暁のオークション⑬
「おおっ・・・!」という低いざわめきと共に、大観衆の視線は現れた宝箱に集中する。
連盟職員と多くの兵士に厳重に警備されながら、それはゆっくりと運ばれてきた。
既にこの光景を見たのは3回目だ。
しかし、この時だけはどうにもまだ慣れない。
”神話”が再臨するこの瞬間は、厳峻伴う威容が場を支配する。
・・・ゴクリ
緊張で冷や汗をかいていることが分かる・・・
僕の心臓は激しく脈打ち、手はブルブルと震えていた。
自分が落札するわけでもないのに、この焦燥感は一体なんだろう・・・
レイナのバッドステータス治癒のキーになるかもしれないアイテムだ。
例え落札出来ないにしても、その姿を確認するだけでも十分意味はあるはずだ。
・・・僕は魔法技師だ。
限りなくゼロに近いが、もしかしたら将来的にそれを自作できる可能性もあるかも知れない。
落札者を知っておけば、後々解析させて貰えるチャンスもあるかも知れないし、あるいは買い取りできる可能性だってある。
・・・僕とレイナの当面の目標はネクタルについての情報を集める事だ。
何をするにしてもまず対象の情報を集めてから。
それを確認するだけでもこの場に来た甲斐がある。
そう・・・だからここはただ傍観してるだけでも意味のあることなんだ・・・
そういう風に自分でも納得していたんだけど・・・
「・・・・・」
だが、いざ現物を目の前にすると僕の信念が揺らぎそうになる。
数多の人が渇望してやまない秘宝を、何の力もない僕なんかが手にすることが出来るのか・・・?
人智を超えた規格外の価値を持つ”神の奇跡”を、何の資産もない僕なんかが手にすることが出来るのか・・・?
そんなものを目標に持つだけでも無駄なんじゃないのか・・・?
神話のアイテムを追い求めて破滅した人は枚挙にいとまがない・・・
余りにも分不相応な願望を追い求め、愚か者だと周りから嘲笑されるんじゃないのか・・・?
身に余る高望みは捨てて、今ある小さな幸せがある暮らしを続けていくだけでも十分なんじゃないのか・・・?
そんな取り留めもない雑念が幾つも僕の頭を掠めていく。
壇上ではいよいよ宝箱が中央にセットされ、いよいよ開封という瞬間がやってきた。
司会者が右手を高々とかざし大観衆を仰ぎ見る。
彼はその状態のまま伝説の前口上を勇壮に語り始めた。
「・・・吟遊詩人達が語り継いできた数多の神話」
「その中の伝説の1つ、”大いなる大樹の章”の一節にこの酒は登場します」
「大いなる大樹の根本には運命の女神達が管理する伝説の泉が存在しており、ネクタルはその泉の水を抽出して作られた物だと伝えられています」
「かつて、ドワーフ族の酒職人であった”フィアラル”と”ガラール”は禁忌を犯した際、女神の一人が泉の水を彼らに提供し、神々の為に”贖罪の供物”を作るよう命じたとされています・・・」
そこまで言うと、司会者は壇上の宝箱の方へ手を向けると一際大きな発声をした。
「そうして作られたのが、神々のみ飲むことを許された”至高の酒”なのです!!」
「それはまさに天上の楽園の如く清らかで甘美な味わい!!」
「飲み続ければ不老不死になり、泉の強力な浄化作用であのバッドステータスでさえ一時的に打ち払ったと言われる奇跡の酒!!」
「――それが、こちらです!!!」
その司会者の掛け声とともに、背後に控えていた魔術師が宝箱の前で開封の呪文を唱えた。
ギギギ・・・・
重々しい金属の摩擦音が会場に響き渡る。
宝箱の蓋が徐々に開いていき、神の酒がついにその姿を現した。
開封と同時に「神の奇跡を見よ!」と言わんばかりに、膨大な魔素のうねりが会場全体へと放出される。
「おぉ・・・!」
「これがそうなのか!?」
「きれい・・・だけど、あれがそうなの?」
「・・・なんか見慣れない酒器だな」
「あれが不老不死の酒か・・・!」
ぼそりと僕の周囲にいた観客達が銘々につぶやく。
流石に3度目ともなると観衆はある程度この光景にも慣れてきたようだ。
驚嘆の声が聞かれると同時に、冷静に作品を品評するような声も聴こえてくる。
一方、僕の方はというととても冷静な状態ではいられなかった。
「あれが・・・・・・・・・ネクタルっ!?」
絞り出すかのように言葉を吐き出した。
僕の視線は宝箱の中身に釘付けになって離すことが出来なかった。
それは驚愕と同時に対象の歪さに理解が追いつかなかったからだ。
・・・このおびただしいまでの魔力の奔流こそ神話のアイテムの証明。
あの中に神の酒が入っている事は間違いない。だけど・・・
なんか・・・思ってたのと外見が違う・・・
そう戸惑いを覚えずにはいられなかった。
てっきり、宝箱に入るような小さな樽やビアマグのようなものが出てくると思っていた。
