真莉亜の宿題。
あの日から三か月が過ぎた。
季節は夏の終わりを迎えている。
夏休みはとっても楽しいが、学生時代の一番の悩みの種は宿題であった。
中身のわたしが小学生時代は、大体残りの数日で仕上げるのがお約束だった。
日々、少しずつやり遂げるだとか、嫌なことは早めに終わらせるという言葉は、わたしの辞書の例文にはなかったと言っても過言ではない。
自慢にもなりゃしないので、参考にしないようお勧めする。
で、二度目の人生の夏休みはーーー。
「真莉亜ちゃん……あんなに時間はあったでしょうに……」
「お母さま、ごめんなさい…」
そう、人間として全く進歩をしていなかったのである。ダメだ、こりゃ。
そんなわたしはただいま、お母さまのお説教を大絶賛食らい中である。
お母さまのお小言は大変有難いので、大人しく拝聴しつつ、この三か月の間に起こった事をつらつらと思い出していた。
まず、例のアニキこと、中山 健司は子分こと加藤 正夫と共に我が家で迎え入れることになった。
娘の誘拐を企てた犯人が、その家で働くなんて前代未聞だろうと思うが、本来ならば警察に突き出され、裁判を受けて臭いメシを食らう筈の二人が、警察に通報せずに解決したため、お咎めなしということになった。大道寺としても、本城としても外聞に憚られる内容だったせいもある。
梯病院から退院して早々、二人は我が家を訪れた。当然、最初は門前払いを食らっていた訳なのだが、思いの外熱心に通いつめたため、話だけでも聞いてやろうと、お父さまが情けをかけたのがいけなかった。
二人はなぜかわたしを崇拝し、お嬢さんのためなら命も投げ出す覚悟だ、なんだと、まるで任侠だったとお父さまが嘆いてらした。仕方がないので、お父さまがケジメを付けると、道場で扱きに扱いたらしい。
もちろん、素人相手なので手加減はしていたと思うが。
お父さまとしては根を上げるだろうと踏んでいたのだが、二人は必死に食らいつき、お父さまが遂に折れたそうだ……岩をも砕くってやつだね、執念って怖い。
そこで、わたしに会わせるのはまだ早い、一年、高柳で行儀見習いとして務めあげたら、うちで雇ってやると約束して、彼らは高柳の家で行儀見習いという名の扱きに耐えているというわけだ。
……あれ、ここ乙女ゲーム世界よね?いつから任侠ゲームになったんだ?何とかの如くだとか、何とか番長じゃあないよね?……誰か違うと言ってくれ……。
ちなみに、ばあやの話によると二人は別人のように高柳でも懸命に見習いを務めているそうだ。あの高柳でやっていけるなんて、それだけでも尊敬しちゃうよ。
子分こと正夫が抱えていた借金については、高柳のおじ様がその方面の方たちと懇意にしていたため、元金だけの返済ですっかり片付いたそうだ。
あ、高柳のおじ様は別にそっちを家業にしているわけではなく、高柳家のうちで言うところの狗たちがあまりにも腕っぷしがいい為、そっちの方々からしつこくスカウトされていたようで、その関係で知り合うようになったそうだ、まぁわたしは高柳家の人間ではないので、あまり詳しくは知らないし、知りたいとも思わないけど。
わたしが一番気になっていたおっさん。このおっさんは岡田 哲二という人で、下町で小さな会社を経営していたそうだが、扱っていたものが本城グループの目に留まって、割といい条件の取引を持ち掛けられていたのだが、なんやかやと岡田のほうが有利な条件を引き出そうと画策してきたので、あっさり他に乗り換えたそうだ。そうしたら、本城との取引実績があるのなら、と、他の会社に取引が舞い込み、岡田の会社は倒産という憂き目にあったらしい。欲に目がくらむと碌なことにはならんという典型のような展開だった。
それで妻子には逃げられ、自暴自棄になった末の誘拐だったそうだ。
