そう思って、机の影に隠れようと思った時だった。
「・・・・・・レイナ・・・いるかい?」
今にも消え入りそうな、か細い声が聞こえてきた。
こ・・・この声は・・・・!!
「エノク!!?」
「エノクなの・・・!?」
逃げようとした足をすぐに転換させ、玄関方面に足を向ける。
「レイナ・・・・!レイナ・・・よかった・・・」
焦燥しきった顔で私を見るエノクの姿が目に入ってきた。
「・・・・ん・もう!心配したじゃない!!」
「どうしたのよ一体!!?」
エノクの姿を見て私はほっと胸を撫で下ろす。
本当は彼が無事に帰ってきたことを全身を使って喜びを表現したかったが、
彼の疲れ切った姿を見て思いとどまってしまう。
ただオークションに参加していたとは思えないほどエノクの格好はくたびれ果てていた。
その着ている衣服はところどころ擦り切れ、全身が埃にまみれ白くなっている。
おまけに親方に貰ったというシルクハットも持っていないようだった。
やはりオークションでなにかあったことは間違いないだろう。
「う・・・うううう」
「う・・うわあああ・・・」
「・・・良かった・・・レイナ・・・本当によかった・・・・」
「え・・・・えええ!!?ちょっと、・・・エノク」
「う・・・・うわあああああああ・・・あああ」
私の姿を見た途端、エノクは大きな声を上げて泣き崩れてしまった。
その姿を見て私は途方に暮れてしまう。
エノクはしばらくそのまま嗚咽を上げ続けていた。
・・・彼になんて言葉を掛けていいのか分からない。
こんな時黙って抱きしめてあげることができればどんなに良かったことか・・・・
自分の小さな身体を恨めしいと思ってしまう。
「・・・・・うっうっうっ・・」
「・・・・・・エノク・・・」
そのまま私は彼が泣き止むまで待つことにした。
あのオークションでなにかとんでもないことに巻き込まれたことは想像に難くない。
今はただ、彼が落ち着くまで待つとしよう・・・・
「・・・ごめん。帰ってそうそう、情けない姿をみせちゃったね・・・・」
しばらく時間を置いた後、エノクは顔を上げ私にそう言ってきた。
「・・・・大丈夫よ」
「エノク・・・改めて無事に帰ってきてくれて、良かった・・・・」
「・・・・うん」
私がねぎらいの言葉を掛けると彼は力なく頷いた。
「まずは、ゆっくり休んで。話はそれからでもいいでしょ・・・?」
「・・・・いや、ごめん。逆に僕は今レイナと話していたい・・・駄目かな・・・?」
捨てられた子犬のような目でエノクは私を見つめてきた。
そんな顔されたら駄目だって、言えるわけないじゃない・・・
「私は良いけど・・・エノクは大丈夫なの?なにかあったんでしょ・・・」
「うん・・・・そうだけど。今はレイナの声を聞きたいんだ・・・・」
「・・・・・」
嬉しいこと言ってくれるじゃない。
エノクの憔悴しきった顔を見たら休んだ方が良いと思ったのだが、
どちらかというと身体の問題というより精神の方が疲れているんだろう。
彼としても不安を誰かと共有したいに違いない。
「・・・分かった。じゃあ、さっそくだけ聞かせてくれる?」
「何があったのかを・・・」
「・・・・うん」
エノクは頷くと、それからゆっくりとオークションでの出来事を語り始めた・・・・・
・
・
・
「・・・・という事があったんだ・・・」
「・・・・・」
エノクが長い長い語りを終える。
彼の言葉に時々相槌を入れながらも私は終始無言で聞いていた。
エノクは私に話しているというより、神に対して懺悔をしているかのような感じだった。
全てを聞き終えた私はエノクにそっと近づき、机にうつ伏せになって項垂れていた彼の頭を撫でる。
「エノク・・・話を聞かせてくれてありがとう」
「まずはお疲れ様・・・」
なでなでと、体いっぱい使って頭を撫でてあげた。
「・・・・レ・・・レイナ・・・」
「や、止めてよ。恥ずかしいよ・・・」
彼は照れるように言葉を返してきた。
だけど、私に撫でられるのは嫌じゃないのか、そのままなすがままにされている。
「・・・いろいろ言いたいことはあるけど・・まずは無事に帰ってきて良かった」
「こうやってエノクの生きている姿を見ることが出来たんだから、今回ばかりは神様に感謝しなきゃいけないかもしれないわね」
「・・・うん。ごめん・・・」
エノクは私の言葉にまたしても謝罪で返してきた。
私になにか負い目があると思っているのだろうか・・・
ここは彼の心を晴らす意味でもちゃんと聞いてあげなきゃ駄目だろう。
「エノク・・・どうしたの?」
「無事にこうやって戻ってこれたのに、まだ、なにか気にしていることがあるの?」
「・・・・・」
エノクは私から目を逸らした。
内に溜まって吐き出したいものがまだあるのだろう。
彼の癖は大体もう分かっている。
