小さな冒険。
よく晴れた土曜日。
空には雲一つなく、そよそよと穏やかな風が頬を撫でて行く。こういう日は、人混みに出るより、緑豊かな学苑の庭園をお散歩でもしたい気分だった。
……もちろん、出来ない相談というのは、よくわかっていたけれど。
車寄せでお母さまを待つ。
今日は、授業の後、お母さまと一緒にデパートへ行くことになっていたが、雄斗はどうするんだろうと思っていると、同じことを考えていたらしい雄斗が、僕は行っちゃいけないのかなと呟いた。
「雄斗も行きたいの?」
「僕はあんまり行かないから、たまにはね」
「へえ……」
雄斗が行きたがるなんて珍しい。そんな思いで我が弟を眺めていると、我が家の車が二台滑り込んできた。
誠一郎と健司が同時に降りてくる。
「お待たせして申し訳ございません、お嬢様」
「いいえ、言うほど待ってないわ。それよりも」
わたしは後部座席に座っているお母さまを覗き込んだ。
「お母さま、雄斗もご一緒したいって」
「あら、珍しいわね。いいわよ、乗りなさい」
お母さまが了承してくださったので、健司は空の車を運転して帰ることになった。こういうこともあるから、携帯かスマホを持たせてくれるといいんだけどな。
わたし達を乗せた車が動き出す。お母さまとお買い物か……この後のことが容易に想像出来て、わたしは行く前から疲労感を覚えていた。
わたしは買い物が嫌いなわけじゃない、女性ならば買い物が嫌いという人を探すほうが難しいのではないか。わたしが好む物がデパートにないというだけで、行ったところで楽しめないという話である。着る物に頓着しない人間にとっては、ウィンドウショッピングでさえも苦痛なのだ、それは仕方のないことだろう。
デパートの駐車場に車が停まると、誠一郎がドアを開ける前から、ニコニコとした笑顔の女性が車の脇で待っていた。
「大道寺さま、ようこそお越しくださいました」
わたし達に続いてお母さまが最後に車を降りると、笑顔のまま、一礼をして迎えてくれる。
「田代さん、今日はよろしくね。今日は息子も一緒なの」
「お二人とも大きくなられましたね。真莉亜さま、雄斗さま、ご無沙汰しておりました」
「田代さん、こんにちは」「こんにちは」
わたしと雄斗は会釈しながらご挨拶する。
田代さんというのは、お母さまと同年代のこのデパートの外商員である。デパートというのは、一般のお客様の他に、法人外商と家庭外商というのがあって、平たく言えば営業みたいなものと同じである。
田代さんは我が家の担当であり、事前にお母さまがこういった物が欲しいと言えば、先に見繕って用意しておいてくれたりもする、御用聞きと同じだ。
そう言えば田代さんに誘われて、デパート主催の真珠養殖見学のツアーなんかも行ってたな、高いネックレスを買わされたなんて仰っていた割には、嬉しそうだったけど。
お母さまと田代さんが何やら楽しそうにお喋りをしている後ろを、わたしと雄斗が付いて行く。
「雄斗は何か欲しい物でもあったの?」
「別に、そういう訳じゃないけど」
「ふぅーん……」
雄斗はあまりこういうところは好きじゃなかったと思うけど、わたしの勘違いだったのかな?
