31:少女と、魔法と
通路を会場へ向けて足を急がせていると。
アルフォンの頭上に、突如、青い光が出現した。
小さな光は、溢れんばかりに大きな球体となる。壁に一定間隔で備え付けた灯びよりも周囲をさらに明るくする。
「殿下!!」
クレストファが光に目を細めながら、主人を守るため、柄に手を伸ばす。
強い光にクレストファの瞼を開けていられなくなる。アルフォンに近づけば、それだけ目が光に当てられ、目を開けていられなくなる。危険と察し、足を止めるも柄を掴んだ手を離さない。
「お気をつけ下さい!」
光に当てられ、主人に近寄ることができなくなったかわりに、緊迫した声で注意を促した。
左腕で光を遮断しても、強い光は目をチカチカとさせ、眼裏にいくつもの残像がこびりつく強い光は、アルフォンに何の影響も与えていない。
術者自身がかけた魔法が放つ光は、術者に何も危害を加えないのだ。
それが何を意味しているのか、アルフォンが瞬時に悟った、その時。
青い光量は弱くなりぱちりと消え、そこに女性が姿を表した。支えるものはなく、重力に従い、まっすぐに落ちてくる。
その落下速度は、アルフォンの頭のすぐ上にあり、とても早い。アルフォンが彼女を受け止めようと体制をとるよりも早く落ちてくる。
「ひ、やあぁあぁぁ!!」
小さな叫びと共に、アルフォンの上へ女性は落ちてきた。落ちるのが怖いのか、目がキツく閉じられている。
アルフォンは手を伸ばす。床に直撃だけは避けたい。
どさっ!
落ちてきた女性は、運良くアルフォンの両腕の中に落ちた。
「うっ」
受け止めを失敗して、腹になにか硬いものの直撃を受け、後ろへ仰け反る。それを踏ん張ろうとして、結局バランスを崩した。後ろに倒れるようにして背中を壁に打ちつけた。腕の中の少女を取り落とさなかっただけ、よしとしよう。
無事受け止められたことに安堵した。
頭上が転移魔法の出現点となるなど、誰か思おうか。
魔法文言の間違いに舌打ちしたくなるが、反省は後だ。
腕の中に落ちてきた少女――ミイカは、落下が収まると、うっすらと片目を開き、周囲を伺っている。
少し開かれた瞼は開くとすぐ閉じられ、再び同じ動作をする。
その視線に合わせて、アルフォンは上半身を屈ませた。
「無事、か?」
ぴたりと胡桃色の瞳が一点をとらえ、驚きに見開かれたあと、瞼が強く閉じられる。
「ひっ……え? え? ……え!?」
再び開き、屈み見下ろす人物が誰か認識する。
瞬きを繰り返したあとに、小さく叫びかけて、息を呑んだ。
アルフォン越しの背景が会場と違うからか、なにが自分の身に起きたのか、理解が追いつかず混乱している。
元いた場所から違う場所へ瞬時に移動したのだ。
部屋の至る所を見回し、最後に――目の前のアルフォンへ。図らずも見つめ合う形となった。
「ここ、どこですか?」
ミイカは目を瞬かせ、もう一度。周囲を見回している。
「城の通路だ」
絢爛なホールと違う、静寂な場に、なぜかミイカは胸を撫で下ろした。
それだけで、アルフォンに、彼女にとってよくないことが起きていたと教えるに十分だった。
ミイカの肩を引き寄せた。
「つう、ろ……」
ぼんやりと焦点の定まらない視線が周囲を泳ぐ。
会場と違うとわかると、ミイカの身体からゆっくりと力が抜けるのを感じた。
「ああ、そうだ」
背中を支える腕で、ミイカを抱き寄せた。
ダヴテ公爵との会話を早々に切り上げ、彼女のそばに戻っていれば、こんなことにならなかっただろう。
この娘が“受け入れられない何か”が起きた。
恐れ、魔法。それ以外でも。緊迫する何かは、アルフォンのいない場で起きていた。
ミイカが強く拒絶し、それを指輪にかけた魔法が感じ取った瞬間、アルフォンの元へ無条件に転送されるよう、仕組んでいた。
目先の近い距離だろうと、視界に入らない程に遠く離れていても関係ない。
ダヴテ公爵の意味深な言葉は、アルフォンにとって会場で良くないことが起きると錯覚させた。
アルフォンが会場へ戻る前に、ミイカに起きた。アルフォンを見上げるミイカは、無意識なのか、上着を掴んだ。
「……」
アルフォンと離れることで、どれほどの不安を与えてしまっていたか。
上着を掴む手は震えていた。
