鋭き刃2
あれから数日が過ぎた。
何故紳士が剣術について知っていたか、少女は訊ねて見た。
結果は首を傾げるのみ。
本人も不明だがなぜか知ってたらしい。
少年は今日もまた扉の向こうで刀を振るい、そして怪我をしては紳士に助けられて稽古の繰り返しだ。
剣術もそうだが紳士が強かったことにも少女は驚いた。
さきの質問同様の答えが返ってくるのでそういうものと早々にあきらめたのは賢明な判断だろう。
さらに数か月が過ぎた。
現在少年はジャングルに何故か生息していた熊と対峙している。
初めは狼、次に猪、そして熊……そのうちドラゴンでも出てくるのだろうか? などど妄想にふける事が出来るくらい少女は状況に慣れつつあった。
ふ! という気合と共に振り下ろされた刀、数秒遅れてズルリと熊の首が落ちる。
紳士は満足げに頷いた。
もうすぐジャングルの中心にたどり着く。
そこには一体何があるのだろうか。
いい時間だったのでその日は終わりにして世界樹の箱庭に帰る。
あの密林の箱庭は不思議だった。
狼を倒した後、狼に襲われなくなったのだ。
猪も同じ。
今回倒した熊もまた、次回にはきっと襲って来なくなるのだろう。
少年の進化は目覚ましかった。
狼に翻弄されていたのが、いつしか上回る速度を身に着け。
猪の体力の多さと分厚い脂肪に苦戦していたものが、いつの間にか一撃で両断できる力になり。
熊の一撃に吹き飛ばされていたモノが、気が付けば受け流せるようになっていた。
これはまるで本当に修行をしているようだ。
いや、実際に紳士が教え、修行しているのだからそれは間違いないのだが。
出てくる獣がタイムリーすぎる。
少女はこの奇妙な点をウンウンと考えていたが何故そうなのかはさっぱりわからない。
結局まあいいかと考えるのを止めてしまう辺りは大分染まってきていると思われる。
次の日、再び密林の箱庭に入った三人はついに中心部にある台座を見つける。
台座の中央には何かを差し込む穴が開いていた。
紳士は少年が持つ刀を指さし、その指を台座にスライドする。
そこに差し込めという合図だろう。
察するにそれは最初に刺さっていたモノを紳士が持ってきたのだと少女は推察した。
よくよく眺めると古ぼけていたはずの刀は今や名刀と言っても差し支えないほどの輝きを放っている。
コクリと頷いた少年はゆっくりと台座に近寄る。
その時、ソレは現れた。
まるで台座を守るように影が集まり、人の形を創りあげて行く。
出来上がったモノは筋骨隆々で青い肌をし、額に一本の角が生えている。
体格こそ違うが、少年にそっくりであった。
少年は即座に戦闘態勢をとる。
紳士もこの展開は予想外であったようで、少々慌てた様子で少女を守るように前に出た。
台座の前に現れた化け物は大地を揺るがすような咆哮をあげると少年に向かって攻撃を仕掛けてきた。
あくまで狙いは少年のようだ。
結果は惨敗。
しかし、獣と違ったのは少年が気絶すると止めを刺さずに消えてしまったこと。
わかったのはアレをどうにかしないといけない事だった。
少年が世界樹の箱庭に来てから一年近くが経過した。
幾度となく挑み、破れ、分析して紳士が考え、それを少女が伝える。
そしてついに訪れた決着の時。
相手の攻撃を巧みにかわし、即座に攻撃するのではなく牽制し、隙をつくのではなく隙を作る。
少年が覚えたのは知性ある相手に対しての駆け引き。
心臓を一突きにしたとき、化け物がニヤリと笑ったように見えた。
次の瞬間化け物は影に戻り、刀へと吸い込まれて消える。
もう何も起こらない事を確信し、少年は台座の前に移動する。
そして紳士と少女の方を振り返り、丁寧にお辞儀をした。
少年はこれでお別れだという事を感じ取っていた。
故に、恩ある二人に対しての礼をしたのだ。
紳士は頷き、少女と共に扉へと歩いて行く。
姿が見えなくなり、ほんの少しすると光の粒子が木々の隙間から登るのが確認できた。
二人がここから出て行ったのだろう。
少年は一度だけ深呼吸すると、慎重に刀を台座に差し込んだ。
目を開けるとそこは見慣れぬ家だった、いや、既に廃墟と言って差し支えないほどの家屋。
身体を起こそうとするとズキリと胸が痛む。
布が巻かれていたが、少しめくって見れば大きな刀傷がついていた。
既に癒え始めている為、動くことに支障はなさそうだと現在の状況を確認するために布団を出ようとすると、サフサフと何者かが近づいてくる足音がする。
