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事件発生。

ある日の朝、それは突然に起こった。


わたしと雄斗が登校すると、昇降口に人だかりが出来ている。

わたし達は顔を見合わせ、足を進めていくとーーーー。


「どういうことなのかしら?」

「ですから、わたくしは何も……」

「知らないわけはないでしょう?」


……なんだ、なんだ?朝っぱらから喧嘩かい?火事と喧嘩は江戸の華ってね……って違う、そうじゃなくて。


人垣を掻いくぐり、向かった先には。


美里ちゃんと、名前の知らない女子生徒が一人いたが、よく見ると少し離れた場所に、綾小路が困惑した顔で立っている。

「あなたが持っていたのは、綾小路さまの物ではなくて?もしかして、それを……ああ、いやだ、口に出すのもおぞましいですわ!」

「ですから、わたくしは……」美里ちゃんの声が裏返ってしまった。

衆人環視の中で、怯え切ってしまっている美里ちゃんはどうしていいかわからないのだろう、顔を歪めて今にも泣きそうだ。

これはいかん!とわたしが出て行こうとすると、腕を掴まれた。

ちょ、邪魔すんなよ、と掴んでいる人物を睨み上げたら、逆に凄まれた……あ、あら、本城さまではありませんか……ハハハ……。

小声で、こっちへ来いと呼ばれたので、人の輪から外れる。

「なんですの?」

顎でくいっと昇降口前を差して一言。

「お前が盗み聞きしたことと関係あるんじゃないのか」

盗み聞きとは失礼な!あれはたまたまだろう!でも、あ、そうね、そうかもしれない。

「どうなんでしょう……でもタイミングとしては合うかもしれませんね」

貴彬はじっとそちらを見つめると、わたしを置いて昇降口に向かって歩いて行った。

え、置いてかないでよ、ちょっと!わたしは急いで後を追う。


生徒たちの間から顔を覗かせると、美里ちゃんがハラハラと涙を零していて、もう一人の女子生徒の手にはペンが握られていた。

「みなさま、この方は、綾小路さまが大切になさっていたこの万年筆を……とにかく、綾小路さま、お返しいたしますわね」

恭しく、万年筆を捧げ持ち、綾小路に手渡した。

「あ、ありがとう……」困惑している綾小路だけれど、確かに自分の物なのだろう、しっかりと受け取っていた。

なんだ、なんだ、状況が全く掴めないぞ?


「わたくしは、綾小路さまと同じクラスの白河と申します。数か月前に、綾小路さまが入学以来、大切になさっていた万年筆を失くされたと、教室で探していらしたのです。その万年筆を、なぜかこの方がお持ちになっていらした。これはどういうことか、みなさま、おわかりになりますでしょう?」

「で、ですから!今朝、わたくしの下駄箱にっ入って……!」


美里ちゃんが泣きながらも反論しているが、白河さんとか言う女子生徒があまりにも自信満々にとうとうと演説をぶっているせいで、美里ちゃんの反論が他の生徒の耳には入っていないようだ。


『過激なこと』とは、綾小路の私物が失くなっていたことだったのか。それで美里ちゃんを犯人に仕立て上げたと……なかなかやるじゃないか、大人顔負けだな。

あれ、そういえば貴彬は……綾小路と何やら話をしているようだ、この場は任せるべきか、それとも。

綾小路がすっと前に出て、白河さんにキラキラ笑顔で話しかけた。


「白河さん、僕の万年筆を見つけてくれて、ありがとう。でも、どうして彼女が持っているってわかったのかな?」

「それは今朝、こちらの方が手に持っていたからに決まってますわ」

「下駄箱で?」

「ええ、そうですわ」

「下駄箱で万年筆ね……それはもしかして、僕がだいぶ前に落としちゃったのを拾ってくれただけかもしれないよ?」

「え……」


白河さんが黙ってしまうと、そのお仲間らしき女子生徒二人が歩み出てきた。

「綾小路さま、白河さまは、その方が持ってらしたのを目撃したので、それを見咎めただけですのよ?それの何が問題なのです?」

論点をすり替えてきたな、綾小路はどう出るつもりだろう。


ーーーと、ここで予鈴が鳴ってしまった。集まっていた生徒はそれぞれ急いで教室へ向かう。

白河さんとそのお仲間は心なしかほっとした表情をしたように、わたしには見えた。三人は連れ立って行ってしまう。残された美里ちゃんの腕をそっと掴むと、泣きはらした顔が痛々しかった。


