34:偽りの婚約指輪 2
「殿下、スティラーアさま。どうか、お気をつけて」
謁見中は従者が側に付き添えない。許可がいる。クレストファは許可されていないので、入り口前で一旦別れることになる。
厳かな扉がゆっくりと開かれていく。クレストファは不安に苛まれながらも、主人を見送った。
どうか、この扉から出てくるときは、笑顔であることを願いながら。
謁見の間に入り、まず目に入ったのは、目の前の王座。床より一段高い台座に、皇王シェザアリーと、席を一つ開けて並ぶフィリアルが鎮座していた。
空席は第二皇妃の席。病床に臥せり公務は出来ずにいる。
一段上がった座の下に、左右に分かれ男たちがずらりと並び、王座を起点に扇状に広がり立ち並ぶ。様々な服装は、それぞれが持つ部署の制服なのだろう。ようやく現れた皇子とその婚約者に、一斉に一礼をする。
顔に見覚えがあった。
彼らは昨夜のパーティーに出席していた。
昨夜は好意的に話していた中年の男性は、入ってきた美衣歌に好意的とは全く逆の侮蔑を含んだ目を向けている。
美衣歌がスティラーアでないと、知ってしまったのだろうか。
他にも、幾人か、昨夜楽しく談笑した人がいた。
皆、それぞれがそれぞれの思いで美衣歌を見ている。
そのどれもから、美衣歌の思い違いでなれけば、偽物だと気がついているようだった。
厳格な雰囲気の中、歩き出した。
異様な空気感に一歩踏み出すだけで、逃げ出したい気持ちが増していく。けれど、アルフォンの手がそうさせてくれなかった。繋がれた手に導かれるようにして前へ進んでいく。
磨き上げられた大理石でできた白い床は、周りの景色を映し出し、大理石の上に敷かれた真っ青の絨毯は、王座へと続いている。
玉座が近づくにつれ、美衣歌は皇王の視線の鋭さに気づく。
それはアルフォンに向けられてはいない。
真っ直ぐ、向けられている人物は。
(わた、し?)
王座に座しながら、咎人でも見るような目で近づく美衣歌を睨んでいた。
一定の距離をとり、足を止める。アルフォンと手が離れて、少し寂しさを感じた。
手のひらに残る温もりが逃げてしまわないように握り込む。
皇国最大の地位を持つシェザアリー、フィリアルへお辞儀をした。
台座に座す皇王が口を開く前に、アルフォンが先手とばかりに不機嫌さを隠さず、母を睨みあげた。
「このような場に呼び出しとは、どのような用向きなのですか? 母上」
関心の無さを体現するシェザアリーと違い、フィリアルは含み笑いで返した。この場でならないなにかがあるらしい。
国の重鎮がいる場は公の場と言ってもいい。国の皇子であり、王位継承権を持っているとしても、許可なく声を上げることはできない。
分かっていて、敢えて声を出したのだ。
重鎮たちが、不愉快だとばかりに眉を顰める。
「ええ、ここでなければならないのですわよ、アルフォンス」
「!! ……なぜ、その名で呼ぶのですか」
アルフォンが瞠目した。同じく美衣歌も、アルフォンの名に驚きを隠せない。
「あら、違っていたかしら?」
バサリと扇を広げて、おどけて見せた。
アルフォンが口を開いて、声を発する瞬間。それを許さないとばかりに、皇王が立ち上がった。
「フィリアル。時間が惜しいのは知っておろう?」
バサリと厚さのあるマントをゆうなく翻した。謁見の間の空気を一瞬にして、緊迫したものへと変えた。
「大変申し訳ありません、陛下。時間をとらせてしまいましたわ」
フィリアルは扇を閉じ立ち上がり、スカートの裾を持って謝罪をした。謝罪を受け取った皇王は、一歩前へと進み出る。
「娘、面をあげよ」
首を深く下げる美衣歌を呼んだ。
重みと低さのあるの太い声。これから起こることが読めず、怯えながら、絨毯に両膝をついたままに顔をあげた。
シェザアリーは、まっすぐ、美衣歌を見下ろしている。
その目はアルフォンよりも、深い深海のような色をしている。そこから
「なぜこの場に呼ばれたのか、わかるか?」
「……」
美衣歌は薄々感じ取っていた。
建国祭という、喜ばしい日を迎えた翌日の日に、謁見の間に呼び出した理由。
注意だけだったなら、厳かな場を設ける必要はない。
