笑う門には?
昼休み、俺は食堂でトレイを持ったまま、ウロウロしていた。
先ほど、華恵から一緒に食べようと誘われたのだが、妹の姿が見えない。
華恵が大きく手を振っているのをやっと見つけた、俺は急いでそちらへと足を運ぶ。
「ずいぶんと奥に座っているじゃないか。見つけられなくて苦労したぞ」
ようやくテーブルに着いて、俺は華恵に文句を言った。
「お兄さま、ごめんなさい。でもあまり人が多い所ではお話しづらいの」
「まぁいい。さぁ食べようか」
「ええ」
俺たち兄妹は奥まった席にいるので、同じエリアにいる生徒はせいぜい2~3組だ。大抵は窓際の席か、大テーブルが先に埋まっていく。
「ご無理を言ってしまったかしら?お兄さまはお友達とご一緒のほうがよろしかった?」
「別に構わない。毎日、華恵と一緒でもいいんだぞ」
俺がそう言うと、華恵はびっくりしたような顔をした。何か妙な事を言っただろうか?
「どうした?そんなに驚いた顔をして」
「え…えっと、お兄さま、朝は随分とご機嫌斜めでいらしたのに、すっかり治っていらっしゃるから、ちょっと驚いてしまったわ」
「そうだったか、華恵に気を遣わせてしまったな」
「いいえ、それはいいんですの。ただ……」
「どうした?」
「またご不快な思いをさせてしまうかもと……」
「なんだ、不愉快な話なのか?」
華恵はためらっているようだったが、誘ってしまった以上は話そうと覚悟を決めていたのだろう、俯き加減だった顔を上げて、俺の顔を真っすぐと見た。
「真莉亜さまのお相手がわかりましたのよ?」
また大道寺か……相手がわかっただと?いや、そもそも恋の悩みじゃなさそうだから、気にする必要もないのだが、一応聞いておくか。
「どんな奴だ?」
「大学生ですって、雄斗が言ってたの。わたくし、驚いてしまいましたわ」
華恵は声のトーンを落としながらも、その話を聞いた時は驚いたのだろう、目を大きく見開いていた。
「大学生?うちの大学の学生なのか?」
「たぶん、そうだと思うんですのよ。あまり詳しくは聞いてないんですの。雄斗も相手の方の素性を知らないみたいですし」
大学生と一体どうやって知り合うんだ?俺にはさっぱりわからないが。
「そうか、それでわざわざ昼休みに俺と会おうとしたのか」
「ええ、お兄さまにはお知らせしておかないと、と思ったんですもの」
華恵は俺と大道寺の間にある『婚約』の話は知らないはずだ。なのに、なぜ、大道寺が好きかもしれない相手のことを俺に話すんだろう?
「華恵、わざわざ俺に知らせようとしたのは、なぜだ?」
「……そう言われてみれば、そうですわね。なぜなんでしょう?」
これが、華恵でなければ、知るか!で終わりなのだが。可愛い妹は首を小さく傾げている。
「華恵がわからないなら、俺にはもっとわからないな」
「そうですわね、本当にどうしてかしら……」
なるほど、何か意味があって言っているわけではないのか。華恵は、身内の欲目もあって可愛いと思うが、決して思慮深くはないから、こういったことがたまに起こる。身内だけならいいが、あまり周りを巻き込まないでくれよと思う。
「兄妹揃って食事か……珍しいね」
食事が終わったらしい譲が、俺たちのテーブルに近付いてきた。ファンクラブに囲まれていないので、手持無沙汰なんだろう。
「譲さま!ごきげんよう」華恵がにっこりとよそ行きの笑顔を見せた。俺は軽く手を掲げて、譲の言葉に応じる。
「華恵ちゃん、しばらく見なかったけど、また可愛くなったんじゃない?」
「譲さまはお上手ね、でもありがとうございます」
まるで定型文のようなやり取りだな……俺は二人に気付かれないように、小さくため息を吐いた。
俺はこういうやり取りがあまり上手くはない。両親に連れられて行く社交の場でも、将来が楽しみだとか、しばらく見ないうちに…云々と言われることがよくある。
そして、華恵のように、応えるのだ。長男に生まれた以上は義務だとわかってはいるが、どこか空々しい社交場の空気はあまり好きではなかった。
二人を見ていて、これが大道寺だったら……とふと考える。きっと、俺の予想の上、いや、斜め上くらいはいくんじゃないだろうか?譲と大道寺の社交のやり取り、一度見てみたいものだな。
「お兄さま、なんだか楽しそうですわね?」
「ほんとだ、貴彬、何を考えてたの?」
「い、いや、なんでもない」
知らず、表情に出ていたらしい。表情の変化に乏しい俺のことを、華恵や譲はよく見ているので、微妙な変化もすぐに気付かれてしまうようだ。
「コ…コホン…そろそろ午後の授業が始まるぞ」
俺は華恵の分のトレイも持って立ち上がる。午後の授業が終わったら、さてどうしようか。授業よりも放課後が気になって仕方なくなっていた。
......................................................................................................
