訓練の日常
「・・・♪」
王宮の市場の食材をウキウキした気分で眺めながら今日の夕食の献立を考える。
今日は早く終わったし、時間にも余裕があるから少し豪勢に行くとしよう。
自分へのご褒美じゃないけど、ようやくアイナさんが設定した課題を1つクリアできた。
訓練を始めた前と今では間違いなく僕は強くなっているだろう。
素人同然だった頃に比べれば、戦いの知識は格段に深まったと自身を持って言えるし、立ち回り方も上手くなった。
ただし、僕の肉体の成長がそれに見合ったものかどうかは話が別だ。
僕の服の中に密かに忍ばせている”ディバイドストーン”・・・これによって僕とレイナの経験は共有されている。
現在の僕のレベルは【12】。
レベルはこの短期間で2つも上がったが、訓練の過酷さに見合ったレベルの上昇かというと微妙なところかもしれない。
経験の共有によりレベルが上がりにくくなっているのは間違いなかった。
だけど、もちろん僕は後悔していない。
そもそも僕の冒険の目的の1つはレイナのバッドステータスを治すことにある。
バッドステータスの解呪に当たり、彼女のステータスの強さも関わってくるかもしれないし、
呪いの解呪は呪いを掛けられた本人にも何らかの負担を強いるケースが多い。
本人に体力や魔力があった方が色々と都合が良いだろう。
人より多くの努力を要する事になるが、僕とレイナは一緒に強くなる事を誓いあったのだ。
神話のアイテムの作成やバッドステータスの解呪という前人未到な事を僕たちは成し遂げようとしている。
それくらいの困難はもう覚悟の上だ。
今はしばしの休息を楽しむとしようか・・・
僕は市場から食材を調達すると騎士団宿舎への帰路に着いた。
既に時刻は夕方になっており、赤みがかった太陽の光が王宮の街路を照らしていた。
ふと、兵舎の一画に目を向けると建物の修繕に当たっている建築士達の作業風景が目に入ってくる。
先日の王都襲撃事件によって王宮の兵舎区画は何者かによって爆破されて何十人もの犠牲者が出た。
あれからもう2ヶ月近く経つというのに傷痕は今もこうして残っている。
当時の爆発の凄まじさが想像できるな・・・・
建築士達の作業を尻目に僕はそのまま街路を進んでいく。
前方に目を向けると、商人ギルド連盟会館である欲望の塔の姿があった。
ここからだと結構な距離があるというのに塔の上半分がはっきりと僕の目に映ってくる。
やっぱり大きい・・・
王宮の中からでも塔の威容に圧倒されてしまう。
王宮で一番高い建物は国王が住まうヘルヴォルの館だが、高さで言えば欲望の塔の足元にも及ばない。
この光景はさも、商人ギルド連盟がカーラ王家に力を誇示をしているかのようにも映ってしまう。
「なんか改めてこうして見ると、変な感じがするなぁ・・・」
ポツリとそんな感想が口をついて出る。
これではどっちがこの国を支配しているのか分かったものではない。
この国の体制の歪さに疑念を抱きつつも今の僕には違和感を覚える事くらいしか出来なかった。
胸に去来した僅かな諦観の念を振り払い、第9近衛騎士団宿舎の前までたどり着く。
そして、入口の前で立番している兵士にいつもの様に僕は挨拶をした。
「フレッドさん、お疲れ様です!」
「おぅ?今日は早かったな。訓練はもう終わったのか?」
僕が声を掛けると入口の兵士が親しげに言葉を返してくる。
僕が王宮に住み始めてもう1ヶ月以上経ったという事もあり、門番の人ともある程度顔馴染みになった。
彼は兵舎区画の治安維持部隊に所属している”フレッド”さんだ。
年は聞いていないが、僕より少し上の20歳くらいだろう。
今年からこの区画の治安維持に配属された彼は、3日に一度第9近衛騎士団宿舎の警備を担当している。
ただし、警備と言っても実際やる必要があるかのと言われれば微妙なところだ。
この宿舎に寝泊まりしているのが女性だけ(僕は除く)とは言え、ここに忍び込んで夜這いを掛けようとする奴なんていやしない。
そんな事をしても精々”切り刻まれる”のが落ちだろう。
ここにいる女性は外見はお嬢様と言っても差し支えない容姿端麗の淑女が多い。
しかし、彼女たちが外見に比した大人しい振舞いをするかと言えば・・・うん。僕の口からはこれ以上言えない。