「アルフォンさま、こちらをお使いください」
クレストファが近くの休憩室のドアを開ける。
通路で話すより、近くの部屋に一度入ったほうがいい。
休憩室を使おうと歩く者が偶然通りかからないと限らない。
クレストファの機転に、アルフォンはミイカを横抱きに抱え休憩室へ足を向けた。
昼夜の寒暖差に身をすくめそうなこの時期。寒さに身がすくまないように、休憩室の部屋は暖められていた。
「外でお待ちしております」
「ああ」
開いたドアをクレストファが閉じた。
二人がけソファに迷わず座り、ミイカを膝の上に抱えた。
外との音が遮断され、薪が爆ぜる音がやけに大きい。
会場から離れた静かな一室は、ミイカを落ち着かせる手助けをしてくれるといい。
アルフォンの上着を掴んだままに、俯いたまま、一言も話さないミイカは、アルフォンの腕を拒絶するでもなく、受け入れていた。
膝裏を支えていた腕は、腰を掴み、落ちないように支える。
結い込まれた髪が少し乱れていた。
ただ、髪が乱れただけで、何も起きていないこともある。焦りは禁物だと分かっているが。
アルフォンが会場を離れていた間、彼女に何があったとしても、腕の中に彼女がいる。
パーティが終わるまで、気は抜けない。いまは無事だったことに、ひとまず、感謝した。
「……あっ、す……すみません! もう、大丈夫ですので!」
長くもなく、短くもない時間が経ち、ミイカが顔を上げた。身体の震えはとまり、見下ろすアルフォンと思いがけず見つめ合い、狼狽えた。
「……もう平気か?」
アルフォンと瞳を合わせ、迷い、ゆっくりと頭が縦にふられる。
言葉だけで信じられず、顔色を伺った。
転移し受け止めたときは蒼白だった血色が戻ってきている。
「は、はいぃ……っ」
この現状に目を回し、膝の上から降りようとするミイカに、アルフォンは苦笑して、支える手を離した。
素早く膝から降り、座るソファを探し始める。
アルフォンは離れていく前に右手をつかんだ。
「まあ、座れ」
引き寄せミイカを隣に座らせ、逃げていかないよう腰を抱いた。
「悪かった、一人にさせて」
一人、会場に残してしまい不安にさせていた。まずは謝る。一人にするべきじゃなかった。
「そんな、大切な話だったんですから。私もそれなりに面白い話が聞けましたよ」
ミイカは楽しそうに笑みをみせた。
ダヴテ公爵夫人と、有意義な時間を過ごしていたらしい。
「そうか」
アルフォンがいなくても、楽しかったにしても。転移魔法が発動した原因を聞いていない。
「なにがあった?」
会場でなにが起きたのか、それとも会場外か。
誰がミイカに近づき、なにをしたか。あまり時間はなかった。アルフォンが会場を離れてから三十分は経っていた。
会場に戻る前に聞かなければならない。
「…………ゆ、指輪を。とられそうになりまして」
「誰にだ?」
「……二、ニコジェンヌさま、です」
指輪の嵌められた左手をミイカは持ち上げた。アルフォンと対の婚約指輪と、第二の指輪が、二連で薬指にぴったりと嵌っている。
指輪の感触を確かめるように、大切に撫でる。
それも撫でる指輪が、第二指輪の方が多いようにみえた。
第二の指輪を贈ったアルフォン自身も大切にされているようでなんだか落ち着かない。
婚約指輪を用意したのが母フィリアルだから、余計そう思ってしまう。
視野をぼやかし、そこにないものがあるように見せるやっかいな魔法が存在する。
指輪は存在していなくても、あたかもあるように見せるものだ。
フィリアルが作り出した魔法は、ほとんどがそういう厄介なものばかりで面倒だ。
それをミイカの気が付いていないところでかられていたら。……直接触り、確かめなくては。おもむろにミイカの手を触った。
「……っ、ぃっ!」
愛でる指輪が嵌められた左手を恭しく持ち上げたのだけれど、ミイカは顔を歪める。
そんなに強く掴んでいないのだが。
女性は男が思うよりも華奢で、普段の力では、傷つけてしまう。
「悪い」
左手を解放すると、痛みを堪えたミイカがほっと息をした。額にうっすらと汗をかいている。
折れてるほどにアルフォンの力は強くない。
アルフォンはそこで何かがおかしいと、気づいた。
「俺のせいか?」
