王国の光と闇
「・・・では、リーファ殿そういうことでお頼みいたします」
私はリーファ殿に軽く頭を下げた。
例の商人ギルド連盟の職員についての調査を進めるに当たり、
リーファ殿に根回しをしてもらう為だ。
カーラ王国の兵士に尋問するとは訳が違う。
商人ギルド連盟の全職員並びに加入している商人達は、その活動において高度な自治権を有している。
おいそれとそこらにいる職員や商人を連行して尋問なんて掛ければそれだけで問題に発展してしまう恐れがある。
「ええ、分かりました」
「今度マイアー殿が王妹殿下を尋ねられた際に依頼しておきましょう」
「恐らく数日のうちには返事が来るでしょうから、それまではお待ち下さい」
リーファ殿が柔らかい笑みをたたえながら私に返答をしてきた。
・・・流石リーファ殿だ・・・私も見習わなくてはな。
エレオノーラ様と同様リーファ殿も周囲から得も言われぬ冷たい視線や詰問に晒されているはずだ。
だが、お二人は何事もなかったかのように振る舞っておられている。
その胆力と忍耐力、そして冷静さは我が騎士団の団員たちにとって見本ともいうべきものだ。
私も公の場ではその様に振る舞っているが、緊張の連続と捜査の停滞さが私の行動に余裕を無くしていた。
・・・差し迫った時ほど、人は内面の人間力が問われるという。
私はそういう意味ではまだまだだ・・・
自分では上手くやっているつもりだったが、こうも簡単に化けの皮が剥がれてしまった。
いかなる時にも優雅に上品にが我が騎士団のモットーだというのに、これで団長とは聞いて呆れる。
ふっ・・・もっとも私の本性を考えたら、
騎士団の団長など端っから向いていないことは分かっていたのだがな・・・
自分の行動を振り返りながら自嘲気味に笑ってしまう。
・・・私は他者に対する哀れみや情と言った感情が人より欠落しているのかもしれない。
時に人の心が無くなってしまったのではないかと思うほど、何も思わないことがある。
痛覚が麻痺していると言ってもいい。
・・・なんせ“人を斬り殺しても“何とも思わないのだからな。
戦闘の時限定の状態ではあるのだが、あの状態の時の私は自分でも薄ら寒くなるほど何の感傷も湧かなくなる。
兵器として作り出された魔導人形のようにただひたすらに剣を振るって対象を切り捨てる。
人を光と闇の2属性に分類したら、私は間違いなく闇に属するだろう。
いつから私はこんな状態になったのか今では思い返すことも出来ない。
「リーファ殿ありがとうございます」
「それと最後にもう一つ・・・王妹殿下にご伝言をお願いしたいのです」
「“決してご無理はなさらぬように。御身の身体は御身だけのものではない事をご自覚ください“」
「“御身はカーラ全ての民達の拠り所であり、国としての体を成すために必要不可欠なのです“」
「“御身が倒れてしまったらカーラが倒れるも同然。それを肝に銘じご自愛下さいませ“」
「・・・そうクラウディアが言っていたとお伝え下さい」
「・・・分かりました。伝えておきましょう」
私の言葉に神妙な顔つきでリーファ殿が頷いた。
現在、殿下の護衛はエミリアが専任で務めている。
その為、私は殿下とお会いする機会が無くなっていた。
ここ最近の殿下は毎日顧問大臣や、商人ギルド連盟、そして各ギルドの長たちとの会議に忙殺されているようだ。
それこそ寝る間も惜しんで公務に打ち込んでおられると聞く。
体調を崩されないといいが・・・
「・・・お願い致します」
私は彼女に軽く一礼をすると、そのまま席を立った。
ガタッ
「では、リーファ殿。私はこれにて失礼いたします」
「お役目ご苦労様でした。クラウディア団長」
「・・・一刻も早く神遺物の手がかりが得られるよう、私も手を尽くしましょう」
「ありがとうございます」
私はリーファ殿にお礼を述べると、彼女の上品な笑みに見送られながら部屋を出た。
ガチャン
・・・さて。思いのほか長くなってしまったな・・・
もう、戻らねばならないな・・・
私が懐中時計を確認すると既に午後2時を回っていた。
騎士団詰所に戻るべく、ヘルヴォルの廊下を私は歩いていく。
廊下に数多の芸術品が並べられているにも関わらず今の私の視界には入ってこない。
