37:ルスメイア家 1
「貴女さまをお連れするよう申しつかっています」と、従者と騎士数名が謁見の間の扉の前で退室を待ち伏せられ、拒否する時間も猶予もなく、連れ出された。
歩いて行く通路から、ジェティンを呼び出した相手を察した。
ジェティンを気遣い、アルフォン殿下が行くと申してくれたが、辞退した。謁見の出来事で、彼はまだ混乱の最中にいる。落ち着く時間が必要だろうと丁重に断ったことを後悔した。
一人で対峙するには相手が非常に悪い。
この壁紙。覚えている。
窓からの景色も、壁の等間隔のランプの柄も。何一つ変わっていない。
だからだろうか。
あの日起きた事がいやに思い出させられる。
⭐︎
ジェティンは、フィリアルから魔法を学ぶために、この城に滞在し、一年半かけて魔法紙というものを作り上げた。
紙の繊維に魔力を込めて作り上げた紙は最初、簡単に作り上げることは出来なかった。魔力を込める量によって、魔法紙に凹凸が強く現れ、陣を書き描くこともできない。
程よく手触りのいい滑らかな紙を作り上げるのは簡単なことではなかった。
ようやく作り上げた魔法紙をフィリアルへ渡した。彼女の依頼で作ったものだった。
出来たばかりの魔法紙に最初に描かれたのが、『探知魔法で存在が探知されなくなる魔法』。フィリアルは魔法紙が完成するまでに、新しい魔法を作り出し、元ある魔法を改良し、新たな魔法を作り出していた。
探知魔法は本来、人ではなく無くしものを探し出すために使用する。それはあくまでも、物であって人ではない。フィリアルは人でも探知できるように魔法を改良していた。
その魔法紙をもつジェティンへ、フィリアルが探知魔法をかける。
結論から言うと、魔法紙の魔法陣は思うように発動し、相手に場所を特定できなかった。
完成した二つの魔法。
魔法がかけられた紙はあくまでも素材は繊維から作られたもの。破れたり、水に濡れてしまうと魔法の効力を失う。
ジェティンへフィリアルは改良を求めた。これだけで満足してはならない。もっと優秀な魔法紙を作り上げてみせなさい、と。
ジェティンは言われるままに、魔法紙の改良に挑んだ。半年もすれば、改良された魔法紙は水に濡れても描かれた陣が発動するまでになった。
叔母と姪。初めて共同で作り上げたもの。
ようやく出来上がったものに、喜びを共有したのも束の間。
フィリアルは事あるごとに、ジェティンへ探知の魔法をしてくるようになった。
城下へと遊びに出かけたジェティンを、時に、従僕が。時に、専属外の騎士が。
ジェティンにも、護衛はついているのに、なぜかジェティンを探すようになったのだ。
城の何処へいっても、城下へ降りても探し当てられた。最初は、深く考えもしないで便利だと思っていた。こうも頻繁に日に何度も行われては、ジェティンの自由はないに等しい。
最初は違和感がなかった。
探知を弾く魔法の完成のために探されることに慣れていたせいもある。探知をかけられることに慣れさせられていたのだろう。魔法の訓練、実験だと違和感を感じさせないために。
与えられた寝室兼部屋を、与えられた魔法紙作りの部屋を、植物栽培室にいないと分かると、フィリアルはすぐに探知する。
ジェティンは、徐々に精神的におかしくなっていた。
魔法をかけられる怖さ。
簡単に見つけられる恐ろしさ。
いるべき部屋から離れたら、探知され。
人の目を掻い潜って、城から僅かに出ただけでも、探知され。
これまで、行動を諌められることはなかった。
それが突然に。その理由もわからない。
連れ戻しにきた人は決まって、『お戻りください、フィリアルさまがお待ちです』としか言わない。
いつまた、探知を使われるか、予測ができず神経を張り詰めすぎて疲れてきていた。
決められた部屋以外に行くなと言われているようで、正直、いやになった。
そんな時だった。
ジェティンと、アルフォン殿下の婚約話がでていると聞いたのは。
それも結構確実なのだとも。
本当に偶然だった。
城使えの誰かが廊下で世間話のように話しているのを偶然聞いてしまった。
ああ、だからか。
ジェティンの居場所をフィリアルが執拗に探す理由がわかってしまった。
どこかに行かれたら困るのだ。この話が正式に決まるまで、城から出られては困る。
魔法を学ぶための留学だった。
けれど叔母から魔法を学ぶことは少なく、この国の情勢の付随で魔法学を教えられた。
情勢を知りたいわけでもないのに、日々の中に組み込まれている。情勢を学ぶことも大切と説かれれば、そうなのだろうと納得して。
空いた時間は魔法を学んでいた。魔法をいっぱい使えるようになりたいジェティンは、情勢も必死に覚えた。魔法わ学ぶ時間を増やしたいがために。
全ては、叔母の。ルスメイア家の思惑とも知らずに。
これでは、家へ戻ることも叶わない。何処へもいけない。
城を出るにしても、叔母の探知で連れ戻されてしまう。
なんとか自分でもフィリアルの魔法を弾く魔法陣を作りださなければと躍起になっていた。叔母と作り上げた魔法紙は探知を弾く。ならば、それを参考に全ての魔法を弾く強力な魔法陣を自分なりに作り上げてしまえばいい。
それも、フィリアルが気づかないように、慎重に。