朝、教室で、雅ちゃんからメモを手渡された。
「本城さまからお預かりしましたわ」
わたしは雅ちゃんの手のひらにのった、白い小さな紙を見つめていた。
「メモ……ですの?いつ、お預かりされたのです?」
「たった今しがたですわ。教室までいらっしゃっていて。お気付きになられなかったのですね」
「ああ、ごめんなさい、少しぼんやりとしていて……寝不足かもしれませんわね」
わたしが小さく笑っても、雅ちゃんは曖昧な表情のままだった。
そのうち、予鈴が鳴ったので、みな席に戻る。
わたしも席に戻って、その紙を開いてみると【放課後、車寄せ】とだけ書いてあった。本当に用件だけしか書いてない、貴彬らしいなぁと思う。
でも、わたしの知っている貴彬は、本当に『ゲームキャラと同じ貴彬』なんだろうか。
家族で仲良く暮らしている現在、貴彬は孤独や哀しみといったものとは無縁の生活を送っているはずだ。綾小路は女子生徒に囲まれてハーレム生活を送っていた、ここまではゲームと同じ。
今は理事長の鶴の一声で、ハーレムが休止中だけれど、そのうち復活するだろう、たぶん。
では、綾小路のキャラに変更はないのだろうか?
ーーーこんな感じで日々、考え事をしているせいで、家族を始め、周りの人たちに心配をかけていることは重々わかっていた。
わかっているけど、やめられないのだ。これではジャンキーと同じじゃないか……。
自分で思っていた以上に、大道寺の家が大好きなんだな。あの家から追い出されて絶縁などしたくない。そのことがどうにも頭から離れず、結果、未来を予測しようと、一人で焦っているのだ。
焦ったところで、どうしようもないことも、もちろんわかっている。わたし一人がどうしようが、大きな事象はそう変わらないだろう。
四人とも、揃ったのだから。
最後の一人、相楽さんの存在に気付かなければよかった。あの日、本を取り落としてしまったことで、またひとつ、歯車が変わったのだと思うのだ。
わたしが本を落とさなければ、少なくとも話しかけられることはなかっただろう……否、それとも、別の展開で『話しかけられる』ことは既に決定事項だった?
……こういう感じなんですわ、答え、出ると思います?思いませんよね、ハハハ……。誰に聞いとんじゃワレ、と脳内ツッコミが入る。
わたしの現在はこんな感じで日々過ぎていっているのだ。精神的に不衛生極まりない。いい加減、自分でもどうにかせんとなぁとは思っていたのだが。
放課後の車寄せに貴彬という地雷が置かれてしまったとは、とことんツイてないなー。
あんまり行きたくないけど、車寄せに行かないと家に帰れないしなー、しょうがないかー、貴彬からの呼び出しってことは『ゆずさまの会』のアレがバレたんだなー……ああ、やっぱりバレたか……まぁいいや、怒られよう……この無気力状態の中、あっという間に午後はやってきた。
「お待たせしました」
わたしが車寄せに行くと、すでに貴彬が待っていた。
「ああ、ちゃんと来たんだな」
うわ、遅いって怒られるかと思ったのに、なんだか調子狂うなぁ。
「行くぞ」
「え、ちょ、ちょと、え…」
わたしは手を引かれ、本城家の車に強制連行されてしまった。
「本城さま、横暴ではありませんか!」
ゆっくりと動き出した車の中で、わたしは抗議の声を上げたが、貴彬は涼しい顔をしている。
「お前の家には連絡済みだから、気にするな」
「れ、連絡済みって……」
呆然としているわたしを置いて、貴彬は運転手に何事か指示を出していた。
「まずは、うちの母親のブティックに行くぞ」
「は?な、なな、なんで?」
「なんでって……お前、仮面が外れてるぞ」
「仮面?……し、失礼ですわね!」
「ぷ……くくく……無理するな」
貴彬が変だ!どうした?何があった!無気力状態だったわたしは、この状況に全く対応出来ず、ただただ貴彬のペースにハマっていた。
美沙子さまのお店に連れて行かれ、強制的に制服を着替えさせられた。
貴彬も同じように着替えているが、二人とも礼装ではなく、お出かけ用の私服だった。
お店を出ると、また車に乗せられて……。
「あの、お代はおいくらでしょうか?」
「代金?……そんなものはいらない」
「いえ、でも、いただく理由がありませんので」
「そうだな……これから俺に付き合ってもらうから、その礼だ」
「ええっっ!!」
「……声が大きい、耳元で騒ぐな」
一体どこへ向かっているのか……学苑以外に外に出ることがほとんどないわたしには、さっぱりわからないが……。あれ……?ここは……。
都心にある、ファッションビルだった。いや、でも着替えたんだから、洋服買うわけじゃないよね?
