36:偽りの婚約指輪 4
「…………どういう、ことでしょうか」
フィリアルがとうとう美衣歌の前に立った。室内を照らす明かりの影になり、表情はよく見えない。
異国の人を見下すでもなく、あくまでも、ルスメイア家の親族の中でも身分の低い家の人に対するものに変わる。
「我が王家の内情を知り、簡単に城外へ出られると。……そんな浅はかな考えが叶うと?」
美衣歌だけに聞こえる声で囁く。
「そ……れは」
考えていないことない。
知らないといえば、返還魔法で即座に国へ。これまで、住み、暮らしてきた場所へ戻れた?
淡い期待を持っていないと問われば、即答できない。
この世界に来て、一ヶ月あまり。
あちらの世界のことを忘れたわけじゃない。けれど。
還れる期待は、とうに薄れていた。
フィリアルに城から離れられない魔法をかけられた日。あの時に諦めてもいた。
望みの薄い期待に、縋ってはならない。
苦痛に耐えるアルフォンから目を逸らした。彼に助けを求めてはいけない。
フィリアルは、冷めた目で美衣歌の返事を待っている。
負けてばかりいられない。
「……思ってません」
国家機密を、知ってはいけないことを、知らなければよかったことを、知ってしまった人の末路。
美衣歌は物語で、そんな場面を読んだことがあった。
外にも漏らさない極最重要機密に少しでも触れてしまった人の末路。
一生の牢獄。監視生活。そして――。
思い出したくもない。吐き気がする。
そのどれもが、精神を病むものばかりだった。
まさか、自分にふりかかることになるなんて、誰が予測しようか。
物語だけのことが、現実に。美衣歌の身に起きる。
不思議と小刻みに身体が震えだした。それを隠そうと、両手を握りしめる。
牢に入るでも、監視でもない。待遇はきっと美衣歌の知るどの物語よりも、いいのだろう。
「そのように怯えずとも良いでしょう? 心配せずとも貴女の処遇は申したように、すでに決まっています」
王妃候補は口元を開いた扇に隠し、思惑たっぷりに卑しく笑う。
その目は一切笑ってなどいなくて。ねっとりと、三日月のように、猫の爪痕のように、目が細められて。
恐怖を感じた。血が通ってないんじゃないかと錯覚させられるほどに凍えら中、美衣歌に様々な感情を募らせていく。
その中でも特にハッキリと感じ取れたのは、アルフォンの傍にいられなくなることへの悲しみだった。
彼の隣は、もう美衣歌の場所ではなくなってしまった。
「そう悪くないのですから、お喜びになさったらいかが?」
フィリアルは、大仰に呆れて息を吐き出す。
それが明らかな演技だと、何人が知り、気づくのだろうか。彼女の子供である二人と、長年叔母を知るジェティンは見抜いていた。
⭐︎
重鎮たちは、ただ、息を殺して、この場の異質な空気に当てられていた。
悪いのは誰か。
皇王でもない。フィリアルでもない。アルフォンは騙されて、ケイルスは望まぬ婚約をさせられる。
スティラーアと名を偽った少女は、巻き込まれた不遇の娘。
では、だれがこうしたか。
重鎮たちは、アルフォンの傍に立つ、少女というには大人びた女性。指輪が発する痛みに耐える顔で凛と立つ娘は、叔母を鋭利なもので意殺さんばかりに鋭く睨んでいる。
――一番の悪は誰か。
重鎮たちは、それぞれの思いを心の奥に潜め、瞼を閉じた。
全ては、フィリアル皇妃候補の思惑のままに。
⭐︎
「貴女の指輪に、正しく新たな文字を刻まなくてはなりません。――ケイルス。お前、指輪は?」
「ありますよ」
ケイルスは左手をついともちあげ皆に見せる。薬指に嵌められた、なににも染まっていない無垢の指輪を母へ見せた。金に近い指輪にはびっしりとすでに陣が組まれ、いつでも発動が出来るようになっている。