「美里さま、保健室へ参りましょう?」

わたしがそう促すと、美里ちゃんはこくりと頷いた。この顔では授業に出たとしても、先生から何かしら聞かれるだろう。そうなると、話が大きくなってしまう。


貴彬はわたしの顔を見ると、ひとつ頷き、わたしも同じように頷いた。傍で見ていた綾小路は首を傾げていたけれど、貴彬に促されて教室へ向かう。きっと後で詳しく説明してくれるだろう、頼んだぞ。


美里ちゃんを保健室へ連れて行くと、養護教諭の大野先生が事情も聞かないで、寝ていきなさいとベッドに連れて行ってくれた。

わたしは保健室を出て、教室へと向かう。


クラス関係なく、人が出入りする昇降口でああいうことをやるとは思わなかった。雅ちゃんや綾花ちゃんにも被害が及ぶんじゃないかと気が気じゃなかったのだが。


……なんと、次はわたしがターゲットになっていたのである。


その日のお昼休みには、もう美里ちゃんの話はほぼ全部のクラスに知れ渡っていたようだった。美里ちゃんに罪を被せた白河さんたちを許すことは出来ない、さて、どう料理してやろうかと思っていたら。


物凄く怖い顔をした綾花ちゃんが、真っすぐにわたしのところへやってきた。

「真莉亜さま、大事なお話がございます」

わたしは雅ちゃんや文乃ちゃん、美園ちゃんとお昼を食べていたんだけど、綾花ちゃんに強引に拉致されてしまった……ごめん、トレイ片付けておいてくれると助かる!


綾花ちゃんに連れられて、人気のない寂しい庭園のベンチに座った。この寒い季節、庭園に出る人は少ないからね、いいっちゃいいんだけど。


「真莉亜さま、こちらに書かれていることは本当ですか?」

綾花ちゃんから手渡された紙には、ご丁寧にワードで打った文章が書かれている。手書きだと筆跡でバレることもあるからかな、なかなか頭の回る奴らだねぇ。

手紙というより、告発状みたいな感じで書かれたそれは、なかなかよく出来ていた。

よくもまぁ、わたしについて、これだけでっち上げたものだと感心してしまう。


要点はこうだ。


今朝の美里ちゃんの一件は、大道寺 真莉亜が仕組んだこと。

『ゆずさまの会』メンバーに近付いて、その裏で綾小路に取り入って気に入られようとしていること。

貴彬に近付こうとする女子生徒には、竹刀を使って暴力で怯えさせている……などなど、全く身に覚えのないことばかり、学苑にわたしの竹刀を持ち込むのは、武道大会の時だけだというのに。


「綾花さまは、どう思われるのですか?これに書かれていることが、真実と思われますか?」

今朝、美里ちゃんのことがあったばかりで、動揺しているだろう綾花ちゃんにこれを読ませるとは、根性が捻じ曲がってる。

「いいえ、違うと思います。ですが、今朝のこともあって、その……」

「綾小路さまはわかっていらっしゃいますよ、なので美里さまのことは心配しなくとも、大丈夫ですわ。だって潔白ですもの」

潔白ということと、噂になるということは違うのはよくわかっている。疑いが晴れてもそうは思わない人間って、世の中にもたくさんいるもの。


「今朝の件は、綾小路さまだけでなく、本城さまもよくご存知です。それに、わたくしもこれで被害者の一人になりましたわ」

当事者になったのだ、これで堂々と反撃出来る。

「そうですわね……ごめんなさい、わたくし、美里さまの件で頭に血が上ってしまっていて……」

「わたくしは大丈夫です。ですが、相手もなかなかの方たちのようなので、油断は禁物ですわ。綾花さまも十分気を付けてくださいませね」

わたしがそう言うと、綾花ちゃんは申し訳なさそうな顔をしていた。


白河さんたちが使った手はなかなかだったけれど、彼女たちは肝心なことを忘れている。


この学苑は私立で、各界の著名な人々を親に持つ子女も通っている名門だ。ということは、安全対策にも力を入れているわけで……さすがに教室にはないが、外部と接触出来る場所には防犯カメラがあるのだ。


