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「ただし明日の朝はコーヒーではなくホットトマト汁です」

 

「クラウディオ様に近付くんじゃないわよ!」


 と、そう怒鳴りつけられ次いで水をかけられ、ルシィが目を丸くさせた。

 魔力測定から数日、授業もそろそろ本腰を入れ始め座学ながらに学生らしい日々になってきたと思い始めた矢先のこと。放課後、学院長に呼ばれ彼と話をしていたルシィが――どうやら学院長はルシィをここに寄越した人物と友人関係らしい。まったく知らなかった……もしくは覚えていなかったか――随分と話し込んでしまったと小走りめで寮へと戻ろうとし……声をかけられてこれである。

 幸い掛けられたのは火傷をするような熱湯でもなく、痛みもなければ刺激臭もしないあたり薬品というわけでもなさそうだ。ただの水、もしくは泥水あたりか。そうルシィが冷静に考えつつ、目の前に立つ少女達に視線をやった。

 紺色のケープを羽織った女子生徒が五人。ケープを留めるボタンの色は青・赤・黄……と学年のカラーが全部揃っているあたりクラスメイトというわけでもなく、そもそも顔も見覚えがない。

 そんな女子生徒達に囲まれ、ルシィが濡れた胸元を掴んでパタパタと揺らす。その態度もまた彼女達の怒りを買うのだろう、再びパシャン!と水が掛かった。


「平民のくせに、クラウディオ殿下に近付くなんて烏滸がましい!」

「そうよ、オルテンシア様にまで付き纏って。恥を知りなさい!」


 そう次から次へと喚かれ、ルシィが濡れた手をパタパタと振るう。

 つまりそういうことなのだろう。なんとも分かりやすいと思わず溜息を漏らせば、火に油だったのだろう再度パシャンとやられた。

 これで三度目、もはや怒りや困惑を通り越してどれだけ用意しているのか気になってくる。


「別にクラウディオさんに近付いてるわけでもありませんし、オルテンシア様に付き纏ってもいません」

「なによ、ならお二人が平民の貴女に近付いてるって言うの? 自意識過剰も大概にしなさい!」

「いや、俺に関して言えばその通りだ。俺から近付いてる」


 そう割って入ってきた声に誰もが肩を震わせ慌てて声のした方向へと視線を向け、そこに立つ人物を見て揃って顔色を青ざめさせた。女子生徒の一人が「……クラウディオ殿下」と震えた声でその名を呼ぶ。

 金の髪に青い瞳、纏うローブの紺色がその鮮やかさを引き立たせている。見目麗しい美丈夫……だが今に限ってはその表情は渋く、普段の爽やかで気さくなものと違い眉間に皺が寄っている。


「ク、クラウディオ殿下、これは……」

「俺のことを考えてくれているのなら、良い生徒で居てくれるのが一番なんだがな」

「殿下、ですが」

「ここでは殿下じゃない」


 そうあっさりと言い切るクラウディオの言葉は突き放す様な冷ややかさがあり、威圧感さえ漂っている。それを悟ったのか女子生徒達が青ざめ小さく震えだすほどだ。

 殿下と呼ばれることを嫌がりどんな生徒に対しても気さくに接しているとはいえ、彼は王族。それも第二王子。そうでなくてもこのリズテアナ魔法学院の生徒会長なのだ。

 睨まれれば魔法学院どころか社交界での立場が一瞬にして消え去ってしまう……。

 だからこそ怯えの色すら見せ始める女子生徒達にクラウディオが何かを言おうとし……それをルシィが慌てて裾を掴むことで制した。


「…ルシィ」


 どうした、とクラウディオがチラとルシィに視線を向ければ、その隙を見て女子生徒達が走って逃げていく。ケープとスカートを翻し「申し訳ございませんでした!」と口々に叫ぶさまは到底優雅とは言い難く、逃がしてしまったことを察したクラウディオが眉間に皺を寄せる。

 逃げるその背に「こら、廊下を走るんじゃない!」と追撃を掛けるあたりがなんとも生徒会長らしく、そしてその言葉こそ彼が王族として怒っているわけではない証拠だ。

 そうして女子生徒達の姿勢が見えなくなると溜息をつき、次いでルシィに視線を向けてきた。意外だとでも言いたいのだろうか、青い瞳は窺うような色を見せている。


「許してやるのか、優しいんだな」

「いえ、私が仕返ししたいのでクラウディオさんに手を出されたら困るだけです」

「……君が許すというなら俺も何も言わない。ただ、ケープにシミが出来たらそれぐらいは訴えても良いんじゃないか?」

「後が面倒になるのは嫌なので倍返しはしません。ただきっちり一倍返しでいきます」


 そうハッキリと宣言するルシィにクラウディオが溜息をつき、怒りを宥めようとしているのかポンポンと頭を叩いてきた。

 まさにあやすといったその動きが不思議と心地良く、ルシィが瞳を閉じる。――それを見たクラウディオが「まるで動物のようだ」と小さく呟いたが、あいにくとルシィには届かなかった――

 そうしてポンポンポフポフと叩かれること数度……。


「なんて巧みな交渉術。仕方ありませんね、今回は見逃してあげましょう」


 ついにルシィが陥落した。


「しかし、さすがリズテアナ魔法学院ですね」

「さすが? なにがだ」

「まさか陰湿ないじめに高級茶葉の紅茶を使うなんて。ケープから良い香りがします!」

「生徒会長として、そこを感心されるのは複雑なんだが……」


 そんな会話を交わしつつ、ルシィとクラウディオがどちらともなく歩き出そうとし、遠くからガシャンと派手な音が聞こえて足を止めた。次いで響くのは「み゛ぃっ!」という悲鳴……。


