28:ダヴテ公爵
「アルフォン殿下、おめでとうございます。婚約されたと先日聞きまして――」
「殿下、ご婚約されたと……こちらのご令嬢ですか? はぁぁ、娘が泣きますな。――今も壁際で、こちらを睨んでおりますよ」
アルフォンの腕に腕を絡めて、明ける紫空色のドレスを着た美衣歌は婚約の祝福を受けた。
夫婦は、隣に立つ平凡な外見をした美衣歌の褒めどころが、見当たらない。苦笑いで当たり障りない、心のない褒め言葉を無理に絞り出し、早々に立ち去っていく。
夫婦が去れば、次の来客が前に立った。その方も同様に、美衣歌を褒めはしなかった。
ドレスと髪型、アクセサリーが幼く見える外見を大人っぽく見せてくれている。
花が開き始める頃の淑女が、花が満開に開いた淑女になるには、それなりの当人の努力と、侍女らの化粧の腕前次第となってくる。
二人の侍女が腕を振るい時間をかけた化粧はある程度美衣歌を大人びてみえるようにしてくれた。
けれど。
「……ところで、殿下。彼女は、デビュー前の淑女、なのですか?」
化粧で化けても、やはり見抜くものはいる。
「ダヴテ公爵、それは、彼女が異国の人だからと言いたいのか?」
タヴテ公爵は、ウィステラ皇国で王家の次に権力を持つ貴族になる。
この男に最大限の注意をしなさいと、ファリー夫人に言われていた。
挨拶を交わし、化粧を施した素顔を早々に見抜くあたり、目敏い。
美衣歌は、笑顔で、聞き流した。
ファリー夫人による『レディの嗜み』を受けていた成果か、引き上げた口角が引き攣る程度で、簡単に笑顔は崩れない。
「とんでもない。気分を害されたとなれば、失礼な発言をいたしました。……ですが、わたしが拝見したところ、見目が大変幼くお見受け致します。フィリアルさまの親族の方にそのような噂がたってしまうのは大変心苦しい。異国の人は皆、そのようなお顔立ちを?」
作った笑顔が凍りついた。
男性同士の会話を割って入るわけにいかず、アルフォンを見上げる。
困った時はどうするべきかも、ファリー夫人仕込みである。
高校生の何も知らない美衣歌のままに放り込まれていたら、出来なかった。正面から言葉のままに受け止め、そして、落ち込んだだろう。
けれど、やはり胸に突き刺さるものはある。言葉尻は少々どころか、かなり鋭い。
普通の会話なのに、喧嘩を売られているようだ。
さならなる棘を刺さんばかりの勢いで、公爵は美衣歌を見下し、アルフォンは会話をする許可を与えてくれた。
「わたくしの顔立ちがどうしても幼くて、そのようにとられてしまうのは、重々に自覚しております。国の建国を祝う喜ばしい会です、公爵閣下?」
幼くみえることを逆手に取り、小首を傾げた。
左肩に流した緩く波打つ髪から漂う、花の柔らかい香りが、蠱惑さを演出する。
露出する右肩は張りのある健康的な肌がみえる。そこからも、色香が漂い、デビューして半年の公爵閣下の娘と違った印象を受けさせた。
公爵の娘は男よりも、料理に夢中なようだ。公爵が向けた先に、淡い蒼のドレスを纏った、少しふっくらとした娘が人目を憚らず料理に夢中となっている。
美衣歌と娘を見比べ、嘆息した公爵は、頭をかいた。
「これは参りましたな。娘に男を誘惑させる方法を学ばせたいくらいですな」
「もう、あなたは。主人が大変な失礼を申しました。……殿下、スティラーアさま。お詫び申し上げますわ」
ぱちりと公爵の肩を叩き、謝罪の礼をとるのは、公爵夫人だ。
きっちりと結い上げた茶色の髪を散りばめられた髪飾りが上品に飾り立て、耳のピアスが銀色に光り輝き、公爵の優美さを彩っている。
この会話の行き着く先を固唾を飲んで見守る周囲の観客のために、受け取らないわけにいかない。
冗談はやめて下さいと笑う公爵夫人の目は、笑ってなどいなかった。
その場を和ませるためだけに、笑顔を見せる。
「スティラーアさま。気分を害させた。すまない」
ワイングラスを片手にダヴテ公爵は紳士的な謝罪と礼の形をとる。二人はその謝罪を受け入れた。
「ようこそ、我が皇国へ」
歓迎の言葉をそのままに、受け取ってもいいのだろうか。
先のやりとりで、表立って謝罪をしたところで、公爵がフィリアルと同家の出身者をよく思っていない。
差し出された手に、困惑した。
歓迎の口づけをこの手に受けてしまって、いいのか。
音楽が奏でられる中、ダンスする人も、談笑に花を咲かせる人も、気もそぞろに、耳をそばたてている。
関心があるのは目の前の相手ではなく、この四人の会話の終点だ。
