異世界エビルプリズン③
私がそう問いかけるとエノクは口に運ぶスプーンを止めて、私に視線を向けてきた。
「うん・・・?なんだい?」
私は開きっぱなしにしていた世界地図の本まで歩くと、本を指さしながらエノクに尋ねる。
「世界の事を調べていくうちに疑問がいくつか出てきたんだけどさ・・・」
「この世界地図を見ると、”未知の領域”って表記されている箇所があるじゃない?」
「これって何なの?まだ、誰も知られていない土地があるってこと?」
「ああ・・・それか」
エノクが私の疑問に納得がいったようだ。
彼は食事を一旦止めると、私と一緒に世界地図を覗き込んできた。
「レイナの言うとおりだよ」
「この未知の領域というのは、見知らぬ土地が広がっているのは分かっているんだけど、まだ調査が十分されていない領域のことを言っているんだよね」
「そこは生物が住むのでさえ非常に過酷な領域で、魔物もとんでもなく強いんだ」
「レベル100以上の大冒険者が挑むような領域だね」
「・・・なるほど。だから地図に載っていないのね・・・」
彼の言葉に頷きながら私はメモを取る。
地図上の南にスルトの地割れが大地を東から西に大きく割いているが、その南側は黒く塗りつぶされている。
その先にはまだ見知らぬ土地があるということだ。
「・・・でも、どうやってそこに行くの?」
「ここにはスルトの地割れがあるでしょ?」
「西側は炎の壁で覆われているし、東側は海の果てとなっている」
「普通に考えたら、行けないと思うんだけど・・・」
「・・・・・良い質問だね!」
私の質問にエノクはメガネの縁をクイッ!と上げた。
何故か彼は嬉しそうだった。
・・・あっ・・・これは説明モードに入ったな、と私は瞬間的に悟る。
彼の癖だ。
嬉しそうに、メガネをクイッ!と上げたらそれが合図だ。
エノクが嬉々としながら説明を始める。
「・・・今の質問に答える前に、まず”未知の領域”について話をしておくね」
「この地図上では未知の領域はスルトの南側にしか描かれていないけど、実は他にも未知の領域と言われる場所は大きく分けて”5つ”存在するんだよ」
「・・・へー、そうなの?」
5つもあるんだ・・・
「うん!まず1つ目が、レイナが質問してくれたスルトの地割れを超えた先の領域だね」
「そして、2つ目がスルトの地割れの底・・・つまり大地が割れた地底の領域」
「3つ目が東の”ネフィリムの山脈”を登り、蛇の壁を乗り越えた先の領域」
「4つ目が北の”大森林”を超えた先の領域」
「5つ目が北東の”スカディの海”を北上した先の領域」
「・・・これが今知られている未知の領域なんだ」
「世界中の冒険者ギルドがそこにある財宝や先史時代の遺物を発掘するために躍起になって挑んでいる場所なんだよ」
「・・・ふむふむ」
エノクの説明に耳を傾けながら、私は地図上の”未知の領域”を自分の目でも確かめていく。
「順々に説明していくね」
「まず、1番目のスルトの地割れを超えた先の領域だけど、南西に地割れがない海峡があるのは分かるかい?」
「・・・えーーっと、うん。・・・確かにあるわね・・・」
スルトの地割れは東西に深く割かれているが、南西の一部の海は割かれずに南に向かって続いているように見える。
「先程のレイナの質問への回答だけど、これが答えだよ」
「スルトの地割れはこの南西の海まで及んでいなくて、そこを通って南へ通行が可能なんだ」
「だけど、ここは”バクナワ海峡”と呼ばれ、世界で最も危険な海の1つでね」
「巨大なシーサーペントの住処で、南へ向かう何艘もの船が奴らに襲われて沈められているんだよ」
「さらにここの潮はスルトの地割れ方向に向かって流れていて、非常に速いんだ」
「船の操作を少しでも誤って流されでもしたら、地割れから吹き上がる炎で船ごと焼き尽くされてしまうだろうね」
「うへぇ・・・やばすぎるわね、それ・・・」
未知の領域に向かうためとはいえ、冒険者たちはよくそんな所通る気になるわ・・・
エノクは私の引きつった顔を見て苦笑いを返してくる。
「はははっ・・・まあ、それについては僕も同感だね」
「一応、南に向かうルートはもう一つ無いわけではないんだ」
「スルトの地割れの東側に”地割れの島”があるでしょ?」
「飛行魔法を使える者や有翼人などはそこを起点としてスルトの地割れを空から飛び越えるルートがある」
「・・・もっとも、このルートはバクナワ海峡を越えるよりさらに危険だけどね」
「スルトの地割れの上空は強風が常時吹いていて、一歩間違えれば地割れの底に真っ逆さまだ」
「加えて、地割れの幅もとんでもなく広いから、長大な航続距離を持つ飛行能力者じゃないと飛び越えることは出来ない」
「このルートから南に向かうことが成功したという人もほとんど聞かないよ」
「・・・まあ、事実上南に向かうルートはバクナワ海峡ルートだけだと思ったほうが良いね」
危険なルートか、超危険なルートかの2択か・・・