わたしの頭の中はハテナでいっぱいだったのだが、貴彬と一緒に車を降りると、タキシードに身を包み、蝶ネクタイを締めた男性が待っていた。
「本日は、私どものような所へ、ようこそお越しくださいました」
男性は緊張気味にわたし達を先導してくれる。その間、貴彬が発したのは「ああ」の一言だけだった。
わたしはこういうことには全く慣れていないので、驚くしかない。我が家では、こういう場に子供だけで行ったことがないので、貴彬のように場数を踏んでいないせいもあると思うんだ、そう思いたい。
支配人らしき男性がこのような所と言ったわけが、少しずつわかってきた。
貴賓専用のエレベーターがなく、一般客と一緒に上のほうの階へ昇っていく。子供だけで支配人らしい男性を従えて乗っているものだから、目立ってしょうがなかった。
ああ……なんでこんなことに……帰りたい……。
わたしのような小市民は、目立つことが苦痛で仕方ない、どうしてこうなった、おい。
エレベーターが最上階に着くと、そこは……。
まさかのエンターテイメント劇場だった。お笑い芸人が生でコントや漫才をやる、アレである。
「ど、どうして……」
思わず呟いたわたしに、貴彬がにんまりと笑った。
「お前が言ってたお笑い芸人というものが、どういうものか知りたくて、一度来てみたいと思っていたんだ」
「だ、だからって、テレビを観ればいいではありませんか?!」
「どうせなら、生で観たいだろう?」
金持ちの思考は、わたしの理解の範疇を超えている……。この調子では『ミュージカル観たい、ほなブロードウェイ行ったろ』になりかねん。
本日、二度目の呆然状態のわたしの手を引いて、貴彬は支配人の後に続く。
貴賓席などない劇場なので、一般客と同じ席だが、真ん中の、前が通路で前から十番目くらいの席が用意されていた。この劇場の中ではいい席なんだろうと思うが一体いつ取ったんだ?
席に座って一息ついたところで、わたしは貴彬に尋ねた。
「本城さま、いつこの席を予約なさったのです?」
「今日だ」
「ええっ!き、今日でこの席を予約出来たのですか?」
「そうだな、榊が取ってくれたんだが、まぁこの劇場の中ではいいほうだろう」
さ、さすが本城家……。
「細かいことはいい、俺は初めてだからな。色々わからないことも多い、お前が知っていることがあれば教えてくれ」
「わたくしも初めてですので、なんとも……」
「お前、お笑い芸人を知っているんだろう?」
「それは、そうですけど……でも劇場で観るのは初めてですので」
「そうか、それはよかった」
貴彬が楽しそうに笑っている……横の席でよかった……。
しばらくすると、前説の後に緞帳が上がってコントが始まった。
前説についてレクチャーしてやると、ああ、そういうのもあるんだなと貴彬は頷いていた。
最初は緊張していたわたしも、二組目の途中辺りから段々と面白くなって、気付くと声を上げて笑ってしまっていた。他のお客さんもみな楽しそうに笑っている。
貴彬は大丈夫かなぁ?と心配になってふと隣を見ると、貴彬は声こそ出していなかったものの、口角が上がっていたので、やはり面白いんだなと安心した。
そうして全ての演目が終わる頃には、わたしは盛大に大笑いしていたのである。
終演の少し前に、支配人が迎えに来てくれて、一般客で混雑する前に劇場を出ることが出来た。
支配人の男性はきちんと車まで見送ってくれたので、わたしは貴彬の代わりにしっかりとお礼を言って本城家の車に乗り込んだ。
「本城さま、本日はお誘いくださってありがとうございました」
わたしが頭を下げてお礼を言うと、貴彬が真剣な顔をしてこちらを見ていた。
「少しは気が晴れたか?」
「え……」
「あれだけ盛大に大口を開けて笑ってたんだ、もう、大丈夫だろう?」
「あ……お見苦しいところを……」
ああ、そうか。貴彬はわたしを元気づけようとして、ここへ連れて来てくれたのか。
……わたしは何も言えなくなってしまった。
「俺はお前が何を考え、悩んでいるかはわからないが」
わたしは貴彬の顔をまじまじと見てしまう。
「お前が話したいと思う時が来たら、いつでも聞いてやる」
なんて上から目線!ああ、でもありがたいよな、こうやって言ってくれる人が一人でもいるというのは、心強い。
「それとは別に、なんだが」
ちょっと待って、今、感動に浸ってるんだけど。
「譲のファンクラブのオブザーバーとは、どういうことだ?」
あーーー!今それ言っちゃう?!
せっかくのわたしの感動を返せ、返してくれーーーっ!!