美衣歌は、躊躇いをふり捨て、手を伸ばした。公爵の唇が手の甲に当てられ、歓迎を受ける。
「ありがとうございます、公爵閣下」
離された手の公爵の名残がすごく嫌だった。すぐに手袋を脱いで拭き取ってしまいたい。
許されるならばすぐにでも、会場を後にしてしまいたかった。けれど、この場を立ち去る言葉を、方法を、教えられていたのに、思い出せない。
「スティラーアさま、宜しかったら、あちらでお話しをしませんか?」
示された方は、貴婦人が固まって、こちらを気にしている。
アルフォンと離れるとボロが出てしまいそうで怖いけれど、公爵と離れられる絶好の機会だった。
「は、はい。アルフォン殿下、少し、夫人と話をしてきますね」
そばから離れていく婚約者の手をアルフォンは掴み、引き寄せる。
「あとで、行く」
アルフォンは美衣歌に囁いた。
仲の睦まじさを周囲に見せつけるかのように、額に口づけをされる。
周りから感嘆の溜息と、悲鳴が聞こえた。
離された手に、アルフォンの温もりが残っている。
夫人のお仲間の元へと歩いていきながら、掴まれた手がダヴテ公爵に口づけされた手だったと、気がついた。
⭐︎
「公爵。婚約者を私から引き離して、なにを聞きたい?」
アルフォンは眉を顰め、公爵に向き直る。
この男は敵に回すと厄介だ。国にとっても。アルフォンにとっても。
言葉一つ一つに注意が必要だった。
アルフォンはこの男が聞きたいことを十分に理解していた。
前例なく、四代に遡り、同じ家のものを王家へ嫁がせてはならない。決まりでもなく、国内の貴族から反感を買い、国が傾かないためのものだ。皇子の婚約相手は、皇子の独断によって決められるものではない。皇王、政務官などの各所のトップ、それと貴族が集められ執り行われる国の正式な会議の元、承諾なくしては、認められない。
先日の第一皇女セレーナと、カヴァロン帝国第一皇子フィディルの正式な婚約は、この会議で承諾されている。
ダヴテ公爵はこの会議の一員であった。
ダヴテ公爵が聞きたいことは、アルフォンの婚約のこと以外思い至らない。
そして、その話はこの場に全く相応しくない。
「よくお分かりのようですな。なぜ、フィリアルさまの親族と婚約を結ばれたのですかな?」
「その話ですか。いますべきではないとお分かりでしょう?」
声は抑えられているものの、場違いがすぎる。
まあ、公爵がそうせざるおえない状況にしたのは、アルフォンだった。饒舌な男と二人で話をしたくもない。
「何度も面談の申し入れを断ったのはどちらですかな?」
はっきりと、問い返され、ぐうの根も出ない。
「この場で良ければ、話をしますがな?」
どうされる? と、言外に聞かれれば、もう会場の外へ行く、以外の選択肢はなかった。
いくつかある休憩室の一室。
室内に公爵と二人は到底できず、クレストファを立たせた。
ダヴテ公爵も、同様に信頼のおける執事を立たせている。
「ダヴテ公、国の建国を祝う日に非常識すぎませんか?」
先手を打ち、問いかけた。
「なに、殿下が私との話し合いに応じてくだされれば、このような場で、このような場違いな話をしなくてすんだのですがな?」
疑問を疑問で返された。
返す言葉もない。
確かに、婚約式後、幾度も面談の打診を公爵から受け、執務多忙を理由に断っていた。
公爵から言われることが分かっていた。
避けていた、と思われてもいい。話をしたくなかった。それがこの祝いの時になって回ってきてしまった。
「……婚約の話だろう?」
「そうですな」
何度も手紙に書いてあった。
「何が聞きたい」
「それも分かっていましょう?」
その通り、わかっていた。
スティラーアと婚約をするには、議会で承認を得なくてはならない。例外はなく、数ヶ月前に認められたのは、セレーナの婚約のみ。アルフォンの婚約に対し、承認を得ていない。
なぜ、承認を受けていない娘が、婚約者を名乗る資格はない、と。
婚約式をしている、していないはこの際関係ない。
承認をしたか、していないか、が問題なのだ。
のちに問題として取り沙汰されると、アルフォンが不利となる。皇子といえども、正しく手順を踏まなければ、婚約を語った娘と共に牢へ押し込まれる。
その後のことは、口にして言えるようなものじゃない。アルフォンは永久幽閉であるうが、婚約者ミイカは命を奪われる。運がよくて流刑に処される。それだけのことをしでかす理由を公爵はアルフォンに聞いている。