まあ・・・・とにかくここは安全だということだ。
フレッドさんの言葉に僕は笑顔で答える。
「ええ、今日は早く終わったんですよ」
「フレッドさん聞いて下さい!」
「僕、ついにアイナさんの攻撃を5分耐えることが出来たんですよ!!」
高揚した声で今日の訓練の事をフレッドさんに話す。
すると、彼はそれを聞いて目を丸くしてしまった。
「・・・マジか!?」
「5分だけとはいえ、あんな”化け物みたい”な強さのアイナさんの攻撃を耐えるとはお前やるなぁ!」
「フレッドさん・・・そんな事言ったらアイナさんに殺されますよ・・・」
僕は苦笑いをしながらフレッドさんをたしなめた。
第9近衛騎士団を警備する兵士たちの間ではグレースさんとアイナさんは有名人らしい。
熱血漢の赤髪のグレースさんに、冷静沈着な青髪のアイナさん。
この二人はクラウディア団長旗下の二輪の薔薇に喩えられているという。
当然、アイナさんの実力の高さは彼もよく知っている。
僕の諫めの言葉にフレッドさんが顔を青くした。
「・・・やべ!エノク、今の話は内緒だぞ・・・」
「アイナさんは怒らせると怖いからな・・・」
「大丈夫です。アイナさんを怒らせてはいけないのは僕もよく分かっているので・・・」
そう言って彼の言葉に僕は相槌を打った。
アイナさんは誰もが羨む美女だというのに、何故か自分が女らしくないことを気にしている。
そこで追い打ちを掛けるように”化け物みたい”なんて言ったら彼女は怒るに決まっているだろう。
ただし、何も知らない外野からアイナさんの調練を見たら彼女を誤解しても仕方ない面はある。
僕も今でこそそんな事は思っていないが、訓練の初っ端に肩の骨を砕かれた時にはそう思ってしまったしな・・・
今の僕はアイナさんを化け物とは別の性質で捉えている。
彼女の強さを例えるなら”狩人”の方がしっくりくるだろう。
化け物も、狩人も、一度力を行使すれば徹底して相手を叩き潰すことには変わらない。
ただし、化け物は無差別に秩序なき暴力を振るうのに対し、狩人は力を発揮する対象を選別し、時と場所をわきまえている。
当然戦い方も両者は異なってくる。
訓練を通じてアイナさんの戦いにおける信条に触れ、僕は何となくその哲学が分かってきた。
非常に感覚的な事だから、言葉で説明するのが難しいのだけどね・・・
僕の返答に安心したのか、フレッドさんは二カッ!と歯を見せてきた。
「おう!わりぃな!内緒だぞ!」
「それにしてもあんな美人と組手が出来るってお前は本当に羨ましいねぇ・・・」
「俺もアイナさんに体術教わりてえな~」
「ガッチリホールドされて胸とか押し付けられたら悶絶しちゃいそうだもん」
「その状態で訓練続けられたら俺なら余裕でイッちゃうね!」
「・・・あははは。天国に逝かないといいですね・・・」
フレッドさんの軽口に僕は再び苦笑いを返す。
彼は悪い人じゃないのだけど、結構下品な会話を僕に振ってくる。
たぶんフレッドさんは結構な女好きだと思う・・・
第9近衛騎士団全員の名前や趣味、性格まで把握しているし、推しの女性に関してはスリーサイズまで知っているくらいだ。
こういう男同士の会話を出来る相手は今まではいなかったので、ある意味新鮮な体験をさせてもらっている。
工房ではアベルともっぱら趣味の話に終始していたしなぁ・・・
年頃の男同士だったらこういう事を話すのが普通なのかもしれないな・・・
そんな風に変な感慨に耽っていたら、フレッドさんはさらにとんでもないことを僕に言ってきた。
「・・・ところでエノクよぉ」
「おまえ・・・アイナさんには一発”やらせて”もらったのか?」
「うえぇぇえ・・・!!?」
思わず裏返った声を出してしまう。
「・・・だってよぉ、アイナさん絶対お前に気があるぜ?」
「いくら効果的だからといって、あんな裸みたいな格好で普通訓練するかぁ?」
「あれ、お前の事誘っているぜ?」
「今日試しに夜這い掛けてみろよ。絶対上手く行くからさぁ!!」
「いやいやいやいやいやいや!!無理です無理です!!」
「僕まだ死にたくないですよ!!!」
いやらしそうに口角を上げて笑う彼に対し、僕は勢いよく首を振って拒絶する。
いきなり何言い出すんだこの人は・・・!
