真莉亜12歳の春。
あれから、季節は流れ、また春が巡ってきた。
この校舎に通うのも、後一年かと思うと、ちょっとセンチメンタルな気分になる。
桜の花びらが舞う、校門からの風景を車窓から眺めながら、わたしは気を引き締めていた。
白河さんたちは、あれから反省したのか、ゆずさまの会のメンバーとも仲良くやっているらしい。盗まれた疑惑があった万年筆は、綾小路がうっかり落としたのをたまたま拾った糸井さんが、渡そうと思いながら日にちが経ちすぎて、渡せずにずっと持っていたらしい……さっさと渡しておけばよかっただろうに、ついつい忘れてしまって、却って渡しにくくなってしまう……あるっちゃあることだけどね。
結局、美里ちゃんや綾花ちゃんも許してくれたらしく、理事長と校長ともに、未来がある子供たちだからということで、あの話はおしまいになった。
そして、なぜだか……。
「真莉亜さま、おはようございます!」「真莉亜さま、ごきげんよう、今日はいいお天気ですわね!」
「お、おはようございます、みなさん、ごきげんよう」
わたしが車から降りると、女子生徒が挨拶してくれる。
これが、クラスメイトならなんら問題はない、むしろ当たり前と思えるくらいだけれど……。
彼女たちは、わたしが名前も知らなかった人たちだった。さすがに今は誰だかわかるけど、どうしてこうなったのか、さっぱりわからない。
嫌われるよりはいいと思うけれど、営業という仕事柄、人当たりはよかったが、元々は誰でもウェルカムな性格ではないので、戸惑ってしまう。
まぁ……せっかく挨拶してくれているんだし、それはそれでいいか。
遠い昔の記憶を掘り起こすと、わたしが小学生時代はクラス単位での仲良しはいても、他のクラスの子と目立って交流した覚えがなかった。クラブ活動なんかにもよるのかもしれないけど、今のように、携帯やスマホが普及していた時代ではなかったので、他のクラスの子たちと連絡を取り合うとすれば、校内か家電しかなかったわけで、特段の用がなければ連絡をすることもなかった気がする。どちらかと言えば、近所の子たちと学年関係なく、遊んでいた記憶がある。
だから、他のクラスの子たちと、挨拶を交わすことも今まではほとんどなかったのだ。もちろん、顔くらいは知ってるけれど。
わたしがあまりクラスから外に出ないから知らないだけで、他の生徒は他クラスの子とも交流しているのかもしれない。
下駄箱で上靴に履き替えて、教室へと急ぐ。
今日の最後の授業は、二時限ぶち抜きで学年集会の予定だけれど、恐らく中等部に関する説明会じゃないかと思う。わたし達の集会の後に、保護者会も開かれる予定だからだ。
寮生活で親元を離れるので、それが嫌で中等部へ進学しない生徒が中にはいる。
本人の希望と親の希望は、始業式で配られたものをすでに提出しているので、それぞれの説明会があるんだろうと、予想している。
中等部へ進学しない子たちは、系列の男子校、女子校に進学することが可能なのだが、優遇はしてくれるけれど、一応受験をしなくてはならないのだ。なかには鳳仙じゃない学校に進学する子もいるだろうし。
準備期間が一年を切っているので、ちょっと遅い気もするけれど、系列だったらなんとかなるんだろう、よく知らないし、わたしは寮生活になるので、あまりそちらには興味がなかった。
午後、お昼休みが終わるころには、続々と生徒たちが講堂へ詰めかけていた。
担任の先生を先頭に、まずは一列で集まる。その後、寮へ入る子たち、入らない子たちで別れ、クラス単位でまとまると、説明会が始まった。
先生から、パンフレットと補足のプリントが配られる。
「まずは、それを読んでください、その後に先生が説明します」
皆、一ページずつ真剣に読んでいたが、そのうち、さざめきのような声があちこちから上がった。
