1: 中庭、散策、絶望
婚約が新たに取り交された日。
新たな部屋へ美衣歌は移動した。
厳重すぎる警備が敷かれたケイルスの私室の隣室。
長年使われることなく空いていた部屋。
生涯を添い遂げる女性のための部屋といわれて、その意味がわからないほど美衣歌は子供ではなかった。
心身ともに疲れ果て、何も考えたくなかった。
謁見室でのことが脳内を巡り続けていて、寝台に潜り込んでも寝られない。
誰もいない部屋。なにも聞こえない音。一人だけの部屋。
アルフォンの私室を使っていたときも一人だったけれど、それとは違う。
誰かが使っていた部屋と、使われていない部屋。
寂しさを感じて、ふかふかの枕に顔を押し付けて、泣いた。
翌朝、涙にぬれた頬と、寝不足な瞼を侍女は気にも留めなかった。
専属侍女となりました、と名乗られたけれど美衣歌は名前を聞き流した。
ただ、一言「そう、ですか」と返したような気がする。
当日のスケジュールを教えてくれた侍女は、「本日はなにもありません」と一言、手元の紙を見て言った。
これまでは、皇子の婚約者して、偽装でも教養を学ぶ時間が多くとられていた。
これからはジェティンに与えられるのだろう。
――彼女こそ、本物の貴族令嬢なのだから。
ケイルスの婚約相手となって七日目――。
部屋を出なければ、何をしてもいいらしい。
起床後、長椅子に座り、用意された本を読む。
本を読む気分じゃない日は、長椅子に座りただ、暇を持て余す。
朝食も、昼食も、スコーンや、クッキーが出されても食べる気力は湧かず、少し手をつけただけにとどまった。
お腹はあまり空かない。
時間は、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
急ぎ整えられたためか、広い部屋はシンプルな内装と家具の中で唯一、窓にかけられたカーテンだけが美衣歌好みの華やかな花柄をしていた。薄いピンク色のカーテンを開けて、窓を開ける。
バルコニーがあって外へ出られるようになっていた。
「お嬢さま!」
バルコニーに出ようとした美衣歌を侍女が見咎めた。
侍女がツカツカ乱暴に歩いてきて、開けたばかりの窓が閉じられ、カーテンがされる。
「おやめください、危険です」
けれど気にしない。
「つまらないの。少し、いいでしょう?」
「後で殿下が参りますので、それまで大人しく……お嬢さま!」
ツリ目をさらにつらせて、つらつらと説教を始めたその隙をみて、閉じられた窓を開け、バルコニーに飛び出した。
窓を外側から閉じ体重を預ければ、侍女からは開けられなくなる。
焦った侍女が、うるさく窓を鳴らす。体重がかかった窓は簡単には開けられない。
そのまま、外の空気を吸い込んだ。陽で暖められた残暑をはらんだ風が付け毛を優しくなでていく。
目の冴えるような快晴。秋晴れ。寝不足な目に陽の強い光は眩しくて、目を反らしたその先に、庭園が広がっていた。
樹木に囲われた庭は、窓を見下ろして楽しめるように、計算されて花が植えられていた。
花に詳しくない美衣歌でも、色とりどりの花に目を奪われた。
こんなにもきれいな景色を見ないという選択肢はない。
晴れ渡った青空の下、眼下の舗装された遊歩道を歩けたらどんなにいいか。
部屋から一歩たりとも出られない美衣歌の唯一の楽しみにしてもいいのかもしれないが、もう外に出ることはできないだろう。
「お嬢さま、ワガママを言わないでください!」
部屋から悲鳴ににた叫ぶ侍女は恐慌状態に陥っていた。侍女は美衣歌の名を知らないのかもしれない。
もう少ししたら部屋に戻ろう。
縛られた生活に小さく息を吐きだした。
ケイルスは昨夜、美衣歌と婚約するうえで、この部屋からの一切の外出を美衣歌に禁じた。
実兄、アルフォンとの接触を許さない。僕以外の人と会わないで。と妖艶な笑顔で。
腕に覚えのある彼の護衛が部屋の周囲を固め、侍女はアルフォンと関わりのない人を。許可がされるまで、大人しくしていてと強く言われた。
魔法で脅されたくないでしょうと意味深に言った。フィリアルに魔法でされたことを知っているような口ぶりで、杖をおもむろにみせつけられた。