わたし達は田代さんの案内で、外商サロンへと足を運んだ。まずはここでお茶を頂きながら、あれやこれやと今日必要な物をお母さまが田代さんに話している。
「畏まりました、では、こちらで少々お待ちくださいませ」
お母さまのご所望の物を聞いた田代さんは、分厚いバイブルサイズのシステム手帳に書き込んでから席を立った。
お母さまは優雅な仕草でティーカップを掴むと口を付け、雄斗に尋ねた。
「雄斗も何か欲しい物はない?せっかく来たのですもの、一緒に買っておくわよ?」
「僕、何もいらない。いらないけど……母さまにお願いがあるんだ」
「あら、何かしら?」
「ここから、一人で帰ってみたいんだ。駄目かな?」
なんと、雄斗がここまで付いてきたのは、そういう理由だったのか。
わたしは驚いて雄斗の横顔を見てしまった。夏期講習に通っていたわたしと違って、雄斗が通っている書道教室や塾は車が停められるので、車で送迎されているのだ。雄斗は一人で電車に乗ったこともないのに、さすがに無理だろう。
案の定、お母さまは駄目だと仰る。それはそうだろう、いくらなんでも危険過ぎる、切符すら買うのが大変だろう。それに鳳仙の制服は目立ち過ぎる、よからぬことを考える輩に遭遇するかもしれない。
「じゃあ、洋服が欲しい。制服のまま、ここをウロウロするのは嫌なんだ」
雄斗がこういうことを言うのも珍しいので、わたしはまたも驚いた。この子は一体、何を考えているんだろう?
「仕方がない子ね。じゃあ、二人ともお洋服を買って着替えさせてもらいましょうね」
お母さまはそう言うと、ちょうど戻ってきた田代さんに子供服売り場に行きたいと告げた。
「制服でデパートの中を歩くのは嫌なんですって。困ったものね」
「お気持ちはわかりますよ、では参りましょうか」
田代さんと一緒に子供服売り場に向かうと、欲しいと言った割にはあまり熱心でない雄斗の様子がどうにも気になった。
結局、雄斗はお母さまが選んだ物をその場で着替え、代わりに制服を田代さんに預ける。同じようにわたしも着替えて、田代さんは二人分の制服を販売員さんに預けた。後でその人が車まで届けてくれるのだ。
お母さまと一緒に売り場を歩き、本来の目的でないものもついでに見ると仰るお母さまに黙って従う。
時折、田代さんとお母さまが笑いあっているのを、不可解な行動をする雄斗を心配しつつ、わたしは眺めていた。
少しだけ、お母さまを擁護するなら、お母さまは滅多にデパートへは出掛けない。滅多に行かない分、必要な物があった時は田代さんにお願いして家まで届けてもらっているのだけれど、たまに出掛けると一気に買ってしまうという傾向があった。
田代さんにしてみれば、内心ホクホクだろうと思う。外商も営業とあまり変わらないと言った理由がそこにある。毎月、個人に与えられた予算があるからだ。金額や契約件数など、業種によって違うものの、営業には予算が付いて回る。
わたし用のインナーウェアを買う時だけは、田代さんが雄斗と売り場の外で待っていてくれた。
子供とは言え、男性は足を踏み入れるのに躊躇する場所だろう、とあるデパートでは分厚いカーテンで仕切られていた時代もあったと聞く。
要するに下着を買う場所なので、男子禁制とまではいかないまでも、雄斗も入りづらいだろうと判断した田代さんが気を利かせてくれたのだ。
わたしとお母さまだけで色々と見て回り、サイズを測ってもらい、試着室でいくつか試しながら、販売員さんに確認してもらう。
