23:迷い
二日後が建国祭典前の最後のダンス練習日になる。
最後の練習日に勝敗が決まる。それまでにやれることは全てやっておきたい。
美衣歌がケイルスに聞きたいことも、考えておかなければならなかった。
『知りたいこと、お教えしますよ』
美衣歌が聞きたいことなんて、なにもないというのに、あまりに何かを含んだ言い方は、美衣歌の心の底にひっそりと潜んでいる、疑問を引き出そうとしているように感じた。
ケイルスに問うことはなにもない。
それは翌日になり、一通り講座を終えた夜になっても考えは変わらないのだけれど。誰に聞いても教えてもらえないと、諦めた事はなかっただろうか。
ぼんやりと思い返すくらいはしてもいいかもしれない。
城にきたばかりの頃は、本来いるべき世界へ戻ることを願っていた。
知らない世界に呼ばれ、誰かの身代わりをさせられ、この世界の常識を叩き込まれる。
興味のない事ほど頭に入らず、体はダンスを覚えようとしない。
その根底美衣歌が語る名の人がいつか戻ってくると考えていた。――まさか未だに居処が見つかっていないと思いもしなかった。
美衣歌を呼んだフィリアルは美衣歌の出来の悪さを嘆いてくる。器量のある女性がいいというなら、元の世界へ還し、別の人を呼べばいい。それをしないのは何か理由があるのだろう。知ろうとも思わない理由が。
アルフォンは美衣歌が還れる方法を探すと言って、いまだに見つかっていないらしく、それは聞いていない。
アルフォンが見つけられない返還方法を、ケイルスが知っていると思えない。教えてくれる事が一つだとしたら、返還方法で使うわけないかない。答えが『分からない』で終わってしまえば、空いた時間を作って練習する努力が空しい。
(何を聞けというのよ)
答えれる範囲で教えると、ケイルスは言った。
フィリアルのことを知ろうと思わない。美衣歌を嫌悪し、教養のない人として侮蔑的な目で蔑んでくる。
この世界の教養がない美衣歌に、長年叩き込まれた教養のある女性を演れるはずがない。それを求められても、難しい。数日のうちに習得できるものではない。
スティラーア・メディ・エ・リラ・ルスメイア。
彼女は謎が多すぎる。
なぜ、生家の屋敷を出て行き、行方を眩ませる必要があったのか。
行方を眩ませた相手をフィリアルが捜す理由。
どれもが還ると決めている美衣歌が知るべきことじゃない……のだけれど。
…………還らないと、決めた、ら?
――スティラーアのこと。
――第二皇妃カッツェーマのこと。
――ルスメイア家のこと。
――そして……アルフォンのこと。
数え出したらキリがない。
出てくる数だけ、美衣歌がこの世界を、人を、知った証だった。
ほんの僅かに還りたくないな、と思ってしまうくらいには。
美衣歌は首を振って考えを吹き飛ばし、重い息を吐き出した。
(還ると決めているのに、なにを考えてしまっているの)
けれど、一度考えてしまったことは止まらなくなる。
還り方がなければ、美衣歌は城にとどまるしかなくなってしまう。この世界から去れなくなるのだ。
それを望んでいるのかと心に問いかけると、迷いが出る。元の世界へ戻りたいけど、この世界に残りたい、と。
どちらかの選択肢しかない。
こちらに来た時はすぐにでも戻りたかった。あの時に、すぐに還っていれば、こんなにも迷っていなかった。
ケイルスから、なにかを聞けば、美衣歌は迷うとわかっていた。
考えたところで、美衣歌が聞きたいことはないことにする。あっても、聞いてはならない。
聞いてしまったら、気になって、どうしても戻れなくなってしまう。
その時のことを考えてしまい、胸がぎゅっと苦しくなる。なにも聞きたくない。聞かなければ、あっさりとこの世界から去れる。去らないといけない。
けれど、いまだけは、目の前のやらなければいけないことから、目を背けることはしたくなかった。
止めていた足を再び動かし始める。
ドレスのスカート丈は踝よりも短く、足元がよく見えた。ステップの確認にちょうどいい。足を踏まないようにするにはどうしたら良いのか。一人の練習はステップの確認をする以外の練習がない。足元を見ながら繰り返し、練習をする。
相手がいれば、一曲を通した練習ができたのだけど、夜も遅い時間に美衣歌の練習相手をしてくれる人はいない。
朝から晩まで、美衣歌が部屋に戻るまでを護衛する騎士を気遣い、美衣歌が頼まなかった。気を張り詰め、美衣歌が何事にも巻き込まれてしまわないよいに身辺を護衛するのは、大変だろう。夜はゆっくりと休ませてあげたい。
最後のステップを踏み切り肩で息を繰り返した。
手応えは上々。
失敗のしようが無いほど、体にたたき込んだ。
(きっと、勝てる…………多分)
若干強く言えないのは、やはり相手ありきで自主練習を積んでいないからだ。
まだ、不安は僅かに残っているが、そろそろここまでにして、寝なければ明日に差し支える。
明日の予定を確認しながら呼吸を整えて、振り返る。
「……!」
美衣歌以外誰もいない部屋。練習のために空き部屋を使い、通路には護衛を誰も立たせていないのに――ドアの壁に背を預けアルフォンがいた。
ひっそりと、そこにいることが悟れないように存在感を消して、こちらを見ていた。
