小さな誤解ー雄斗編ー
紫陽花が綺麗に咲いた庭に、雨がしとしとと降り続いていた。
梅雨時は湿気が纏わりついているようで、少々鬱陶しい。
先ほど、お父さまの書斎で、貴彬がお父さまの会社にやってきて、わたしに関して述べていた事柄を聞いたせいで、余計に鬱陶しいのかもしれなかった。
貴彬は、お父さまがわたしに話をするのをずっと待っていたようだけど、痺れを切らしたのか、屋上でわたしにぶちまけてしまったようだ。
それも、だいぶ前の話になるけど。
お父さまは、そろそろ話しておかないと、とやっと決心がついたようで、苦い顔をしながら話してくれた。
せっかく決心してくださったのだが、わたしはとっくに聞いてしまっていたので、わたしが驚くだろうと予想していたお父さまは、なんとも言えない顔をしてらした。まぁ聞いたところで、何かが変わるわけじゃないんだけど。
わたしとしては、お父さまが断ってくださると思っていたのだけれど、本城家からのお話を無碍にするのは難しいようだ。ただ、正式な話ではないから、返事は保留中ということで済んでいるらしい。
「真莉亜は貴彬くんをどう思っているんだ?」
「わたくしは……」貴彬はわたくしの二次元嫁のトップの座に君臨していますのよ!ーとは言えず。
「同級生としてのお付き合いしかございませんし、これからもそれは変わらないと思います」
「ふー……まだ早いと思うだろう?」
「まだ、どころか、まだまだですわ、お父さま」
「そう思うか」「はい」
お父さまはわたしの気持ちを汲んでくださったのかはわからないけど、とりあえずは『早い』ということで意見は一致した。
これでしばらくはこの話はないと思う。というか、この話は立ち消えになる可能性が高いのだ、下手に婚約でもしてみろ、違約金を払うのは本城家だ、ありがたいと思ってもらわねば困る。
「わかった、この話は終わりだ」
「はい、では失礼いたします」
書斎を出て、小さくため息を吐いた。この間のおシャンティの出現で、自分の立ち位置を再認識したわたしは、ここのところ、心ここにあらずで、ぽやーんとしていることが増えた。
今更だけど、ヒロインの名前は、イメージは、どんなスチルがあったっけ、イベントは?
……そんなことばかり考えているので、家庭教師の先生にも、学苑の先生にも注意されっぱなしだった。
一応、鍵のかかる日記帳に、思い出した事柄をメモ書きで残してある。全て合致するとは限らないけど、ほんの少しの手がかりでもメモにしておかないと、のちに大きな災いとなって自分に降りかかってくるかもしれないのだ。
真莉亜の人生は、わたしの人生でもある。出来ればフラグを回避して、大道寺の家でみなで仲良く暮らしたい。お父さまもお母さまも、雄斗も、そして使用人のみなも、わたしにとっては大切な家族なのだ。
自分でも思い詰めては駄目だとわかっているのに、考えることをやめられない、そんな悪循環が続いていた。
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ここのところ、姉さまの様子がおかしい。
どうしたんだろう?
あの元気でいつも食事をペロリと平らげる姉さまが、最近残してしまうので、僕は驚いていた。
声をかけても耳に入らないのか、何度かかけるとやっと気付くという具合に、ぼうっとしている。
あの様子では、授業にもあまり身が入っていないんじゃないか。姉さまは、勉強も良く出来ると家庭教師の先生が褒めていたのに、最近では注意されていることも多いみたいだ。
いつも休憩のお茶を持って行くばあやが、驚いて母さまに話しているのを聞いてしまった。
姉さまはご自分ではしっかりしていると思っているみたいだけど、僕はそうでもないと思っている。
特にここのところはひどくて、この間はランドセルを車に忘れていくという、大失態をしでかした。僕が先に降りていたら、気付かずに教室に向かっていただろう。
何か気がかりなことがあるんだろうか?
僕に何か出来ることはないだろうか?
