戦場の狂気
エノク・フランベルジュか・・・?
そこに立っていたのは、先日目にした時と風貌がまるで異なっていたエノクだった・・・
あの時冒険者としての道を歩むという決意表明を聞いていたから、彼が冒険者の格好をしているのは分かる。
しかし、エレオノーラ殿下の謁見があったのが僅か数日前の出来事だ。
こうもガラリと印象が変わったことに私は少なからず衝撃を覚えてしまう。
それに、驚いたのは彼の服装に対してだけではない。
彼の行動や表情までもがどこか異なっていた。
我々のように戦闘を行う者の目からすれば、その者が素人かあるいは戦闘に熟達したものかどうかは佇まいである程度分かるものだ。
彼は魔法技師であり戦闘に習熟していない一般人だったはずだ。
これまでのエノクは周囲に対して無警戒であり、その立ち姿は隙だらけだったのだが今日の彼はどこか違っていた。
僅かな違和感だからどこがどう違うと言われても説明するのは難しいのだが、
入室してきて私の机まで来る時の歩き方や、会釈の仕方、周囲への視線の運び方など。
これまでの彼より隙が無くなっているように感じられる。
「エノク・フランベルジュです」
「多忙の中またお会い頂きありがとうございます、クラウディア団長」
エノクは私の机の前まで来ると頭に装着していたミスリルキャップを脱ぎ、お辞儀をしてきた。
私は微笑みながらエノクを見据える。
「・・・よく来てくれたな。エノク」
「そんなに畏まって挨拶しなくても大丈夫だ」
「お前は我が騎士団の恩人であり私の友人だと思っている」
「堅苦しい挨拶は今後抜きにしようではないか。私もそうさせて貰うつもりだ」
「・・・あ、ありがとうございます」
「次からは僕もそうさせて頂きます・・・」
「・・・ふふっ・・・」
エノクの照れながら応じる様が可笑しくて、思わず笑みがこぼれてしまう。
彼はキョトンとしながらそんな私の顔を見つめた。
私が笑う意味が分からないのだろう。
「・・・ああ、笑ってしまってすまないな」
「今のお前の反応が私のよく知っているエノクのものだと分かって、ついな・・・」
「なんか自分が安心してしまったのが可笑しかったのだ・・・許せ」
「・・・へっ??」
彼はまだ得心を得ていないようだ。
だが、私もこの感情を素直に述べる事は恥ずかしかった。
エノクがつい数日前と別人のような振る舞いをしたから戸惑ってしまった。
だが、エノクが照れながら応じる姿を見て、間違いなく彼がエノク・フランベルジュである事を確信したなんて言えないだろう。
私は手を上げて、強引に話題を変えた。
「おほん!・・・本当に大したことでは無いから気にしないでくれ!」
「それより今日はどうした?何か私に用があって来たのだろう?」
「・・・あ、はい。そうです」
「実はちょっとお願いしたい事がありまして・・・」
「・・・ふむ。なんだ?」
エノクは一旦視線を泳がせた後、話を続けてきた。
「・・・実は王立図書館の蔵書を拝見したいと思っているのですが、僕には図書館の利用権限がないのです」
「差し出がましいお願いをしてしまい恐縮ですが、何とか僕に本を借りられるように取り計らって頂けないでしょうか?」
「旅の前に出来るだけ知識を入れておきたいと思っているのです」
「どうかお願いいたします!」
エノクがそう言って頭を下げてきた。
彼が求めてきたのは王立図書館の利用権限だった。
彼の要望を叶えるのは容易いことだ。
我が騎士団でも王立図書館の利用者はいる。
騎士団の文官であるなら本の借り出しが可能だ。
「・・・なんだそんな事か?」
「お安い御用だ」
私はそう答えると、キースへ顔を向けた。
「キース。エノクに書記官の辞令書を発行してやれ」
「彼には我が騎士団の魔法技師として既に辞令を与えているし、文官職を兼務させても誰も文句はあるまい」
「はっ!承知いたしました」
私達のやり取りを見た後、エノクが深々と頭を下げてきた。
「クラウディア団長ありがとうございます!」
「早速要望を叶えて頂けるなんて感謝の念に絶えません!」
彼からの礼に対し、私は静かに首を振る。
「これくらいお前が貢献してきたことに比べれば大したことではない」
「お前とはこれからも良い関係を築いて行きたいと思っている」
「今後私もお前に力を貸して貰うことがあるかもしれないからその時はよろしく頼む」
「はい!僕なんかで良ければ喜んで!いつでも仰ってください!」
エノクに交換条件の様な形で要望を言ったにも関わらず、彼は躊躇うこと無く承諾の言葉を口にした。
しかも、彼は世辞ではなく本気でそう言っているのだろう。
エノクの純真さにはやはり好感が持てる。
先程、つまらぬ手紙を受け取ったばかりだから余計にそう感じてしまうな・・・
彼の魔法技師としての技量は折り紙付きだし、その洞察力や知性の深さも称賛に値する。
欲を言えばエノクを我が騎士団に迎え入れたかった・・・
しかし、彼の”夢”は私も聞いていたし応援したい気持ちも同時にあった。
旅立ちまでサポートしてやるのが、命を救ってくれた彼へのせめてもの礼だろう。
「・・・エノク、来訪したついでに一つ聞いてもいいか?」
「アイナから近況報告は受けているが、昨日から戦い方を教わっているようだな?」
「何故冒険者ではなく彼女に教えを請おうと思ったのだ?」
ここで私は気になっていたことをエノクに質問する。
アイナが私に視線を送ってきた。
まさか急に自分が話題になるとは思わなかったのだろう。
その目の動きから彼女の動揺がわずかに感じられる。