気づけば、ケイルスは蒼白な美衣歌の近くにいた。
この指輪がアルフォンと対の指輪と異なるというなら、誰のものとか。
嫌な予感ほど、本当によく当たる。
隣に、当然のようにケイルスがいる。
それが、答えでなくてなんなのだろう。
「ミイカ」
ケイルスはもう一人の少女を当然のように呼ぶ。
慣れた手つきで、絶望する美衣歌に手を差し伸べた。
その手を取りたくない。しかし、取らなければならない雰囲気が、すでに出来上がってしまっている。
「……あの、」
なにか言わなければと、張りついた喉から声を絞り出す。
言葉はなにも出てこなくて、頭は考えることを放棄してしまったのか、なにも思い浮かばない。
一向に重ならない手を、ケイルスは強引に捕まえた。
「さあ、行いましょうか。貴女と本当の婚約の儀式を」
にこりと微笑むケイルスは、とても綺麗で。
拒絶を許さない手が強引に、美衣歌の腰にまわり、抱き寄せられる。嫌悪に腰の手を払い除けようとした。それを難なく封じられてしまう。
「今拒否すれば、貴女の、この指、魔法でどうなるかな? それとも、アル兄に魔法が向けられるかな?」
指輪のある薬指を撫でられて、息を呑む。
アルフォンに魔法を向けられたくない。けれど、大切な指輪がある指にも、何もされたくない。
アルフォンからもらった指輪がなくなってしまったら……苦しくて、苦しくて。従う以外にないと思い知る。
「いい子ですね。あとでご褒美をあげましょう」
ケイルスが勝ち誇って囁いた。
「父上、彼女は、ミイカは私の相手です! ケイルスではありません!!」
アルフォンは強く抵抗した。
左手薬指に、ジェティンと同じ指輪をしているというのに。
その言葉に反応するように、指輪が光り、痛みがくる。
「……くっ!」
「貴方がスティアを拒絶すれば、指輪から罰が与えられます。わたくし特製の指輪の性質、知らないわけないでしょう?」
アルフォンはそれでも、自身の婚約者は、ただ一人。
ケイルスに、抱かれたミイカを、指輪から与えられる痛みにたえながら、苦しみながら、求める。
アルフォンは求めていた。指輪のしていない手を伸ばす。
「それでも。ミイカ、……は!」
皇王はフィリアルの隣に立っていた。
ケイルスが台座から歩いて行くと同時に、皇王も、愛する女性の元へ向かっていた。
「アルフォンス。はたしてそうか、その目で確かめてみよ。……ケイルス、早くしなさい」
これまで、一度も口を挟まなかった皇王が、とうとう声を出した。
皇王に促され、ケイルスは困ったように笑う。
抱き寄せたミイカに、その儀式は行われた。
相手を否定し続け、指輪からもたらされる痛みに耐えながらアルフォンは周囲の目など、気に留めず叫ぶ。
「ケイルス! やめるんだ!」
「ミイカ、左手を」
まっさらになってしまった指輪は、アルフォンと同じものと信じたい。
ケイルスに片腕の動きを封じられた美衣歌の抵抗はそう長くは続かなかった。
「対抗してはいけないよ?」
悪魔のような囁きで、呆気なく美衣歌の抵抗を抑えつける。
左手はあっけなく捕まえられ、
左手が、美衣歌の右手の自由を奪うと、指輪同士を擦り合わせた。
ケイルスが指輪の魔法陣を発動させる句を唱える。
パッと、青い火花が散る。
違和感はすぐに起きた。
美衣歌の指輪が熱を持ちはじめる。
ジリジリとした熱は、夏の灼熱の太陽のよう。熱さの次に痛みが美衣歌を襲う。
痛い。
熱い。
――痛くて、熱い。
汗がぶわりと全身に溢れ出した。
指が痛くて、熱くて、触れない。火傷のように、皮膚が痛みだす。
指輪が、魔法に反応している。