品物が決まると、お母さまと田代さんのところへ向かった。田代さんは入れ替わるように売り場に行って手続きをしてくれる。
「さ、そろそろ帰りましょうか」
わたしはすでにクタクタだったので、お母さまが早くそう言ってくださるのを待っていた、よし帰れる!と思っていたのに、雄斗がまだ見たいところがあると言い出した。
「母さまと姉さまは先に車に戻っていてくれてもいいよ。僕は田代さんがいれば大丈夫だから」
え、そうなの?……じゃあ、ありがたくその言葉に甘えようか……いや、ちょっと待て。なんだか怪しいぞ。
「あら、そう?じゃあお母さまは先に戻っているわね。真莉亜さん、行きましょう?」
「あ、あの、お母さま。わたくしも雄斗と一緒に見て行くわ」
「あら……じゃあ、お母さまも一緒に」「大丈夫だから、ね、母さま、姉さまも」
雄斗はお母さまの言葉を遮って、いい笑顔のまま言う。
「雄斗はわたくしがいては邪魔なの?」わたしは意地悪く聞いてやった。邪魔とは言えないだろう、雄斗は優しいからね。
「じゃ、邪魔だなんて、僕は言ってないよ」
「じゃあ、わたくしも一緒に行くわ、いいでしょ?」
「う……うん……」
ますます怪しい……。
田代さんと三人で、また売り場を見て歩く。文具売り場や書籍売り場を回るけれど、雄斗が真剣にそちらを見ているとは思えない。
そのうち、田代さんの携帯がピリリと鳴った。田代さんは電話を取り出すと、小声で失礼しますねと言って話し出した。
そのタイミングで雄斗に問いかける。
「ねえ、雄斗。本当はここから一人で帰ろうとしたんでしょう?」
「……姉さまは、どうしてそう……はぁ……そうだよ、どうしてわかったの?」
というか、むしろ、どうしてそう一人で帰ろうとするのかを聞きたい。
「どうして、一人で帰ろうと思ったの?」
「僕は……このままじゃいけないと思ったんだ。一人で電車にも乗れないなんて、おかしいと思う」
「それで?お母さまを心配させるのがわかっていても、勝手に帰ろうとしたの?」
「……それは……」
雄斗は幼かったからあまり覚えていないかもしれないけれど、あの誘拐騒ぎの後のお母さまは、心配し過ぎでおかしくなりそうになっていたのだ。あの時のお母さまを思い出すと今でも胸が痛む。
「ただ、電車に乗りたいだけなの?それとも、一人でここから帰れるか試したかったの?」
「両方だよ……」雄斗は力なく答える。
「そう、わかったわ。明日、雄斗とお出かけ出来るように、お母さまに話してみるわ」
「え?」
「誠一郎に付いてきてもらいましょう、それならきっとお母さまもお許しくださると思うわ。お母さまを心配させるよりいいし、何より叱られなくていいわよ、どう?」
「姉さま……」雄斗は嬉しそうに笑った。男の子だもんね、知らない世界を見てみたいという気持ちもあるだろうし。
ちょうど話終わったタイミングで田代さんも電話が終わったようだ。わたし達は、もう今日は帰りますと言うと田代さんが我が家の車まで送ってくれた。
家での夕食が終わってしばらくしてから、わたしは雄斗の部屋を訪ねた。
ノックの後に続く了承の声を聞いて、わたしはドアを開ける。
「雄斗、先ほどの話だけど」
雄斗の部屋はわたしの知らないうちに、青を基調とした部屋になっていた。わたしが以前、雄斗の部屋を訪れた時は、ベージュのカーテンがかかっていて、濃い茶のラグが敷いてあったように思う。
そう言えば雄斗のキャラクターは髪が青だったなぁと思い出す……実際、青髪が歩いていたら目立って仕方ないし、鳳仙には通えないだろう、だからこういうところに反映されたのかな……思考が全く別のところにいきそうになった、いかんいかん。