「・・・エノク。お願い何でも話して。隠し事はなしよ」
「私はちゃんと聞くから」
「うん・・・・」
エノクは小さく頷くと再び懺悔を始めた。
「僕は自分がなさけないんだ・・・」
「情けなさ過ぎてどんな顔してレイナに顔を合わせればいいのか分からないんだ」
「・・・うん」
「ネクタルの持ち主の情報を得ようと2階席に忍び込んだ時はカインに掴まってボコボコにされた・・・」
「そして、手錠を掛けられ観衆の冷ややかな視線に晒されながら地下牢に連行された・・・」
「オークション会場から脱出する時は、腰を抜かして自分で立って逃げることも出来なかった・・・」
「挙げ句の果てに僕を助けてくれたオロフさんは目の前で殺され・・・彼を助けることも出来ず、僕はおめおめと1人で脱出したんだ・・・」
「・・・最低だよ・・・僕は・・・・」
「・・・・・」
自分の不甲斐無さへの不満を吐き出すようにエノクは語り続けた。
そんなエノクの話を私は黙って聞いている。
「・・・僕は今後どんな顔をして周りと向き合えばいいのか分からないんだ・・・」
「・・・いや、怖いといったほうが正しいかもしれない」
「軽蔑の目を向けられるのがね・・・」
「・・・・」
「・・・レイナは情けないこんな僕を笑うかい・・・?」
エノクが私に視線を向けてきた。
私は彼をまっすぐに見て、ハッキリと伝える。
「笑わないわよ」
「そして、情けないとも思わない。少なくとも私はね」
「えっ・・・!?」
エノクは私の返事を聞くと、意外そうな表情をする。
私がとっさに出した慰めの言葉ではなく、本心で語ったことを察したのだろう。
「・・・まあ、人によっては情けないと思う人もいるかもしれないわね」
「軽蔑の視線を向けてくる人も多分いる」
「・・・そうだよね・・・」
エノクは再び目線を逸らしてしまう。
それには構わず私は続けた。
「でも、人からどんなに情けないと思われようが、軽蔑の視線を向けられようが私はエノクが無事に帰ってきて本当に良かったと思う・・・」
「例え、泥に塗れ血をすすったとしても、死ぬよりは生きることを選ぶべきよ」
「悪魔に対しても恐れず勇敢に戦って命を散らした戦士より、腰を抜かして惨めに這いつくばりながら戦場から離脱した臆病者の方を私は評価する」
「・・・・レイナ」
エノクはその目を大きく見開き私を見つめた。
私の発した台詞に心底驚いているようだ。
「・・エノク、この言葉を覚えておいて」
「この言葉は私の元いた世界のある偉大な投資家の言葉でね」
「私の座右の銘の一つと考えている格言なの」
「“まずは生き残れ。儲けるのはそれからだ“」
「・・・・・」
私は説明を続ける。
「どんなに勇敢で、人から立派だと言われようとも死んだらそれで終わり・・・」
「逆にどんなに惨めで人から情けないと言われようが、生きていれば人生はなんとかなる」
「だったら、周りから何言われようが、気にする必要なんかないわ」
「死ぬくらいだったら、惨めで情けなく地面を這いずり回りましょうよ!」
「・・・・レイナ」
エノクの目に大粒の涙が溢れていく。
「・・・第一さぁ、情けなさや、惨めさで言ったら、私以上の人っているぅ!?」
「ちょっと外を出歩けば人に踏み潰されるかもしれないし、動物や虫に食べられちゃうかもしれないのよ!?」
「いちいちそんな小さな事で悩んでないで欲しいわね!」
「ほらっ!!シャッキリして!!顔を上げなさい!」
「・・・うん」
私の励ましが少しは届いたようだ。
エノクは小さく頷くと先程よりは元気な声で言葉を返してきた。
「・・・うん。うん・・・・ありがとうレイナ・・・」
「少し、元気出たよ・・・・」
そう言って泣き笑いの表情をエノクは浮かべた。
・・・もう、大丈夫そうね。
ひとまずはよかったかな・・・
「よしっ!わかったならもう帰りましょ」
「確か、9時にシルバー通りの駅前で馬車待たせているんでしょ?」
「・・・あっ・・・そうだった・・・」
私の言葉にハッとエノクは顔を上げる。
どうやら完全に忘れていたようだ。
「ははっ・・・やっぱりレイナは凄いや・・・」
「そりゃ、当然でしょう・・・“頼れる“お姉さんなんだから」
「グウゥゥゥーーーー・・・・」
エノクにドヤ顔を決めた瞬間、私のお腹の音が鳴った。
・・・なんでこんな決め台詞のタイミングで腹鳴るねん!!?
自分の体に思わずツッコミを入れずにはいられなかった。
昨日の昼から何も食べていないからしょうがないんだけどさぁ・・・・
「ははっ・・・ごめん。帰りがてら美味しいもの今度こそ食べようね」
「・・・・うっ・・・」
そう言ってエノクは朗らかな笑みを浮かべてきた。
私は決まりが悪い顔をしながら、帰り支度を始めるのだった。
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