ガング・マイスター工房
赤レンガで作られた巨大な商店だった。
ハンマーの看板の中には「ガング・マイスター工房製作請負所」という文字が打たれている。
ガラス張りの壁から中を伺うと数々の武具や魔法アイテムが展示されており、
「魔導具製作のご依頼はカウンターまで!」とポスターが貼られていた。
多くの来訪客が来店しているところを見てもその人気ぶりが伺える。
店内に展示されている魔導具の鑑賞をしている人がいる一方、窓口のカウンターに向かって数十人単位の行列が出来ていた。
あれらは皆この工房への依頼客ということだろうか?
さすが、国内でも有数の魔法技師の工房なだけあるわね・・・
「アイナさん。こちらの店内で待っていただいてもよろしいですか?」
「僕はこれからちょっと親方に会いに行きます」
「出来ればその・・・あまり人目に付きたくないんです・・・」
「工房の人間には僕が来たことを知られたくないので・・・」
エノクが言いにくそうにアイナさんに断りを入れる。
これは以前私がエノクに釘を差したことも関係しているだろう。
エレノア王女の告示が出されたあの日。エノクは人目を忍んで親方に会いに行った経緯がある。
そして、親方から取りなしの手紙を貰った私達は、すぐに荷物をまとめてその日のうちに王都に旅立ったのだ。
職場の同僚からすれば、エノクは忽然と姿を消したような印象をもったことだろう。
あれから少しは時間が経ったし、例え同僚に見つかったとしても騒がれることはないだろう・・・と思いたいところだが、用心するに越したことはない。
ただし、アイナさんが同行すると流石に人目を忍んで親方に会いに行くのは無理だ。
良くも悪くも彼女は目立ちすぎる。
美人はこういう時つらいわよね・・・おほほ。
「分かりました。私はここで待ちます」
「この中だったら安全でしょうが、念のため警戒は怠らないようにしてください」
アイナさんは、エノクの言葉に特に気を悪くすることもなく相槌を返してきた。
任務遂行する事を優先するなら強引に付いてきてもおかしくないのだが、エノクの立場も彼女は分かってくれている。
本当、よく出来た人よねぇ・・・
アイナさんが冒険について来てくれたらどんなに良いだろうと思ってしまうのだけど、流石にそれは無理な相談よね。
惜しいなぁ・・・
「ありがとうございます」
「そんなに長くはならないと思いますので・・・」
エノクが頭を下げて、アイナさんと入口で別れた。
工房の敷地内は高い石の塀で囲まれているのだが、建物のすぐ右手に従業員の通用口が見えている。
ただし、通用口には取っ手が付いておらず、開き戸なのか引き戸なのか判別が付かなかった。
通用口のすぐ横には黒曜石のような手の平くらいの大きさの黒い石板が設置されているだけで、扉には鍵穴すらも見当たらない。
どうやって、開けるのこれ・・・?
私がそう戸惑っていると、エノクはその黒い石板に自身の手の平を重ねた。
そして、おもむろに彼は魔力を注入した。
ブン!
黒い石板はエノクの魔力に反応するかのように、一瞬白く輝く。
次の瞬間、目の前の戸は「ずずず・・・」と重々しい音を響かせながら横に開いていった。
え・・・なにそれ、すごーい!!
私は思わず面食らってしまう。
どうやら先程の黒い石板は魔力のセンサーか何かだったようだ。
対象者の魔力に応じてドアが開閉するような仕組みになっているのだろう。
たまに驚きの技術が存在するからこの世界は侮れない・・・
生体認証でドアが開閉する技術があるとすれば地球の科学技術にも勝るとも劣らない。
・・・いや、転送陣なんてものがある時点で、部分的には地球の科学技術より勝っている部分があるのだ。
魔法科学・・・改めて見ると凄いわね・・・
私が防護カバンの中で密かに異世界技術に感銘を受けている一方、エノクは扉の開閉を当たり前のように見送った。
そのまま私達は通用口から中に入ると、工房の中庭らしき所に出る。
敷地がどこまでも続き、迷いそうな程工房の中は広大だった。
周囲を見回すと、正面建物から屋根付きの従業員用の通路が延々と伸びており、その先には何棟ものレンガの建物が存在している。
作業が行われているだろう棟からは金槌の音が鳴り響き、各棟の連結通路には貨車を牽引している人の往来が絶え間なく続いていた。
この広さの工房なら作業員も優に数百人単位でいることだろう。
エノクが足早に通路を横切りながら、中央にある一番大きい建物へ向けて進んでいく。
おそらくあそこにエノクの親方がいるのだろう。
工房にいる人はエノクの姿を一瞥するものの特段気にする様子は見せなかった。
今のエノクの姿はパッと見では本人と分からないはずだ。
着ている衣服も”立派な冒険者”だし、店に来訪している冒険者も多い。
エノクの親方はこのカーラ王国では高名な魔法技師だし、彼にオーダーメイドを作ってもらっているお得意様の冒険者も多いのだろう。
中央棟へ後少しで到着するというところで、エノクがその足を止めた。
「・・・レイナ、ごめん」
「今少し話せるかい・・・?」
彼は拳をギュッと握ると、防護カバンの中にいる私に向けて話かけてきた。
その声は先程までと違いどこか緊張の色が感じられる。
私はカバンの蓋を開けてエノクに返事をした。
「・・・いきなり、どうしたのよ?」
エノクの顔を伺うと、その表情は強張っていた。