「オルテンシア嬢か」

「オルテンシア様ですね」


 と互いに頷きあい、ひとまず声のする方向へと向かった。



 そうして辿りついたのは校舎裏。

 リズテアナ魔法学院だけあり薄暗いだの鬱蒼としただのといった雰囲気はないが、それでも施設も設備もない場所ゆえに人の気配は少なく、更に放課後だけあり生徒の姿も無いに等しい。

 そんな校舎裏、その一角。木の半ばまで登り枝に座り込んでしがみつくオルテンシアの姿を見て、ルシィとクラウディオが言葉もないと唖然と立ち尽くした。

 近くでは脚立が倒れ、そしてその隣に落ちているのはルシィの鞄……。木の上でしがみつくオルテンシアとそれらを交互に見やり、事態を察したクラウディオがそっと手を伸ばしてルシィの頭をポフポフと軽く叩きはじめた。

 もっとも、今回に限っては流石のルシィも「これは無理です」と交渉決裂を告げる。

 ちなみにそんな二人に対して木の上のオルテンシアはフルフルと震えつつも「ごきげんよう」と虚勢を張っていた。


「今この学院においてオルテンシア様ほどご機嫌な状態の方はいません」

「なによ失礼ね!」

「おおかた私の鞄を木に引っ掛けてやろうとして、ヘマして脚立を倒して降りられなくなったんでしょう。ローズドット家のお嬢様なら魔法を使って木に引っ掛ければいいのに」

「本当に何も知らないのね。物を浮かす魔法は難しくて魔力を多量に消費するのよ、どうしてそんな魔法を貴女如きの為に使わなきゃいけないの。でもそこまで分かってるなら次に己が取るべきことも分かっているでしょ、早く行動なさい」

「いえ、まだ何が食べたいか聞いていないんで」

「この状況で夕飯を急かすわけがないでしょ! まったく、これだから無知な平民の相手は嫌なのよ」


 怒りをあらわに、オルテンシアがフンとそっぽを向く。そうして待つこと数十秒、木の上の彼女はまるで譲歩してやったと言いたげな表情を浮かべて視線をそらしつつ……、


「……助けられてあげないこともないわ」


 と告げた。

 ちなみにこれに対するルシィの返答は、


「いえ、結構です」


 という交渉決裂である。


「なによ平民のくせに!」

「この状況、もはや平民もなにも関係ありませんよ」

「なによ、なによ……み゛っ、み゛ぃい!」

「はい畏まりました、今行きます」


 仕方ないと溜息をつきつつルシィが脚立を木に掛けなおす。

 それを見たクラウディオが危ないからと代わってくれようとしたのだが、さすがに一国の王子である彼にそんなことをさせるわけにはいかない。だからこそ「これもルームメイトの仕事ですから」と断りを告げたのだが、再び彼の手がポフポフと頭を撫でてきた。これは交渉と言うより褒めているのか。

 彼の手を見た時は細くしなやかな指と薄い手のひらだと思ったが、こうやって触れられてみるとその大きさと節の太さを実感する。ポフポフと頭を軽く叩く優しい動きが気持ちよく、ズシと頭に乗る手の感触が男らしいと感じるのだから何とも気恥ずかしい。

 そんな言い得ぬ心地よさにルシィが「仕方ないですね」と溜息をつきつつ脚立に足をかけた。


「手頃なところで放り投げてやろうかと思ってましたが、クラウディオさんに免じて許してあげます」

「み゛っ!?」

「はいはい、放り投げませんからこっちに来てください。私にしがみついて良いですから」

「み゛ぃー」

「え、安っぽい紅茶の匂い? まさかこんなところで生活水準の違いを見せつけられるなんて」


 と、そんな会話を交わしつつなんとか救助を終えて再び地面に戻る。

 みぃみぃ煩くてもオルテンシアはローズドット家の令嬢、下手して怪我をさせたらと内心で不安を抱いていたルシィが安堵の溜息をつく。対してオルテンシアはといえば、まるで何もなかったかのようにパタパタとスカートの裾をはたき、救助作業で乱れ肩にのった金糸の髪をフワと手で払った。

 そのうえ、


「まぁ、ちょっとは良い運動になったわね」


 これである。

 それを聞いたクラウディオが再びポンポンポフポフとルシィの頭を叩きだしたのは言うまでもなく、もちろんこれに対してもルシィは交渉決裂を言い渡した。


「そういう事を言うなら、今夜の夕飯はトマトオンリーです!」

「あぁ、そういう方面……」

「前菜は縦に切ったトマト、スープはトマト汁、メインは横に切ったトマトと丸ごとトマト、デザートはスライストマトです!」

「み゛っ!み゛ぃい!」

「ルシィ、オルテンシア嬢もこう言ってるし、もう少し情けをかけてやってくれないか」


 再びクラウディオがポンポンポフポフ(交渉)してくる。

 それを受けてルシィはしばらく悩むように――そしてこの交渉が心地よく――瞳を細め……、


「トマトリゾット」


 と譲歩案を出した。

 それに対してオルテンシアが「み゛」ではなく「良くってよ」と人語で返すのを見て、クラウディオが肩を竦めると共にルシィの頭からそっと手を離した。その際、最後に一度とルシィの頭を撫でれば「前菜はカプレーゼ」と再び譲歩案があがった。

 そうしてルシィが撫でられて乱れた髪を手で治しながらまったくと言いたげな表情を浮かべれば、それを見たクラウディオが楽しげに笑う。

 次いで「二人とも仲良くな」と念を押して彼が去って行き、ルシィもまたオルテンシアと共に自室へと戻って行った。



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