昇降口にも防犯カメラは付いている、しかも360度監視可能なものが、天井に付いているのだ。入学した時から知っていたけど、その存在に気付いている生徒はどのくらいいるんだろう。


綾花ちゃんがもらった手紙は、教室の机の中に入っていたそうだ。綾花ちゃんのクラスにも協力者がいるということか。まぁ頼まれて入れただけということもありえる、疑いだしたらキリがない。


「この手紙、わたくしが預かっても?」

「ええ、気味が悪いですし、よろしければ、どうぞ」

わたしは綾花ちゃんから預かった手紙を、制服のポケットに入れた。



放課後、わたしは車寄せで貴彬を待ち伏せしていた。今回の件は、綾小路というよりは貴彬の信奉者の仕業だろうから、用心深く、自分の家の車に乗って待ち伏せる。


「お嬢様、何かあったのですか?」

健司の問いかけに、適当に返事をしておいた。お母さまに報告でもされたら、余計に話がややこしくなるからだ。

「ちょっとね……それより、本城家の車はあれよね?」

「ええ、そうですね。お嬢様は先ほど乗っていらっしゃいましたが」

華恵さまがもう乗ってるのか……ということは、そろそろ雄斗も……。

健司が素早く運転席を離れて、ドアを開けに行く。身のこなしも様になってきたねぇ。

わたしの予想通り、雄斗が乗ってきた。


「あれ?姉さま、今日は早いんだね」

「ええ、ちょっとね。それより雄斗、もうしばらく、待ってくれない?」


「ええ?!僕、今日これから塾に行くんだけど……」

「お願い、雄斗、そうね、10分だけでいいから」


「仕方ないなぁ……誰かを待ってるの?」

「そうよ、本城さまを待ってるの」


「ふぅ~ん……じゃあ、僕はお邪魔なんじゃないの?」

「なんで?」


「なんでって……姉さまがいいなら、いいけど」

「変な雄斗」

お邪魔って何さ?変なこと言うなよ。


雄斗が乗り込んできてから5分ほどして、貴彬がやってきた。

わたしは急いで右から車を降りると、今まさに乗り込もうとしている貴彬に声をかけた。

「本城さま!お帰りのところ、申し訳ありません」

貴彬が乗るのを待っている運転手に声をかけ、こちらを振り向いてくれた。

「お前か、どうした?」

「わたくしも被害者になりましたの。それで、ちょっとお話が」

「被害者?……俺は今日はあまり時間がない、うちの車で家まで乗って行ってくれないか。その間に話を聞こう、帰りはうちの車で家まで送る」

「わかりました」

わたしは運転席の健司に、本城家に寄ってから家に帰るからと告げて、本城家の車に乗せてもらった。


「あら?真莉亜さま、どうされたの?」

「華恵さま、申し訳ありません、少しお邪魔させていただきますね」

わたしは挨拶もすっとばして、華恵さまの隣に陣取った。


「真莉亜さまならいつでも大歓迎ですわ。でも困ったわ、わたくし、お邪魔ではないかしら?」

どうして華恵さままで雄斗と同じことを言うんだろう……なんか、勘違いしてない?

