「コンラドさん、どうして……ここにこんなものが……」
「ルシィ、今夜あいてるか?」
と、そうコンラドに声をかけられたのはリース作成の翌日。売店へ行くべく一人で歩いていたところ彼に声を掛けられ、しばらく雑談をしていた末の言葉である。
その突然の誘いに「今夜?」と疑問に思えど断る理由もなく、ルシィがコクンと一度頷いて返す。
「夕飯に付き合ってほしいんだ」
「別に構いませんけど」
「それなら良かった。だがくれぐれも他の奴には気付かれないようにしてほしいんだ」
「……うん?」
どうしてか問うようにルシィが視線で問うもコンラドは答えず、それどころか誰かに聞かれてはいないかと案じるように周囲を窺いだした。
夕飯の話だというのに、随分と真剣な表情ではないか。
「特にクラウディオとオルテンシア嬢だ。あの二人には気付かれないように頼む」
「わ、わかりました……」
念を押すコンラドの迫力に押し負け、ルシィがコクコクと頷く。
それを見たコンラドが表情を明るくさせ「お腹をすかせておけよ」と笑いながら去っていく。その表情は彼らしく、凛々しさから一転して子供のような無邪気な笑顔だ。去っていく後ろ姿もどこか楽しげで、一人取り残されたルシィは首を傾げつつ、それでも「また今夜」という彼の言葉に片手をあげて返した。
夕飯はオルテンシアの分だけを食堂から運び、「み゛……」という疑惑の視線を向けられつつもあれこれと言い訳をして自室を後にした。
怪しまれていたがコンラドに「特にクラウディオとオルテンシア嬢には」と念を押されたのだから何も言えず、そもそも理由を言おうにも何一つ分からないのだ。帰宅する頃には彼女の気がそれているか、もしくは寝ていてくれないだろうか……そんなことを考えつつ、寮の出入り口を抜ける。
周囲は既に暗くなっており、こんな時間にそれも校舎への呼び出しだというのだから疑問は募る。それでも行かないことには何も分からないと、他の生徒に見つからないよう羽織ったローブの襟を掴んで小走り目に待ち合わせ場所へと向かった
「ルシィ、こっちだ」
とは、校舎の一角、すでに明かりをほとんど落とし暗がりと化した中から手を振るコンラドの声。
「大丈夫だったか?」
「とりあえず出てくることは出来ました。オルテンシア様がみ゛ぃみ゛ぃ怪しんでいたけど……」
「帰るまでに言い訳を考えておこう。とりあえずこっちだ」
人がいないか周囲を探りつつ校舎の中へと入っていくコンラドに、ルシィもよっぽどのことかと察して息を潜めつつ彼の後に続いた。
夜の校舎は当然だが日中の賑やかさがなく、足音すらも耳につく程の静けさである。そのうえ暗く、少し肌寒く、普通の少女であれば怯えて歩むことすら困難なぐらいだろう。もっともルシィが「キャー、怖い!」などと言って立ち竦むわけがなく、ただひたすら己の鳥目に苦戦していた。
見えないのだ。いるかどうか定かではない幽霊なんかに怯える前に、まず自分の足元である。
「ルシィ、足元を照らしたらどうだ?」
「だ、大丈夫です……。魔法を使うくらいなら転んだ方がいいから……」
ヨタヨタと壁に手をつきながら歩くルシィにコンラドが見兼ねたと言いたげに肩を竦め、手元に小さな灯りの球を出した。
大きさを言えば親指くらいか、眩いというほどでもなくほんのりと灯っている。それをそっと浮かばせると、灯りの球がフワリと漂ってルシィの足元に浮かんだ。視界を照らす程でもないが、それでも足元を照らしてくれるのは有難い。
その灯りに球を眺めつつルシィが礼を告げれば、
「これぐらいの魔法なら俺だって出せる」
とコンラドが苦笑を浮かべた。
「一応あんな小さな魔力の反応だけど魔法は使えるからな。まぁ、この学院じゃ誇れるどころか恥ずかしい話だけど」
そう自虐的に笑う。
だが現に彼の魔力は低く、家柄が魔力に比例するのだから彼の身分もそう高くもないのだろう。
それでもクラウディオに対しての彼の態度はまさに友人といったもので、身分など感じさせず辛辣な言葉で楽しげにじゃれあっている姿を良く見る。彼だけではなく彼の家族……両陛下や兄王子にも同じなのかとルシィが問えば、コンラドが慌てて首を横に振った。
曰く、あそこまで砕けた接し方をするのはクラウディオにのみ、両陛下や王族はもちろんオルテンシアのローズドット家をはじめとする他の貴族に対しても対応を気を付けなくてはならないらしい。その口調から、彼の家の立場の低さが窺える。
「両陛下は俺を息子のように可愛がってくださるけど、それでも彼等は王族。どんなに親しくしてくださっても俺は身分を忘れず忠誠心をもって応えようと思ってる」
「クラウディオさんには?」
「あれは別、徹底抗戦の構えだ」
「二人らしい」
ルシィがクツクツと笑いながら肩を竦める。明確すぎるほどに開いた二人の身分の差は、それでも友情という確かなもので埋められているのだ。
聞けば幼い頃から親しくしており、リズテアナ学院に入学が決まった時にはクラウディオの方からルームメイトになろうと誘ってきたのだという。むしろ彼の第一声はルームメイトになることを前提とした生活のルール決めであったらしい。
「元々あいつには一室設けられていたんだ。学院が平等を謳っているとはいえ王族となれば別物、なにかあったら大問題どころじゃないだろ。だから寮とは別の場所に、比べ物にならない豪華な部屋が用意されてた。もちろん一人用で、専属のメイド付」
