30:妹は疑念を抱く
会場から人が消え、会場はざわつき出した。
城内は魔法禁止区域に指定されている。余程のことがない限り、これを破ることは許されない。
けれど、壇上に座する王、妃候補は一切動じない。
認められなければ、魔法は使えない。
貴族たちは、次第に王が認めている魔法だと言うことで個々に納得し、騒ぎは徐々に収まっていった。
中断された音楽が再び奏でられ、会場は元の雰囲気に戻りつつあった。
ダンスホールで踊る人はいなくても、会場を明るく、先程の出来事を、日常的なものに収めるにちょうど良い、アップテンポな曲だった。
ざわめきに便乗して、ニコジェンヌの本日のパートナーが、ニコジェンヌの腰を抱き寄せ、しきりになにか話しかけている。
ニコジェンヌの耳はその言葉を拾いもしない。
光に当てられた両目は瞬いても、まだ周囲の景色をとらえてくれない。
指輪はスティラーアを守るかのように、強い光をもって、ニコジェンヌに襲いかかった。
その証拠に、スティラーアは目を閉じていなかった。
(兄さまは容赦ないわ)
許されない相手に、問答無用で、強い光で抵抗するやり方は幼い頃と変わってない。
ようやく魔法を使う覚悟ができたのかと思うと嬉しい反面、婚約者を守るためにその代償を妹に負わせるなんて。兄にしてはやってくれる。
目が使い物にならないニコジェンヌに、誰かが近づいてきた。
パートナーがニコジェンヌから離れていく。
「ニコ、なにをしたの?」
ケイルスだった。
パートナーが離れた理由はわかった。声音が低い。
建国を祝う席でするべきことじゃ無いと、知っている。
「父上と、母上がこちらを睨んでいるよ。許されることじゃない。なにしたか吐きなさい」
見えなくても、兄の声の低さに怖さを感じる。
「ただ、指輪を見せてもらいたかっただけですわっ」
アルフォンとスティラーア。一対の指輪と、アルフォンが贈るもう一つの指輪。ニコジェンヌまだ持てない婚約の証。
魔法が使えなくなった兄と、使える兄。どちらがいいかなんて、ニコジェンヌにでもわかる。
この城内の派閥均等のためにも、魔法にたけるスティラーアはケイルスに嫁ぐべきだ。
指輪がなければ、スティラーアは誰のものでもなくなる。邪念に押されて、指輪に触れようとした。二つの指輪は一つは魔法がかけられたもので、もう一つはアルフォンが贈ったもの。
ニコジェンヌの魔力を持ってすれば、魔法のかけられた指輪もろとも指から抜く自信はあった。
腕を掴むまではよかった。
指輪に触れさせまいと頑なに拒み、拒まれたニコジェンヌはその理由もわからずに、魔法を使った。
相手の腕を痛めつけるつもりだった魔法に、スティラーアは抵抗しなかった。魔法で返されれば間違いなくニコジェンヌは力に負けていた。
スティラーアは魔法で抵抗することなく、怯えたようにみえた。
揺れる瞳は、誰かを探し求め、見つからず、不安な感情のまま、ニコジェンヌに向き合った。
その怯えす姿は、ニコジェンヌの強気な姿勢にひいているように感じられる。しかし、ニコジェンヌは何か引っ掛かりを覚えた。それは小さなことで気がつかなければ、そのまま見過ごしてしまうようなものだった。
ニコジェンヌの記憶の中のスティラーアはニコジェンヌに負けず劣らずの強気で、大人しさはカケラもない、誰にも負けることをよしとしない令嬢だった。
スティラーアが魔法学留学でこちらに来ている五年もの間、ニコジェンヌは、彼女の怯える姿を一度も見たことがない。
魔法を学ぶ時間は一度も一緒になることがなかったけれど、他国の令嬢らしく、そして第三皇妃候補の親戚らしく、立居振る舞いは完璧だった。
ニコジェンヌがスティラーアとまともに話をしたのは、城外の一角で、隠れて魔法を練習中に失敗してしまったときだった。
偶然通りかかったスティラーアが、優しく手を差し伸べてくれた。
ニコジェンヌが会わない間に誰かの顔色を伺うような、大人しさを感じさせるような人に変わってしまったのか、他国の令嬢らしく振る舞っているのか。どちらにしろ、少女の頃とあまりにも印象が変わっていた。
お茶会でのことを思い出す。
ニコジェンヌが知る限り、スティラーアは魔法を一切使わなかった。使う素振りもみせない。
使えなくなったわけじゃあるまい。ニコジェンヌの知る過去のスティラーアは魔法を使い慣れていた。
憧れの女性が入れ替わっているはずがない。
どう見ても、外見は彼女そのもので、微笑む姿は昔を彷彿とさせる。
印象は違っても、中身は変わっていない、はずだ。
(まさか、まさかですわよね?)
――アルフォンの婚約者が偽物だなんて、あってはならない。
そう思うこと自体、許されることじゃない。
「――少しはお淑やかさを身につけてくれないと、誰も貰ってくれなくなりますよ?」
不貞腐れる妹に困った娘だとばかりに嘆息するケイルスの声に我に帰った。
ケイルスはスティラーアが偽物かもしれないと疑うことはなかったのか。気になるが、今ここで聞いていい話題じゃないことは明らかだった。
グッと堪えた。
指摘はごもっともで、未だに貰い手が見つからない。このままでは、どこかの高齢未亡人に嫁がされかねない。
それだけは絶対に、嫌だ。
誰が好きこのんで、何十と離れた老ぼれに嫁がなくてはならないんだ。
それなら、今日のパートナー男性の方が幾分いい。それには年相応のお淑やかさと上品さが必要になる。
今からでも遅くないからというケイルスに、ニコジェンヌは憤慨した。
「わかっておりますわ!」
ニコジェンヌはほとんど聞いていなかったケイルスの話を突っぱねると、再び嘆息された。
上の空だったことに気づかれていなくて内心安堵した。
スティラーアを疑うなんて、どうかしている。
頭を振り、疑惑を振り払う。きっと、目が見えなくなったせいで、不安が変な疑念を起こさせているだけ。
スティラーアと最後に会ったのはもう六年前になる。
その間に人柄がかわったのだろう。
「眼は治りそうですか?」
両手を瞼に当てて治癒魔法をかけている。
「もう少し、ですわ」
「少し手助けしましょう」
ケイルスはそう言って、ニコジェンヌの右手に触れた。すると、魔力流れが一気に変わり、光にあてられた眼が治ってくるのがわかる。
「あまり、やたらと嫉妬するものじゃありませんよ」
ケイルスの言う通りだ。
一人が寂しい。
ニコジェンヌと同年代のセレーナは婚約が決まり、建国祭ののち、帝国へ向かう準備に入る。
お茶会の相手を時間の許す限りしてくれるセレーナが城からいなくなることになり、寂しい。この心の寂しさを誰かで埋めたかった。
その代償とばかりに目をやられた。アルフォンの婚約者にしたことが自身に返ってくるなんて思いもしなかった。
ケイルスが手助けをしてくれているが、視力が戻るのにまだ暫くかかるだろう。
「素直じゃないですね、僕の妹は」
「ほっといてくださいませ!」
三度の嘆息。ケイルスは呆れていた。
実はニコジェンヌ、アルフォンが嫌いなんかじゃない。その反対なのだ。わかりづらくて、理解してもらえないのに、ケイルスだけは、知っている。
そんな泣きそうなニコジェンヌを、遠くから心配げに見守る紳士がいることを、彼女は知らない。