反応を示しているのは、美衣歌の指輪だけじゃなかった。
ケイルスが左手薬指にした指輪もまた、皇王の魔法に反応している。
けれど、彼は平然としている。合わさった指輪に、文字が刻まれて行く。半周をしたところで、ケイルスは痛みと熱に耐える美衣歌に微笑んだ。
「相手を受け入れてください。僕を拒絶しないで」
強い痛みと熱から解放されるから。
そんなこと、受け入れられるわけない。
首を振り拒絶をする。すると、指輪からの痛みが増したような気がした。
痛みと熱は、ゆっくりと美衣歌の体力と忍耐を奪っていく。
「受け入れなさい」
ケイルスが美衣歌と指輪に刻まれて行く文字を確かめながら、美衣歌を気遣う。
「僕を受け入れてくれると、早く終わるよ?」
痛みから解放されるなら。
ぼんやりとした頭は、痛みから解放されたくて、ケイルスの言われるままに力を抜いて、従った。
「ケイルス!」
アルフォンが叫んだ。
皆がミイカに注目するなかで、アルフォンとジェティンを気にしている人は少ない。
アルフォンが指輪の痛みも忘れて動こうとした。すると。腕を強く引かれる。
ジェティンが、慌てた様子で動かないでください、と言った。
「お待ちになって。ここに、陣が」
ジェティンの指摘に、床を見る。
いつ仕掛けられていたのか、魔法陣が展開していた。
性悪なことをするのは一人しか思い浮かばない。
フィリアルは涼しい顔をして、魔法陣に杖を向けていた。
動けばなにが起きるのか。周りに影響しなければ、強行でも、陣から出て行く。その前に、アルフォンはもう一度陣に目をやる。動く前に、確認しなければならない。
陣の中央に近い円の中に、縁に沿って書かれた文字。そこに、『不動』と『雷嵐』と書かれている。
動けば、嵐のような突風が吹き荒れ、程なくして、強い雷が天井を突き破り天から身体を貫く。と言う意味だ。
台座から動いてはならない。アルフォンだけでなく、ジェティンや、謁見の間にいる全員を巻き込みかねない。
自身の失念に苛立ちを覚えながら、声を荒げた。
ミイカの隣に、ケイルスが平然とした態度で立っている。
酷く痛がり、いまにも倒れてしまいそうなミイカ。
意識をなんとか保つミイカを支えているケイルスがひどく腹立たしい。
「ケイ、ルス!!」
「兄上、そこで大人しくしていて下さいよ。僕だって、痛いんですから」
その目は、痛いと言いながらも、魔法を受け入れるしかないミイカの指輪にかかっていく文字に満面の笑みで眺めている。
指輪に文字を描き終えると同時に何もなかったようにあっさりと消えた。
薬指の根元に痛みが残っているような感覚に陥る。
美衣歌の指輪に出た陣が消えると、その手をケイルスは恭しくとった。
薬指に光る指輪の色に勝ち誇った笑みをした。
指輪に婚約の証が刻まれた途端、ミイカは力をなくしたように、ぐったりとケイルスに寄りかかる。
彼女を弟はなんなく支え、ミイカの左手を左手で高く持ち上げる。
「見てください。同じものになりましたよ」
ケイルスの左手薬指は、美衣歌の指輪と同じ色をしている。
周囲から、どよめきと皇子の新たな婚約に歓喜の拍手があがる。
「なにを……言っている」
ミイカはアルフォンの婚約者で、アルフォンが認めた婚約者だというのに、いまはケイルスの婚約者になってしまった。けれど、対となった唯一無二の指輪がケイルスの相手だと知らしめている。
盛大に行った婚約式で使われた指輪が、本当はケイルスと対の魔法がかけられた婚約指輪だとしたら。
最初から彼女はアルフォンの婚約者じゃなかった。
婚約式の指輪をはめたあのときから、ずっと。
フィリアルにはじめから、アルフォンは嵌められていたのだ。




