『ゆずさまの会』
二学期が始まってしばらくーーー。
雅ちゃんが今日も浮かない顔をしていた。
『ゆずさまの会』活動再開に向けて、貴彬と何度か話し合っているそうだけれど、どうもその話し合いが難航しているようだ。
秋は武道大会に運動会、文化発表会と、行事が目白押しなので、なかなか話が進まないのかなぁなんて思っていたけれど、雅ちゃんの憂鬱の原因はそれだけではなかった。
雅ちゃんが言うには、活動自粛のきっかけとなった一部の女子生徒が不満を漏らし始めたらしい。
原因を作ったくせに、不満を言うとは何たることだと思ったのだが、声を上げている生徒以外にも不満は広がりつつあるそうだ。
なぜなら……そう、行事が目白押しということは、普段には見られない、貴重な綾小路の姿を写真に収めることが出来る機会があるわけで。
『剣道着姿で寛がれる譲さま』や『徒競走で疾走される譲さま』……掲載時のタイトルはこんなとこだろうか。
今までは会報誌の発行を楽しみに待っていれば、自分たちで撮らなくともその欲求も満たされたのだろうけれど、活動休止中では会報誌も発行出来ない。
だからなのか、武道大会や運動会に、やたらスマホで撮っている女子が多かった気がする。
何を撮っていたのかは興味がなかったから知らなかったけれど、あれは綾小路を撮っていたんだなぁ……本当に我が学苑のアイドルのような存在なのだと改めて思った。
わたし達がお昼休みにティールームで話していると、綾花ちゃんと美里ちゃんもやってきて、さながら『ゆずさまの会』再生委員会のようだったのだけれど、そのテーブルを目指して、綾小路が一人近付いてきた。
「綾小路さま、ごきげんよう」
第一声が誰だったのかはわからないけど、メンバーのうちの一人だろう、その声に釣られるように、わたし達はそれぞれに挨拶をし、綾小路はご機嫌でその輪に加わった。
「やぁ、みんながいるのが見えたから、少しお邪魔してもいいかな?」
相変わらずの無駄キラ笑顔……最近、イケメンへの階段を着実に上っている綾小路は、その笑顔の威力が以前より増している。マシマシで麺普通と言えばわかっていただけるかしら?
「もちろんですわ!」
美里ちゃんが絶妙なタイミングでいいお返事をすると、更にキラ度が増した。同じテーブルには『ゆずさまの会』メンバーしかいないので、どうもお尻の辺りがムズムズする。
わたしはどうにもお尻辺りが落ち着かないのと、場違い感がハンパなかったので、こっそりと席を外そうとしたのだけれど、にっこりと笑った雅ちゃんに制服の上着を掴まれてしまって、中腰の姿勢で固まってしまった。
ちょ、ちょっと雅ちゃん!わたしが抗議の視線を送ると、雅ちゃんが最上級の笑顔を浮かべていた。目は全然笑ってないけど……こ、怖い……雅ちゃんって迫力あんだね……。
「真莉亜さま?せっかくなので、真莉亜さまからのご意見も伺いたいですわ」
雅ちゃんが声だけは朗らかに言うけど、目が、目が……。ていうか、なんでこんな脅されてる?!年貢はちゃんと収めたはずでごぜぇますだ、お代官さまぁ……。
「なんの話をしてたの?」綾小路がのんびりと言う。
「せっかく綾小路さまが取りなしてくださったというのに、会の活動が滞っておりますので、その件に関して話し合っていたのですわ」
綾花ちゃんが悲しそうに、綾小路に訴えた。
「お祖父さまも言い出したら聞かない人だからね。なんだかみんなに迷惑をかけちゃってごめんね」
「いいえ、そんな!」「とんでもございません!」「そんな風に仰らないでください!」
三人がそれぞれ、いっぺんに言うものだから、さすがの綾小路も面食らったみたいだけど、わたしの脳内実況だとこう言っているはずである。
「そ、そう?そう言ってもらえると、僕も心が軽くなるよ」
綾小路の処世術はすごいと、わたしは思わず感心してしまった。動揺など見事に押し隠し、アイドルらしくみなを気遣う……わたしには真似出来ないなぁ。
「それに……大道寺さんがいるなら、大丈夫でしょ?貴彬にオブザーバーの話を振っちゃうくらいに、会のことを考えてくれてるんだし?」
げ……わたしに話を振るなっての、しかも、公にはわたしの名前は出ていないはずなのに、ぶっちゃけおってからに。それに、わたしはメンバーじゃないってばよ!
「え、そうだったのですか?」
ほらぁ……美里ちゃんは何も知らないんだよ?前言撤回、ペラ男はアイドルなんかじゃねぇ!
「適材適所と言いますか、本城さまが一番適任だと思ったのでお話させていただいたのです」
わたしは澄まして、美里ちゃんに答えた。
「もうすぐ貴彬が来るから、よく話し合ってみたらいいんじゃないかな?僕からひとつだけアドバイスしようか?」
雅ちゃんと綾花ちゃんが、綾小路が何を言うか、一言も聞き漏らすまいと真剣な表情をしていた。
「引き受けてほしいなら、何かを差し出さないと……ね?」
悪魔め、そのキラキラにわたしは騙されんぞ!……わたしの友人たちに、何を差し出せというつもりなのだ、この男は!ただでさえ、おぬしは乙女の純心を弄んでおるのだぞ!なんと罪深い男よ!成敗してくれる!