ところが今凝視しているものといえば、青白い光をぼんやりと放つ”動物の角”だった。
胴長で真っ直ぐにそびえ立ち、角の先端は円柱の固定台に突き刺さっている。
上の方につれて胴回りが太くなっていき、角の根元と思わしき箇所には金色のキャップで封がなされていた。
あれが酒器だとはとても思えない。
それを証明するかのように、ざわざわ・・・と観衆の困惑が波打つように広がっていった。
壇上にいる司会者がそれを察知するとすかさず説明を始める。
「皆様、これは”リュトン”と呼ばれる動物の角を使った杯なのです」
「先史時代の人々は特別な慶事を祝う際、様々な動物の角を使った”角杯”で宴を催していたと伝えられています」
「これもその一種だということです」
司会者の説明で会場のざわつきは収まりを見せる。
僕も彼の今の言葉である程度状況が飲み込めた。
なるほど、あれは先史時代の酒器だということか・・・
それなら確かに見慣れないものうなずける。
僕もネクタルのことは書である程度の知識は持っていたが、流石に先史時代の酒器の形態までは知らなかった。
先史時代・・・史実の公式記録が残っていない時代の事。
吟遊詩人や口伝、あるいは真偽の程が不明な一部の書でのみ語られる伝説の時代。
世界が一度滅んだとされるのもこの時であり、神話のヴェールに包まれた謎多き時代だ。
司会者はさらに説明を続ける。
「宴はおもに神々への”感謝・忠誠”を示すために行われておりました」
「誰が主催したかによって宴の格が決まり、序列が高い宴ほど”角”もそれに応じて高級品が使われたようです」
「庶民が主催する宴では健康と繁栄を示すため、”アルミラージの角”を・・・」
「貴族や豪族が主催する宴では豊穣と力を示すため、”グリフォンの角”を・・・」
「さらに、王が主催する宴では栄光と富を示すため、”プラチナドラゴンの角”が使われたと言われております」
司会者はそこで一呼吸置き、改めてネクタルの方に手を差し向けた。
「そして、神々はその忠誠に応えるために・・・たった一度ですが、下界に降りてきて我々を労う宴を開催したことがあります」
「その時振る舞われた酒こそ”ネクタル”であり、また、杯に使われたのがこの”ユニコーンの角”なのです!」
ユニコーン・・・!?あの角が!!?
僕がその名を聞いて驚愕すると同時に、おおっ!!!と観衆からも驚きの声が上がった。
観客たちの反応に気を良くした司会者はさらに煽るように声を張り上げていく。
「神の酒は真に神聖な飲み物であり、少しの汚れや不純物も含まれていないと言われております!」
「それゆえ、水を常に浄化し最高の状態に保つ為に、あの伝説の幻獣であるユニコーンの角が使われているのです!!」
「まさに、至高の酒にふさわしい杯といえるのではないでしょうか!!!」
ワーー!!!ワーーー!!!パチパチパチ!!ヒュヒュー!!
「すげぇ・・・酒もすげえが、杯だけでも神話級じゃんか!!」
「神の酒の名は伊達じゃないな・・・」
「・・・おお神よ・・・今日この日、この出会いに感謝致します・・・」
「絶対落札してやる!!待ってろ・・・!僕のお宝ちゃん!」
歓声と拍手とともに観客たちの熱が否応にも高まっていく。
出現した酒器の奇妙さに会場は一瞬戸惑いを見せたものの、その正体がまさかの”ユニコーンの角”ということでまた大盛りあがりだ。
僕の方はというと、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。
取り留めのない思考の渦に囚われていた。
あの杯の正体はユニコーン・・!?
本当に、本物なのか?
だって、あのユニコーンだぞ・・・?あの伝説の・・・
いや、まあ神話のアイテムのオークションなんだから、もちろん本物なんだろうけどさ・・・
なんか感覚が麻痺し始めているけど、普通に考えてこれ単体でもオークションの一品になり得るよな・・・
驚愕と同時に、神話や伝説の中に出てくる単語がバーゲンセールのように出てきて理解がまだ追いついていない。
自分の中のこれまでの常識というものがどんどんと崩れていっているのが分かる。
ユニコーン・・・清き乙女しかその姿を捉えられないという伝説の幻獣。
その角は非常に強い神聖と霊力を宿し、どんなに穢れた水でさえも浄化し、すり潰して粉にすればあらゆる病気を治癒する霊薬としても用いられたという。
空想やおとぎ話の類だと思っていたものが、今、僕の目の前で現実として顕在化している・・・
「さあ!前置きはこれでもう十分でしょう!!」
「では早速、この神秘の品を掛けたオークションを始めさせていただきます!!!」
ワアアアァァァァー!!!!!