……あまり気は乗らないけど、華恵に相談してみようかと、僕はお昼休みに華恵のクラスを覗きに行った。
華恵を呼んでもらおうと教室のドアから覗くと、ちょうど友達と食堂に行こうとしている華恵が見えた。
華恵が僕に気付いて、何事かを友達に言うと、すぐにドアのほうに来てくれた。
「どうしたの?わざわざわたくしのクラスまで来るなんて。今日は雪が降るかもしれないわ」
相変わらず一言多い。こんなで友達とうまくやれているんだろうかと、こちらも心配になってしまう。
「雪は降らないと思うよ。華恵にちょっと相談したいことがあるんだ」
「あら……これは本格的に降るかもしれないわね」
華恵はクスっと笑った。口を開かなければ華恵は本当にお人形さんみたいに可愛い。この可愛らしい顔で毒舌なのだから、始末が悪い。
「冗談はこのぐらいにして、食堂でランチをしながらお話しましょうか」
「そうだね」
華恵と僕は連れ立って食堂へ向かった。
僕たちはあまり目立たない、奥のテーブルに向かうけど、男子生徒の視線を一身に浴びて、僕は居心地が悪かった。華恵は可愛いから目立つのだ、本人は全く気にしていないようだけど。
「相談というのは、何かしら?」
「ん……ぐ……ちょっと待って、華恵」
「あら、ごめんなさいね、雄斗」
華恵は昔から、僕をからかうことが大好きなんだ。今だって口に物を入れたのを見ていたくせに、すぐに話しかけるなんて、絶対にからかっているんだろうと僕は思う。
僕はモグモグと口を動かしながら華恵を睨むけど、全く効果がないことだけはわかっている。
「華恵、僕は真面目に相談しようとしてるんだよ?」
僕が真剣に言うと、華恵は小さい声でごめんなさいと言った。
「姉さまのことなんだ。華恵は何か、貴彬さまから聞いてない?」
「真莉亜さまのことだったのね、雄斗、それを先に言いなさいよ」
華恵は姉さまのことが大好きらしい。最近はお話する機会がなくて、とこの間も嘆いていたけど、姉さまのどこが気に入っているんだろう。僕も姉さまは好きだけど。
「先にって、物には順序というものがあるんだよ……」
「わかったわ、真莉亜さまのことね。真莉亜さまがどうかなさったの?」
華恵は気が強いけど、短くもある。これでようやく話が進むから、僕としても助かるけど。
僕は、姉さまの様子が最近おかしいこと、特にぼうっとしていることが増えたことを掻い摘んで華恵に説明した。
華恵は黙って頷きながら、僕の話を聞いていた……だけど。
「わかったわ、真莉亜さまはきっと恋をなさっているのよ!」
と、僕が全く考えもしなかったことを言い出したのだ。
「そうかな、そんな風に思えないんだけど」
「でも、ぼうっとされていて、時にため息を吐いたり、遠くを見つめていらっしゃってない?」
どうだったかな……ため息は吐いていたかもしれないけど……。
「きっと恋に落ちてしまわれたんだわ!お相手はどんな方なのかしら……」
「華恵、決めつけるのはよくないと思うよ?」
「そんなことはないわ、だって本に書いてあったもの!」
一体どんな本を読んでいるんだか……僕がじっと見ていることに気付いたのか、少しバツが悪そうな顔をする。
「や、やぁね、雄斗、そんなにじっと見ないでちょうだい」
「どんな本に書いてあるんだろうと思っただけだよ」
「雄斗は意地悪ね……せっかく相談に乗ってあげてるのに」
ああ、そうだ、僕は華恵と話すといつも脱線してしまう、なんでだろう?……今はそんなことはいい、姉さまのことが先だ。
「そうだよ、華恵。僕は相談しているんだよ。同じ学年の貴彬さまなら何かご存知じゃないかと思うんだ。華恵から聞いてみてもらえないかな?」
「わかったわ、お兄さまに伺ってみるわ。結局、雄斗はわたくしの意見は聞いてくれないのね」
「姉さまが恋をしているっていうこと?」
