運命の前日。
いよいよ、運命のカウントダウン。
プレお誕生会で本城のお屋敷に出かける日。
朝からわたしの支度で、お母さまはああでもない、こうでもないとわたしの部屋のクローゼットを開け放して悩んでいらした。
わたしは着せ替え人形になった気分で、お母さまの悩みに付き合った。
真莉亜の中のわたしというのは、洋服を買いに行って悩むことはほとんどなかった。
そもそも、悩んだところで何着ても一緒じゃねと思っていたせいもある。
自分で思うほど他人は自分に興味を持っていないということを、とてもよくわかっていたので、無頓着にスーツばかりを選んで着ていた。インナーだけ変えれば、それなりに見えるものなので楽だったのだ。
家では、夏はTシャツ、冬はスウェットだったのだから、スーツはわたしにとって、リアルに出撃する為の戦闘服のようなものだった。
真莉亜のような、ヒラヒラのたくさん付いた服など、一着も持っていなかったせいか、ヒラヒラは可愛いとは思うけれど、着ていてどうにも落ち着かない。
それに、今日も明日もわたしが主役なわけではないのだから、地味なワンピースで十分のような気もする。
「あ、これもいいわね でも、久しぶりにこちらもいいかしら」
お母さま、これじゃあ、本城のお屋敷に行くまでに日が暮れちゃうよ?
そんなところにばあやがノックの音と共に入ってきた。
「奥様、お嬢様のお出かけのお時間が迫っておりますが」
「ああ、いいところに来てくれたわ こちらとこちら、どちらが真莉亜ちゃんに似合うと思う?」
「そうですねぇ……そちらの、淡いお色目よりも、こちらの緑がよろしいのでは」
「あら、ばあやもそう思う?じゃあ、真莉亜ちゃん、こちらを着てみてちょうだい」
「はい、お母さま」
ばあやのお勧めは、青みがかかった緑のワンピースドレスだった。わたしの苦手なヒラヒラがほとんど付いてない代わりに、五分袖でパフスリーブになっており、スカート部分に多めのギャザーが入っていて全体にふんわりとしたデザインのもの。素材がシルク混なので、光沢感もあるし、混紡なので皺も気にならない。
「よくお似合いでございますよ」
ばあやが微笑んでくれると、お母さまも安心したようにこれでいいとおっしゃった。要するに、背中を押して欲しかっただけなんだな。
「奥様、下で贈り物のご用意が出来ておりますが、確認されますか?」
「そうね 真莉亜ちゃん、準備が出来たら下に降りていらっしゃい」
「はい、お母さま」
わたしに声をかけてお母さまは階下に降りていった。わたしの部屋にはばあやがいるだけ。
ばあやが割烹着のポケットに手を滑り込ませて、小さな箱を取り出した。
「お嬢様、こちらのブローチをお付けになってお出かけくださいまし」
箱の中には、真珠で出来た、可愛らしい熊のモチーフのブローチが入っていた。
「あら、かわいい!これはどうしたの?」
「お嬢様のお守りみたいな物ですよ お帰りになったらまた私にお返しください」
「返さないといけないの?」
「こちらは私が神様からお借りしたものですので、お返ししないとならないんですよ」
ばあやは優しく諭すように言うと、わたしのワンピースの胸にブローチを付けてくれた。
「針が細いので、布地を傷めないと思います 明日のパーティが終わるまで、必ずこちらを身に着けてお出かけになってくださいまし」
「わかったわ、ばあや 大切な物、お借りするわね」
ばあやはにっこりと頷いた。
小学一年生にはわからないことが、わたしにはわかってしまう。恐らく、このブローチにはGPSが仕込まれているのだ。ばあやには、貴彬から頼まれて華恵さまのお傍に付いているという話をしたので、それならとこちらを用意してくれたのだと思う。
「それと、こちらは本城のお嬢様に」
ばあやがそう言って、細長い小さな箱をポケットから取り出す。
「こちらはネックレスですが、同じようにお守りとして本城のお嬢様に御身に付けていただけるよう、お嬢様からお話してくださると、ばあやとしてはとても嬉しいのですが」
「わかったわ、付けていただけるかわからないけど、うまくお話してみる」
「ありがとうございます こちらもお守りなので、お返しくださるようにお話してくださいましね」
わたしはコクリと頷いた。