頭の中はエレオノーラ様の事で一杯だった。
・・・殿下はカーラの為になるなら自分の身を犠牲にすることを厭わないお人だ。
ノブレス・オブリージュの概念で見たら、殿下はまさに理想の王族。
その気高い意志と行動力に多くの者から信奉を集めている。
私ももちろんその中の1人だ。
「殿下は自分の影響力の大きさをもう少し自覚すべきだ・・・」
ポツリとそんな愚痴を漏らしてしまう。
私にとってエレオノーラ様は自分の行末を指し示してくれる“標“のような方だ。
今殿下の身に何かあったら、それこそカーラは大混乱に陥るだろう。
殿下は自身を何人もいる国王の兄妹の内の1人としか見ていないのだが、民はそう思っていない。
民というのは王家の噂に想像以上に敏感なのだ。
だれが本当に英邁な君主であるのかは機敏に察することが出来る。
現在、カーラが国としての体裁を保っているのは間違いなくエレオノーラ様のおかげだ。
15年前のクレンヴィル家が起こした大反乱の後にカーラ国内は荒廃を極めた。
地方の貴族たちがその後続々と反乱を企てようとしたが、それを食い止めたのが文字通りエレオノーラ様だったのだ。
殿下がいなければ、今頃カーラは完全に分断されていただろう。
「なんとか殿下をお助けせねばなるまい・・・」
「その為には・・・多少の無理強いはやむを得ないか・・・」
誰もいない廊下をぶつぶつと呟きながら私は歩いていた。
もし、グレースやアイナがいたらきっと私をギョッとした顔で見つめたことだろう。
やはり最近の私は余裕がなくなっている。
胸の中に疼く焦燥感がいつまでも消えないでいる。
・・・こんな事は初めてと言っていい。
今の殿下の立場の危うさが、そのまま私の焦りを誘引していると言っていい。
早く結果を出さなければなるまい・・・!
王宮に巣食う悪しき者が、殿下に毒牙をかけようとする前にな・・・!!
自然と歩を進める足にも力が入る。
・・・私が歩くスピードをさらに速めようとした時だった。
「・・・おや?フィリアではないか」
「何をそんなに急いでいるのだ?」
私を“フィリア“と呼びかける声が後方から聞こえてきた。
私を接辞名で呼ぶのは、私と親しい人間か私より爵位が上の王族からしか呼ばれないはずである。
声のした方に振り返ると、そこには黒髪の貴公子が立っていた・・・
「・・・お前がヘルヴォルの館に来るとは珍しいな」
「ふふっ・・・ついに俺に抱かれにでも来たのかな?」
「・・・・・で、殿下!」
声の主は私がよく知る人物だった・・・
背は180cmと私より10cmほど高く、その眼光はギロリと獲物を狙うかのように私を捉えていた。
その衣服を見たらこの国で最も高貴な人物であることが一目で分かる。
白いコートにウェストコート、そしてブリーチズには金糸ブレードが惜しげもなく装飾され、
腰には宝石が万遍なく散りばめられた宝剣を帯びていた。
そして後ろに身につけている特別な赤い外套。国章であるヘルヴォルの楯が刺繍されている。
それはこの国を背負う証だった。
・・・彼は“アーダルベルト・デュナミス・フヴェズルング・カーラ“。
国王陛下の嫡男にして、次期王位の正統後継者である。
「・・・何をそんなに驚いている。相変わらずつれない奴だ」
「俺は悲しいぞフィリア」
「久方ぶりにお前に会えて俺はこんなに嬉しいというのに!」
アーダルベルト殿下が、首を振りながら大げさに落胆の色を示す。
それを見てオーバーリアクションだなと思いながらも、私は挨拶を返した。
「・・・王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」
「いえ、突然お声掛け頂いたので驚いてしまっただけでございます」
「私も殿下に久方ぶりにお会いできて嬉しいですわ」
「それに以前より益々凛々しく、そして活力がみなぎられているご様子」
「“配下の一人“の身と致しましては、これに勝る喜びはございません」
「国王陛下も今の殿下のご様子をご覧になられて安心されていることでしょう」
敬礼をしながら、述べたくもない社交辞令を並べ立てる。
一番会いたくない奴に会ってしまった・・・・・くそっ!