杖をみて、身体が強張る。隠そうとしたけれど、小さく震える身体を止めることはできなかった。
その脅しは、真に迫っていた。
「窓の外は許可されておりません。お戻りくださいませ」
部屋から出る行為は窓を開けてバルコニーに出ることも含まれていたのだ。
ゆっくりと庭を堪能している時間もない。
侍女の悲鳴にもにた金切り声に、護衛騎士が部屋に押し入ってくる。
取手を回し、押してくる侍女の力に騎士の力が加わり、美衣歌は窓枠ごと、動かされた。
「お戻りください。危険です」
開いた窓の隙間から騎士が手を差し伸べる。
その手すら拒否をしたら、腕をとられた。引き戻される力に抗う。その手を振り払おうにも、力が強くて振り払えない。
今日を逃したら、もう、バルコニーどころか、部屋から出られない。これくらいの小さな楽しみを減らさないで欲しい。
「じゃあ、聞いてきてよ! つまらないの、楽しくないの! 外を、景色を見るぐらい、いいじゃない!?」
侍女に言い放った。
こんなにも強く自分本位なこと、言ったことなかった。元の世界で友達といても、自分の気持ちを押し殺していた。
その中で、比奈月くんが気になっているという事実を友達が知っていたのは、偶然だった。運悪くバレてしまい、はかされた。
それも、修学旅行一ヶ月前という、あまりに良くないときに。
スティラーアを貴族令嬢を、演じていたからかもしれない。自分を外へ吐き出すことは、まだ慣れていなくて、心臓が緊張にどくんと大きくはねた。
「ほかの楽しみをお伺いしてきますので、どうかお戻りください」
侍女も簡単にはあきらめなかった。
引き攣った笑顔で、説得を試みてくる。
庭園の景色を名残おしく感じて、部屋へ戻ろうとしたとき。
小さく、誰かを呼ぶ声がした。
その声の最後に、「殿下」と、言っていた。誰のことかわからない。けれど、たしかに美衣歌の耳はその言葉を拾った。
その声は美衣歌だけじゃなく、侍女にも聞こえた。
「お嬢さま、お早く!」
なにかを知っているのか、押し殺した声で、急ぐように急かす。
けれど、美衣歌は急ぐどころか、手すりに近寄った。
眼下を見下ろす。
(あれ、は)
強い日差しから肌を守るために、さされた日傘の下に男女がいた。
黒の上着に身を包む青海色の髪をした青年が、藍色の長い髪をした落ち着いたドレスに身を包む女性を伴って遊歩道を歩いている。
(アルフォン、殿下。――それと、ジェティンさま)
何か話でもしているのか、ジェティンが笑った。
ジェティンの手はアルフォンの腕にかけられていて、二人はぴったりと、まるで恋人のように仲睦まじく歩いてくる。
アルフォンは、時折、頭の裏を掻くような仕草をしていて。とても昨日、婚約を結んだと思えない。
二人の後ろをしずしずと付かず離れず付き従うは。
(クレストファさま、イア、コーラル)
目が離せない。魅入ってしまう。
なんて、絵になる光景。美男、美女のひとときの逢瀬。
こちらへ徐々に歩いてくる。
アルフォンがジェティンを気遣った。日傘が風に煽られて、傾いたからだった。
美衣歌は思わずバルコニーの影に隠れた。
衝撃に、心がぎゅっと引き締められる。
痛い。苦しい。
どうして。
(わたしはあそこにいないの)
あそこは。アルフォンの隣は――昨日まで……。
ぎゅぅぅっと、胸を強くかき抱く。
心を守るように。強く。
ぐぃ。
腕を引かれた。振り返ると騎士がいた。
「戻りましょう」
美衣歌は抵抗することなく、バルコニーをはって部屋に戻った。
もう、あの光景をみる勇気はかけらも残ってない。
⭐︎
アルフォンとジェティン、二人は中庭を散策しながら、仲睦まじさを醸し出しながら話をしていた。
話しているのはジェティンで、アルフォンはどこか上の空で聞いてもいない。会話は全く成立していないままに、ただ歩いている。
中庭に入り、アルフォンがしきりに上を気にしていた。それはジェティンも同じだ。
二人が婚約してから毎日同じ時間に城の庭を散策しているのにはわけがあった。