たかだか、南に行くだけで命がけね・・・
「次は2つ目のスルトの地割れの底についてだね」
「ここが未知の領域の中で一番危険な場所であると言われているんだ」
「伝説によると、海の果ての先には”レヴィアタン”と呼ばれる巨大な怪獣が落ち行く全ての物を飲み込むと言われている」
「そして、奈落の底には氷の世界ニブルヘイムがあるとも、冥界ヘルヘイムが広がっているとも言われているんだ」
「誰も落ちて戻ってきた者はいないから、この話が本当かどうかは分からないけどね・・・」
「大冒険者はおろか、英雄冒険者すら足を踏み入れないのがこのスルトの地割れなのさ」
「・・・まあ、地割れには近づかないのが無難だよ」
「同感ね・・・」
地割れの底に行くやつなんて命知らずなバカだけだろう・・・
私ならそんなところ絶対行かんわ・・・
「次は蛇の壁を越えた先の領域についてだね」
「世界の東端に位置する場所には巨人族の王国、”ヘルモン王国”というのがあるんだ」
「そこには、”ネフィリム山脈”という巨大な山脈が蛇の壁に沿うように連なって存在している」
「蛇の壁の高さは1万メートルを超えており通常越えることは出来ないんだけど、このネフィリム山脈が足場になって乗り越えることが出来るんだよ」
「・・・へぇ~!蛇の壁って普通に越えることが出来るんだ?」
意外な事実の発見に私は思わず声を上げる。
その反応が良かったのか、エノクがニコニコと笑顔を浮かべてきた。
「ははっ!!驚いたかい?」
「そう、越えることが出来るんだよ。是非行ってみたいよね!」
「しかも、5つある未知の領域の中では一番安全で、壁の上までだったら一般人でも行くことが出来るんだ」
「ただし、蛇の壁を越えたからといってその先に何か特別なものがあるわけじゃない」
「蛇の壁の先の世界もやっぱり海が広がっているとの事だよ」
「観光目的ならともかく、その先に進むなら準備は必須だね」
そうなんだ・・・
「・・・でも、どうやってその先に行くの?」
「まさか飛んでいくという訳じゃないでしょ?」
「そもそも壁の向こう側を降りることも出来なくない?」
頭に浮かんできた疑問を立て続けにエノクに質問する。
エノクは相槌を打ちながら、微妙な表情を返してきた。
「うーん、レイナの疑問は最もだね・・・」
「だけど”行き方”については僕もはっきりとした回答は出来ないんだ」
「なにせ冒険者ギルドが未知の領域に関する情報を秘匿してしまっているからね」
「彼らは当然その先に進む方法は知っているだろうけど、一般人には知らされていない」
「レイナが言うように飛んでいくことも難しいだろうね・・・」
「なにせ蛇の壁の上空から地上に向かってもの凄い強力な風が吹いているようなんだ」
「そんな所で飛行を試みることは自殺行為に等しい」
「・・・現状では、行き方は分からないというのが正しいだろうね」
「・・・ふむふむ」
カキカキカキ・・・
エノクの言葉をメモに加える。
なるほどねぇ・・・流石に全部を知れるほど甘くはないか・・・
未知の領域は冒険者ギルドの利益にも直結しているから、信用できる者にしか情報を公開していないのかもしれない。
それこそ、この間の”悪魔の奴隷”の話じゃないけど、情報を公開するにあたりギルドと変な誓約を結ばされてもおかしくなさそうだ。
まあ、未知の領域の旅なんて今の私達には無縁の話だ。無理して今知る必要もないだろう。
それよりも私が気になったのは”ネフィリム”という単語の方だった。
このワードには聞き覚えがある。
・・・たしか、神話の化け物だっけ?
「ねえ・・・ネフィリムって確か神話に出てくる巨人達だったわよね?」
「なんでそいつらの名前が山脈の名前に付いているの?」
地図を眺めながら浮かんできた疑問をエノクに質問する。
地図上に表示されているネフィリムの山脈はなんというか・・・かなり”歪な形”をしている。
とても自然に出来たとは思えない造形の山だった。
「・・・それもやっぱり神話が元ネタだね」
「僕も最近この話を知ったんだけど、最終戦争の最後にネフィリム達と対峙する古の勇者たちの話があるんだよ」
「ネフィリムは無敵に近い存在で、山を越えるような巨体と圧倒的なパワーで文明を滅ぼしていったという」
「先史文明の優れた兵器ですらほとんど傷が付けられなかったけど、唯一”INT”のステータスが低いことが奴らの弱点だったんだ」
「以前レイナに言ったことがあるかもしれないけど、INTは魔法効果を表すと同時に魔法に対する抵抗性も示している」
「先史文明の人々がその叡智を結集して作った兵器”メドゥーサの首飾り”で、ネフィリムたちを封印したという話だよ」
「ネフィリムの山脈はその石化した彼らの名残と言われているわけだね」
・・・なるほど、これもえらい壮大な話だ。
ミドガルズオルムといい、スルトの地割れといい、神話の話は一々ぶっ飛んでいるわよね・・・