一方、エノクの方もそれは同じだったようだ。
彼は少し逡巡した後、理由を静かに述べてきた。
「はい・・・理由は2つあります」
「アイナさんが熟練の冒険者にも近い実力者であること・・・」
「そして、もう一つがアイナさんなら”戦場の狂気に飲み込まれない”方法を教えてくれると思ったからです・・・」
・・・興味深い話だな。
「・・・ほう。面白いな」
「少し詳しく聞かせてくれないか?」
私の言葉にエノクは頷くと、伏し目がちに言葉を続けてきた。
「・・・一昨日の夜、僕はならず者達に襲われました」
「ならず者たちは僕を襲うことに何の躊躇いも見せず、純粋な殺意を僕に向けてきました」
「殺しを何とも思っていない彼らに対し、僕は恐怖を覚えるとともに痛感したんです・・・」
「これが”戦場”なのだと・・・」
「無慈悲で無常でただ力のみだけが場を支配する弱肉強食の世界・・・」
「そこは生きるために相手の生命を矮小化し、ただ摘み取ること事だけに終始する狂気の世界でした・・・」
「・・・もちろん言葉では分かっていたつもりでしたが、自分が殺意を向けられる対象になってその怖さと異常さが初めて分かったんです・・・」
「うまく説明できないのですが、自分が自分でなくなるような恐怖が僕を襲いました・・・・」
「・・・・・」
エノクの述懐を私は黙って聞く。
側にいたアイナやキースも彼の言葉に静かに耳を傾けていた。
・・・彼の言いたいことは私も分かる。
戦場の狂気に触れると正気じゃいられなくなる。
自分がこれまで築いてきた生命に対する尊厳の価値観が根底から崩されるような感覚になるのだ。
「・・・あの時、アイナさんは襲いかかるならず者たちを斬り殺していきました・・・何の躊躇いもなく・・・」
「大変申し訳無いと思ったのですが、あの時はならず者たちよりもアイナさんの方が僕は怖かったんです・・・」
「普段接しているアイナさんと一緒なのか疑ってしまいました・・・」
「助けていただいたのにこんな事思ってしまうなんて、本当にすみません・・・・・」
「・・・いえ、気にしないでください」
エノクの謝罪の言葉にアイナは静かに首を振る。
アイナもエノクの言っていることは当然分かっている事だろう。
彼女は特に怒ることもなく、エノクの独白を聞いていた。
「・・・だけど、戦闘が終わった後のアイナさんはやはりいつものアイナさんだったんです」
「僕はアイナさんの強さに惹かれると同時に、その精神のタフさにも感銘を受けました」
「僕は戦いに関する心構えも戦闘における技量も何もかも不足していますが、アイナさんだったら僕に足りないものを全て教えてくれると思ったんです」
「それがアイナさんに師事した理由です」
彼の言葉に私は深く頷いた。
「・・・なるほど。確かにお前の言う通り、アイナはそういう意味で言えば適任だろう」
「アイナの戦いにおける”流儀”は私も大いに参考にしている部分があるからな・・・」
「だが、本当に師事するのは彼女で良いのか?」
「騎士団には他にも銃を扱えるものや体術の専門家もいる」
「その者達を紹介することも出来るが・・・」
そう言って私はエノクに他の団員を勧めようとしたのだが、彼は即座に首を振る。
「いえ、僕はアイナさんが良いんです!」
「僕の命を救ってくれて、そして戦い方の道を示してくれたアイナさんに教わるからこそ、僕はどんなつらい訓練にも耐えられると思うんです」
「他の団員の方に教わっても恐らくこうはいかないでしょう」
「だから、アイナさん以外に師事するつもりはありません」
アイナの目が大きく開いた。
彼女は驚きを表すとともに少し照れてもいるようだ。
わずかに彼女の頬が紅潮しているのが見て取れる。
エノク・・・君は本当に天然のたらしだな・・・
アイナも満更ではなさそうなのが余計にたちが悪い。
何となく彼女が”こんな格好”をしている理由が分かった気がするぞ・・・
まあ、いい。この場は一旦収めるとしよう・・・
「そうか・・・それなら何よりだ」
「訓練は大変だろうが私も応援している」
私はそう述べると、キースに行って良いとアイコンタクトを送る。
キースはそれに頷くと、エノクに話しかけた。
「・・・では、書記官の辞令を発行する」
「エノク君、私についてきたまえ」
「はい!ありがとうございます!!」
「それではクラウディア団長!失礼します!」
「ああ、頑張りなさい」
キースとエノクが執務室から外に出る。
アイナも敬礼をした後部屋を出ようとするが、私はそれを引き留めた。
「アイナ。お前は残ってくれ」
「少し話があるのだ」
アイナは私を一瞥した後、エノクに顔を向けた。
「エノクさん。それでは先に訓練場に向かっててください」
「隊長と話が終わった後合流します」
「はい。分かりました!」
ガチャ!
バタン!
エノクはアイナの言葉に頷くと、キースとともに部屋を出ていった。
アイナは私の方に向き直ると、直立不動の姿勢になる。
その姿は殆ど裸に近いというのに、軍服を着ているかのような彼女の振る舞いに違和感が出てしまう。
・・・まあ、今はそれは置いておくとしよう。
「隊長、お話というのはなんでしょうか?」
「護衛で外出している時を除き、私は定時連絡を欠かしていないかと思いますが」
アイナはどうやら私が残れと言った意味を少し履き違えているらしい。
軍規に違反しているかもしれないと思ったのだろう。
だが、彼女に限ってそれはないし、そもそもそんな事を話すために彼女を引き留めたのではない。
「ああ、任務の事で少し話したいことがあってな・・・」




