9:フィリアルの意図
手燭を持ち、閉ざされた階段をゆっくりと降りて行く。階段を降りたら、道なりに歩いくいく。
立ち入りが禁止されているが、他に誰も居ないか振り返る。手燭が届く範囲に人影はない。
人影がないからといって安心できない。
手にした扇を一振りして、空へ陣を描いた。範囲は階段手前に張られたロープまで。
陣がボゥンと音を立て、青白い光が四方へ走る。暫くして、放った光はどれもかえってこなかった。
フィリアルはそれが当然だとばかりに鼻で笑う。
石造りの通路を歩いていった。
美衣歌が召喚された部屋へ入れば、闇からすっとヒンツが現れる。黒のローブを羽織り、フードを目深に被ったヒンツは、ローブの中からフィリアルの杖を差し出した。
フィリアルの背丈と変わらない高さのある杖は美衣歌召喚時に使用したものだ。
「計画は?」
「ええ、やっとよ」
「では、結界を」
フィリアルは頷く。
ヒンツが王宮の魔法使いに見つからないように、円柱の結界を張り巡らせ始めた。
空高く結界が張られていく。
フィリアルは祭壇へ上がった。魔法陣を描くに最適な場所なのだ。祭壇の周囲に水が流れ、外へ出て行く。この魔法は水がなければ成功しない。
フィリアルは一度深呼吸をして、頭の中に陣を思い浮かべる。
石床へ、杖の先を突き立てると、踊るように軽やかに描き始めた。
フィリアルが陣ができあがると、ヒンツの結界も完成した。
「さて、始めますわ」
詠唱を始めると水が波打ち出す。魔法陣は床からゆっくりと剥がれ浮いた。
陣に従うように流れる水は上へと登りだし、水柱を作りだす。陣が消え、水柱がぱん、と弾ける。弾けた水が石床を激しく叩く。フィリアルはこれが狙いだった。
閉じていた目を見開く。床に散らばった水の表面がゆらりと動いた。
水に、一人の女性が映っていた。フィリアルが彼女を最後に見た姿よりも成長している。短くなったイエローブロンドの髪を結び、隣に並び立つ男性へ微笑んでいた。
“みつけた”
床の水が乾くと、映像はすっと消えた。
「ふふ、よく見えたわ。ヒンツ」
彼女が持つ札を媒介にした、位置特定魔法は相手に気がつかれず、密かに成功した。
あとは、連れてくるだけだ。
「彼を呼ぶわ」
フィリアルは慣れた手つきで魔法陣を描き始めた。
「御意に」
ヒンツはもう一度結界壁を作り始めた。
「ここにいたのね」
アルフォンの執務室の扉を開け放ち、護衛騎士の静止も耳を貸さずにフィリアルが無遠慮に入室する。
室内で書類の整頓をしているクレアが書類を放り投げ慌てて応対にでる。
息子の執務室だからと、訪問前の伺いもなく突然の来室は無作法だ。皇妃にその無作法が許されるとでも思っているのか、まっすぐに近寄ってくる。
執務室まで、入られては護衛騎士にはどうすることもできない。慌てふためく騎士の、押収は察しれた。入り口で断るも張り切られてしまったというところか。
「いかがされましたか?」
「クレストファ、わたくしはアルフォンに用があるの。退いてくださる?」
「殿下は急ぎの仕事中です」
冷静に来客に対応するところは流石、母の突然の訪問に長年対応してきただけはある。騎士同様に、お帰りいただくように存外に態度で示すが、クレアを押し除け、フィリアルは執務机の前に立った。
こうなって仕舞えば、クレアでは対処が難しくなる。
アルフォンはてにした書類を一度机上の未処理箱に入れた。フィリアルは書類を汚した前科がある。再び同じことをされてしまわないようにする。
「なんですか?」
冷静に母を見上げる。
不愉快な顔をものともせず、フィリアルの物知り顔が返されてきた。今度は、眉間にシワを寄せた。
ミイカは隣の部屋で休んでいる。この事実を早くも耳にしたのか、と身構えた。
「七日後になりますが、アルフォンの予定を一日空けられるかしら、クレストファ?」
ミイカのことではなかった。ひとまず安堵する。
ミイカがいつ目を覚まして、隣のドアを開けてくるかわからない。早く用事を済ませ、部屋から立ち去ってほしい。
「一日は難しいですが、半日なら空けられます」
アルフォンの仕事が滞りなく進む手助けをしていたクレストファが予定を確認して答えた。
「まあ、半日でもいいでしょう。午後、空けておいてもらえるかしら?」
「はい、かしこまりました」
予定表にペンを走らせた。午後の欄に「フィリアルと面会」とでも書き記しているのだろう。