仲睦まじさを周囲に知らしめると同時に、ミイカの居場所を探していた。
ケイルスは仕事が早かった。
婚約者となったミイカの部屋はすでにケイルスにより移動されたと、クレストファから報告を受けた。移動した部屋の場所は内密で、彼専属の侍従らのみ伝えられており、城内のどこに部屋を動かしたのか誰も知らない。
元々の侍従を解任し、新しい侍従が付けられた。新しい侍従の顔どころか名前すら非公開。
ミイカに新たに専属の侍女がついたらしいが、ケイルス同様に名前は一切明かされていない。知る人はケイルスの新たな侍従ぐらいだろう。古参の侍従は警戒をしているのか、すでに城からいなくなっているのか、全く姿を見かけない。
ケイルスも警戒をしていて、優秀なクレストファですら、いまだに尻尾をつかめていない。
毎朝の初めの報告がここのところ、「まだです」で始まっている。余程厳重に、厳密にされているのだろう。
しかたがなく、こうして城の外周を回るようにして、外から探している。目星をつけた怪しい場所は何箇所か。けれど、それらは変わり映えのない外観だった。
今日の外周散策の最後に、客室が多く設けられた部屋から見下ろせる、手入れの行き届いた自慢の綺麗な庭園を選んだ。
来客はいないので、庭園に面した部屋の窓はどれも同じで、ぴっちりと窓が閉められ、どれも同じ色のカーテンがかかっている。
部屋の中の様子を窺い知ることができない。
カーテンがこれほど綺麗に閉められているのだ。誰もいないのだろう。
外周の散策も、ここが最後となる。この庭園の当てが外れてしまうと、ミイカがどの部屋にいるのか、まったくわからなくなる。少しでも情報がほしかった。
あとは外れの、グレースがいる塔になる。あの塔はケイルスが入れない。グレースが許可していないからだ。
ほかに、使われていない城から外れた塔はなく、この庭園でも何も収穫がないとなると、もうお手上げになる。
均等間隔で並ぶ窓を見上げた。
どこも同じだ。同色のカーテンがこれ見よがしに見えるだけでなにも不自然な点はない。
(ここも、ハズレか)
内心舌打ちし、諦めかけたとき。
パサリという音に振り向き、仰ぎ見る。
一部屋だけ、窓が開いていた。あれは、四階の、来賓客用の部屋。四階はどれも二部屋が室内のドアで行き来できるようになっている。
その部屋の窓が開けられている。
あの部屋を使わなければならない賓客は、昨日謁見の間にいなかったはずだ。
よく目を凝らしてみてみると、カーテンの色が違った。
来賓用のカーテンは確か、白。汚れを許さない純白色。
風にはためくのは、薄いピンク色のカーテン。部屋の中と外へ、風に煽られて、窓の外に大きく膨れ上がった。
それが意味するは。
アルフォンは、にやりと口端をあげた。
案外、的は外れていなかったようだ。
「どうかされましたの?」
訝しげにジェティンが見上げてくる。
これは、周囲に婚約者との仲が良いことを知らしめるための散策だ。あまり、よくない顔はいただけない。
仲睦まじく見せなければ意味がない。
「見つけたかもしれない」
「どこ、ですの?」
ジェティンが空を見上げる。
アルフォンは屈んで、レースの白い日傘を少し上にあげた。屈んだことで、二人の顔の距離が近づく。
「あそこ、カーテンが揺れている」
ジェティンは四階の窓を見上げた。確かに窓が開いている。けれど、人影はない。
ただ、侍女が掃除で開けただけかもしれない。それでも。
カーテンの端が部屋に戻る時、バルコニーで人影が動いたようにみえた。
胡桃色の、明るい茶色の髪が風に揺れたように。
目を凝らしてみるが、もうそれらしいものがみえない。
「誰か、いるのかもしれませんね」
アルフォンと同じように凝視してみるが、人らしい影はみえない。
けれど、限りなく黒に近いのだろう。
「……このあとどこへ向かわれますの?」
ジェティンは歩いていく先の城壁に並ぶ窓に目を移していた。
アルフォンは、もう一度窓を見上げた。閉められていない窓に人影が映ることはなく。前を向いた。
「……忘れられた塔に行く」
「分かりましたわ」