久方ぶりに親方に再会出来るというのに、彼はあまり嬉しそうではない。
「・・・うん。ちょっとね。レイナに話したいことがあってさ・・・」
「相談したいって訳じゃなくて、ただ、僕の愚痴を聞いてもらいたいだけなんだけどね・・・」
「親方にこれから話す前にちょっと不安になっちゃってね・・・・」
「・・・・・」
なるほど・・・そういうことか。
エノクの今の言葉で私も察する。
「・・・そんなんで良いのならいくらでも聞くわよ」
「構わないから話して」
「・・・ありがとう」
エノクが強張った表情を少し和らげて、私に礼を言ってきた。
そして、そのまま話を続けてくる。
「・・・僕は正直言って親方に告げるのが少し怖い」
「僕が冒険者になるなんて言ったら親方がどんな顔をするかも想像がつかない・・・・・」
「親方の工房は辞めることになるだろうし、工房ギルドメンバーとしての仕事も辞めることになるだろう」
「親方にあれだけ目をかけてもらったのに、恩を仇で返すような事をこれから僕は言うんだよ・・・」
「僕はこっ酷く怒られるかも知れない・・・いや、それどころかもしかしたら絶交されるかも知れない・・・」
「だけど、僕はもう何があろうと旅立つことは決めたんだ」
「たとえ引き留められようとも、喧嘩することになったとしても僕は出るつもりだよ」
「だからそこで僕のことを見ていて欲しいんだ・・・」
「僕が旅立つ勇気を持ち続けられるように・・・」
「・・・ごめん、これが僕の愚痴・・・」
「・・・・・」
それは私に向かって懺悔をするかのようだった。
自分の親にも等しい人に別れの言葉を告げようとしているのだ。
一度冒険者になったらクレスの町に戻ることも稀になる。
冒険者の依頼は未開の地の探索や薬草の採取や鉱石の採掘、魔物退治などが挙げられる。
いずれもクレスの町近郊でちょっと行って、その日のうちに採取や採掘なんてことは出来ない。
例えば薬草の採取とかならクレスの町の近くにもポーションの元となる薬草の群生地があるらしいが、それを採取することは出来ない。
当たり前だが土地には所有権があり、この近郊はクレスの町の領主。つまりエルグランデ伯爵が所有している。
そしてエルグランデ伯が所有している土地の薬草の採取権はクレスの町の商人ギルドへ委任されており、他者は勝手に採取することは出来ないのだ。
これは薬草に限らず、その土地から産出する作物、鉱物、動植物全てに適用される。
すなわち、冒険者に依頼される薬草の採取は文明の治安が及ばない危険地帯での任務になるのだ。
その為、ただの薬草採取も危険がつきものであり、命の保証がないのだ。
これが今生の別れになる可能性も十分ある。
目をかけてくれた師に対する恩を裏切る行為を糾弾されるかも知れないし、
自分の親にも等しい人に悲しい思いをさせることにもなりかねない。
それを思えばこれから会いに行くエノクの心情は察するに余りある。
私はトン!と彼の腰を叩き、その目を見つめコクンと相槌を返した。
そこで見ていて欲しいという彼の願いに対する私の返事だった。
今の私にはこんな事でしか彼を後押しすることは出来ない・・・
「・・・ありがとう」
「じゃあ、入るね」
彼は覚悟を決めるように再び表情を引き締め棟の中に入っていく。
棟の中は工場のような広大な吹き抜けの空間になっていて、巨大な高炉が中央に設置されている。
高炉の周辺では多くの職人たちが作業を行っており、溶解したマグマのような鉱石を型に流し込んでいる最中だった。
冷却設備があるのか館内は意外にも涼しかったのだが、高炉から時折流れてくる熱風が私達に否が応でも発汗を促してくる。
「レイナ、階段上るね」
「ちょっと揺れるよ」
エノクの言葉に私はトン!とカバンを叩いて返事をする。
彼は、合図を確認すると、入口横に設置された階段を使って2階まで上がった。
エノクが、カツカツと耳慣れない靴音を響かせながらその中を進んでいく。
2階には休憩所や、更衣室、作業場といった部屋が設置されているようだ。
・・・・途中、作業着を着た工房の職人達と何人かすれ違った。
彼らは冒険者の服装をしたエノクをちらりと一瞥はするものの、無反応だったり、会釈を返して通り過ぎるのみだった。
どうやら誰もエノクのことをエノクだと認識していないようだ。
まあ、まさか誰もエノクが冒険者の格好をしているとは思わないわよね・・・
今のエノクはメガネをしていないし、ミスリルの帽子が頭部を覆っている。
よほど普段彼と親しく付き合っている人間じゃないと、初見で彼だと気づくのは難しいだろう。
特段不審がられることもなく、私達は通路を進んでいく。
しばらく行くと正面にハンマーのエンブレムが付けられた扉が見えてきた。
そのハンマーはエノクの作業着のワッペンにも付いているガング・マイスター工房の意匠だ。
ひと目であの部屋がなにか特別な部屋だと私も理解した。
「あそこが親方の執務室なんだ・・・」
緊張のこもった声でエノクがそう語りかけてくる。
いよいよね・・・
彼の緊張が私にも伝染する。
私は親方に会ったことがないけど、エノクが言うにはかなり大柄で豪快な人らしい。
エノクがゆっくりと扉の前まで来て、ノックをしようと手をかざした時だった・・・
部屋の中から何かを言い争うのような言葉が漏れてきた!
「――――奴はどこにいるんだ!?」