急く気持ちを必死に堪え、確認のため聞く。
転移魔法が発動した反動で腕を痛めさせてしまったのだろうか。
久しぶりといっても、もう十年余り使っていなかった魔法を小さな指輪に仕組んだ。反動で腕を痛めさせてしまったのかもしれない。
どこで間違えてしまったのか、魔法の語句を浮かべるが、誤りは見つからない。無意識のうちに間違えてしまっていた。なんて甘いことが、魔法を扱う者に許されはしない。
ミイカに悪いことをした。
痛みはそう簡単に取れないようで、手首を撫でながら、ミイカは違うと言った。
「これは、アルフォンさまのせいではないです。会場で、アルフォンさまが戻ってくるの待っていたんです。そしたら、ニコジェンヌさまに、ですね、見つかって、しまいまして。腕を掴まれて……」
ミイカはアルフォンの表情が徐々に険しくなり、剣呑な目に、しどろもどろになりながら話していく。
腰を抱く手に力が入り、一度離した手が、優しく痛めている手を撫でていることに、アルフォンは気が付いていない。
「こちらの世界で腕を掴まれた防犯の方法というものがあるんです。それを……やりまして」
手首を痛めた原因を困惑気味に話すミイカは、その方法がこちらでも共通なのか、知っているのか探っているようだった。
手を掴まれた対処法はあるにはある。しかし、それは女性が使えるようなものとは到底思えない力任せなやり方になる。
「なんだ、それは」
異界より来た彼女がそのやり方を知っているとは思えない。別のやり方だろう。
ミイカはアルフォンに痛めていない右手を、彼の左手で掴むように頼んだ。言われるままに、右手をやんわりと掴む。
「こうやって……、こう、抜ける、んですけどっ!」
実演するミイカの右腕が周り、アルフォンの手のひらが上を向く。手の空いた隙間から、肘を曲げて手を抜こうと必死になるが、隙間は思うようにできておらず、腕が抜けない。
右腕がアルフォンの手から抜ける、はずの腕は、アルフォンの隙間なく掴まれた手によって抜け出すことは叶わなかった。
「あ、あの。少し、緩めて、くれませんか?」
腕が自由にならなければ実演する意味がない。アルフォンは仕方なく力を緩めた。ミイカはその手の隙間から、肘を曲げでスポンっと腕を手から抜いた。
なにも使っていないというのに、鮮やかだった。
アルフォンが思う物理的なやり方は、手を手刀にして打ち込むのは、やられた側もやる側にも痛みしか残らない。逃げられる確率は半分以下という成功の悪さだ。これは、相手を選ぶ。成功率が悪いのも頷ける。
「本当ならここの間から腕が抜けて、成功するんですよ。相手の腕を痛めつけるやり方もあるので、それを使ったんです。そしたら、ニコジェンヌさまの方が魔法を使われていて、腕が全く動かなくて。私の腕が痛めつけられちゃいました」
ミイカが苦笑いをした。
手首を痛めてしまった原因は、アルフォンの魔法が失敗したのでなく、ニコジェンヌによる魔法による力の増強によるものでアルフォンの魔法が生じさせたものでもない。
しかし、ミイカのを痛めつけたのは、魔法によるものだった。
今日のパーティ会場内は魔法を禁じている。
アルフォンが指輪にかけた転移魔法は、ミイカが会場外で巻き込まれたときに、アルフォンが護れないことに遭遇した場合の保険みたいなものだった。だから指輪の魔法が発動する場所は、会場内を予想していなかった。
想定外だった。会場の騒ぎは皇王が納めてくれているだろう。
アルフォンが思うように、王は会場内の魔法発動をそれとなく、抑えていた。
「ニコが指輪を抜こうとしてきたか」
痛めた腕は左側。
指輪をした腕をなんの理由もなく、ニコジェンヌに掴まれるわけがない。
ニコジェンヌはまだ、諦めていなかったのだ。婚約式を終えて、すでにまもなく一月は経つ。
それでも、スティラーアの相手はケイルス以外認めたくなくて、指輪を外す機会を虎視眈々と狙っていたのか。
その執念に感嘆する。
考えていることは到底認められることじゃないけれど。
ニコジェンヌが開催し、ミイカが出たあのお茶会でも指輪に触れる機会を淡々と狙っていたのかもしれない。
ニコジェンヌに納得してもらうために、婚約相手を選んでいるわけじゃない。