岡田については、ばあやも誠一郎たちもあまり語りたがらないので、あえて聞かないことにした。
ただ、生きてはいるらしい、もう一度華恵さまが狙われるかも、と心配していたのだが、それは絶対にないと二人とも口を揃えて言うので、それならばわたしが心配することもないだろうと思う。
我が家のほうは、お母さまがしばらくの間、わたしのことを心配するあまりに、ノイローゼ一歩手前までいった。死ぬほど心配させたのだから、仕方ないとは思うけど、雄斗がまだまだ甘えたい年頃なので、悪影響を及ぼさないか、気が気ではなかった。
そこで、お父さまと相談して、夏休みの間、お母さまと雄斗とわたしで、お母さまの実家の別荘で三週間ほど過ごしていた。お母さまのお父さま、つまりはお祖父さまとお祖母さまも一緒に、五人で軽井沢の夏を満喫した。久しぶりに祖父母と過ごしたせいか、お母さまも少しずつ立ち直ってくださったようで、こちらに戻る頃には、もう以前のお母さまに戻っていらした。祖父母の、親の力は偉大だなぁと思う。
そして……あまり思い出したくはないが、貴彬が変わった。
学苑を二日程お休みして登校した日、朝っぱらから昇降口でわたしを待っていた。まさか待ち人はわたしとは思わず、挨拶だけしてさっさと上靴に履き替え、教室へ向かおうとしたのだが、話があるので昼休みに付き合えと言われ、仕方なく食事の後にティールームで待ち合わせた。
華恵さまがわたしに会いたいと言ってくださっているので、帰りに家に寄らないかと誘われたのだが、手首の傷が治っていなかった為、包帯をしているのを華恵さまが気にされるといけないので、治ってから伺いたいと話した。
「そうか……」
「ええ、ひと月もすれば跡も消えると思いますので、本城さまからうまくお伝えいただけないでしょうか?」
「わかった では、せめて帰りはうちの車で送ろう」
「いえいえ、うちから迎えが参りますから」
そう言ったのに、なぜか本城の車で家まで送られてしまったのだ。しかも、夏休みに入るまで、ほぼ毎日である。
車寄せでは、我が家の運転手が絶対零度の視線を貴彬から浴びせられ、空の車を運転して帰る羽目になるので、ご遠慮しますと毎回言うのだが、全く聞く耳を持ってくれない。
なんなんだ!
一緒に帰るとはいえ、車の中で交わすのは二言、三言、これなら自分ちの車で帰ったほうが百倍マシである。
一度、貴彬に責任を感じる必要はないと話したのだが、俺が送りたくてやっているんだ、気にするなと言われて取り付く島もありゃしない。
傷もすっかり治って、華恵さまにお目にかかれたのは、六月も終わりの頃だった。
華恵さまに抱きつかれ、わんわんと泣かれてしまって、こちらもウルウルとしてしまった。華恵さまにも心配をかけてしまって、申し訳ないと言ったのだが、逆に華恵さまには身代わりにさせてしまって本当にごめんなさいと謝られてしまった。うーん……これって『優しい世界』?
華恵さまにも会えたし、もう送りはないだろうと思ったのに、貴彬……いや、勇気を持って言おう、ストーカーは毎日、下校時間に昇降口で待っていた。そんな日々に、危うく登校拒否になりかけたのが七月の上旬で、もうすぐ夏休み!と言い聞かせてなんとか我慢して登校していたのである。
「…莉亜ちゃん…真莉亜ちゃん!聞いてるの?!」
「はい、もちろんです、お母さま」
「じゃあ、来月よ、お母さまとの約束よ」
「え?……あ、はい!」
「全く……ちゃんとお話しを聞けない子は知りませんっ!」
あーあ……お母さまを怒らせちゃったよ……。
「いい?来月から家庭教師の先生に来ていただきますからね!」
「うへぇ…」
「なんですか!その声は!」
「ごめんなさい、お母さま」
まぁ、これだけ怒る元気があれば、お母さまはもう大丈夫だな。
よかったとニマニマしていたら、また怒られた、踏んだり蹴ったり。