この人がアルフォンの予定を聞いてくるなんて珍しい。独断で何事でも決めてしまい、気がついたときにはもう遅いことが多い。
「なにかあるのですか?」
眉間に皺を寄せ警戒する。
一日、空けさせる理由があるはずだ。近頃近隣諸国の動向が怪しい話は聞かない。
考えつくことといえば……スティラーア。
美衣歌が彼女の身代わりをしているためか、フィリアルは近頃大掛かりな召喚魔法をやっていない。
「なにもありませんわ。ただ、フィディル殿下が帰国される予定日ですから、貴方にはお見送りしてもらわなければなりませんもの」
なにも企んではいなさそうにみえて、この人は企んでいる。そうみせない演技が大変に上手い。
「ああ、そうですか」
フィリアルから目を逸らさずに、了承した。予定では確かあと十日は滞在すると聞いていた。予定が狂うなにかが帝国であったのだろうか。
「そうそう」
フィリアルは執務室の出口へ向かわずに、仮眠室のドアへ向かった。その先は寝台で眠るミイカがいる。
「出口はそちらではありませんが」
開けてくれるなよ、と内心焦りを覚えながら、平常心で対処する。
「こちらにも用がありますのよ」
躊躇いもなく、ドアを開け放った。
そこには、いつ起きてきていたのか、ミイカが聞き耳を立てた姿で立っていた。
「えっ!」
暗い部屋がぱぁっと突然明るくなる。ミイカは仰天した。
フィリアルがミイカの腕を掴み、乱暴に仮眠室からひっぱり出した。転びそうになって床に手をつく。その姿を冷酷な目で見下ろす。その姿はまるで、使えない使用人を見下しているかのように。
アルフォンは椅子から立ち上がり、ミイカへ駆け寄ると素早く後ろへかばった。
フィリアルが部屋から連れ出してしまわないように、だ。
「スティラーア、貴女がいるべきはここではありません。貴女の生国であるフィディル殿下のお相手をなさい」
アルフォンの背中の服が握りしめられた。
「え、で、でも……」
ミイカは困り、助けを求めるようにアルフォンの背中を見上げてきた。視線がひしひしと感じられる。
「殿下は貴女とお話しの席を設けてほしいと、わたくしへ直々にお願いにこられましたのよ。これが断れまして? 貴女、帝国にいる間は、殿下と親しくしていましたでしょう。婚約の報告でもしてきたらいかが?」
フィリアルはミイカを偽物、というより本物のような扱いをした。ミイカがスティラーアでないことは、この人が一番よく知っている。フィディルとミイカを二人で会わせれば、いずれミイカにボロが出る。
それを狙っているのだろうか。
母親の真意が全く読めず、歯痒い。
(ミイカをどうするつもりだ)
ミイカとフィディルを二人で会わせるのは危険すぎる。中庭でのようなことがないと言い切れない。相手は帝国皇子。皇国よりも力関係は上だ。下手に遇らうことはできない。
「待ってください、母上。フィディルさまの相手を彼女にさせるというなら、俺も同席させてもらう」
アルフォンがその場にいれば、ミイカとフィディルの間に立ち、ミイカを守ることができる。
クレストファがアルフォンの所在を探し、助けを求めるよりいい。
「必要ありません」
アルフォンの提案をきっぱりと断った。
「婚約者を心配してはならないと?」
「そうではありません」
ミイカを心配するなと言わないが、同席を許さない理由が思いつかない。
「なぜ、彼女が相手を? フィディル殿下には婚約者であるセレーナ殿が相手をすればいいだろ」
セレーナはフィディルの婚約者だ。フィディルがセレーナへ婚約を切望し、セレーナが承諾したと聞いている。
中庭でのやり取りを聞いた今では、本当に切望していたのか疑問だ。
「セレーナさまはフィディル殿下のために、全日スケジュールを開けてあります。が、殿下はスティラーアがよいとおっしゃっておられます。ならば、彼の願いを聞くのもわたくしの務めではなくて?」
ミイカはアルフォンのシャツを両手で握る。離れたくないといっているような気がした。
フィリアルに連れて行かれれば、明日の朝食後からフィディルの相手を一日中させられそうだ。
フィディルが、滞在中不便がないよう取り計らうのは本来皇王や皇妃の役目。肩書きが皇妃ではなく皇妃候補のフィリアルの仕事でない。現在皇妃の座につく第二王妃カッツェーマは、病で床に伏している。公務ができる状態ではない。
皇妃の代わりに皇妃候補となるフィリアルが公務を行なっているのだ。しかし、その権限は皇妃ではなく、あくまでも皇妃候補にとどまっている。
