最後の課題①
「よしっ!いくか!」
パンパンと頬を叩いて僕は気合を入れた!
冒険者の装備に身を通し、過酷な一日の始まりに今日も備える。
レイナがそんな僕を見送りに、ダイニングテーブルの上から僕の外出の支度を見守っていた。
「今日はちょっと遅くなるだろうから、もし小腹が空いたらそこのクッキーでも食べててよ」
そう言って、僕はテーブルの隅に置いたクッキーが入ったプレートを指さした。
レイナは朝と夜の2食摂るだけで十分らしい。
その為、僕は昼食はいつも作らずに仕事に出かけていた。
騎士団の宿舎に移ってきてからもその生活は変わっておらず、
彼女が小腹が空いた時用に一応パンやビスケットは焼いて置いていっているのだ。
彼女はニコリと僕の言葉に微笑んだ後、表情が険しくなった。
「うん。ありがとう!」
「だけど、私のことは気にせず、全力でやってきなさい」
「いらぬ邪念を捨てて、全力で目の前の事に集中すること」
「じゃないと・・・アイナさんにやられるわよ?」
そう言って彼女は僕を真剣な目で窘めてきた。
それは僕も十分わかっていた。特に今日は・・・
「ああ・・・そうだね。そうするよ」
「じゃ、行ってくるよ!」
「いってらっしゃい」
ガチャ!
レイナに手を振られて見送られながら、僕は部屋を出る。
宿舎の廊下で顔を合わせた第9近衛騎士団の女性に朝の挨拶をしながら僕は宿舎を出た。
外に出ると陽の光が僕の目をくらましてくる。
暦では既に9月に入っているが、まだまだ昼間は汗ばむ陽気が続いていた。
アイナさんとの訓練中も小まめに水分補給をしないとすぐにバテてしまう。
しかし、そんな陽気ももう長くは続かない。
あと、数週間もすればガラリと気候が変わり一気に涼しさが増すだろう。
そして2ヶ月もすれば上着が必須になるくらい寒くなってくるはずだ。
カーラは温帯地域に位置しているものの、カーラのすぐ北の魔族の領域は亜寒帯気候に属している。
その為、夏の最高気温は他の温帯地域と同様に高いものの、
冬は北東のスカディ海から吹き付ける寒気団によって、吹雪に見舞われることも多い。
そういう意味で言えばまさに今は季節の変わり目と言って良い時期だった。
そして、僕の人生においても、大きな転機となるだろう・・・
「・・・・」
訓練場に向けて僕はゆっくりと歩いていた。
朝の王宮の日常の風景を自分の瞳に収め、「いつも通りやればいいんだ」と自分自身に言い聞かせる。
しかし、その思いとは裏腹に僕の身体は明らかに平常心を失っていた。
気づくと、小刻みにブルブルと僕の手は震えてしまっていたのだ。
「ふぅ・・・」
落ち着きを取り戻すべく、僕はその場に一旦立ち止まり、深呼吸をしながら目を閉じた。
しばらくそうして精神統一していると、ようやく落ち着きを見せたので再び目を開いて訓練場を目指す。
今日がアイナさんとの訓練の”最終日”だ。
そして、それはつまりアイナさんが僕の護衛任務を終える日でもあり、彼女との訓練の総決算を見せる日でもある。
アイナさんは最後の課題を今日僕に課してくるはずだ。
それがどういうものなのかはまだ聞いていないが、想像を絶するほど難しいものであるのは目に見えている。
昨日アイナさんは僕にこう言ってきた・・・
『明日がいよいよ最後の訓練の日です。”死”を覚悟して臨んでください』
それはシンプルでありながら、あまりにも恐ろしい一言だった。
アイナさんは冗談を言う人間ではない。
そして、過剰に言葉を飾り立てる事もしないし、ハッタリをかまして相手を脅すなんてこともする人ではない。
彼女はこれまで僕に”真実”しか話してこなかった。
そんなアイナさんが”死を覚悟して臨みなさい”と言ってきたのだ・・・
文字通り、今日の最終訓練は一歩間違えたら死に直結するものという事なのだろう・・・
僕の手のひらにじんわりと汗が滲んでくるのが分かる・・・
これまで、アイナさんとの訓練は大変ではあったが、アイナさんが手加減することは分かっていた。
僕がボロボロの状態で倒れ込んだら、彼女は瀕死に至るギリギリのラインで寸止めしてくれる。
だから、彼女の訓練で何度も大きな負傷をしていると言っても、死への恐怖で震えが止まらないなんてことはなかった。
一番最初にアイナさんの攻撃の威力が分からずに、その鋭利なキックで僕の身体が胴体ごと切断されるんじゃないかと思ってしまったことがあるが、あの一回くらいだろうか?