……今、わたしの脳内ワールドで、この男を真剣必殺で叩き斬ってやったぞ!わははは……
「真莉亜さま?」
雅ちゃんに話しかけられて、わたしは我に返った。いかん、いかん、夏休みに清野さんというヲタ友を得てからというもの、刺激されてしまったのか、妄想ワールドが時々暴走してしまうのだ。活動限界を超えた先には、裏コードも存在するので、とっても厄介なんだぜ?
「あ……えっと……」
「譲!」
この声は……。
「本城さま、ごきげんよう」
美里ちゃんが一早く声を掛けた。貴彬は、手を挙げて応える……全く、ちゃんと返事くらいすりゃいいのに。
「探したぞ」
「ごめん、ごめん。たまたま彼女たちがいたから、ちょっとお邪魔させてもらったんだよ」
貴彬は無言のまま、わたし達のテーブルに着く。
「ねぇ?貴彬」「なんだ?」
「オブザーバーはなんで引き受けないの?」
「譲……お前まで、こいつらと一緒になって、俺に面倒ごとを押し付けようとするのか?」
貴彬が不機嫌な声を上げても、綾小路は全く怯まない、さすが。
「まぁまぁ、そうとんがらないでよ。僕から提案なんだけど」
綾小路の言葉に、胡散臭そうな目を向ける貴彬。
「彼女たちも凄く困ってるし、僕としても、そんな彼女たちの力になってあげたいんだ。貴彬が渋っているのは面倒だっていうことだけ?」
何を今さらという表情で、貴彬は一言「ああ」と呟いた。こうして見ていると、意外と感情が表に出てるなぁとふいに思った。前はもっと無表情だったと思うんだけど。
「だったらさ、大道寺さんにも一緒にやってもらえばいいんじゃない?」
「はい?」
ちょっと、何を言い出すのさ!
「大道寺さんは言い出しっぺなわけだから、全部を貴彬に押し付けるなんて、そんなひどいことはしないよね?」
あ……悪魔めーーー!!
わたしはその件に関しては言い訳が出来ない、この男、わかっててこの場で言いやがったな!くそー!
「わかった、それなら引き受けよう」
こ、この男はまたあっさりと……ああ、綾小路の罠にまたドボンと……。
わたしはがっくりと肩を落とした。詰めが甘いと、上司に怒られていた遠い昔を思い出した……。
こうして『ゆずさまの会』は無事、活動再開の目途が立ったと、雅ちゃんたちはとても喜んでいた。
喜んでいる彼女たちを横目に、わたしは十年くらい歳を取った気分を味わっていた。
放課後、わたしと貴彬、綾小路の三人は理事長室へ来ていた。
理事長室のあるフロアは毛足の長い絨毯張りで、おお~ふっかふかと思いながら足を進めた。
見事な細工を施されたドアには【理事長室】と書いてあって、綾小路がノックをすると、秘書の方が出てきて取り次いでくれる。
更に奥にもうひとつ扉があって、そちらに理事長はいらっしゃった。
わたしと貴彬は、綾小路の紹介を待ってご挨拶をした。
「それで、君たちに決まったのか」
「お祖父さま、貴彬と大道寺さんなら問題ないでしょう?」
「そうだな、いいだろう。但し、前回のようなことがあれば、本城くんと大道寺くんの存在は関係なく、永久停止処分にする。いいな」
「わかりました、お祖父さま、ありがとう」
さすが、綾小路理事長は風格があって、わたしは緊張してしまったが、貴彬は全く動じていなかった。本城家の長男は、きっとどんな相手でも動じることはないんだろうなぁ。
理事長室を出ると、わたしはほっとして肩の力が抜けてしまった。
「大道寺さん、緊張してたの?」
めざとく見つけた綾小路に早速突っ込まれる。
「それはそうですよ、緊張しましたけど、お許しが出てよかったですわ」
わたしがそう言うと、貴彬がわたしの顔をまじまじと見た。
「お前でも緊張するのか」
「しますよ!わたくしは小心者ですから」
「へぇ?とてもそうは見えないが」
「な……なん……」
「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないでよ」
「してない」「してません!」
わたし達三人は、自分達の教室へ戻る間、ずっとこんなやりとりを繰り返していたのだった。
わたしが教室へ戻ってくると、わたしの帰りを待っていてくれた、雅ちゃんと美里ちゃんがいた。
「無事、理事長の許可が出ましたよ」
「本当ですか!真莉亜さま、ありがとうございます!」
「嬉しい……真莉亜さまには感謝してもしきれません……」
雅ちゃんはわたしの両手を握りしめ、ブンブンと上下に振っているし、美里ちゃんはハンカチを出して目元を拭っていた。
彼女たちは本当に嬉しそうだった。こんなことなら、早々にわたしが引き受けていたほうがよかったかな……いや、でも、やっぱり女子同士の争いを避けるには、貴彬の存在は必要だ。
言ってみれば、貴彬はストッパーだ。貴彬の目があれば、今度は大丈夫だろう、きっと。
わたし達三人は意気揚々と教室を出て、それぞれの車で自宅へと帰っていく。
「お嬢様、何か良いことでもあったんですか?」
バックミラー越しに誠一郎が尋ねてきた。
吉田が元気になったので、今は誠一郎と健司が交代でわたし達の専属を務めてくれている。
「そうね、今日はちょっといいことをした気分」
「そうですか、それはよかったですね」
誠一郎がミラー越しに笑ってくれたのが見えた。
わたしは車窓を眺め、日が落ちるのが早くなったなぁとぼんやり思っていた。
この時のわたしはまだ、色々なことに気付けていなかった。
自分自身で、この世界の理をなぞっていたことを。