この場所でなければ、この人たちが居合わせなければならない理由。そんなの、一つしかない。
本当の、スティラーアが、この広間のどこかにいる。
確信めいたものは何もない。きっとそうだろう。という半分くらいは当たっているという不明確な予感。
予感だけで、わかるという返答は正解じゃない。
わかると答えれば、理由を問われる。詳細にわかっているわけではなく、憶測で物事を言うことが許されはしない。
なら、ここで答える正解は『いいえ』以外にない。
「許可する。娘、話せ」
言葉の節々に威圧さと、一斉に集まる全ての視線に、これまで感じたことのない緊張感で、唇が乾いてくる。
果たして正確な返答は、存在するのだろうか――。
「分かりかねます。陛下」
迷いあぐね、出した答えを言った。深く、謝罪の意を込め頭を下げる。
「そうか。では、なぜ、ここに彼等がいるか。理由は?」
さらに追求された。
それでも美衣歌の出す答えは同じだ。
「……申し訳、ありません」
静寂のなか、シェザアリーは呆れたように息を吐き出した。
「このような無知な娘をいつまで、あそこに置いておく? フィリアル」
怒気の孕んだ声音はその場の誰もが、肝を冷やすほどの威力があった。向けられた相手が婚姻を結んだ女性でも容赦ない。
「いますぐ、ここから立ち去らせろ。誰か、この者を……」
つまみ出せ、と言い終わらせる前にフィリアルは声をあげた。
「お待ちください、陛下。この方には姪の代わりを務めてもらっていたのですわ」
「ほう?」
「お許しいただければ、お話申し上げます」
「いいだろう」
皇妃候補なので、フィリアルが何か言うにも許可が必要となる。皇妃であれば、必要はない。助言として捉えられるためだ。
フィリアルは椅子から立ち上がり、陛下の前で許可なく話してしまったことに謝罪をした。
一度開かれた扇がパチン、と閉じられる音が静寂な間に響く。
「そこの、貴女……ミイカ、と名乗っていたかしら?」
「は、はい」
すでに皇王から許可が降りている。
フィリアルは、じぃっと美衣歌を見下げる。
何が次に起きるのか、不安でたまらない。
「よく見ると、わたくしの姪と似てもにつかなかったわ。けれど、感謝しますわ。貴女のおかげで無事、予定通りに婚約式が執り行えましたのよ」
フィリアルは台座から降りて、美衣歌の前に立つ。
閉じた扇が、顎を掬い上げ視線を無理に合わせた。
「皆さま、本当に我が生家のことでことを荒立ててしまい、申し訳ありませんでした。婚約式までの日にちがあまりにもないというのに、スティラーアは病に伏してしまいまして。やむなく、遠縁の娘を仕立て上げてしまいましたの」
すでに決めてしまった婚約式と延期するわけにもいかず、やむなく代わりを仕立て上げたのだと、緊急事態でどうにもならなかったと言い募る。
やってはいけないと知りながら、偽ることが許されないと知りながらも、ルスメイア家から連れて来なくてはならなかったがために起きてしまったこと。フィリアルは深く謝罪をした。
騙すことをしたわけでなく。無事に式を終えたかっただけ。美衣歌はただ巻き込まれてしまっただけの可哀想な娘なのだと。
真実のように話す内容の全てが偽りだと、ここにいる何人が見抜き、何人が知っているのか。
けれど、これがなければ、美衣歌は罰せられてしまう。皇王の前で身分を偽るものは罪深い。地下牢行きは免れない。そうならないために、身代わりをしていた理由が必要だった。
真実はどうあれど。
明らかに事実と異なっていても。真実でなくても、違和感など感じなければ、事実として通ってしまう。
「よく今日まで代わりを務めたあげてくれたわ。あの子の病がようやく治りましたの。もう、身代わりは今日で終わりですわ」
心から感謝していると、手を差し伸べ立ち上がらせた。
しかし、その行動の意味は。
「……貴女のようなまがいものは、いらないのよ。わたくしの計画に、ね?」
小さくつぶやかれた言葉に、美衣歌は目を見開いた。
計画。なにを、企てているのだろう。
「アルフォン。あちらの紐を引いてくださいな?」