それ以降あれほど恐怖を感じたことはなかった。
これが良いか悪いかは別として、ダメージを受けることに身体が慣れてしまったということだ、
アイナさんの一撃を喰らっても大ダメージは受けるが、死ぬことはない。
そう・・・死ぬことはない一撃として、僕はアイナさんの攻撃を受けていた。
そこに昨日のアイナさんの”死を覚悟しろ”の一言が来たのだ。
一体どれだけ凄まじい試練を課してくるかと怖くなってしまうのはやむを得ないことだろう。
ふぅ・・・・落ち着け。
そして、僕は再び深呼吸をする。
どのような局面でも冷静さを保つことが、戦闘で生き残る最大の武器だ。
これを教えてくれたのは他ならぬアイナさんだった。
僕は前を見据える目に力を宿すと、再び王宮の街路を歩いていく。
王宮の街路は朝から人と馬車の往来が激しかった。
商人ギルドの荷馬車や、行軍中のカーラの兵士達。
王宮の施設へと向かう官僚たちや、給仕達の姿も見ることが出来る。
そんな彼らの姿を尻目に、アイナさんが待つ訓練場の中へと僕は入っていった。
訓練場は朝からカーラの兵士の調練の声で活気に満ちていた。
稽古をする彼らの身体はみな引き締まっており、僕の身の丈程もある大剣や槍を軽々と振って打ち合いをしている。
そんな彼らの一連の動きだけを見ても、カーラ王国軍の練度の高さが伺えてくる。
実際カーラ王国軍のレベルは高く、その精鋭部隊であれば熟練の冒険者の傭兵部隊にも引けを取らないという。
Lv50以上の熟練の冒険者はそれこそ化け物揃いだから、いかにカーラ王国の精鋭部隊が強いか想像も付きやすいだろう。
カーラ王国の精鋭部隊・・・特に国王陛下直属の第1近衛騎士団は全員アイナさんより強いという。
信じられないよな・・・まったく。
あの鬼の様に強いアイナさんより強い人がゴロゴロいるなんてさ・・・
上には上がいるのは分かっているが、それでもその数の多さにびっくりしてしまう。
そして、そんな彼らに僕は少しでも近づきたいという思いがあるのも事実だった。
訓練風景を眺めながら、密かにやる気を体内にみなぎらせ、その中を進んでいく・・・
すると、その一角に静かに佇みこちらを見つめてくる”騎士”の姿があった。
その一角だけ時間が止まったかのように静寂が満ちており、
周囲の風景と隔絶した雰囲気が流れていた。
傍らにはクリフォードさんがもう控えており、僕の姿を見守っている。
「アイナさん・・・」
ゴクリと喉を鳴らし、僕は歩きながら彼女の姿を見据える。
・・・いつもの彼女の雰囲気ではない。
昨日までの彼女は非常に扇情的な格好で僕に訓練を施していたが、今日は全く違っていた・・・
彼女の全身には銀色の胸当てと小手、グリーブに羽根つき兜。
そして、腰にはアイナさんの愛用する水晶の柄がついたミスリルソードを帯剣していた。
第9近衛騎士団の戦闘フォーム・・・間違いなく彼女が一番戦闘力を発揮する装備だ。
その姿を見るだけで今日の彼女の本気が伺えてくる・・・
「来ましたね・・・・」
アイナさんは僕を見据えながら、そう呟く。
僕は彼女の前まで進んで行き、会釈をした後挨拶をした。
「おはようございます、アイナさん!今日はよろしくお願いいたします!」
アイナさんは僕の姿を上から下まで軽く眺めると、少し表情を和らげた。
「おはようございます、エノクさん」
「どうやら、思ったほどは緊張していないようですね。何よりです」
「今日が訓練最終日です。お互い悔いの残らない一日としたいものですね」
「・・・はい」
彼女の言葉に、僕は言葉少なく答えた。
確かに訓練を始めた当初は緊張でガチガチに固まっていた。
あの頃に比べれば、間違いなく今の僕の身体は動くようになった。
だけど、今彼女からピリピリとした威圧感が容赦なく僕に向けられているのを感じ、恐怖を感じてしまっているのも事実。
気を強く張って自分を律し続けなければ、このプレッシャーに押し潰されそうだった。
少しでも気を抜けば身体がまたブルブルと震え、戦闘どころの騒ぎじゃなくなってしまうだろう。
そんな僕を見てアイナさんはフフッと笑う。
僕が気を張っている事なんて彼女には当然お見通しだ。
しかし、彼女は嬉しそうに話を続けてくる。
「本当に見違える程になりましたね・・・」
「エノクさんのレベル自体は一般人を越える域には到達しませんでしたが、その戦闘能力は明らかに常人を上回っていると言えます」
「そういう意味で言えば、もう私の訓練は成功していると言っても過言ではありません」
「今のエノクさんだったら、例えこのまま冒険者になってもそう簡単に不覚を取ることはないでしょう」
「あとは、”最後の課題”を突破すれば、もう私からエノクさんにお伝えすることは何もありません」
「・・・アイナさん」
アイナさんの言葉に僕は不覚にも泣きそうになる。
僕が命を掛けて訓練に臨んでいたように、彼女も全身全霊を掛けて僕を叱咤激励し、訓練を施してくれたのだ。
そんな彼女にここまで言われたら感極まるのも無理ないことだった
だけど、そんな感傷に浸っているのも、アイナさんが表情を引き締めるまでだった。
僕も気合を入れ直す為に、拳にギュッと力を入れた。
「・・・ただし、もう想像していると思いますが、最後の課題は一歩間違えたら文字通り命を落とすことになります」
「心して臨んでください」
「・・・・はい!」
彼女の言葉に僕は力強く頷き、返答する。
そんな僕の決意を受け取った彼女は相槌をしながら、僕に課題を告げてきたのだ。
「・・・では、最後の課題を伝えましょう。内容は実にシンプルです」
「私は今からこの完全武装した状態でエノクさんと戦います」
「当然抜剣した状態になります。そして、エノクさんの”首を刎ねに行きます”」
「・・・・っ!」
その言葉に心臓がドクンと跳ねる!
「・・・エノクさんは私の攻撃を防いで、私に一撃を入れてください」
「エノクさんが一発でも私に入れて手傷を負わせることが出来れば、それで課題突破です」
「どうです。分かりやすいでしょう?」
「・・・・・」
彼女の言葉に、一瞬呆然とした為、僕はすぐに返答できなかった。
課題内容は確かにシンプルだった・・・これ以上無いほどに。
そしてこれ以上無い程に恐ろしい内容だった・・・
今から彼女は僕を「殺す」と言ってきたのだ・・・!