「……まだ苦い」
「次はオルテンシア・ローズドット、ルシィ・ブランシェット……お、ついに注目の二人がきたな」
クラウディオに呼ばれ、ルシィとオルテンシアが立ち上がった。
その瞬間に講堂内に先程までとは違ったざわつきがあがり、五十を超える視線が一瞬にして二人に注がれる。そのなんとも言えぬ居心地の悪さにルシィが頭を掻くが、対してオルテンシアはそんな注目など歯牙にもかけず堂々と壇上へと歩いていった。となればルシィが後を追わないわけにもいかず、突き刺さるような視線を浴びながらも続く様に壇上へと向かう。
「ご機嫌ようオルテンシア嬢。やぁルシィ、昨日ぶりだな」
爽やかに笑うクラウディオに、オルテンシアがスカートの裾を摘まんで身を屈め、ルシィもまた軽い会釈ながらに応えた。
次いでルシィが視線を向けるのは、もちろんクラウディオの隣に居る赤髪の生徒……先程コンラドと呼ばれた生徒である。どうやら事前に話を聞かされたようで、彼はルシィを見つめ返すと「君が例の」と小さく呟いた。――「不敬罪コースじゃなくて良かったな」と彼の言葉が続くあたり、クラウディオがどう説明したのか気になるところではある――
「ルシィ、こいつはコンラド。俺のルームメイトで昔馴染みだ」
「コンラド・オクステインだ。よろしく」
「ルシィ・ブランシェットです。こちらこそ」
差し出されたコンラドの手をルシィが応えるように握って返す。
先程スカートの裾を摘まんで令嬢らしくクラウディオに応えたオルテンシアに対して会釈のみだったルシィの対応から、貴族めいて畏まった挨拶をするよりもと握手を求めたのだろうか。そうだとすると気さくでありながらも観察眼のある男だ。
……もっとも、ルシィが彼の手を握り返した瞬間オルテンシアから「み゛っ!?」と異音がしたことに関しては気が付いていないようだが。
「それじゃ二人とも、魔力の測定をしてくれ。やり方はもうわかってるだろ」
「え、えぇ勿論ですわ」
ルシィとコンラドを――正確に言うのであればコンラドと握手をしていたルシィを――睨み付けていたオルテンシアがはたと我に返ったように球体へと近付く。講堂が一層ざわつき教師達すらも期待に満ちるような瞳で彼女の行動を見守り、ルシィもまた倣うように視線をやった。
そんな数多の視線を受け、それでもオルテンシアは堂々と球体を見つめている。むしろこの注目が誇らしいと言わんばかりの表情で、肩にかかった金糸の髪を払うと見せつけるようにゆっくりと手を球体へと伸ばした。
そうして彼女の白く小さな手が触れれば、透明な球体の中に再び靄が浮かぶ。それがうねり、嵩を増し、色をつけ……そうして僅か数秒足らずで透明だったはずの球体が輝くような銀一色に染まった。
その眩さは先程のクラウディオにも劣らぬもので、今までよくて球体の半分程度しか染められなかった新入生達が感嘆の声を漏らす。その声にも彼女は照れることも謙遜することもなく誇らしげに胸を張り、充分見せつけたと言わんばかりにそっと手を離した。
「さすがオルテンシア嬢だ」
「そんな、今日は調子が良かっただけですわ」
謙遜するようにオルテンシアが笑う。もっとも謙遜の言葉こそ口にしているが表情は相変わらず得意気で、それどころか未だやまぬ拍手を心地よさそうに受けている。
ルシィもひとまず彼女に拍手を贈れば、隣に建っていたコンラドもそれに続いてオルテンシアを褒め称えた。
「あんなに強い反応、羨ましい限りです。見てください、教師達が自分の授業にあなたを呼ぼうと目を光らせていますよ」
「ま、まぁそんな……。でもコンラド、あなたも素敵な色だったわ」
「俺の魔力なんて微々たるもの。オルテンシア嬢の足元にも及びません」
「でもとても素敵で、鮮やかで……あなたらしい力強い色よ」
「そう言って貰えると光栄です」