「ふふふっ・・・分かるかフィリア?」
「ああ、俺は元気だとも!」
「長らく患っていた胸のつかえが取れたのかのように清々しい気分になったのだよ」
「・・・何故だか分かるか?」
「・・・いえ、恐れながら」
私は畏まりながら、首をゆっくりと振った。
殿下は私の反応を見てニヤリと口角を上げる。
「叔母上の化けの皮がついに剥がれたからさ!!」
「俺はいつも苦々しく思っていた!」
「先王の末子の分際で身の程を弁えず、奴が国政に干渉しすぎていることをな!」
「あれでは正当性の序列が乱れるというのに、父上や周りの人間は誰も諭そうとしない!」
「・・・だが、今回のことで父上や大臣達もようやく目が覚めただろうさ!!」
「誰が本当に政を主導すべきなのかをな!!!」
「・・・・・」
殿下のヒステリックな声が私の耳に障る。
彼は勝ち誇った笑みを浮かべて優越感に浸っていた。
その器の小ささに私は呆れて何も言葉が出なかった。
国家の大事だというのに、同族の不幸を見て喜ぶとは・・・
これでは亡国の徒も良いところだ。
これがこの次の国王とはな・・・・・
呆然としていた私に殿下はさらに言葉を続ける。
「ふふっ!奴はもうおしまいさ」
「そのうち王族の席からも抹消されるだろう」
「お前も身の振り方をよく考えたほうがいいぞ?フィリア」
「・・・だが、安心しろ。叔母上と違い、お前の事は俺は気に入っている」
「改めて我が婚約者として。お前のことを迎え入れてやろう!」
そう言って彼は私に手を差し伸べてきた。
だが、私はその手を取らず首を横に振る。
「・・・それは以前、騎士団の勤めがあるからお断りしたはずです。殿下」
「それに今の私には果たすべき任務があります」
「・・・・・まだ、そんなおままごとをやっているのか!」
そう言って不快感を顕にすると、殿下は私の方にゆっくりと近づいてきた。
その歩みこそ遅いが、彼は途中で止まろうとしない。
そのまま私のパーソナルスペースに躊躇なく踏み込んできた!
「・・・・っ!」
ズサッ・・・
私は後ずさりながら、壁に追い詰められる。
突然の殿下の行動に驚き、私は満足に対応が出来なかった。
クイッ
殿下に見下ろされながら、私の顎が持ち上げられた。
お互い少し顔を近づけたらキスが出来る距離まで近づかれる。
殿下の狂気に満ちた瞳が私の顔を捉えた・・・・
「騎士団などもう辞めろ!お前の身体に傷が付いても困る」
「父上の退位の日も近い。俺の戴冠と同時にお前には我が后となってもらう」
「マリュス公には既に了解を貰っている。お前も覚悟を決めるのだな!」
「・・・えっ!!?」
そんな馬鹿な・・・!!
私に何の相談もなく父上がそんな事をお決めになるとは!
「ふふっ・・・お前と交わる日が楽しみだ・・・」
「その美しい顔がどのように喘ぐ姿を見せるのか、今から想像するだけで堪らなくなる」
「・・・・っ」
チュ
囁くようにそう言うと、殿下が私の首筋にキスをした。
その瞬間私の全身に悪寒が走る。
「ではな!フィリアよ!その日まで息災でいろよ!」
「お前はもう俺のものだ!」
「・・・あはははは!!」
「・・・・・」
高笑いとともに殿下は遠ざかっていった。