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王家の花嫁~少女は王子のもの~  作者: 柚希
第3夜 王家の事情
69/76

33:偽りの婚約指輪 1

(どうしよう)

 いくつかある応接室の一室。

 フィリアルが来訪するまでの間。

 応接のソファに座る美衣歌は緊張していた。

 

 アルフォンはそこに座ることがさも当然とばかりに足を組んでいる。

 座っているだけならどこだっていい。

 美衣歌の隣に座らずとも座る椅子は空いている。

 ちらりと隣を盗み見れば、閉じた瞼はぴくりとも動かず、整えられた髪型は、実の母であり王妃候補とでもあるフィリアルと会うにしては相応しいと言い難い。公の場で謁見するわけでもあるまいに、服装も皇子然としている。

 その姿は麗しく直接見るに耐えられない。落ち着きなく部屋の中を視線が彷うこととなるがその原因は容姿だけではなかった。隣に座るだけでも瞠目したのに、腰に添えられたアルフォンの手が、美衣歌の心を激しく乱している。

 後ろで立ち控えるクレストファはぴしりと背を正し、こちらも従者に相応しい身なりをして、待機の姿勢を一切崩さず、美衣歌がいくら助けを求めても、微動だにしない。

 部屋には他に城の従僕が控えている。


 膝の上で握りしめた両手は手汗で少し湿っていた。アルフォンの勧めで手袋をしているが、やめておけばよかった。レースの手袋は汗で手に張り付いてくる。

 フィリアルの呼び出しの緊張よりも、アルフォンの方に意識が向いてしまっている。

 

 フィリアルに対してそれなりに神経を使うけれど、この状況……アルフォンが美衣歌を離さないことに比べたら。

(今の方がまだ、全然マシ。なんだからっ!)

 そう言い聞かせでもしないと、変に緊張してしまうのも、男性の免疫をつけてこなかったせいだ。

 アルフォンは美衣歌が嫌がることはしない。信頼も信用もしている。

 ただ、美衣歌がスキンシップに慣れていなくて、気恥ずかしい。

 いまも、鳴り止まない胸の鼓動。密着するアルフォンに聞こえていないか、はらはらする。動揺もしていた。

 高校生として学校へ通っていた頃、比奈月くんに対してこんなに強い高鳴りを覚えたことがない。

 見ていただけだった。

 ただ、一日のうち何処かで、すれ違えれれば嬉しかった。

 美衣歌を覚えてなんていないと分かっていても、勇気を出して声をかければもしかしたら覚えているかもしれない。淡い期待と、希望を打ち砕かれた時の絶望と緊張に、勇気はシャボン玉が弾けるように消えさり、前に一歩も進めなかった。


 ――友人たちは、きっと分かっていた。

 あの日、修学旅行で気持ちを伝えたら、どうなるか。

 想いが実らないとしりながらも、そんなこと一切言わないで、美衣歌を応援してくれた。

 きっと、戻ってきた美衣歌をどう慰めるか、いつも通りに明るく迎え入れるか、それとも……。

 きゅうっと友人たちの優しさに胸が締め付けられた。

 フィリアルと関係のない、別のことを考えようとして、友達に会いたくなった。

 懐かしくて会いたくても会えない。

 熱くなった目尻から涙が出てきそうになって、上を向いた。

 あの頃の日常に、戻れるのだろうか。

 還る方法はなにもみつかっていないのに。

 そこで、はたと、気づいてしまった。

 自身の気持ちに。

 戻りたい、還りたい気持ちがまだ、心の隅の奥の奥にひっそりと居座り残っていたなんて。

 気付きたくなかった。

 気持ちが引き込まれていく。溢れだす。

 ……懐かしい。

 教室。廊下。通学路。電車。よく行くお店。周りの景色。

 情景が流れていく。

 友とみんなで、騒いで、遊んで、恋の話をして。

 美衣歌の遅すぎる拙い恋心に真摯に向き合ってくれた。いまなら、わかる。比奈月くんへの想いは、叶わなくて良かったのだ。

 あまりにも滑稽なのに、馬鹿にしなかった。

 とても、楽しかった。

 楽しかったのだ。けれど。それ以上に。

 どうして気がついてしまったのだろう。

 この高鳴りの本当のことを考えたくなかった。――戻りたく、なくなってしまう。


「どうかしたのか? ……なにか見つけたか?」

 怪訝な顔でアルフォンが美衣歌を覗き込んだ。なんの前触れもなく上を向いた美衣歌が天井になにかを見つけたのかと勘違いしてくれた。

 美衣歌が見つめる先を、天を仰いで探す。

 涙がこぼれそうになって、慌てて隠す。還るんだ。だから、この感情は、気が付かない。箱に押し込めて蓋をしてしまえば、まだ、小さなこの気持ちはきっと……なかったことになってくれないだろうか。