人影が入り口から差し込む光を遮る。
逆光故に顔は確認できなかったがどうやら体格から男性のようだ。
身体を起こしている少年に気が付くとしきりに心配してくれていた。
少年は思い出す、平和だった村に戦火が広がり、兵隊が物資を略奪するために襲ってきたこと。
偶々外に出ていた為に自らは助かったが、村民は全滅していたこと。
私怨にかられ、兵士を追って行ったこと。
なまくらを手に入れ、不意打ちとはいえ何人かを殺害したこと。
そして……最終的には見つかって斬られたこと。
少年が斬られたあと、その兵士は目の前にいる男の部隊によって殲滅されたらしい。
一部始終を見て救出には遅れたものの、少年が生きている事に気づき、看病していたという。
きけば5日ほど目を覚まさなかったらしい。
男の側近がこれ以上起きないようなら諦める他ないと進言していたらしいので、危うく見捨てられるところだったようだ。
それよりも5日と聞いて少年は首を傾げる。
もっと長い月日をどこかで過ごしていたような気がすると。
そしてふと気づく、確かに恨み辛みはあるけれども斬られる前に比べたら落ち着いている。
あの身を焦がすような激情は完全に消えたわけではないが、斬られる前のように暴走するほどでもない。
むしろ支配下に置きつつより鮮烈に研ぎ澄まされているように感じる。
なぜそうなったのかはわからない、けれど今はその思いを動力に力を付けてやろうと少年は考える。
少年は20を超えた。
助けてくれた男は少年が憎んでいた国の敵対国の主だった。
主が前線に居てよいのかというと、彼はかなりの暴れん坊らしい。
少年の憎しみと、荒削りな剣を見て是非育てて見たいと思ったのだとか。
登用されてからはひたすらに鍛錬をつづけた。
剣など握った事が無い筈なのに驚くほどしっくりきた。
素振りを繰り返すうちに身体の動かし方がなんとなく理解できた。
上司たちの剣技は少年には合わなかったので、手合わせ以外は自己鍛錬のみ。
それでも少年は構わなかった、何故なら自分の剣の到達点がなぜか見えていたから。
そして、少年が青年となったとき、ついに戦場に出る。
彼は遺憾なくその力を発揮した。
戦場では修羅としておそれられた。
馬ごと断ち切れるほど巨大な刀「野太刀」を肩に担ぎ、裂ぱくの気合と共に奇声を上げて一刀両断する鬼。
それは素早い獣を逃さない速度と、どんなものでも切り裂く膂力が生み出す必殺の剣。
それは野生に於いて、瀕死に追い詰めたものほど反撃が恐ろしく、故に初太刀にて確実に息の根を止めるために生まれた剣技。
少年だった彼が創り上げた彼だけの剣技。
中でも恐れられたのが初太刀を回避された後の剣。
袈裟懸けに斬り下ろした太刀を返し、左から切り上げる際、彼はわざと切っ先を地面に突き立てる。
噛み締める大地の拘束から解かれた剣速は初太刀の比ではなく、ひとたび放たれれば躱す事は不可能。
技名を決める事はしなかった彼だが、周囲からは大地の残る三日月の刀傷を見てこう呼んだ。
残月と
それから5年。
戦乱は大局を迎える。
青年は立派な侍となっていた。
このまま事が運べば平定が叶う。
思えば皆が油断していたのだろう。
彼の軍勢は相手方の奸計にかかり、壊滅の危機を迎えてしまう。
彼は主である大将に退くことを進言し、自らを殿とする旨を伝える。
当然主はそれを拒否するも、ここで討たれれば悲願は泡沫の夢と消えると言われれば是とするほかない。
青年は言った。
「我が仇国を討てるは主のみ、ここで捨て奸は漢の誉れよ」と。
それを受けた主は必ず平定してみせると彼に伝えた。
どんどんと小さくなる主を見つめ、一息ついてから振り返る。
そこには土煙を上げながら追撃してくる大群があった。
生きて帰るのは無理そうだとつぶやくと背後に気配が増える。
自らの配下たちだった。
二度と故郷の土を踏めなくなるかもしれないんだぞ! と怒鳴りつけた彼に配下は反論する。
「貴方の元こそ我らが故郷、共に赤い花を飾りつけましょう」と。
一瞬驚いた表情をしたあと僅かに泣きそうな顔をして、即座に彼はニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
この大馬鹿どもがと呟き、彼はかつて胸の奥底へと封じた鬼を解き放った。
戦乱の世が終わり、平和が訪れる。
敵の奸計を掻い潜った彼の主はその後、約束通り戦を終わらせた。
しかし、そこに青年の姿は無かった。