華恵はうんうんと頷く。
姉さまが恋ねぇ……まぁおかしくはないけど、なぜか想像出来ない。あの姉さまが……駄目だ、考えられない。
「雄斗には困ったものね、シスコンじゃないの?」
「な……華恵にだけは言われたくないよ!」
「わたくし?そうね、わたくしはお兄さまが大好きよ、だからブラコンね」
うふふと華恵は嬉しそうに笑う。本当に貴彬さまが好きなんだな。
「じゃあ、明日また食堂で待ち合わせしましょ。また明日ね、雄斗」
「うん、またね」
華恵はそう言うと、トレイを持って先に席を立った。残された僕は、華恵の言ったことを頭の中で繰り返し、姉さまに限ってそれはないだろうと改めて思った。
ーーー放課後、僕は車寄せでうちの車を待っていた。
姉さまは、今日はもう一時限授業があるので、別の車で帰る予定だ。
「雄斗さま、遅くなりまして申し訳ありません」
新しい運転手の健司が、急いで運転席から降りてくると、ドアを開けてくれる。
「道が混んでいることもあるよ、事故じゃなくてよかった」
本当に申し訳ありませんと、僕が乗り込むとドアを閉めながら健司は頭を下げていた。
校門までゆっくりと車が進んでいく。
すると、健司が「あ……」と小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもありません」
バックミラー越しに会話をしていたけれど、健司の視線が左側に流れたので、僕もなんとなく左側を見た。
大学の学生だろうけど、珍しいことにスポーツタイプの自転車で、校門へと走っている。
「珍しいね、校内で自転車に乗っている人を初めて見たよ」
僕は思わず健司にそう話しかけたけど、健司はサイドミラーでその人をまだ確かめているようだった。
「健司、そんなにあの人が珍しい?」
僕は不思議に思って、健司に聞いてみた。
「珍しいというわけじゃなくて……あの自転車に乗っている学生さんが、真莉亜さまと一緒にいた人に似てるなぁと思って、つい」
え?どういうこと?姉さまが、大学生と?
「姉さまが?いつ?」
「いつだったかな……先月だったと思います。真莉亜さまを待っていたんですが、その時に学生さんと一緒に車の近くまでいらっしゃったんですよねえ」
先月?……姉さまの様子がおかしくなったのも、その頃からだった気がする。
「健司、悪いけど、もう一度車寄せまで行ってくれる?」
「は、はい」
「もう一度、あの自転車の人を僕も確かめたいんだ」
「かしこまりました」車は校門の手前で大きく右に曲がって、車寄せまで戻り、校門へと向かう。
ちょうど、自転車の学生が校門を出ていくところだった。
「健司、ゆっくりめに追い抜いてほしい」
「はい」
僕は自転車の学生を車で追い抜きざまにじっくりと観察した。
栗色の髪で、ほっそりとした人だった。でも僕には心当たりがない人だ、会ったこともない。
「健司が見た人と同じ人だった?」
「ちらっと見ただけなのでなんとも……でも似ていると思います」
「わかった、ごめんね、遠回りさせちゃって。もう帰ろう」
「かしこまりました」
華恵は、姉さまが『恋をしている』と言っていた。姉さまがおかしいとはっきり感じたのは今月に入ってしばらくしてからだけど、そう言えば、先月の終わりぐらいから様子がおかしかった気がする。
姉さまが恋?!恋だって?
あの大学生と?!だって、姉さまはまだ小学生で、子供で……。
でも、どうやってあの大学生と知り合ったんだろう?
僕の頭の中は疑問で一杯になってしまった。でも、姉さまに直接聞く訳にもいかないし……。
明日、とりあえず、貴彬さまがなんと仰っていたか、華恵から聞いてみよう。
それでもわからなかったら。あの大学生が何者かだけは突き止めたほうがいいかもしれない。
僕は車の中で、そう決心した。




