綾小路狂騒曲2
あれから時は過ぎ、我が家の庭では梅の花が見頃を迎えていた。
余談だが、桜はきれいだけれど陰陽道では『陰の花』なんだそうだ。
そのせいなのか、我が家には桜は植えられていない、元武家としては当たり前だが、椿もだ。椿は花首から落ちるので、験担ぎで武家には植えないそうだ……諸説あるらしいけれど、我が家ではそういう理由で植えていないと、勇仁が教えてくれた。
学苑生活のほうは、あの屋上での出来事以来、貴彬が距離を縮めてくるのではないかと戦々恐々としていたのだが、わたしが拍子抜けするくらい、教室での貴彬には普段と変わった様子は見られなかった。
天宮さんが、今のところは大人しいとはいえ、わたしと貴彬の間に微妙な変化があったと気付かれては色々と面倒だと思っていたので、貴彬が変わらずにいてくれることは有難かった。
あれから雄斗は気恥ずかしさもあったのだろう、手のひらを返したように元気に…というわけではなかったけれど、華恵さまが迎えに来なくてもわたしと登校するようになった。友達の存在は大きいよね、大事にしなくちゃね。
そう、友達は大事だ。
わたしは目下、その友達である綾花ちゃんに、どうにかわかってもらえるように、事態の説明をしている真っ最中なのだ。
「ですので、綾小路さまはわたくしを困らせることに意義を感じていらっしゃるだけなのです」
「………本当なのですか?」
綾花ちゃんは疑いの視線を向けているけど、わたしは潔白だ、本当だよ?
わたしの予想通り、綾小路は理事長室から、全てをばっちり、はっきり見ていた。
「大道寺さんの弟さんとその友達の友情のためという大義名分で屋上の鍵を借りたはずなのに、貴彬と一体何を話してたの?」という、綾小路の質問から全ては始まったのだ。
絶対に聞かれるだろうと予想していたのだが、綾小路はよりによって、放課後の教室でその話を持ち出した。
わたしが勝手に思い込んでいたのかもしれないが、わたしの綾小路評は『空気が読める男』だったのだが……。
のけ者にされた嫌がらせが目的だったのだろうと、密かに思っている。
理事長の鍵を借してくれたのに、その場にいなかった、綾小路。
当事者である雄斗となんら関係がなかっただけなのだが、綾小路はそうは思わなかったようだ。
お昼休みのほとんどを、今や『ゆずさまの会』メンバーと過ごしている綾小路だが、元々はわたしと貴彬の間に、何か自分の知らないことがあるのではないかと疑って、わたしと無理矢理親しくなろうと画策してきたことに端を発している。
うまく逃げ果せた、シメシメと思っていたのに、わたしと貴彬の姿を見て思い出してしまったのだろう、なおさら『自分だけのけ者』だと思ったのかもしれない。
雄斗のせいだぞ、道場でこの借りは返すからな!!
放課後の教室は、人影もまばらだったとはいえ、わたしと綾小路だけだったわけではない。女子生徒もチラホラ残っていたように思う。
その状況で、綾小路は、貴彬と何を話していたのだと言ったのだ。これでは、せっかく貴彬が教室でわたしの存在を空気扱いしてくれているのに、意味がなくなってしまう。
しかも大義名分だと?!それでは友情云々にかこつけて、貴彬とわたしが話したかったみたいに聞こえるじゃないか!———最も、その意味にまで気付くのが何人いるか、だけど。
「本城さまにお礼を申し上げていたのです 弟のことで華恵さまにまでご迷惑をおかけしたので、お詫びもしておりました」
無難だし、至極真っ当な答えだと思うのだが、すでにのけ者だと被害者意識でいっぱいの綾小路には通用しなかった。
「ええ?!そんな風には見えなかったよ?だって、あの貴彬が大笑いしてたじゃない、あんな風に笑う貴彬を見たの、初めてだよ」
その言葉に振り返った女子生徒がいたような……。
わたしは声のトーンを落とし、綾小路だけに聞こえるように、そっと告げる。
「綾小路さま、こちらでは耳目もありますので、場所を変えませんか?」
綾小路はすっと目を細めて、わたしの顔を見てニヤリと笑った……そう、見事に引っかかったのである、このわたしがだ!