なるほど、念には念を入れてということか。さすが、ばあや。万が一、わたしが離れても、華恵さまの動向は確認出来るということだ。
華恵さまにはどうしても付けていただかなければ。そこは中身アラフォーの、押しの強さでなんとかしようじゃないの。華恵さまは貴彬と違って、笑顔の可愛らしい、とても素直な女の子だが、頑固なところもあるのだ、そこはやはり兄妹というところか。
そこをうまく言い包め……じゃない、説得して付けていただくしかないだろう、運命の分かれ道、まさにDEAD or ALIVEなんだから。
「真莉亜ちゃん、お時間よ」
階下からお母さまの声がする。
「はぁい」お返事をして、ばあやと一緒に部屋を出る。
「真莉亜ちゃん、行ってらっしゃい」「お嬢様、お気をつけて」
車寄せで手を振るお母さまと、深々とお辞儀をするばあやに見送られて、本城のお屋敷へと車は滑り出した。
しばらくぼーっと外を眺めていると、運転手の誠一郎がチラチラとバックミラー越しにこちらに視線を寄越しているのに気付いた。
「なぁに?何か言いたいことでもあるの?」
「失礼しました」
「別に怒っているわけじゃないわ 何か言いたいことがあるなら、言えばいいのになぁと思っただけよ」
誠一郎はばあやの息子、長男である。
「お嬢様、どんな細かい事でもかまいませんので、本城様のお屋敷で気づかれた事を、私に教えてくださいますか?」
「細かい事?例えばどんな?」
「なんでもかまいません、お屋敷の使用人の様子がいつもと違うだとか、本城の坊ちゃんとお嬢様が何かおかしいだとか、いつもと違うと感じられたことがありましたら、お教えいただきたいのですが」
「わかったわ それで、誠一郎はわたくしがお誕生会に出席している間、どこにいるの?」
「車か、本城家の使用人用の休憩室におりますが、お呼びいただければいつでもお傍に参りますので」
「ありがとう 何か気付いたら必ず知らせるわ」
「宜しくお願いいたします」
誠一郎がそのまま黙ってしまったので、わたしは車のシートに座り直しながら、もう一度外を眺め始めた。
梅雨の前のひと頃、爽やかな季節。
太陽の光が穏やかに降り注ぎ、街路樹の緑が一段と映えていた。
「お嬢様、そろそろ到着します」
誠一郎の声が聞こえると同時に、レンガ造りの門が見えてきた。
本城のお屋敷は、レンガ造りの門を抜け、緩やかなカーブを描いた道の先、大きな噴水を前に建っている。
ゴシック様式というらしいのだが、建築様式についてはさっぱりなので、よくわからない。
明治時代に建てられた洋館を改装しており、本館と別館、更に使用人用の宿舎に迎賓館と、まあなんというか、都内にこれだけの敷地、一体いくらするのか見当も付かない。
我が家は純日本家屋の二階建て、離れが一棟と武道場、ばあや達の住まいと使用人用の宿舎なので、規模としては小さい。あくまで本城家を基準とすれば、なのだが。
本城家には、奥様ご自慢の薔薇園と温室、もちろんお約束のプールもあるので、中身小市民のわたしには、もはや理解不能な大きさである。
噴水の脇の車寄せに停まると、誠一郎がさっと運転席から降りてドアを開けてくれる。ドアから降りると黒のフロックコートを優雅に着こなした、初老の男性が立っていた。
本城家の執事、榊さんだ。
「真莉亜さま、ようこそお越しくださいました」
これまた優雅に一礼した後、わたしに笑顔を向けてくれる。
「榊さん、こんにちは」
「私めに敬称など必要ございません 榊とお呼びください」
「でも……榊さんは榊さんだもの」
そういうと、榊さんは苦笑交じりにわたしの目線にしゃがみこんで、白い手袋をはめた手でわたしの手を柔らかく取った。
「真莉亜さま、お気持ちは大変嬉しゅうございますが、私は仕事中です 本城家にお仕えする使用人として、真莉亜さまをお迎えしているのです 真莉亜さまは……そうですね、例えば運転手に敬称を付けてお呼びになっていらっしゃいますか?」
わたしはブンブンと頭を左右に振った。
「でしたら、私にも敬称は不要です よろしいですね?」
「はい わかりました 榊」
榊さんは満足そうに頷くと、お嬢様のところにご案内しますとわたしを先導する。
榊さんにはどうしても子供っぽく甘えてみたくなってしまうんだよなぁ、なんでだろ?
そんなことを考えながら、榊さんの後ろを歩いていた。