フィリアルが示すところは、台座の奥に垂れ下がる金糸の混ざる赤の太い紐だった。
「はい、母上」
異を唱えようものなら、不敬だと言われてしまう。穏便にこの場を終わらせる方法は、アルフォンが言われるままに舞台の裾の紐を引き、カーテンを開くことだ。
あの紐を引くと誰がいるのか。
この場の全員がわかっている。
しかしあえてアルフォンに紐を引かせる理由など、簡単だ。ようやく会える本当の婚約者と感動的対面を演出したいがため。
アルフォンが、下げられたカーテンの紐を手にする。
太い紐が引かれると、カーテンがサッと引き上げられた。
そこに立つ人物に、会場に立つ者たちが息を呑む。
美衣歌と娘の外見が双子のように全く同じだった。
幼さの残る顔立ち。薄い胡桃色の艶やかな腰に届きそうな髪。伏せられた睫毛がゆっくりと持ち上げられ、紫色の中に青色が混ざり込んだ色の瞳が、再び伏せられる。
腰を下げ、一礼をする。
たったこれだけの動作一瞬にして、周りを惹きこむ。王族になるべくして育てられた娘の力のなせるもの。
フィリアルは悦びにほくそ笑む。
「スティラーア、待っていたわ。ようやくきましたのね」
呼ぶ名に、会場中がざわめき出した。
スティラーアは、アルフォンの隣で、両膝を床につけ最大限の敬意を示している女性が名乗っていた名。
今は、フィリアルによって違うことを知っている。だが似すぎている。遠縁の親戚だとしても、ここまで、外見の近い親戚がいるのかと疑ってしまうくらいに。
男たちの目が美衣歌へ一斉に動く。
落ち着いた物腰。
滑らかな所作。
たったわずかな動きで、はっきりと感じ取れる。
小さい頃から、叩き込まれた教養のある女性は――再び玉座の隅に立つ女性へと、一斉に視線が動いた。
隠すことのできない蠱惑的な雰囲気に、若い男性どころか、腰の重い老紳士までも一瞬にして虜にする。
そして言わずもがな誰もが確信した。フィリアルが招いた女性こそ、帝国貴族、最高の魔法使いを排出する一家ルスメイア家の娘『スティラーア』であると。
「兄さん」
スティラーアをエスコートしているのは、アルフォンの弟ケイルスであることに、なんの違和感もない。
アルフォンが本来するべきエスコートが出来ないとき、父、祖父、そして、相手の親族へとエスコート役が順位づけられている。
ケイルスが女性の手をアルフォンへと移す。
ケイルスの役目はもう終わった。
アルフォンにその役目が引き渡される。
男たちが玉座の娘に魅入るなか、アルフォンは美衣歌を案じた。
不安に駆られた美衣歌を安心させようとしてか、それとも、自身の相手は美衣歌以外いらないと暗に主張するためか。そのどちらでもいい。
美衣歌はとてもこの先の展開が読めてしまっている。
物語を読むことが好きだった。だから、予感させてしまう。
まさに、その物語のような展開が、目の前にあり、自身に降りかかろうとしている。
カーテンからアルフォンを伴ってゆっくりと明るい場所に出てくる女性の歩く靴音が、やけに大きく響く。
シャンデリアの元へ姿を現した女性の容姿は、はっきりと見てとれた。美衣歌と双子のようにとてもよく似ている。内面から溢れ出る気品と、妖艶さが、自然と人の目を惹きつける力は、美衣歌にない。
彼女が、アルフォンの相手に相応しく、彼女がアルフォンとこれから先の将来を共に歩んでいくべき人。
どれだけ沢山の講習を受けても、美衣歌は到底なれそうにもない。
歩くスカート捌きの綺麗さに、アルフォンの隣に立っても見劣りしない艶やかさ。
何もかもが、負けていた。
アルフォンの腕に、軽く添えられた夏空を思わせる薄い青色手袋、青い宝石が嵌められたピアスとネックレスが、シャンデリアの元で光を弾いて輝きが一層増し、ジェティンをより引き立てている。
ルスメイア家の娘でも、遠縁の家族かも分からぬ、フィリアルの姪でもない娘は、王宮にはまったくもって相応しくない。
重鎮たちが、小さく囁き出す。
いや、まだ、舞台の上に立つ女性が、“スティラーア”とは限らない。
この明らかなる茶番劇を、茶番と知りながらも、国の各部門最高位をもつ男たちは固唾を呑んで見守ることにした。