発現したのが七歳、三年後の今は立派な四十オーバーが中身のわたしが、である。
綾小路は侮ってはいけないと、この時、肝に銘じたのだが、時すでに遅し。
その時は、場所をティールームに移し、お礼とお詫びだけだ、わたしの何かの行動が貴彬の琴線に触れたのだろう、わたしには心当たりがないと、綾小路の手を変え品を変えの追及も、のらりくらりと交わしてごまかしたのだが。
綾小路は全くもって納得していなかった上に、追及がうまくいかなかったせいで粘着し始めたのだ。
貴彬に聞いても、暖簾に腕押しだと悟っていた綾小路は、ターゲットをわたし一人に絞ったのである。
……そこからは地獄が待っていた、まだ地獄のほうがマシかも知れぬ、行ったことないけど。
クラスの席替えでは、わたしの隣の子を笑顔と恫喝で買収して、ちゃっかり隣をキープし、授業中もわたしにわかるように視線を寄越してみたり、わざと(絶対そうだ)教科書を忘れて、わたしに見せてほしいと強要したり、お昼は解放されたけど、放課後も車寄せまで必ず一緒に帰るしで……。
『ゆずさまの会』の活動内容は、綾小路の行動を把握することにある。
当然、ゆずさまの会のメンバー間で議論が巻き起こったらしいが、最初のうちは、お昼の至福を提供したのがわたしだということで、大目に見てくれていたらしい。
ただ、それにも限度というものがある、それはそうだと思う、わたしがメンバーだったらムカつくもの。
そこで、今回も綾花ちゃんが使者として、わたしと話をしているのだ。
「それに、綾花さまはわたくしに好きな方がいると、ご存じではないですか」
「そうですが……皆さまが納得してくださらないと思うのです」
ですよねー?それだけじゃ、納得しないよねぇ……。
「それでは、これから放課後、週に二度ほど、お茶会をティールームで催されるというのはどうでしょう?」
「お茶会、ですか?」
「ええ、そうすれば、少なくとも週に二度は、わたくしが綾小路さまと一緒に帰ることはなくなります」
「どうやって、開催するのです?」
「綾小路さまは、大変勉強がお出来になるので、宿題を教えていただきたいと仰ってみてはいかがですか?最初は勉強会で始めて、徐々に上級生の方も交じってお勉強しながらお茶を飲む、そんな会になさったらよろしいと思うのです」
「なるほど……」
「出来れば、同じクラスのメンバーの方に、最初に声をかけていただいたほうが自然な気がします」
「確かに、そうですわね、クラスで宿題の内容も違うでしょうし」
「綾花さまにも、メンバーの方々にも、ご不快な思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「いえ、真莉亜さまなら、もしお付き合いされたとしても、メンバーから不満は出ないと思うのですよ はっきりしないことに苛立ちが募っていたと言いますか……」
「お付き合いなど、考えたこともありません どうか安心なさって?」
「そうなのですね、わかりました では勉強会のこと、会長を始めとする皆さまにお話ししてみますわ」
「よろしくお願いします では、わたくしはこれで失礼しますね」
「ええ、ごきげんよう」
わたし達が話していたのは、女子のロッカールームである。お昼休みならここに生徒が来ることは滅多にないので、女同士で秘密の話をするには打ってつけなのだ。各学年に三つずつあるので、同じような生徒とかち合うことも、まずない。
教室へ戻りながら、わたしは考えていた。
それにしても、どうしてこう、粘着性の人間が多いのかなぁ?