第三皇妃候補フィリアルと同じ家系から、二代と経たずに、迎え入れることは認められない。
腹に子がなされているでもない限り。いや、腹に子がいても、だ。
「ダヴテ公爵、何が聞きたい」
アルフォンは再び問う。
相手が知り得たい話以外をするつもりはなかった。余計なことを話してしまいかねない。
「全く、貴方という人は」
頑なに話をしない男に、ダヴテ公爵は太腿に膝を立てた。
この場において、優位に立っていると自負している男は優然としている。
「あの娘は何処の出ですかな?」
許しのないルスメイア家の娘をどうするつもりか、と問いただされると覚悟したアルフォンは、全く違った問いにぽかんとしてしまった。
全く違ったことを問われ、皇子を出し抜いたダヴテ公爵は笑みを深める。
してやったり、という顔に悔しさが滲む。
ミイカがルスメイア家の娘でない、と見抜いたその眼力、誤魔化しを許さぬその眼力は、公爵の長年培った経験によるものだろう。
アルフォンの年の倍は生きている公爵に、見抜かれては、別人でないと押し倒すのも憚れた。
「ここはよく見抜かれた、と褒めるべきか?」
アルフォンが冗談めかして笑む。
真実は伝えるべきでない。
ミイカの出自が、隣国でも、同盟国でもない。ここに存在しない異界の国だと言われ誰が信じる。
答えは否だ。
召喚されるその瞬間に、陣から見たことのない服を着た娘が現れる、その時をその場で見ていなかったら、アルフォンは信じていなかった。
国は何処だと、地図を広げて問いただし、意地でも帰していただろう。たとその国が、彼女の住む国でないとしても、アルフォンが気にかけることではない、と。
これまで母の被害にあった女性たちは本当に住む国へ帰ることができなのだろうか。
アルフォンが直接帰していないので、わからずじまいだ。中には本当にミイカのような人がいたのかもしれない。
――いまとなっては、知る由もない。
「私を出し抜こうとなさっていますかな?」
ダヴテ公爵の思う家柄も、国も、全く違うところだと、伝えたところで、戯言と笑い飛ばされる。謀るな、と罵られもしよう。
そういう気配を公爵から感じ取れた。
偽りを嫌う男は、じっとアルフォンの答えを待っている。
この場の優位は我にあると身体で示している。
公爵の確信を持った問いかけに、偽りに偽りを塗りたくっていくと、どこかで襤褸を出してしまいそうだった。確実に。
「おっしゃる通り、ルスメイアの家の者ではありませんね」
事実は、躊躇いなく、はっきりと言えた。
「ほう。では何処の?」
「それは私からは……。彼女を連れてきた母上がご存知だ」
間違ったことは言っていない。が、さらに事細かく聞かれたらと思うと、冷や汗が止まらない。
ミイカの出自は本当に誰にも知られたくない。そこは意地でも守り通したい。守らなければならない。
「フィリアルさまが? ほお、そうですか」
目を皿のように細めた。
フィリアルと聞いて、出自は聞けない、と思ったのだろう。女の口のうまさは、公爵をも上回る。
『仮にも婚約を交わした相手の出自を知らないと?』
うろんげな目で訴えられても、言えるものか。
察しろ、と言う方が無理な話だ。
「悪いな、ダヴテ公爵閣下」
やましいわけでもないが、知らないと押し通した。
にんまりと口角をあげる。
どう相手に思われようが構わない。
ミイカを離さなければならない事態になってたまるか。
二人は火花が散らんばかりに、睨み合う。
「では、婚約は? なぜ、議会を通さないのですかな?」
先に折れたのは公爵だった。
スティラーアと名乗る娘が別人であるとわかったうえで、敢えて再び手紙の内容を問う。
やはり、引っかかるのだろう。
議会の許していない茶番とも取れる、婚約式をしてまで、なにをしたいのか、と。
それはアルフォンこそ知りたい事案だ。
フィリアルがこの国で何をしたいのか、アルフォンが政務をするようになり、母に疑いを持ち始めてから、確信めいたものは掴めていない。
仮定の話が出てきては、簡単に消し去られてしまっていた。
ミイカが召還された裏で企みが必ずあるのに、それも掴めていない。
「知りませんよ。母上が連れてきて、婚約式をした。それだけです」
アルフォンはきっぱりと本当ことを伝えた。
嘘偽りを見抜くかなような、熱視線をアルフォンは真っ直ぐ受け止めた。ここで目を逸らし、眼球が少しでも動けば、偽っているととらえられてしまう。
本当に気の抜けない男だ。