「お母さまはなんて言ってたの?」
夕食の後、わたしはお母さまに雄斗のことを話した。最初は渋っていたお母さまだけれど、雄斗の意思が固いことを知り、誠一郎が一緒ならという条件で許してくれた。
「わたしと誠一郎が一緒ならと許してくださったわ。それにしても、なぜ?と不思議がっていらしたけれど」
「僕が理由を説明すればよかったね、ごめんなさい」
雄斗が鉄ヲタなのかどうか、わたしも知りたい。ちなみにわたしはどちらかと言うと鉄ヲタである。カテゴリーは乗り鉄。鉄ヲタは奥が深いので、わたし程度で到底ヲタとは言えないけれど、てっぱくも行ったことがあるよ、あそこは楽しかったなぁ……。
「構わないけど。でも、わたくしも少し不思議だったのよね。どうしてそう考えたのか、教えてくれると嬉しいわ」
雄斗はそうだねと言って、なぜ突然電車も一人で乗れないなんてと嘆き出したのかを教えてくれた。
書道教室で、国立小学校に通う子と仲良くなったそうだ。その子は一年生の時から電車で通学しているらしく、電車通学での大変なことや、面白かったことなどを話してくれたらしい。
「それで、興味を持ったの?」
「興味だけじゃないよ、僕は同い年なのに一人で電車にも乗ったことがないし、買い物もしたことがないんだ。だから僕は木田くんの言うことの半分もわからない。僕だって一人で電車に乗ってみたいし、買い物をしてみたい」
なるほど、自立心旺盛なのはいいことだ、姉さんに任せなさい。
「よくわかったわ。それで、具体的に行きたいところはあるの?」
「それは……ごめんなさい、僕、よくわからなくて……」
「水族館はどうかしら?」
「水族館って電車で行けるの?」
え……あ、そうか、雄斗は車でしか行ったことないもんね。わたしも真莉亜としてはそうだけど。
「遠くの水族館も電車で行けるけれど、明日は近くの水族館に行きましょう。それで、お昼も外で食べるの、どうかしら?」
「わぁ……僕、すごく楽しみだ!」雄斗は嬉しそうだ。
「明日はお天気がいいといいわね」
「うん!」
そして、翌日の朝は晴天に恵まれた。
雄斗は楽しみであまり眠れなかったみたいだけれど、元気いっぱいだった。わたしと誠一郎と一緒に、駅まで歩く足取りも軽い。
「姉さまぁ、早く早く!」
雄斗は歩いて駅まで行くことさえも楽しいようで、段差で転ばないか心配になってしまう。
「雄斗、ちゃんと前を見て歩きなさ……」わたしが言い終わらないうちに、角を曲がってきた誰かと雄斗がぶつかってしまった。
「あ!」どんという派手な音が聞こえるかもと思うくらい、勢いよくぶつかっていたので、雄斗も相手もケガをしたかもしれない、慌てて誠一郎と一緒に駆け出した。
「だ、大丈夫ですか?すみません」尻もちをついてしまった、わたしと同い年くらいの女の子に手を貸そうと差し出す。彼女は顔を顰めていたけれど、わたしが差し出した手を握ると勢いをつけて立ち上がった。
「ごめんなさい、ケガはありませんか?」女の子の洋服の汚れを払いながら尋ねる。
「大丈夫ですよ」女の子はくりくりとした大きな瞳を瞬かせ、頷きながらそう答えてくれた。
「本当に?どこか痛いところはないですか?」
「平気、平気、気にしないで」とにっこりと笑ってくれた。小動物を思わせるような、愛らしい笑顔だった。
「ほら、雄斗も謝りなさい」雄斗の声が聞こえて来ないので、あれ?と思っていたのだが……。
雄斗の様子が変だ、ぽかんとしたまま、微動だにしない…頭でも打ったか?