王族は誰しも、婚約相手は選べない。
例外はない。
尊敬するスティラーアの婚約者はケイルス以外認めない。ただ、アルフォンだということが気に入らない。
昔からなにも変わっていなかった。
アルフォンの指輪をしていること自体気に入らないだろうと予想はしていた。
今日も、油断すれば、指輪に手を出すと予感していた。
「なんでわかるんですか?」
的確に、指輪に手を出した人を当てて、ミイカは驚いている。
アルフォンにとっては、簡単なことだ。
王族の婚約者に無遠慮に手を出す愚か者は、自国の貴族にいない。
許可されなければ、王と言葉を交わすことが叶わないのと同じように、許可なく、王族の者に婚約者でもなく、触れることはできない。
アルフォンが危惧したように、ニコジェンヌが指輪を触ろうとし、拒絶した結果、アルフォンが仕掛けた魔法が発動した。
「なに、簡単なことだ。昔から、ニコのことはよく知っている」
「ああ、なるほど。兄妹ですものね。私には兄妹がいないので、ちょっとわかりませんけど」
ミイカはあっさりと納得しつつも、羨ましげな眼差しを向けてきた。
王族の兄妹は血の繋がりはあっても、共に育っていない。乳母が同じ異母兄妹の方が絆が強く、裏切らない。
「そうか、誰も血の繋がりのある子はいないのか?」
「そうですよ」
「羨ましいな」
「私は、アルフォンさまの方が羨ましいですよ。ご兄弟皆さん、お綺麗で、平凡な私と違ってて」
ミイカは容姿が見劣ると残念に言う。外見はどれだけ取り繕っても、中身があるのとないのとでは違う。ニコジェンヌは王族でありながらも、兄妹の中でもっとも注意が必要な女性だ。
彼女の思うようにいかければ、思うようにしようとするところがある。ミイカの指輪をとろうとしたのが何よりの証拠だ。
ミイカに、再びニコジェンヌには気をつけるように言った。アルフォンの婚約者の証の指輪をとられてなるものか。
手首を撫で続けている手が止まる。痛みがある程度引いたらしい。
その時をアルフォンは逃さなかった。
「触れていいか?」
手首を再び痛めさせないように、痛めた手の先を、やんわりと指先に乗せ聞いた。
「は、はい」
悪化させないように注意をし、もう一度触れる。
第二の指輪にかけられた魔法は解かれていない。アルフォンの魔力を指輪から感じた。
婚約指輪からは、妹グレースの不動の魔法が発動している。問題はなさそうだった。
「指輪は、無事だな」
指輪はミイカだけでなく、アルフォンにとっても大切なものだ。
薬指の指輪は本物だった。
二つの丸みある指輪の感触が、確かにそこにあると伝えてくれる。
ミイカが無事に、アルフォンの手の届くところにいる。
魔法は正しく発動されたことに感謝をして、指輪に唇を落とした。ぴくりと手が反応したような……。
きっと気のせいだ。
指輪から唇を離すと、目を見開き、頬を赤く染めたミイカのなんとも言えない目が見下ろしていた。
「そ、それにしても……指輪に魔法、かけてあったんですね! 知りませんでした。グレースさまの魔法なんですか?」
アルフォンの目から流れるように、話を変える。
ミイカの前で一度も使ったところを見せていないがために、ミイカはアルフォンが魔法を使えると少しも考えていない。
「いや、俺の魔法」
アルフォンが使えると知り、どんな反応をこの娘はしてくれるのか。気になり、さりげなく伝えてみる。
「……………え? えぇっ!? アルフォンさま、魔法、使えたんですか!?」
驚き、考えること数秒。驚愕が声になって溢れ出た。
凄いをいくつか繰り返す声が弾んでいる。が、やはり使えないと思われていた。最近まで封じていたのだから、知るはずがない。
「使えないと思っていたのか?」
「使っているところ見たことありませんよ」
「あの母から産まれた息子だ。使えない方がおかしい」
「え、あ、まあ。……そうですけど。そうかも、しれませんけど! 知りませんでした」
「言ってないからな」
魔法に頼る必要性がなかったから、使っていなかった。のだが、ミイカを護るためなら、封じた魔法使いの名とともに、魔法を、魔力を余すところなく解放した。
この力でこの娘を護る。
もう、魔法を使うことに恐れはしない。