「先生!その……お掃除やお洗濯も自分たちでやるんですか?」女子生徒の一人が、手を挙げて先生に質問した。
「質問は後で受付けます。とりあえず、全部読んで、先生の説明が終わってからにしてください」
「わかりました……」女子生徒は大人しく引き下がったけれど、周囲の生徒の反応は、不安や戸惑いといったものが大半だった。
「みなさん、読み終わりましたか?では、先生から説明しますね」
わたし達のクラスの担任である、橘先生が話し始め、皆、先生の声に耳を傾けた。
パンフレットの説明と先生のお話を総合すると。
鳳仙が寮生活を推奨している理由のひとつが、教育方針にもある『質実剛健、良妻賢母』である。
強く逞しく、良き妻、良き母であれというこの教育方針であれば、自ずと寮生活が想像出来るが、ここに集う生徒のほとんどが、生活全般を親や使用人に頼り切って生活しているので、不安に思うのは無理のないことだろうと思う。
寮そのものは一人部屋で、ワンルームマンションのようなものだ。トイレとシャワールームがあり、小さいながらもキッチンが付いている。乾燥機付き全自動洗濯機、掃除機も完備。炊飯器はさすがになさそうだけど。後はベッド、学習用の机と、わたし個人は十分だろうと思うのだけれど、自分たちで掃除や洗濯をすることを想定していなかった生徒が大半なんだろう、先生の説明の間もえーっとか嘘でしょとか、そんな声が聞こえてきた。
「家族と相談して、必要だと思われる家電製品を持ち込むのは構いませんが、寮を出る際には個人で処分をする前提です。間違っても寮に置いていかないように」
生活に必要な物は、同じ敷地内にあるスーパーとコンビニを足して二で割ったくらいの規模のお店があり、制服はクリーニングサービスがあるらしい。
また、ハウスマネジャーとフロアマネジャーがいて、その他にコンシェルジュが常駐しているそうだ。
そして、※印に囲まれた部分を読んで、わたしの夢と希望が潰えたことを知った。
【※パソコンの持ち込みは禁止 1Fにある共用のパソコンのみ使用可能 また、携帯やスマートフォンなどは自由時間のみ使用可能 それ以外は全てフロアマネジャー保管】
な……なんと!わたしの密かな野望、ネサフに動画鑑賞、ゲームにソシャゲそしてこの世界にあるかは知らないけど、某イラストサイトなど、検索することを夢見ていたのにーーーっ!!
その部分を読んでがっくりきたわたしは、先生の話がほとんど耳に入らなくなってしまった……この世界に生まれて、後ちょっとで12年……覚醒してから5年近くの歳月を、寮生活に入ればと踏ん張って我慢してきたのに……。
わたしのこの耐え忍んだ年月をどうしてくれるんだ!!
パソコンがダメならスマホがあるじゃない!と思ったけど、自由時間と言っても消灯が22時だから、夕食とかお風呂を考えると、そう長い時間ではないだろう、そう考えると……もう絶望しか感じない。
「真莉亜さま…どうされました?」
隣にいた雅ちゃんが心配そうに話しかけてくれた。文乃ちゃんも同じように、わたしの表情を見て気遣ってくれている。
「大丈夫です、ちょっと想定外のことが書いてあったので」
「そうですわね、わたくしもちょっと驚いております」
文乃ちゃんはたぶん、わたしとは違うことで驚いてるんだろうと思うけど。
すっかり意気消沈してしまったわたしを置いて、クラスメイト達は先生にそれぞれ質問を投げかけていた。
「先生、掃除とか洗濯が出来ない子はどうしたらいいですか?」
「それは今日、保護者会で親御さんにお願いすることになっています。お家でご両親から教えてもらってください」
「先生!キッチンが付いてますけど、お料理をしてもいいんですか?」
「もちろんです、ただ電熱器なので、お鍋やフライパンはガス用は使えませんので買う時は注意してくださいね」