当初の陣よりもさらに改良されたものを、叔母は常に持ち歩いている。予備の作り置きは必ずある。
更なる良いものを作ろうにも、人を探知する魔法陣教えてもらえていない。これがなければ本当に魔法を弾いてくれるが分からない。
きっとそのどちらも、大切に保管されている。
それもきっと誰も入ることのできない場所に。ジェティンはそれが自室であると踏んでいた。
だから機会を窺っていた。
彼女の部屋に入れる機会を。
それは案外、早くやってきた。
空は暗い雲に覆われ月が全く見えない日。
通路をランプのあかりが照らしていた。
夜に使うといい魔法を教えてあげると言われたことがある。そのための、呼び出しだと。
扉をノックをしても、返答がなかった。
まだ、執務が終わらなくて部屋に戻れていないのだろう。
居なくても、部屋に入って待っていなさいと言われていた。扉を開けた。
部屋は薄暗かった。叔母の部屋は魔法で作られたランプを使っている。光源が落ちることのない特殊なランプ。
それが、ついていない。
特殊なランプをつけようとして、杖を構えるも灯し方を知らなかった。
部屋を明るくできない。
杖で灯りを灯す方法は知っているけれど、使わないほうがいいだろう。両手が自由の方が何かと都合がいい。
手燭を借りようと振り返ると、すでに護衛の騎士は遠くを歩いていた。
手燭は諦めた。
叔母が戻ってくるまでの時間がどれだけあるかわからない。
借りに行く時間も惜しい。
ジェティンは、部屋に入る。扉は開けておいた。
通路の光を頼りに棚を探す。
壁にぴったりと沿う棚はすぐに見つけられた。三段ある引き出し。上からそうっと、開けていく。紙は二段目にあった。三枚あるうちの一番下の紙を引っ張り出した。
目的は果たせた。安堵したのも束の間、ふいに不安がよぎる。
思わず、振り返った。
防衛本能からくるものなのか。
それとも、危険を察知する能力がそうさせたのかわからない。
『月のでない夜は気をつけなさい』
そういえば、ルスメイア家の誰かにそう言われていた。どうしてか、こんなときに思い出す。
誰かがいる。
窓のそばに。
大事にしている魔法紙を拝借するところを見られた。
叔母だろうか。名を呼ぶ。返事はなかった。
重く分厚い雲に覆われた空は、月を完全に覆い隠してしまっている。
あかりが欲しい。
杖を振り、もし、そこに叔母が立っていたらと思うと、背筋が凍る。
窓のそばで誰かが動いた。
暗闇に慣れた目が、相手を捉える。
すらりと立つシルエット。誰だろう。
叔母にしては少し背が高いようにも見えるし、低いようにも感じた。
名を呼ばずにいられなかった。
違っていたらどうしよう。
この紙は叔母とジェティンしか知らない。
のそり、と影が動く。
悲鳴が出そうになる口を両手で押さえた。
叔母じゃない。
通路からはいるあかりが、動くシルエットを床にうつしだす。
シルエットがとても細くて、ドレスの形をしていない。
――叔母じゃなかった。
叔母じゃない誰かもわからない人に、秘密を知られた。
不安が掻き立てられる。
そこに立っている人は、ジェティンを見たような気がした。気のせいかもしれない。
恐怖に耐えながらも、誰何せずにいられない。『だれ』と喉から掠れた声を絞り出したとき、床に何かがあることに気づく。なんだろう。目が捉えた光景に再び、悲鳴が出そうになった。
叔母は床に倒れていた。綺麗に結えられている髪が床に散っている。
顔は窓を向いていて見えなかった。
床に倒れていることの意味するところは、なにか。
何が起きているのか。
目を逸らしたいのに、床に倒れる叔母に、そのそばに立つ影に釘付けになる。
一枚絵のような美しさに、目が離せない。
恐怖を感じた。
その影は細いものを手にしている。
細いもの。
ジェティンは咄嗟に細身の剣と判断した。護身用の剣だろう。
柄がないのか、見えないのか、とても細く尖って、剣なのに歪に枝のようにくねくねとしていた。
立っている影がこちらに向いた。
出そうになった悲鳴をなんとか押し殺し、開けた扉から部屋を飛び出した。
通路をただ走る。
ペチコートが足にまとわりついて走りにくい。
逃げなきゃ。もっと遠くへ。
ジェティンを護衛してきた、騎士は部屋の外で待機していない。ジェティンを叔母の部屋まで付き従ったら、ある位置で待機が命じられている。
ジェティンはその待機の通路まで走った。
あの人が追いかけてくる。
早く、にげなきゃ。
息を切らせて、恐慌状態のジェティンに騎士は何事かと聞いた。
叔母の部屋に誰かいる、と息をきらせて伝えた。
騎士はジェティンと入れ替わるようにして、二人通路を走って行った。
ジェティンは、彼女の部屋よりも安全な、騎士の詰所で保護された。
叔母のそばに立っていた人は、騎士が部屋に飛び込んだ時も、変わらずそこにいたという。
誰がいたのか、誰もジェティンへ教えてくれなかった。
その日から城の騎士の立ち位置が変わり、フィリアルの子供たちは部屋から出られなくなり、ジェティンは行動制限をされた。フィリアルが何者かに襲われたため、大事な帝国の住人を守るためと言われた。
それから二週間。事態が鎮静するまで、ジェティンは部屋から出られなかった。気が狂いそうになる日々だった。
あの夜から、月の見えない夜が嫌いだ。