「さすが王族……」
「ところがそれを聞いたクラウディオの第一声は『なぜ俺だけそんな寂しい環境に置かれなきゃならないんですか……!?』だ。特別待遇をこの言いぐさだぞ」
当時を思い出しているのだろうコンラドが笑う。
聞けば今では『他の生徒と同じ待遇を望んだ』という美談として語られているらしいが、当時を知るコンラド曰く「あれは本気でショックを受けてる顔だった」とのこと。
なんとも王族らしからず、そしてクラウディオらしい話ではないか。
この話をしたら彼はどんな反応をするだろうか。コンラドが嘘をついていると美談を通すか、それとも案外にあっさりと認めるかもしれない、もしかしたら恥ずかしがるかも……。そんなクラウディオの姿を想像し、ルシィが小さく笑みを零した。
そうして校舎内を進み、時折は足元の灯りに彼が魔力を補充する。
低い魔力で作られた灯りは小まめに魔力を足さなければならないらしく、現にルシィが興味を持ってしばらく放置していると足元を纏わりついていた灯りが徐々に薄まり、弱い点滅を繰り返して最終的にポンと音をたてて消えた。
その一部始終を眺め便利なものだとルシィが感心すれば、再び灯りの球を出したコンラドが便利なものかと否定する。それと同時に彼の手からフワリと浮き上がった灯りが再び足元を照らしてくれるのだから、ルシィからしてみればやはり便利なのだが。
「消えたあとは手元に残らないし、熱くないし、なにより火事の心配がない。ランタンに比べたら便利ですよ」
「ランタンと魔法を比べないでくれよ……おっと、ここだ」
コンラドが一室を前に足を止める。
普段ルシィが授業を受けている講堂とは違い、いかにも教室といったそこは外から見ても分かるほどシンと静まっており、もちろんだが明かりもついていない。中に人がいるとも思えず、わざわざ夜中の校舎に忍び込んでまで来る場所とは思えない。
そうルシィが訴えればコンラドがどことなく嬉しそうな表情で「ルシィにはそう見えるんだな」と返した。どことなく照れているようで、それでいて誇っているようにも見える、まるで子供が褒められた時のような表情ではないか。
「防壁の魔法を使ってるんだ。一応、誰もいない静かな教室に見えるようになってる。一応、な」
「なんで微妙な言い回しなんですか?」
「……中に居るのが低い魔力の持ち主ばっかで、皆でなんとか繕ったオンボロ防壁だからだ」
そう告げてコンラドが誰もいないはずの教室の扉を開けて中へと入っていく。
防壁の魔法とはどういうことか。どうして夜中の教室にそんな魔法を使うのか、そうまでして集まる理由は? そこに連れてこられた理由は……?
何一つわけの分からないルシィは彼に続くしかなく、後を追って教室の扉を抜け……そこに数名の生徒がいることに目を丸くさせた。明かりもついており、数名が雑談している。廊下から見た時とはまったく違う光景ではないか。
「コンラドさん、これは?」
「この学院きっての魔力の低い奴らだ。もちろん身分も低い」
コンラドが説明しつつ片手を上げて挨拶すれば「お互い様だ」だの「お前が言うな」だのと言葉が返ってくる。だが誰一人として否定はしないあたりどうやら彼の言う通りのようだ。
男女問わず、そのうえケープやローブのボタンは様々で学年問わず。見回しても教室に集っている生徒達に共通点は無く、となれば『魔力の低い者』としての集まりなのかもしれない。
そんな中、一人の男子生徒がルシィに視線を向けてきた。次いでコンラドに向き直るのは「どうして彼女がここに?」という意味なのだろう、
「皆知ってるだろうけど、彼女はルシィ・ブランシェット。一般階級出身の新入生だ」
「魔力測定のことも含めて知らない奴はいないだろ。だけどどうして連れてきたんだ?」
「ルシィは今まであちこちの国を旅してきたらしい。なぁ、ルシィ」
そうだろ?と問われてルシィが頷いて返した。
望んで旅をしていたわけでもないのだが、それでも鞄の中に入っていた地図にはリズテアナ学院に着くまでに辿っていたであろう長い線が描かれ、ノートにもあちこちの地名が書いてあった。出発地点は東の国にある研究施設、そこから時に山を越えて時に海を越えて……我ながら随分と旅したものだと感心してしまうほどだ。
「ルシィ、食堂の食事に物足りなさを覚えてるんだよな?」
「え、う、うん……」
突然話題が変わり、思わずルシィが目を丸くさせる。
だが確かにコンラドの言う通り、ここ最近食堂の食事に対し何かが足りないと感じていた。美味しいとは思うが「だけど違う」と舌が訴える。自分でもわけが分からないと説明すれば、話を聞いていた生徒が「それなら」と頷いた。
どうやらこの集まりへの参加を認めてくれたらしく、それどころか誰からともなく「ようこそ」と歓迎の言葉を口にし、数人は握手まで求めてくる。
ルシィの頭上に疑問符が浮かぶが、当然だろう。ただ自分は今まで旅をしていたことと、そして食堂の食事に味気無さを覚えていると話しただけなのだ。だというのに、最初は怪訝に眺めてきた者達が一瞬にして同士を見るような優しげな表情で受け入れてくれた。
まったくもってわけが分からない。
だからこそいったい何の集まりなのかと尋ねようとし、教室の中央、机を寄せてクロスを引いて作られた簡素なテーブルの上にあるものを見て言葉を飲みこんだ。