 『一度気がつくと、もう止めようがないんだよ。恋心ってやつはさ』友達の言葉。聞いていたときは、よくわかっていなかった。今頃になって、胸にくる。

 長く待たされているのがよくないのだ。

フィリアルが早く来てくれることを願った。

 そうすれば、この感情をいっときだけでも、考えなくて済む。

「なにもないですよ」

 瞬きをして、涙を無理矢理引っ込める。感傷的な気分を、胸の奥深くにしまってしまえば、緩んだ涙腺はほどなくして締まった。

 一度浮かび上がった涙の雫が、目尻で光を反射した。

 それを見逃さないアルフォンに訝しまれ、眉を顰められる。

「まだ、少し眠いのかも……しれないです」

 眠気から来る欠伸のせいに咄嗟にしてしまう。

 昨日はパーティーを早くに退場したけれど、心身の疲れは取れていないように感じる。

 追求はされなかった。

 そのかわりに、腰の手が肩に回って、引き寄せられた。

 肩に頭が乗りそうになるのを、耐えていたら、アルフォンの手が、頭を引き寄せた。

 なにを思ってか、頭を撫でてくる。

「少し、寝ろ」

 眠くなかったのに不思議と、本当に眠くなる。

 きっと撫でるアルフォンの手が、心地いいからかもしれない。

「そうします」

 アルフォンの肩に頭を預けて、美衣歌は瞼を閉じた。



「お待たせ致しました」

 無機質なノッカーと共に現れたフィリアルの従僕は、フィリアルの来訪を伝えるのでなく、彼女が謁見の間にいると言った。

「呼び出しておいてか?」

 応接室でどれだけの時間を過ごしたか。ゆうに一時間以上、待たされていた。

 息子の婚約者相手に、忙しいとしても、表向きは帝国貴族の娘であり、フィリアルの姪になる。

 帝国を敵に回すつもりかと、アルフォンが苛立ちを露わに立ち上がりる。

 応接室へ呼びながら、実際は王族と、国の重鎮たち大勢と対面する部屋になる謁見の間。

 その部屋に来いというその意味。

 謁見の間を王族と大勢の人とが対面する場と聞いている。少数が、応接室であれば、大人数と一度に会う。大人数、というには少ないような。

 こちらはクレストファを数に入れても三人。

 大人数というよりは少人数になる。

 呼び出した部屋でも十分事足りる。

 二人がけのソファ一対と、一人がけソファ一対。この部屋だけで、多くとも五人まで対応可能となる。

「申し訳ありません、殿下。私は伝達以外のことは存じておりません」

 なにも聞くなと、ぴしゃりと男は淡々と返す。伏せられた睫毛が、申し訳なさを体現している。

 アルフォンの威圧にも負けず、堂々たる姿勢を崩さない男は、フィリアルからの言葉を伝える以上のことをなにも言わなかった。

 なぜ、謁見の間なのか。

 この男は知らないのかもしれない。伝達以外のこと以上を。

 アルフォンからの「わかった」の言葉がない限りその場をさることもしない男は毅然とした態度でアルフォンの返事を待つ。

 是以外の返事はない、と分かり切っていても聞かない限り一歩も動かない。

「謁見の間だな? スティラーア、行こう」

 伝達を預かる男に確認をとり、美衣歌に腕が差し出された。立ち上がり、その腕に手をかけた。

「了解しました。急ぎ伝えて参ります」

 伝達に来た男は、踵を返し廊下を急ぎ歩き去っていった。

 その同じ方向へ、アルフォンとクレストファを伴い歩いていく。

 なんだろう。

 すごく、よくないことが起こりそうな予感がする。

 怖い。

 謁見の間に行く足が重く感じる。

 逃げられない恐怖感に、呼吸がしにくい。

「ミイカ」

「は、はい!」

 どちらかともなく、止まる。

 眉間によった皺が、険呑さを醸し出しつつも美衣歌を見下ろす瞳に優しさがあった。

「離れるなよ。絶対に。お前の場所はここな?」

 ここ。

 アルフォンの隣。

 婚約者の地位は美衣歌以外いない。

 嬉しいけれど、恥ずかしい。

 悪い予感は一瞬で吹き飛んだ。と同時に、慣れていないことに両手で頬を押さえて、そっぽを向く。

 頬が赤く染まっているのが嫌でもわかってしまう。

 激しく感じる心臓の音をなんとか落ち着かせようとしていた。

 いつまでも後ろを向く美衣歌の両腕を掴まれ、無理に振り向かされた。アルフォンと不機嫌さが増していた。どうしていいか困った美衣歌と美衣歌と見つめ合うと、険しさが緩んでいく。

「返事は?」

「…………はい」

 背中に回った手で、ぎゅ、と一瞬抱き寄せられた。

 心臓が止まるかと思ってしまった。

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