いつからそこでそうしていたのかわからない。ドアの開く音は聞こえなかった。
なにも言わず、壁によりかかり立っている。
普段と変わらない、ように見える。しかし、どこか普段と違う。
眉根を寄せ、力強い眼差しが美衣歌を射抜く。
静かなる怒りが全身から漂っていた。
怒らせることはなにもしていない。一日のほとんどの時間を講座とレッスンで費やしている。
「アル、フォン……さま?」
声をつまらせながら、恐る恐る名を呼ぶ。
アルフォンは壁から背を離し、組んだ腕を解き、ゆっくりと歩き出す。
据わった目が、美衣歌を動けなくする。
その迫力が恐ろしく、足は床に張りついて動かせない。
「おまえは、ここでなにをしている」
美衣歌の前に立ったアルフォンの声がひどく低い。怒りを露にした声音は美衣歌をひどく怯えさせた。
怒らせるようなことをした覚えがないというのに、見下ろしてくる瞳に怒りの炎が宿り、透き通る綺麗な海のような色が、酷く濁って見えた。足が自然と後退してしまう。
部屋に美衣歌がいると知られないように、通路には誰もいなかった。
この部屋に美衣歌がいることは誰も知らない。
この部屋にいると、どうして知ったのか。それよりも、いまは後退する美衣歌の腕を掴み、強い力で強引に引き寄せるアルフォンの手が痛い。
見上げたアルフォンの目が据わっている。
「……ダンス、練習です。本番で、失敗できないので」
「当日は、俺とだけにすれば、練習は必要ないだろう」
「そういうわけには」
当日は王国内の貴族が城に集まる。
皆、アルフォンの隣に立つ美衣歌に注目してくるだろう。
「なぜ一人でいる」
「ダンスの自主練習にまで、護衛は、いらな……」
「なにを言っている! 帝国皇子のことを忘れたわけじゃないだろう!?」
言い終わる前に、言い被せられ、今度は両腕を強く掴まれる。
痛くて眉間を顰めた。
「忘れては、いません。……けど、夜遅くまでわたしの練習に付き合ってもらうわけには」
いつ終わるかも分からない個人練習に、寝る時間を割いてまで付き合わせてはならない。侍女も然り。朝が早い彼女たちを美衣歌の我儘に付き合わせるわけにいかない。
「誰か部屋の外に置くだけでもしろ!」
護衛が誰もいなければ、この部屋に人がいるとわからない。夜の警備をする騎士たちが、安全確認に部屋を開ける。その時、部屋に人がいたら、誰であろうと剣先を向けられると言われた。
なぜ、使用しているのか、事細かに尋ねられ、夜間の使用は控えるよう注意される。
それが取り決められていると言われていまえば、部屋の前に人は置いた方がいいのだ。
「すいません」
こうまで言われてしまうと、美衣歌の警戒のなさに猛省する。
フィディルが立ち去り、少し気を抜いていたが、城にはフィリアルがいる。今度はなにを仕向けてくるかわからない。
城に捕縛する魔法は消え、美衣歌は城外へ自由に行ける。外へ追い出される事態を考え、より一層警戒しなければならない。
フィリアルの行動に、魔法に。
目に見えない魔法は、使えない人にとって脅威だ。
いつ、どこから発せられるかもわからない未知のもの。もしこの部屋に魔法が張り巡らされていたら、美衣歌はなにもできずただ、一方的に魔法を受けるしかなくなる。
お茶会で起きた、ニコジェンヌの一方的な魔法のように。
フィリアルに一方的にかけられた束縛魔法のように。
どれも防ぎようがなく、あの時の恐怖は忘れられない。
思い出して、小刻みに震える。ニコジェンヌの放った魔法はまだ、美衣歌にかけられたままだ。
アルフォンは美衣歌が一人で、護衛もつけずに部屋にいることを怒っているのだ。つい先日、起きたことを忘れたような美衣歌の行動は、考えれば、魔法から守る術もなく無防備すぎるともとれなくない。
「悪い、脅すつもりはなかった」
美衣歌の震えが強く掴み脅したからくるものと思ったのか、アルフォンが腕を強く掴んでいる両手をはなしてくれた。
体全体の震えが止まらず、支えとなるアルフォンの手を失い力なく床に座り込む。
立つ力は出なかった。震えがおさまらないと、立ち上がれそうにない。
「わたしがいけないんです。気をつけます、ね」
そのうちおさまる体の震えを、自身の両腕を抱きしめて、落ち着かせる。
なんでもない変わらない日常。
そこに突如魔法という見えない力は、美衣歌の日常を壊し怯えさせるは十分だった。
瞳をぎゅっと閉じて、心を落ち着かせる。
それでも怖さは徐々に美衣歌の心を浸食し、平気だと念じても、とまらない怯えは、大きくなる。
すると、背中に、違う熱を感じた。アルフォンの軽装が開いた目に入る。
美衣歌の頭に回った手が、アルフォンの肩に額を強く押し付けた。背中の腕からじんわりと伝わる熱に、不思議と震えが落ち着いてくる。
「悪い。脅しすぎたな」
美衣歌の頭をアルフォンが撫でた。頭皮を撫でるその手はひどく優しい。
脅しておきながらも、脅しすぎたと後悔している。
ここは安全な国じゃない。美衣歌はもっと警戒をしなければならなかった。
還りたいと願う美衣歌に、この人はなぜここまで優しいのだろう。
理由がわからない。強く突き放してくれれば、美衣歌の還りたい思いが揺らいでしまうことはないのに。




