19:恐怖
重たい瞼をゆっくりと開ける。
頭がぼうっとする。
ここ数日で少し見慣れてきた天井がうっすらと開けた目に入った。
金糸で刺繍された奇妙な柄はアルフォンの天蓋ベッドの天井だ。
分厚い毛布の圧迫感に息苦しさを感じて、身体を動かして目を閉じた。
(いつ、寝たのかな?)
美衣歌は閉じた目を開き、昨日の記憶を探るように瞬きを繰り返す。ベッドにもぐりこんだ覚えがない。
寝起きの頭で顔をしかめながら思い出そうとしても、昨日机の上で近隣諸国の情勢を覚えようとしていたところまで思い出した。
フィリアルに次の日までに本に書かれた内容を暗記することを半ば強制的に約束させられ、情報量の多さに覚えられるか不安を感じた。
閉めているベッドのカーテンが開いていることに気が付き、窓にかけられた薄いカーテン越しに入るやわらかな陽光に目を細め、腕を上げる。
ベッドから起き上がり、床に素足で降りた。
(はくもの……)
すぐ履けるようにベッドの下に隠して置いてある。昨日も同じように脱いだなら、床につく長い敷物のシーツで隠したはず……。手でシーツの奥を探った。
それらしいものの感触がない。
足元をふらつかせながら、そばの天蓋カーテンへゆっくりと向かった。
閉めきったはずの天蓋のカーテンは留め具できちんと止めてあり、留め具を外さなければならない。
留め具の位置は美衣歌の背では届きにくい。手で細い円柱をつかみ、背伸びをしながら片手でとらなくてはならない。
(あと、もうちょっと……)
床についている足が片方になれば手が届く。片足立ちになり、支えとなる手に力を込めた。
金具に手が触れたところで、朝日で明るかった足元が突如陰る。
「起きたのか」
金具に届いた手に別の大きな手が覆いかぶさり、美衣歌の手をつかんだ。
「ひっ、ゃぁああ」
驚いた美衣歌の行動は、とても速かった。
両足を地にしっかりと付け、支えていた手を柱から離し、美衣歌の手をつかんだ相手――アルフォンを突き飛ばした。
たたらを踏み、体制を立て直そうとして、なにかをふんで、足を滑らせた。背中からカーテンを滑るようにして、床にお尻を打った。
「いったぁ」
床に打ち付けたお尻をさすりながら足を取られたものを探した。
床についているベッドのシーツが一部、床に引っ張られて出てきていた。
これに、足をとられてしまったようだ。
シーツの先に、突き飛ばした相手の足がある。アルフォンがサイドテーブルの手前で床に転がっていた。
床にお尻を打ち付けるときに、遠くでゴンッという音を聞いたような気がする。
頭の血の気は一気に引き、眠気はどこかへ飛んで行ってしまった。
「ごめんなさいっ」
押された勢いで美衣歌と同じく、シーツに足を取られてサイドテーブルに頭を打った、らしい。
「あの、大丈夫ですか?」
打ち付けた後頭部をさすりながら、テーブルから体を離すアルフォンに、無事か確認する。
美衣歌が咄嗟に押さなければ、彼は頭を打たなかった。
不可抗力とはいえ、頭を打ってなにか症状が出たら大変だ。
「……お前が心配することじゃない」
冷たく言われ、彼は平気な顔をして立ち上がろうとする。
頭がふらついて思うように立ち上がれないのか、ベッドサイドに手をついた。
足元も少しふらついている。
平気なふりをして立ち上がったアルフォンに、戸惑いながら近づいた。
「歩けますか?」
支えになればと伸ばした手は、パシリと強く振り払われた。
強く払われて手がジンと痛かった。
「頭、大事なんですから、ここで寝てください!」
美衣歌は頭を押さえているアルフォンの腕をとる。驚くアルフォンに構わず、ベッドに寝てもらおうと精一杯両手に力を込めた。
男の人の力は美衣歌の思っている以上に強くて、足で踏ん張られてはベッドへ休ませることができない。
「頭、ふらついているんだったら、休んでください」
すると、不意にアルフォンが下から美衣歌の顔色を窺うように覗き込んできた。
「お前、気分は?」
「悪くない、です。たぶん」
しどろもどろになりながら、視線をさまよわせて答える。
「よさそうには見えないが」
美衣歌の顔をくまなく見つめ、アルフォンの綺麗な瞳に自分の困った顔が写っているのが見える。
気恥ずかしくなって、瞳から目線をそらし逃れようと一歩足を後ろに下げたら、丈の長い寝衣に足を取られ後ろへ体が傾く。
力強い手で引っ張られて、美衣歌の体はアルフォンの腕の中にすっぽりと収まる。
「お前、とりあえず座れ」
盛大にあきれたため息をつき、アルフォンは美衣歌の腰を支えてベッドへ誘導する。淵へ座らせると、美衣歌との間に一人分の間をあけて隣に腰かけた。
美衣歌の無造作に置かれた手を強く握ってきた。
優しく握るのではなく、指と指を絡ませてきた。
(!!)