「いいえ、わたくしのほうこそ、お邪魔しておりまして、申し訳ありませんわ」


「おい、お前は俺に話があるんだろう?」

「ああ、そうでした、失礼しました。これをご覧になってください」

わたしは綾花ちゃんから預かった差出人不明の手紙を貴彬に見せた。

貴彬はそれに素早く目を通すと、なるほどなと呟く。


「被害者という意味がわかった。よほど、お前たちに恨みがあるんだな、厄介な奴らだ」

「同感ですわ。それで、綾小路さまに折り入ってお願いしたいことがあります。本城さまからお口添えいただきたいのですが」

「なんだ?」

「昇降口の防犯カメラ、ですわ」

それだけ言えば、この頭の切れる男にはすぐわかるだろう、案の定、ピンときたようだったが。


「そうなると、相手もただでは済まないぞ、いいのか?」

「美里さまの名誉を著しく傷付けたのです、それだけのことをしたのですから、当然です」

防犯カメラの録画画像を調べれば、恐らくは誰が下駄箱に万年筆を入れたのかはわかるはずだ。そうなれば、美里ちゃんの名誉を傷つけただけでなく、綾小路の万年筆を盗んだ疑いも出てくる。


「本当にいいんだな?」

「かまいません」

「わかった」


貴彬はスマホを取り出すと、電話帳から綾小路を呼び出して耳にあてた。

「譲、今いいか。そうだ、今日の件なんだが……何?……ああ……そうか、わかった。明日、学苑でな」

電話を切ると、わたしに向き直って通話の内容を教えてくれる。

「もうすでに、録画画像の確認は済んでいるそうだ。あれだけ早く噂が回ったんだ、教師の耳にも入っていたらしい。譲には理事長から話があったようだな、明日には決着がつく」


さすが、私立というべきか。対処が早くて助かるなぁ。


「当然だが、退学だろうな」

「そうでしょうね……」

退学という、重い現実が圧し掛かってきて、わたし達は黙り込んでしまった。


「あら、お兄さまも真莉亜さまもどうされたの?具体的なお話はわかりませんけど、退学になるようなことをなさったほうが悪いんですのよ?」

華恵さまが仰るのは、正論なんだけどね。


わたしは苦笑しながら、華恵さまの言葉に大きく頷いた。

「華恵さまの仰ることは正しいと思います。ですが……なんといいますか、切り捨てればいいというのともまた違う気がして、すっきりという感じではないのです」

「罪があって、罰があるんですもの、それは仕方がないのではないですか?」

そうね、そうきっぱりはっきり割り切れちゃえば、いいんだけど。


「本城さま、あの方たちに弁明の機会は与えられないのでしょうか?」

「どうだろうな、理事長次第だろうが」

「一応、あの方たちの気持ちも聞いてみたいなぁ…なんて…」

貴彬が横目でわたしの顔を眺めている。あら、余計な事を言っちゃったかしら……。


「お前、さっきまで随分と意気込んでいなかったか?」

ですよねぇ……そう言われると思ってました……。

「まぁいい。お前のそういう部分に救われる人間もいるだろう」

いやいや、単に責任を背負いたくないだけの、事なかれ主義思想なんで、そんなことはないと思うよ。

「真莉亜さまはお優しいのね、きっと。わたくしならきっと、とことん追い詰めますわ」

「華恵らしいな……ハハハ」

本城家のお屋敷が見えてきた。


「明日、決着がつく。全ては理事長次第だ、もう俺たちが出来ることはない。お前が気に病む必要もない」

「そうですわね、お話を聞いていただいて、ありがとうございました」

「俺は何もしていない、本当に話を聞いただけだったな」

「いいえ、それでも……」

……あれ、わたしは今、何を言おうとしたんだろう?


車が緩やかに止まって、玄関前にぴたりと着け、お迎えに出ていた榊さんが、車のドアを開ける。

「お帰りなさいませ、貴彬さま、華恵さま……おや、真莉亜さまもご一緒でしたか」

「榊さん、ごきげんよう」

あ……また『さん』付けで呼んじゃった……。

「榊、大道寺はこのままうちの車で家に帰る。ではな、大道寺」

「真莉亜さま、ごきげんよう」

二人を降ろして、本城家の車が走り出す。わたしは二人に手を振って、家路に着いたのだった。




















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