まだ、日も暮れていないというのに酔っ払っているんじゃないのかぁ?
「・・・もう!変なこと言わないで下さい」
「からかうなら僕もう行きますよ?」
「これから夕飯作らないといけないので!」
口元をぷくっと膨らませて、そのまま宿舎の中に入ろうとする。
そんな僕をフレッドさんは茶化すかのように再び肩を叩いてきた。
「はっはっは!!悪い悪い!冗談だって!そう拗ねるな」
「今度王都の”すっきりするいい店”連れて行ってやるからさ!」
「周りに女ばっかりだとお前もいろいろ大変だろう?」
「お前の知らない夜の町を色々教えてやるよ」
「何事も経験って言うしな!」
「・・・・・」
彼の言葉に僕はしばし黙ってしまう。
・・・そりぁ、僕も男だ。
こんな状況でムラムラしないわけがないし、処理するのだって大変だ。
夜の王都の町を体験してみたい気持ちもないわけではないのだけど・・・
「・・・丁重にお断りさせて頂きます」
そう言って僕はフレッドさんの誘いを断った。
フレッドさんとは世間話で軽口を叩き合うくらいならいいかもしれないが、変に付き合うとそのままずるずると連れ回されそうだ。
寝不足で訓練が出来ないなんてもっての他だし、今の僕は訓練に命を掛けている。
彼には悪いが余計なことに首を突っ込んで台無しにしたくない。
「おーい!エノク、連れないじゃないかぁ!」
「俺達もう”ダチ”みたいなもんだろう?”女の園”での生活の話少し聞かせろよぉ」
「それにすっきりしたがらないなんて、お前本当に男か?」
「実はお前・・・この中で結構良い思いしてたりするんじゃないのか、あん?」
フレッドさんが悪ノリしながら、僕の肩に手を回してくる。
僕は目を細めて辟易した顔をするのだが、彼は気にせず絡み続けてきた。
今日のフレッドさんはいつもより大分しつこい。
たぶん僕が最初に”アイナさん”の事を話題に出しちゃったからだな・・・
アイナさんはフレッドさんが特に憧れている騎士の一人だという。
彼はアイナさんに冷たい目で見下されながら蹴られたいらしい。
彼が何を言っているんだか良く分からないんだけど・・・死にたいのかな?
それにしても僕ってからかわれやすいのかなぁ・・・
アベルといい、フレッドさんといい、なぜか男友達と言えそうな人に僕はいつもからかわれている気がする・・・
彼と世間話をするのは楽しいのだけど・・・流石にこれ以上絡まれるのはちょっとなぁ・・・
・・・仕方ない。ちゃんと断るか・・・
僕がフレッドさんに改めてお断りの言葉を返そうとした時だった。
「・・・何を騒いでいるのですか?」