あまりのことに、驚かずにはいられない。
恥ずかしさのあまり叫びだしそうになった声を、何とかこらえる。
「侍女が来る前に聞きたいことがある」
聞かれるようなことが何も思い浮かばずきょとんとする美衣歌に、思い当たる節がないのかとアルフォンに聞き返された。
「昨夜――何があった」
どきりとした。
昨夜のことは思い出したくない。唇へ持っていきそうになる空いている手をシーツごと握りしめた。
「昨夜、ですか? 特に何も」
目線を合わせないようにして、平然としたふりで答える。
「動揺している」
ぼそりと言われ、さらに心の余裕がなくなっていく。
どこでそんなことがわかるのだろう。視線は一点から動かさないようにしているし、もう片方の強く握った手は見えない位置に隠している。
手に冷や汗をかいてしまっているからなのだろうか。
(でも、これ、たぶん男の人に手を取られたことがなくて、緊張から来ているものだろうから)
それならどこから。
「この手に少し力が入った」
アルフォンが指す手は繋がれていた手だった。右手に力を込めた時に無意識のうちに左手にも力が入ってしまったのを悟られた。
まさか、問い詰める為につながれていたとは思っていなかった。緊張していた自分が、恥ずかしくなりさらに動揺が大きくなる。
「えと。あの」
「昨夜、窓の前にお前が倒れていた。その周りにランプの割れたガラス片が散らばっていた」
割れたガラス片。
美衣歌の手からすべり落ちたランプは床に当たって割れ、残っていた油も床に散った。
その隙に動きを封じてきた手。
誰かわからず、背中を這い上がってくる嫌悪感と恐怖。そして――。
「い、いやぁっ」
思い出して、身体が寒いわけでもないのに震えだした。自分では抑えられない。
「おい、しっかりしろ」
目の前で震えだす美衣歌をアルフォンは力強く抱きしめた。
アルフォンの手が、腕が、昨日の人と重なり嫌悪が増長する。
美衣歌はアルフォンを拒絶した。
放してほしくて腕の中で暴れながらも、震える美衣歌の体を、アルフォンは、さらに強く抱き込んだ。
アルフォンの心臓の鼓動が耳を伝わって体に流れてきて、恐怖に震えあがる美衣歌は徐々に落ち着きを取り戻していった。
つながれていた手は離されていて、すぐ隣にアルフォンが座っている。美衣歌は彼に覆いかぶさるように、抱きしめられていた。
「話したく、ないです」
「俺以外いない。誰にも話さない」
「でも」
渋る美衣歌にアルフォンは腕の力を緩めた。目と目が合う。
「お前が心配で眠れないというなら、今夜は俺がここにいてもいい」
今日の夜も同じことがあってはランプを消して寝ることができない。
警戒して、誰か部屋の中にいてほしいとすがってしまう。
顔見知り程度で、そこまで知っているわけじゃないアルフォンがいると言われても、安心できない。
犯人はアルフォンかもしれない。疑いの眼差しを向けると、呆れられた。
「俺は興味のない女を襲う趣味はない」
安心させるために言ったんだろうけど、美衣歌の心にぐさりと針を突き立てた。
はっきりといわれて、昨日部屋に侵入したのが彼じゃないと言える。
美衣歌は小さな声で、昨日の出来事をアルフォンにぽつりと話した。
その間彼はずっと髪を優しくなでて続け、肩を抱いていてくれていた。
なぜかものすごく安心できた。