恭しく頭を下げ、コンラドが礼を告げて笑う。
照れ臭そうなその表情は先程までの凛々しさから一転して可愛さに似た愛嬌を感じさせる。精悍な逞しい顔つきだが綻べばどこか幼く、クラウディオを肘で突っついて「俺だって褒められたぞ」と自慢する姿は子供じみてさえ見える。そんな彼に対して「いいかコンラド、世の中には社交辞令というものがあってだな」と冗談で返すクラウディオも同じく。
二人で軽口を叩きあい屈託なく笑い合う姿は年相応、それどころかまるで年下の少年のように見える。そしてなにより、爽やかな男の友情を感じさせる。
そんな二人を眺めていたオルテンシアがうっとりと瞳を細め「みぃ……」と熱っぽい吐息を漏らした。――それを聞いたルシィがギョッとして「こういう時もその音が出るの!?」とオルテンシアに視線をやった。たかが「み」の単音、されど「み」の単音。なんと奥が深いのだろうか――
とにかく、そんなやりとりの末にクラウディオがルシィに向き直り「次は君の番だ」と促せば、再び講堂内がざわつきだした。もちろんそれはクラウディオやオルテンシアの時のような期待を含んだものではなく、異質なものを前に好奇と嘲笑が混ぜ合わされたようなものである。
なんとも居心地の悪いもので、ルシィが眉間に皺を寄せつつ頭を掻いた。
「……とても、大変、非常に、すっごくやりたくないんですけど」
「みんな君に興味があるだけさ。大丈夫だ」
「ところで殿下、クラウディオ殿下。でーんか!」
「そうやってわざと後回しにされようとするのは無効だ。次が待ってるぞ」
ほら、と急かしてくるクラウディオにルシィが不満気な表情で訴え、それでも透明な球体に視線を向けた。
誰も触れていないそれは勿論だが何の反応もしておらず、今は只の球だ。オブジェと言われても納得しそうなもので、今のこの状態だけを見れば誰も魔法具とは気付くまい。
だが一度触れれば魔力に反応し色を変える……。その光景を思い出し、さて自分ならばどうなるかとルシィが考えを巡らせた。クラウディオやオルテンシアの時のような美しく球体を覆う反応はしないだろう、かといってコンラドみたいに小さくとも鮮やかという可能性も低い。未熟な生徒と同じように淡く小さく灯るか、もしくは無反応なんてことも……。
自分のことながら――いや、自分のことだからこそか――どうなるか見当がつかず、ルシィがゴクリと生唾を飲んだ。
「あんまり緊張するなよ、落ち着いて触れば良い」
クラウディオが声を掛けてくる。
「反応が小さくても進級できるから、安心しろ」
コンラドが笑う。
「平民なんだもの、反応しただけでも褒められたものだわ」
オルテンシアが高飛車に煽ってくる。
そんな声を聞きつつルシィが球体に手を伸ばし……そっと指先から順に触れていった。
ヒンヤリとした硬い感触が伝う。続いてゆっくりと手のひらまで這わせれば球体の中に靄が生まれ、同時に内側から引っ張られるような不思議な感覚が手のひらから腕へと走る。測定の為に魔力を吸われているのだ。
そのなんとも言えない感覚は血管を伝うように体中に侵食し、這い上がるように頭をとらえると脳を揺らす。頭蓋骨の中におさまっている脳みそが圧縮されているような、柔らかな布で包まれてじょじょに絞られているような、そんな違和感にルシィがボンヤリと意識を虚ろにし……。
「おい、ルシィ!」
と声を掛けられると共に強く肩を掴まれたことにより、一瞬にして意識を引き戻した。
「……クラウディオさん」
「ルシィ、大丈夫か!?」
「え、えぇ……多分、大丈夫です。むしろ何かありました?」
「魔法具が反応しだした瞬間、君がピクリとも動かなくなったんだ」
幾度が声をかけても返事どころか眉ひとつ動かさず、ただボンヤリと佇むルシィに異変を察し肩を掴んだ……。そう語るクラウディオの瞳は真剣味を帯びており、冗談でも大袈裟でもないことが分かる。