「明日、迎えをよこします。いいですね?」
拒否は受け付けない構えで聞かれれば、是というしかなくなる。アルフォンは承諾したくなかった。
侍女がいたとしても、侍女を下がらせミイカとフィディル二人きりになる可能性が十分にある。
させてはならない。
アルフォンは右手を握りしめた。
フィリアルの考えを引き出せば、わかるかもしれない。
「空いた時間に皇子と談笑するのも、公務だ」
ミイカがぴくりと反応し、フィリアルはどぶ鼠でもみるかのような目で見下ろし「ええ、そうね」と答えた。
「城の者たちがミイカを俺の婚約者だと知っている」
「見た目はスティラーアに似せているけれど、中身は無能な小娘よ」
「ミイカは無能じゃない!」
婚約式の後のお茶会で、ニコジェンヌと言い争いになっていなければ美衣歌の瞳は胡桃色に変わらなかった。
魔法を使う能力がない兄を兄と認めない、ニコジェンヌに原因がある。
ニコジェンヌがアルフォンを嫌悪し始めたのは魔法を使う能力がないと知った日からだった。
「アルフォン、勘違いしないでちょうだい」
興奮したアルフォンを冷静にフィリアルは見つめる。その目は息子に対するものではなく、一人の王位継承権を持つ皇子として見ているものだった。
「勘違いはなにもしていない」
「貴方のお相手はその娘ではありません。わたくしが大切に育てた優秀な魔女のスティラーアよ。魔力を持たない娘ではない!!」
「しかし!」
「お黙りなさい!」
引き下がらないアルフォンに一喝し、スカートを翻した。
「あの娘に――――」
ぼそりと呟いたその声を、アルフォンは全く聞き取れなかった。眉を顰める。いい事を言っていない事だけは判る。
「娘が心配ならば……アルフォン。明日の公務が終われば同席を認めてもいいわ。――ただし、無事に終われば、ね?」
意味深な言葉を残してフィリアルが部屋から去ると、アルフォンはクレストファを睨んだ。
「クレア、明日の予定は?」
「朝はハイアス公爵との会談。会談が終わった後に兵の訓練参加。休憩を、挟んで……」
事細かに明日の予定を淡々と言っていく。時間の許す限りみっちりと予定が詰め込まれている。
ハイアス公爵との会談は、今後のためのもので、兵の訓練参加は以前から決められていたもの。急に取りやめにできない。
午後の予定も然り。アルフォンが公務中フィディルと談笑する時間はとれない。
他にあるとすれば、休憩時間ぐらいか。
「訓練時間を一時間早めに切り上げる。休憩時間を短くして、空いた時間にフィディル殿下と会えるか?」
「そうですね……可能かと」
「隊長へ伝えに行ってくれ、時間が早まると。フィディル殿下と会うと言えば快諾してくれるだろ」
「わかりました」
クレストファは足早に部屋から出て行った。
「……ミイカ、手を離せ」
ミイカは無意識なのか、握りしめた手を一向に離してくれない。離してもらえなければ、アルフォンは立つことどころか、振り向きもできない。
「え? あ、ごめんなさい!」
ぱっと離されたのがわかると、すぐに振り返る。
シャツに皺ができてしまっているだろうけど、そんなことよりも。
ミイカの顔は蒼白になっていた。フィディルと明日会わなくてはならないと言われたからだろう。
「平気か?」
顔を覗きこむ。
ミイカはぎこちなく壊れた人形のように首を振った。
思わず「そうだよな」と呟く。平気なわけがない。
ミイカの手をとり引き寄せる。腕の中に吸い込まれるようにすぽんと収まった背中に腕を回した。抱き寄せる。
「俺が行くまで、辛抱してくれ」
ミイカの耳元で囁いた。
ぴくりと小さく身じろぎ、控えめに腰のシャツを掴む。
「がん、ばります」
アルフォンの肩にミイカは軽く額を乗せた。顔を隠されたみたいで気に入らない。
後頭部に、手を差し入れると驚いたのか、ぱっと顔を上げた。
「鬘がとれちゃうので……!」
(そこか)
顔を赤くして、頭を支えるミイカは必死だ。
「明日はこれが鬘だと気取られないようにしろよ」
ミイカの頭を二度優しく撫でる。美衣歌の頬はさらに紅潮した。
なんだか、こちらに気持ちがあるような勘違いをしそうになる。ミイカはいずれ、帰還方法がわかれば居なくなる存在だ。
自分のこの誰かに取られたくないと思ってしまう気持ちも一時的なものに過ぎない。
(それにしても、あの人はなにを考えているんだ)
ミイカを離して、立ち上がり部屋を出ていったフィリアルの考えを探るが、わからずじまいだった。