「坊ちゃん?」誠一郎が声をかけて、ようやく我に返った雄斗は顔を真っ赤に染め上げて、その子に謝った。
「ごめんなさい!僕が前をよく見ていなかったから、ごめんなさい」
「ほんとに大丈夫だってば。気にしないでね、あ、でもちゃんと前は見て歩いたほうがいいよ」
彼女はそう言うと手を振って去って行ってしまう。
「あ……誠一郎、念のため連絡先をお渡ししておいて」
「畏まりました」誠一郎は一礼すると、彼女を追いかけ、何事かを言って名刺を差し出していた。その間も雄斗はそちらをじっと見つめている。
「雄斗?……大丈夫?」
「ぼ、ぼ、僕は大丈夫!ぜ、全然、平気だから!」
いや、明らかに挙動不審なんだけども……。
その後、なんとなく出鼻を挫かれた格好になってしまった雄斗は、最初の勢いは無くなってしまったけれど、電車を乗り継いで水族館に着くころには朝と同じくらいのテンションに戻っていた。
誠一郎が入場券を買おうとする真横で一緒になって買っている。後ろから見ていると、誠一郎がお父さんみたいに見える……誠一郎も今日はラフな格好だし。
開場時刻より少し早めに着いたので、思ったほどは並ぶこともなく水族館に入ることが出来た。様々な海や川の生物の展示物を雄斗と一緒に眺める。前に水族館に来たのは、雄斗が一年生だった頃だから久しぶりなんだよね。雄斗は前もそうだったけど、両生類が好きみたいで、特にカエルの展示物がお気に入りらしく、じっくりと観察していた。ちなみにわたしはクラゲとクリオネが好きで、雄斗と同じようにじっくりと観察する。あの、クラゲがふわふわ浮いている様を見ていると、とても和むのだ。
しばらくすると、ペンギンの餌やりが始まるというのでそちらに移動した。ペンギンが飼育員の周りにヨチヨチと集まってくる。餌をおいしそうに食べていて、時折、水槽に放り込まれた餌をダイブして取りに行き、またむしゃむしゃと食べていた。
「可愛いわねぇ……」
「姉さまはペンギンが好き?」
「そうね、いつかオーストラリアに行って、ペンギンの行進を見てみたいと思っているの」
「へえ……僕も見てみたいな」
「いつか、一緒に行けたらいいわね」
「うん」
ふと隣にいる誠一郎を見上げると、意外や意外、熱心にペンギンを観察していた。強面な誠一郎だけれど、案外こういうのが好きなのかもしれない。
水族館を出た後は、街を見てみたいという雄斗の要望にお応えして、特に行き先を決めずにブラブラと歩いた。
「姉さま、あれは?」雄斗は大きなクリップを指さして尋ねた。
「あれはねえ、文房具屋さんの看板ね」
「へえ、じゃああの大きな林檎は?」
「ああ、あれは世界的に有名なデジタル製品を出しているところよ」
「じゃあ、あれは?」
「あれはブランドのフラッグシップショップね」
「フラッグ……?」
「旗艦店と言う意味よ、そのブランドの旗印と言えばわかるかしら?」
「んー?なんとなく?」
「お嬢様」
「なあに?誠一郎」
「先ほどから……なんというか、お嬢様はなんでもご存知でいらっしゃるんですね」
「え?」
「いえ、私もよく知らない店がありますので」
「わたくしも出かける前に得た知識ですもの」
「そうですか……」
そんな、疑わしい目で見ないでおくれ、出かける前に得た知識というのは嘘八百だけどな!前世の営業職のお蔭で、東京のオフィス街に近いこの街にも度々足を運んでいた。なので、言ってみればこの辺は勝手知ったるなんとやら、なのだ。
「姉さま、僕そろそろお腹が減ってきた」
「そうね……誠一郎、そろそろお昼を食べましょうか」
「畏まりました。せっかくこちらまでいらしたのです、天ぷらでも召し上がりますか?それともお寿司になさいますか?」
どうしよう、どっちも捨てがたい……んー……。
「姉さま、僕、あれが食べたい」
雄斗の声で振り向くと、そこには白髪に黒縁眼鏡、柔和な顔に白い口髭を生やした、お馴染みの爺様が佇んでいた。
「え……雄斗、そこはファストフードと言ってね……」雄斗にわかりやすいように、かみ砕いて説明したつもりなのだけれど、雄斗はどうしてもそこで食べたいと言い張った。
「誠一郎、どうしよう……」
「そう言われましても……」
正直、チキンフィレサンドは好きだったし、ちょっと油っこいけどビスケットも好きだよ、今生では一度も食べてないけどね!
