鋭き刃
ココはとある場所にある箱庭。
今はもう誰も訪れる事のない筈だったこの場所に生える一本の巨大な樹木「世界樹」。
その根本にある切り株に腰かけで本を読み続ける一人の紳士がいた。
その顔は朧気で、目の位置だけ穴を開けたようなシンプルなもの。
燕尾服に身を包み、一つ一つの文字をかみしめるようにページをめくる姿は優雅の一言。
誰にも邪魔されることのないその場所で、彼は今日も本を読み続ける。
あくる日、いつものように軽く帽子を持ち上げて両目を「へ」の字にしニコニコと世界樹に挨拶をしてから切り株に腰かけ、本を開く。
傍らには慈愛に満ちた笑顔を携える少女。
少女もまた、ぺこりと世界樹に挨拶すると手際よく切り株のテーブルにお菓子と紅茶を用意する。
椅子に腰かけた少女は美味しいお菓子を食べ、紅茶を啜りながら紳士が用意した絵本を眺めている。
別段、絵本でなくともよいのだが彼女は嘗て読んだこの「ある勇者が悪い竜を退治する」その絵本が大好き。
優しい時間が穏やかに流れていたその時、パリンとガラスを割ったような音がどこかで聞こえた。
紳士と少女は本から目を離して音の出所を探すと空に亀裂が入っていた。
丁度その真下には下半身だけ地上に出して地面に埋まる人物が居る。
ヒクヒクと足が動いているからまあ大丈夫だろうとは思うが、このままでは流石に拙いかと二人は引っ張り出すことにした。
スポンと地面から抜けた人物は見ると12歳くらいの少年だった。
出で立ちは少女が記憶する江戸時代ほどの子供が着ているような服。
ただしその肌は蒼く、額には小さな角が一本生えている。
プルプルと頭を振った少年は二人の姿を見咎めると即座に距離をとり、警戒を露わにする。
このままでは何も聞くことが出来ないのでどうしようかと首を傾げ、真上を見上げる。
そこには少年が飛び込んできた亀裂がある。
少女は自分の時と同じように覗いてみようと提案するが如何せん高さがある。
どうしたものかと思ったが、紳士はポンと左手を受け皿にして右こぶしを軽く打ち付けると世界樹の元へと優雅に歩いて行く。
コンコンと二回、世界樹をノックするとスルスルと枝が伸びて立派な橋が創りあげられた。
その光景を目を丸くして驚く少女と少年。
階段状に降りて来た別の枝を使って橋に向かう紳士を慌てて少女が追いかける。
少年は信じられないモノを見たとポカンとしていた。
二人がそっと亀裂の向こうを覗くとそこは鬱蒼としたジャングルのような場所。
そこかしこで獣の唸り声が耳に届き、少女は思わず身震いする。
とりあえず紳士はいつかのように本を片手にムニャムニャ念じ、扉を出現させるとそのままズカズカ入って行く。
少女も追いかけようとしたが紳士に止められてしまった。
仕方なく世界樹から降りて紳士を待つためにお菓子の用意をしていると、割と近くに気配を感じる。
振り返れば涎を垂らし、お菓子を凝視している少年が。
少女はクスリと笑ってクッキーを一枚差し出した。
少年は葛藤しているようでなかなか手を出しては来ない。
そこで少女はクッキーを半分に折って片方を先に自分が食べる。
警戒するものでは無いと美味しそうに食べてアピールした。
いや、アレは純粋に味を楽しんでいるだけだと思われる。
だが、それが功を奏したようで、少年は恐る恐るだが少女からクッキーを取り食べ始めた。
一口齧ったらあとは止まらない。
少女が想像するような文化だとすれば、彼にとっては天上の食事と言われても差し支えないのではないだろうか。
気が付けば用意していたお菓子は全て平らげられており、一緒に出した紅茶も残らず飲み干してある。
少女はクスっと笑って少年にお代わりを尋ねると、少年は恥ずかしそうに頬を掻きながら首是した。
大分打ち解けたようだ。
二人がお菓子に舌鼓を打っていると紳士が扉の向こうから帰って来た。
帽子や肩に葉っぱを付けて、手には古ぼけた刀を持っている。
少女と打ち解けている少年の姿を見ると目を「へ」の字にして笑い、手に持っている刀を少年に差し出した。
少年は意味がわからないと首を傾げたので紳士は地面に絵を描く。
そこには刀を使って獣と対峙する少年が描かれていた。
少女は扉の向こうで見た光景を少年に説明すると合点がいったようだ。
獣が何なのかは少女にはわからないが、紳士が示唆するのであればアレはあの箱庭に居てはイケないモノなのだろう。
さっそく扉の向こうに向かおうとする少年を引き留め、紳士は食事の用意をする。
そこで出た食事も少年からすれば見たことが無い代物ばかり。
満腹になるまで食べた少年は疲れていたのかそのまま眠ってしまったので、世界樹に頼んで葉っぱの布団を出してもらい、その日は終わりを告げた。
次の日、三人は扉の向こうのジャングルに来ていた。
少年は狼のような獣と戦っている。
剣術など習ったことが無い少年はただ我武者羅に刀を振っているだけである。
当然狼はそのような攻撃で致命どころか傷を負うことなどなく、逆に少年に生傷が増えて行く一方だ。
少女はハラハラとしている。
油断したつもりは無いのだろうが疲れて鈍ってきた身体には狼の突進を避ける力はなく、引き倒されてしまう。
あわや首筋を噛み千切られるという直前で横合いから紳士が狼を蹴飛ばして少年を掴み、世界樹の箱庭に連れ戻した。
少年は悔しそうに頭を垂れている。
少女はせっせと世界樹が落とした葉っぱを紳士の指示で潰していく。
どうやら傷によく聞く膏薬代わりになるらしい。
一通りの治療のあと、紳士は再び絵を描いた。
それは剣の振り方や体重の乗せ方。
やはりというべきか少年は首を傾げたので、少女が代わりに言葉に直して改めて伝えると少年はまだ治り切っていない身体を動かし始める。
今はまだ休むべきと伝えようとした少女の静止を紳士は首を振って止める。
男にはやらなくてはならないことがあるのだ。
少女にはよくわからない世界だった。