15:胸が鳴る
上機嫌のフィリアルは職人二人を途中まで見送りに行った。
フィリアルが部屋を出ていくと、部屋には美衣歌の侍女二人とアルフォンの従者が一人。
湯殿で突き放すような言葉と、先ほどの仕草、行為の違いに戸惑わされていた。
寝相の悪さは自覚している。一週間に3、4回はベッドから落ちて目を覚ましていた。
アルフォンの部屋に置かれたベッドはダブルベッドのように大きく、落ちていなくてもどこかへぶつけている失態はしているかもしれない。
ぶつけるにしても、耳の後ろをあてることはなかった。
赤くなっている場所は痛みがない。落ちたりすると身体が痛くて、しばらくは残っているのに、今回のはそれがない。
触れば、痛みがあるのかもしれない。鈍痛のようなものがぴりりと走れば、知らない間にぶつけたといえる。
(確か、左耳の……)
長くなった髪に隠された左耳へ、鈍痛を確かめようと手を伸ばした。手が耳に触れる前に、別の手が美衣歌の手首をつかまえた。
ひっぱられ、美衣歌の髪を別の手が触れた。
美衣歌の手に触れている大きな手がアルフォンのものだとわかり、目を瞬かせる。
左耳にかかっている髪を、後ろからかきあげられた。
「ひゃっ」
アルフォンの手が耳を掠め、驚声が出た。
逃げようと捕らわれた左手で抵抗した。いくら抵抗しても握られた腕は離してもらえない。
「動くな」
さらにきつく握られて耳元でささやかれ、何が起きているのか頭が追いつかず、心の中で悲鳴が上がる。
握られた場所に熱が集まりだして、そのまま心臓に伝わっていく。
行き場のない右手は、暴れ始めた胸を落ち着かせようとドレスの上からを右側の胸をギュッと握りしめる。
アルフォンと美衣歌の周りに漂う空気に居心地が悪くなり、二人の侍女が頑なに動かないクレストファを引っ張り部屋を出ていく。
アルフォンは美衣歌の耳の後ろにある痕を丹念に観察していて、美衣歌はアルフォンの気配に落ち着けず瞼を閉じた。
落ち着かない心臓に、どうしたら戻ってくれるのかわからない。
アルフォンが離れてくれれば落ち着いてくれるかもしれない。
「あの」
はやく、離れたくて、声を上げた。
身体がどうにかなってしまいそう。
「痛いか」
おもむろに痕がある場所をアルフォンが軽く押す。
「え、あ、いえ。そんなには」
「そうか」
感じたままを伝えると、アルフォンは美衣歌の髪を放してくれても、手は放してくれない。
「あのっ」
精一杯、声を大にして、手を引いた。
「放してほしい、です」
腕をつかんだままの手に、「ああ」とこめられた力を緩めた。
その隙に腕を振り払う。これでやっと解放される。と安堵したその時。
アルフォンの手は離れず、腕を追いかけるようにして、再度捕える。
突然のことに驚いて顔をあげた美衣歌を覗き込み、笑った。
美衣歌の顔は真っ赤な熟れた林檎のように赤くなっていて、傍から見たら、少女が青年に恋をしているように取れなくもない。
「その顔……。男に免疫がないだけなのか? それとも恋?」
その顔って、どんな顔しているんだ。
アルフォン側に頬に添わせるように右腕を当て、顔を隠す。
「免疫、ないだけです!!」
言い捨てた。
「お前は異界の人間なんだ。異界人に惚れるなよ」
軽い声にからかわれていると察した。
「ほ、ほれ!? な、なりませんっ」
「絶対だ。本来の場所へ還る時、迷いが生じる」
楽しく笑う声から、一転、低くて、真剣な声。過去に経験したことがあるかのような、重みのある言葉が胸に突き刺さった。
胸の高鳴る心臓に、棘のように突き刺さった言葉。なぜか、胸が苦しくなった。
美衣歌の腕がとうとう放され、ぱたりと力なく落ちる。
「クレア? あいつどこ行った」
アルフォンは室内を見渡し、室内に従者がいないことに口角をひくつかせた。
「いつの間に出て行ったんだ、あいつは!」
ひとりごちるように吐き捨て、アルフォンは靴音を立て、部屋を出ていく。
靴音がやけに大きく、美衣歌の耳に届く。靴音が暴れる心臓の音が呼応しているように聞こえる。
(恋なんて、してない。比奈月君だけ。私は――)
ほんとうに?
頭の中で疑問が浮かぶ。
一度も比奈月君に至近距離で近づけたことがないのに、同じことが言える?
そんなことない。
きっと、あった。
だから、これは、奇麗な男の人が近くにいたから。
それ以外に、なにもない。
比奈月君に感じていたかもしれない以上の胸の高鳴りに、左手の甲の上に右手を重ね、鎖骨の間に置いた。
(早く、落ち着いて)
祈るような気持ちで、床の上に立ち尽くす。
はやく、はやく、おさまって。
帰るんだ、日本に。だから、これは。
ただの、気のせい――。
「聞こえてるのか」
「え?」
呼びかけられていると気が付かなくて、顔を上げた。
扉の前で振り向いているアルフォンが不審な顔をしている。
「な、なんでしょう」
「お前、もう少し警戒心ってのを養え」
「はい?」
理解できず、首をかしげた。
「受け入れてるなってことだ」
「!」
カッと落ち着いた頬に赤みが増す。
アルフォンは扉を開け、外にいる従者を見つけたのか、声を上げて扉を閉めた。
二分とせず、アルフォンは部屋に戻ってきた。
部屋の外で従者を捕まえたところをフィリアルに見つかり、部屋の中へ引っ張り込まれ、美衣歌と共にダンスレッスンへ連行された。
気まずい二人に、フィリアルは何かがあったと察し喜びに微笑んだ。
体に叩き込まれたダンスの型は始めた頃よりまともになっていて、昨日は先生の足をたくさん踏んでいたのに、今日はアルフォン相手に、一度も踏むことなく一曲を踊り終えれた。
気恥ずかしくて顔が上げられず、フィリアルに叱られると身体が硬くなる。
力が入るとダンスは硬くなり、なめらかに足が動かなくなる美衣歌を、アルフォンは優雅にリードしていた。
初めて相手の足を踏むことなく踊れた喜びに、昨日とさほど上達もしていない美衣歌が踊れた裏にアルフォンのリードのおかげだと、美衣歌は知らない。