「姉さま、早く入ろう?」
白髪の爺様に呼ばれでもしたかのように、雄斗はどうしても寄りたいと言い続ける。観念して、その店に入ることにした。
「いらっしゃいませーよろしければ、こちらのメニューをどうぞ」
レジカウンターのメニューを覗き込む、わたしと雄斗。
「わたくしはこれにします、雄斗はどうするの?」
「姉さま、僕、これがいい」
「ええっ!雄斗、こんなに食べられる?」
雄斗が選んだのは3ピースとビスケット、ポテトが付いているメニューだった。雄斗は食べると言い張るので、仕方なくそれにする。
「お飲み物はいかがなさいますかぁ?」
「わたくしはお茶で、雄斗は?」
「姉さま、これはなあに?」
「コーラね、コーラでいいのね?」
ああ、レジの後ろに人が並んでいる……小心者のわたしは気が気じゃない、雄斗、早く決めろ!
「姉さま、コーラってなあに?」
コーラはコーラだ、それ以上、以下でもない。面倒なので、そのままオーダーすることにした。
「コーラでいいです、あと、アイスコーヒーを単品で」
「かしこまりましたぁ」
わたし達の保護者、誠一郎がお財布からお金を出していると、ポイントカードはお持ちですかぁの声に、すっとカードを差し出した。あんた、持ってたんかい……。
こうして、すったもんだの挙句、無事オーダーし終わって、誠一郎が運んでくれるというので、わたし達は席を探して座った。お昼を過ぎていたとはいえ、日曜なので店内は混みあっていた。
雄斗は物珍しそうに店内を見回して、やっと落ち着いたのか、視線がわたしのところに戻ってきた。
「姉さま、このお店はファストフードのお店でいいんだよね?」
「そうよ」
「わかった。ファストフード……」
雄斗が肩から掛けていたポシェットからメモ用紙とペンを取り出した。いやいや、いちいちメモ取らんでも!とツッコミたかったけれど、わたしが中等部へ入ってしまったら、もう来る機会もないのかもしれないと思い直して黙っていた。
誠一郎がトレイに乗ったチキンを持ってやってきた。雄斗は初めて食べるそれらを、キラキラとした目で見つめていた。
「じゃあ、いただきましょうか。いただきます」「いただきます」
ちなみに誠一郎は、恐らく雄斗が食べきれないことを見越して、アイスコーヒーしか頼んでいない。子供に3ピースはキツイだろう、わたしだって無理だ。
食べ物を粗末にすることは厳に慎むべきという、我が家の家訓に従い、誠一郎が残飯整理マンの役割を進んで引き受けてくれた、ありがとう、誠一郎!
結局、雄斗は一つ食べただけでギブアップした。それはそうだ、ポテトもビスケットも付いているんだもの。ほれ、見たことかと思ったけれど、いい経験でもあるから、わたしは黙ってしっかりとチキンフィレサンドを頬張った。ヤバい、久しぶりだけど、やっぱ、んまーい!
わたしが喜色満面で食べているのが気になったのか、雄斗がじとっと見ていた。やらんぞ、次回食べるがよい、わははは……。
誠一郎が整理マンを引き受けてくれたお蔭で残さず完食したわたし達は、お店を出てからどうしようかと考える。
「雄斗、行きたいところはある?」
「もう大丈夫、今日は楽しかった、姉さま、誠一郎、ありがとう」
雄斗はとても満足そうに笑った。
そうだ、昨夜はあまり寝ていないみたいだし、早めに帰ったほうがいいだろう。
帰りの電車の中で、案の定、雄斗は舟を漕いでいた。隣に座ったわたしに寄りかかっては戻るを繰り返す。
「誠一郎、今日はありがとう」
「いいえ、お嬢様も楽しまれましたか?」
「ええ、わたし達だけで出かけるのは初めてだもの。楽しかったわ」
「それはようございました」誠一郎はにっこりと笑ってくれた。
昨日、今日と出かけて、さすがに疲れた。今日は早めにベッドに入ろうと決め、まもなく夕暮れになろうとする、午後の柔らかい光を感じながら、帰路に着いたのだった。