両手を交差させた上に顎を乗せ、余裕すら見せる公爵に、こちらはもう限界に近い。
言わなくてもいいことが、口からうっかり滑り出でしまわないかと、言葉一つに気を使う。
普段の会話以上の疲労が徐々に蓄積されていた。
早く話を切り上げてしまいたいのに、この男は会話を楽しんでいるようで、一向に席を立とうとしない。
「娘に、熱をあげているようにみえたのは、周りを牽制する芝居ですかな?」
ミイカのことを聞かれていた、はずだった。
どんな娘か、貴族の教養はあるのか、徹底的な質問に、疲弊してきた頃合いを狙われた。
その流れのままに、答えそうになって、口を閉ざした。
ほんの僅かだった。
公爵の前でアルフォンがミイカに気持ちを表したのは。
周りの牽制も、アルフォンが隠す想いも、全てお見通しだとばかりに、笑う。
我が子が隠していたものを見つけた親のような悪い顔。アルフォンは悔しさに、歯噛みした。
そうだ、と言ってしまえば、公爵の思惑に引っかかってしまいそうで。なにも言わなくとも、それもまた、彼の思惑通りに事が運んだととられるのも、嫌だった。
「ああ、そうだ」
肯定をすることにした。どちらにしても、公爵にだけ口弁で勝てる力量にアルフォンは到達していない。
飛び抜けてなにかと厄介な男なのだ。敵でも、味方でも。兎に角相手にしたくない。
「そうか、良き相手に会えたのだな」
あっさりと納得したダヴテ公爵は席をたった。
次の追撃に備え、構えていたアルフォンは肩透かしを喰らうも、話を終えられるなら願ってもいない。
質問のようなものが来ると思いきや、あっさりと退室されるのも、なんだかむず痒い。
「……そうだな」
こういう場では、どちらもなにかしらの得るものがある事が多い。特に得るものはなく、こちらの情報だけを吸い取られただけのようなどうにもすっきりしない。
「祭りが楽しみですな、皇子?」
「……そう、だな」
当たり障りのない返答をする。
明日の祭りをこの男は見聞するのだろうか?
建国祭は始まったばかりで、あと四日、街でお祭りが催される。
街の祭りを公爵が見物するとは珍しい。彼が街の祭りにこれまで一度も興味を示したことがなかった。
初日に城で行う祝賀会パーティー後、社交シーズンは終わっているので、領地へまっすぐ帰ってしまう。
それが、楽しみだと言うのだから、珍しいことはない。
娘にせがまれたのかもしれない。
厄介な男であるが、娘や妻にせがまれると紅茶に何杯ものシュガーを入れたくらいにとても甘い。
公爵退室後、アルフォンは身体の力を抜いて、背もたれにもたれた。
執務に追われるよりも、公爵と話をする方が何倍も疲れた。
(だから、嫌だったんだ。あの男と話をするのは)
避けられないにしても、今日でなくたってよかった。
それを今日、この場にしたのは公爵の方だ。
戻らなければならないのに、精神がすり減って、立ち上がる気力が起きない。
体の疲れを取るように、長く息を吐き出した。
(祭りか…………)
公爵が楽しみにする街の祭りはミイカと楽しんだ。
祭りが盛り上がる昼だったら、もっと楽しかっただろう。店は一部しか開いていなかった。
もう街へ行くことは暫くできない。ミイカと二人で歩く街歩きは楽しかった。
昼の祭りは終わりかけで、夜の祭りが始まりそうな頃だった。祭りが好きなのだろう。目を輝かせるミイカは可愛い。
きっと、もう一度、祭りの街へ行けばもっと、可愛い姿を見られる。ミイカの世界の祭りはどういうものでも、この街を以上に楽しい祭でないと信じたい。
夕刻の楽しいひとときを思い出しながら、ふと、アルフォンは昔公爵が言っていた言葉を思い出した。
数年前、アルフォンが初めて建国祭の夜の祝賀会に出た時のこと。なぜいま、この時に思い出してしまったんだろう。
『わたしは、庶民の祭りに一切興味はないのですがね、面白いと思う祭りがあるのですよ、皇子。――それは、仕掛けられた茶番劇ですよ』
公爵の祭りとアルフォンの祭りの相違に気づく。
公爵の祭りは、街の祭りのことではない。
これから、大広間で起きるなにかを指している。
そのなにかは、アルフォンにとって、いいことと限らない。
あの男、やってくれる。
「クレア! 戻るぞ!」
会場に残したミイカが心配になる。
公爵が戻ってどれだけ経った?
アルフォンはクレストファが問いかける声を無視して、大股で部屋を出て通路を急ぐ。
ダンスの音楽が終わっていないといいと願った。