「あ、先ほど言い忘れましたが、アイロンは共用スペースにあるものを使ってください、自室で使用してはいけません」
「アイロン……?アイロンってなんですか?」
アイロンを知らないのか、まぁ知らないよね、いつもパリッとしたブラウスやシャツ、ハンカチなどはそういう物だと思って身に着けているんだろうから、夏場のアイロン地獄とか、わからないだろうなぁ。
「他に質問はありませんか?なければ今日はこれで解散です。各自、教室へ戻って帰って構いません。それではみなさん、ごきげんよう」
「きょうつけ!礼」学級委員の掛け声で、みな先生に礼をして解散となった。
みんな口々に大変そう、どうしようだとか、でも楽しみなどなど、色々な感想を述べながら教室へと戻って行く。
わたしも雅ちゃん、文乃ちゃんと三人で教室へと戻ってきた。
美園ちゃんはご両親の都合で、来年の春には海外へ移住してしまうそうで、お昼を食べずに今日は帰ってしまっていた。国内での進学もないから、学年集会に出ても意味がないし、逆に美園ちゃんは寂しくなってしまうだろうと思う。みんなはこれからも一緒だけれど、美園ちゃんは来年にはいなくなってしまうのだから。
わたし達は帰り支度を整えて、教室を出た。車寄せまで歩く間、雅ちゃんから綾花ちゃんが『ゆずさまの会』会長に就任したと教えてもらった。
「適任ですわね。綾花さまなら、きっとみなを引っ張っていけると思いますわ」
「ええ、そう思います」
雅ちゃんはニコリと笑って頷いた。
車寄せでは誠一郎が待っていてくれて、雄斗は一足先に帰ったことを教えてくれる。雄斗は四年生になってすぐ、書道教室にも通い出して、わたしよりも忙しい日々を送っているようだった。
「お母さまは誰が鳳仙までお連れするの?」
「吉田です。今日は旦那さまが出張でいらっしゃらないので」
「お父さまが?知らなかったわ。今朝は何も仰っていなかったのに」
「ええ、急にお決まりになったそうです。空港までご一緒したようですが」
お父さまもここのところ、忙しい日々を送っていらっしゃるようだ。今まではあまり出張にはお出かけにならなかったのに、最近はあちこち飛び回っていらっしゃる。おかげで、わたしは全国うまい物展に行かずとも、おいしい物を食べられるんだけどね。
家に帰ってしばらくすると、家庭教師の先生がやってきた。
わたしは先生の手ほどきで、お勉強の他に、お裁縫や華道、茶道を習ってきたのだけれど、華道についてはどうにもセンスがないことを、やっと先生がわかってくださって、今はお裁縫と茶道のみ教えていただいている。
お裁縫と言っても、和裁の基本とミシンの扱い方と縫い方、それに編み物も教えて頂いているので、不器用ながらも少しずつ上達はしているのだ。わたしの作品は、表には出せない代物だけれど。
「真莉亜さん、今日は算数をお勉強しましょうね」
ニコニコと先生が仰る言葉が、まるで呪いの言葉に聞こえるのはわたしの耳がおかしいせいだろう、たぶん。
前世のわたしの性能をしっかりと受け継いでいるので、理数系は恐ろしく苦手なのだ。苦手だけれど、それなりに頑張ってはいるので、成績もそれなりである。
お母さまの烈火の如しお説教は、あの一回きりなのだけれど、雄斗のように手放しで褒められることはないので、その程度なのだ。
先生と楽しい算数のお勉強が終わる頃、お母さまが帰っていらした。
先生と一緒に、二階から降りて玄関先でお見送りしていたら、奥からお母さまが出ていらして、先生へのお礼の言葉もそこそこに、先生が玄関をお出になった途端に一言。
「真莉亜さん、今度の土曜日はお買い物よ!」
買い物?まあいいけど、何も宣言しなくてもいいんじゃないかな?
どうぞ行ってきてくださいと言ったら、あなたも一緒に決まっているでしょと言われた。
なんだか張り切っているお母さまに嫌な予感しかしない。