一段と声を張り上げる司会者の声に、観衆も大歓声で応える。
ゴクリ・・・
固唾を呑んで見守る。
現実味がない恍惚感と緊張感を併せ持った状態で僕は開始の瞬間を待っていた。
いよいよ始ろうとしている。
神の酒の競売が・・・
「まいりましょう!!」
「50億クレジットからスタートです!!」
司会者が右手を掲げ、声高らかに開始を宣言した。
彼の声が会場に響き渡った後、一瞬の静寂が会場を包みこむ。
・・・・・
それは実際には僅かな時間だったに違いない。
しかし、僕にとっては永遠にも感じられる間だった。
さぁ・・どうなる!?
「60億!!」
えっ・・・
僕は一瞬耳を疑った。
いきなり驚愕の数字が飛び出たからだ。
初っ端から10億も競り上がった・・・・・
「さぁ、いきなり出ました!!」
「1076番、60億のご提示です!!!」
司会者が嬉々として提示者の価格を復唱する。
会場全体からも「おぉーー!」と驚きの声が上がった。
そこから価格が急騰するのに、もう時間はいらなかった・・・
「65億・・・!」
「68億5000!」
「・・70億!!」
「72億!!!」
・・・どんどんと価格が競り上がる。
雪崩を打って我先にと驚愕の数字を各々が口にしていく。
「・・・・・」
僕は完全に金銭感覚が麻痺している状態でその光景を傍観していた。
「・・・89億!」
「90億!!」
「92億!!」
「95億!!!」
そして価格はついに・・・
「――100億だぁ!!!」
ウオオオオオォォーー!!!!
パチパチパチ!!
ピィーピィー!!
「すげぇ・・・ついに100億だってよ!」
「いったいどこまで上がるってんだよ!!?」
「・・・信じられなぁ~い」
「もう、あの酒だけで小さな国買えるんじゃないか・・・?」
価格がついに3桁に到達したことに観客たちは狂喜乱舞をしながら、歓談に興じている。
まだ、落札したわけでもないのに100億を提示した男はいかにも誇らしげそうな顔をしていた。
・・・なんとなくだけど、あれが以前レイナが言っていた「不敵な笑みの用法」第3段階の”ドヤ顔”なのかもしれない。
だが、価格が100億に達して興奮していたのは観衆だけではなかった。
「2946番!!な・な・な・・なんとぉーーー!ついに100億の提示だああああぁ!!」
「ここまでの高騰を誰が予想したでありましょうか!!?」
「私も長年オークションを進行してきましたが、ここまでの数値を聞いたのは今回が初めてであります!!」
「・・・すごいっ!!これは、すごすぎる!!!!」
司会者のテンションもやばかった。
たまに声が裏返っているし、どうやら本気で彼は興奮しているようだ。
しかし、競りの参加者たちはそんな彼を尻目に、僕たち観衆をさらに驚かせる行動を見せる。
「101億!!」
「102億5千!!!」
「103億!!」
えっ・・・嘘だろう・・・!?
これには僕も本気で驚いた。
先程よりは上昇のスピードが緩くなったが、まだ価格は上昇し続けている・・・
既に次のオークション品である”賢者の石”の最低落札価格を超えている。
いったい、どこまで上がるんだよ・・・
「――121億!」
「121億5千!」
「・・・くっ、122億!」
終息の兆しを見せたのは120億を超えたあたりからだった。
札を上げる人数が徐々に絞られていき、ついにラスト2人のところまで来ていた。
競っているのは一人は人間の男の人。そして、もう一人はワーウルフの男の亜人だった。
人間の方は着用している衣服こそ皆と同じ黒のスーツだが、頭につけている金の冠や宝石を散りばめた指輪を身に着けているところを見ると、
名のしれた商人・・・あるいはどこかの国の王族という可能性もある。
一方ワーウルフの方は、長い銀髪が特徴的な狼男だった。スーツを着ているところを除けば特段変わった装いをしているわけではない。
しかし、服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体を見るに、軍人または冒険者なのかもしれない。あくまで僕の推測でしかないけど。
「123億だ!!」
「・・・・・」
「・・・・・ちっ、123億5千!」
123億を提示したのは人間の男の人。
そして少し間を置いた後、舌打ちしながら5千万競り上げた方がワーウルフの男の人だ。
心なしかまだ人間の男の人の方は余裕がある。
「124億!!!」
ほとんど間を置かず、人間の男の人が価格を競り上げた。
「さあ!!1503番の方、124億のご提示です!!」
「322番の方はいかがなさいますか?」
322番のワーウルフの男は渋い顔をして、しばらく思案した後、静かに顔を横に振った。
そして、それが合図となった・・・
ダァーーーーーーーン!!!
「決まりました!!」
「ロットNo.3、神の酒、1503番の方に124億クレジットで落札されました!!!!」