貴彬も一時、ストーカーだったし。
雄斗も粘着質だろう、光正くんに比べると圧倒的に拘ってたし……。
ーーーーああ、そうだね、忘れてたよ。わたしは自分が執着していないことには、記憶領域を使わない女なんだ。だから、今の今まで、すっかり忘れていた……あいつら全員、ヤンデレバッドエンドがあるってことを。
バッドエンドと言うと語弊があるかもしれないが、わたしはバッドエンドと思っていた。
ソフ倫の燦然と輝く銀色の18は伊達じゃなく。
ヤンデレエンドは本当にキツかったんだよ、ディレクターさんマジ鬼畜ですねと思ったものだ。
粘着質=病みとは思わないけど、傾向としてはなりやすいと思うんだ。だから、彼らは粘着質なんだね……これは彼らの責任ではなく、ディレクターの責任だ、修正バッヂでなんとかならんのか、おい。
ーーシステムの修正だけですね、わかります。
……脳内で一人ツッコミしてどうする。
粘着質って、どうにかなるもんなんかなー?わたしはあまり得意じゃないタイプなんで、出来れば接触もご遠慮したいけど、雄斗はご遠慮出来ないし。
んーーーー……。
歩きながら考え事はしないほうがいい、廊下の角から現れた男子生徒に、突進するところだった。
「あ……」「おっと……」
「申し訳ありません 失礼しました」
「大丈夫?怪我はない?」
「もちろんです、すみませんでした」
「考え事でもしてたのかな?危ないから気を付けてね」
「はい……え……」
「どうしたの?僕の顔に何か付いてる?」
「い、いえ、なんでもありません では失礼します」
わたしは一礼すると、足早にその場を離れた。
わたしがぶつかりそうになった上級生の顔を、思わずまじまじと見てしまった理由。
似てると思ったのだ、わたしが思い出せない、もう一人の攻略対象者に。
んー……それとも、違う誰かと混同してる、とか。
数々の乙女ゲームをやりこんでたから、少し似てるくらいの人が一人くらいいても不思議ではない気もするけど。でも、似てるんだよなぁ、雰囲気とかが。
でも、でも、確か教師じゃなかったかなぁ、違ったっけかなぁ……。
「……い」
「おい………真莉亜!」
「え?」
「何回、声を掛けたと思ってるんだ」
「申し訳ありません 何かご用でしょうか?」
「用はないが」
用がないのに、話しかけるなよ、貴彬。今、忙しいんだから、わたしの脳内が。
「用はないが、お前、どこに行く気だ?」
「どこって……あ……」
貴彬に、この日ほど感謝したことはない。
「そこは男子トイレだぞ?……ぷ……く……」
「本城さま、ありがとうございます ですが、笑いを堪えるのはやめてください」
「だって……おま…お前…くくく……」
もう!そんなに笑わなくたっていいじゃない!
「お前は本当に面白いな、見てて飽きない」
笑いを一生懸命堪えようとしてるから、貴彬だって変顔じゃないか。
「わたくしはお笑い芸人ですか……」
笑われても仕方ないけど、そんなに笑うなよ……。
「なんだ?お笑い芸人って」
「え?……ご存知ないんですか?」
「俺にだって知らないことはある 今度ゆっくり教えてくれ、そのお笑い芸人とやらを」
貴彬はまだ笑いを堪えながら、教室へ向かって行った。
さっき注意されたばっかりなのに、わたしときたら、自分に呆れてしまう。
さぁ、わたしも戻ろうと思ったら、声を掛けられた、今一番会いたくない人に。
「へぇ?……君を呼び捨てにするほど、仲がいいんだね」
出たーーーーー綾小路 譲!フルネームで言っちゃうもんね!
「咄嗟に出てしまわれたのでしょう、大道寺だと長いですからね」
わたしはにっこりと笑いながら答えてやった。
「うん、確かに長いよね」
綾小路も負けじとキラキラ笑顔で答えた。
「じゃあ僕もこれからは真莉亜ちゃんって呼ぶことにするよ」
「は?」
「貴彬はよくて僕はダメってことはないよね?」
「い、いえ、だから咄嗟に出てしまわれただけですから、名前は駄目です」
「えーーー僕も名前で呼びたいなぁ」
お前は子供か!……あ、子供でしたね、失礼。あまりにも子供らしくないから、子供って思えなくなってたわ。
「駄目なものは駄目なんです!ほら、授業が始まりますよ、教室に戻りましょう」
「……大道寺さんて、ケチなんだね」
「ケチで結構、戻られないなら、お先に」
わたしは踵を返して教室へと戻る。
後ろから「ケチんぼー」と言われたが、ケチ上等!と心の中で答えておいた。