それに周囲が水を打ったように静まり返り緊迫感に包まれ、事態を聞きつけたのか数人の教師が慌ただしげに講堂に駆け付けくる。
更にはオルテンシアが「み゛!み゛っ!」と心配しながら口にチョコレートを詰め込んでくるのだから、よっぽどの放心具合だったのだろう。というか意識を取り戻した直後にチョコレートは重く、オルテンシアに関しては誰か止めてほしいところである。
「低血圧じゃ……別に低血圧じゃありませっ……モゴォ」
「み゛っ!」
「モゴッ、せめて咀嚼の間を…モゴフ」
ひたすら口にチョコレートを詰め込まれ、ルシィが再び意識を失いかける。
それでもなんとかオルテンシアを引きはがしてチョコレートを飲み込んだ。そうして深く息を吐けば、今度はクラウディオが心配そうに顔を覗き込んでくる。もちろん、チョコレートは詰め込んでこないが。
だが形の良い眉を下げ、青い瞳が窺うように細めてジッと見つめてくるあたり相当心配をかけたのだろう。
「ルシィ、本当に大丈夫か?」
「はい、特に異変はありません」
「そうか。だが今日は念のため休んでおけ。幸い今日は測定が終われば後は解散だから、先に部屋に戻ると良い」
「ですが……」
「私ももう用はありませんの。部屋に戻ってコーヒーを淹れてちょうだい」
チョコレートをポーチに戻したオルテンシアがあっさりと言い切る。
その態度は相変わらず高飛車で、ルシィの返事も待たずに歩きだしてしまう。そうなればルシィが何か言えるわけがなく、慌てて彼女の後を追った。
そうして去り際にチラと講堂内を見回し、ふと一点に……台座に置かれたそれに視線をとめ、
「うわ、きったない色の球……」
と声を漏らして講堂から出ていった。
二人の生徒が出ていった講堂内は妙な静けさに包まれており、どの生徒も不安げに顔を見合わせたり小声で話し合っている。いまだかつてないこの事態に教師達も動揺を隠せず、生徒を落ち着かせる余裕もないのだろう。
「……クラウディオ、どうする」
とは、そんな空気の中、クラウディオに寄り添うように近付いで耳打ちするコンラド。
対してクラウディオは深く溜息をつきつつ「どうするもなにも……」と視線を壇上の一部に向けた。
「あれが戻らない限り落ち着かせようがないだろ」
「あぁ、そうだな」
二人の視線が向かう先、台座に置かれた球体は誰も手が触れていないのに未だ色を宿していた。
黒と茶と赤と青と緑と黄と……おおよそ考え得る全ての色を綯い交ぜにし、そして混ざり切れずに歪に色を残したその球体の醜さといったらない。ドロドロとうずまき絡み合い、見ているだけで寒気がしそうな色なのだ。悍ましい、そんな声が新入生達からポツリとあがる。
真っ当な魔力を基にすればこんな色になるわけがなく、そもそも本来であれば手を離して数秒で色も薄まり元の球体に戻るはずなのだ。だからこそこの気色悪い異常事態に誰もが怯えを見せ、クラウディオが溜息をつくように講堂の出入り口に視線をやり……小さくルシィの名前を呼んだ。
そんな行動から遠ざかった女子寮。オルテンシアに着いて自室へと戻ったルシィは疲れたと深い息を吐きつつ部屋へとあがり……バチ! と走った電気に思わず声をあげた。
身体が痺れるような刺激。それがバチ、バチ! と何度も続くのだから痛みこそないが堪ったものではない。慌てて玄関へと戻り、そうしていったい何だと廊下に視線をやり……そこに灯る光の線と、そして仁王立ちで構えるオルテンシアの姿を見て思い出した。
そう、ルシィ・ブランシェットは思い出した。
自室とはいえ自分の生活領域が狭いことを。そしてオルテンシアが「早くコーヒーを淹れなさい!」と喚くそのコーヒーが砂糖を入れたミルクにこれまた砂糖を入れたコーヒーを小さじ一杯程度のものであることを。
……思い出したのだ。