「自分の魔力ながら笑って直視できない……」
「……苦い」
とオルテンシアが唸るように呟き、コップを机に置いてルシィを睨みつけた。
それに対してルシィが驚愕の表情を浮かべるのは、もちろん昨夜言われたとおりにコーヒーを淹れたからだ。彼女が愛用しているというコップにミルクを注ぎ砂糖で甘くし、そこにコーヒーを小さじ一杯分入れる。……入れると言うより垂らすに近いか。
とにかく完成したそれを試しにとスプーンで掬って一口味見してみたところ案の定コーヒーのコの字もなく、ただぬるくて甘いミルクだった。むしろ甘くしすぎてしまったかもと思ったほどなのだ。
だというのにオルテンシアは不満そうに睨み付けてくるし、おまけに不満を訴えるようにわざとらしくハンカチで口元を拭った。
「苦いって、でも言われたとおりに淹れましたよ? 砂糖を入れたミルクにコーヒーを小さじ一杯」
「そのコーヒーにはお砂糖は何杯入れたのかしら」
「なんてこった」
予想外すぎるオルテンシアの指摘にルシィが唖然とする。危うく手にしていたサンドイッチとコーヒーを落としてしまいかねないほどだ。テーブルに着いているオルテンシアと違い立ったままなので落としたら間違いなくカップは割れてしまう。
しかし、只でさえミルクとしか言えない代物なのに、そのうえ小さじ一杯のコーヒーにも砂糖が必要なんていったい誰が予想できるというのか。
「それはもう大人しくホットミルクを飲んだ方が良いんじゃないですか?」
「ホットミルクなんて子供の飲み物よ。大人の女はコーヒーを飲むの」
「はいはい、次は気を付けます」
「それに今日は魔力測定があるから、頭をスッキリさせておきたいの」
「……魔力測定?」
何ですかそれ、とルシィが首を傾げると、オルテンシアが得意気な表情を浮かべてわざとらしく鼻で笑った。――……コーヒーもどきのホットミルクに砂糖を追加しつつなのでまったく威厳は感じられないが――
「いやだ、本当になにも知らないのね。リズテアナ魔法学院の魔力測定といえば有名じゃない」
「本当に知らないし聞いた覚えもありません」
「有名なのよ! とにかく講堂にいけば分かるから、さっさと準備をなさい」
相変わらず高飛車に急かしてくるオルテンシアにルシィが溜息をつきつつ、食べていたサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込んで足元に置いておいた二人分の鞄を手に持った。もちろん片方はオルテンシアの分であり、彼女の鞄を持つことはルームメイトであるルシィにとっては当然の義務らしい。
そうして片手に持っていたコーヒーをキッチンの流しに置いて……と出かける準備をしていると、オルテンシアが不満そうに睨みつけながら名を呼んできた。
「ところで、どうして立って食べているの? 品がないと思わない?」
まるで教養の無いものを見下すかのような冷ややかなオルテンシアの視線に、制服のケープを羽織ったルシィが肩を竦めて応えた。
「ローズドット家のお嬢様が朝食をリビングで食べろと仰ったからです」
と、更に続いて、
「ですが残念なことに、私が動ける範囲には椅子が一つもありません」
と告げれば、オルテンシアが「み゛!」と声を――声?――荒らげた。
多分これは「皮肉を言う暇があるなら出かける準備をしなさい!」という意味なのだろう。一つの音に詰め込みすぎな気もするが、朝っぱらから不可思議な音で喚かれては堪らないとルシィが恭しく頭を下げてわざとらしく謝罪の言葉を口にした。
そうして金の巻き髪を揺らしながら部屋を出るオルテンシアに続けば、扉がしまる直前、床に走る光の線がゆっくりと動いてテーブルの片隅を陣取るのが見えた。
講堂には既に五十人を超える生徒が集まっており、各々椅子に座ったり立ち話をしたりと好き好きに過ごしていた。
貴族と言えどピンからキリまで、もちろん住まいも同様に国中に散らばっている。現に地方出身者らしき独特な訛りも聞こえ、髪や瞳の色も様々だ。
だが皆一様に紺色のケープかローブを羽織っている。胸元にリズテアナ魔法学院のエンブレムが刺繍されたそれは謂わば制服のようなもので、いかに派手な服装だろうが似合わぬ色合いだろうが学院内では羽織ることが規則とされているのだ。なおかつ、前を止めるボタンの色で在籍する学年が分かるようになっている。ルシィ達新入生は青いボタンだ。
肩に掛けるケープか、長く裾をとったローブか、規則づけられてはいるもののどちらを着用するかは生徒の自由であり、ルシィもオルテンシアも今日は暖かいからとケープを選んでいた。
「クローゼットに掛かってるのを見た時は随分と地味な制服だと思ってましたが、こうやって揃うとなかなか圧巻ですね」
「リズテアナ魔法学院は名誉ある教育機関よ。その制服なんだから、本来なら平民の貴女が羽織って良いものじゃないの。そこのところをちゃんと弁えなさい」
「そういうこと言うと、背中にケープのサイズ表記シールが張り付いたままなことを教えてあげませんよ」
「み゛っ!?」
不思議な悲鳴をあげて慌てて背中に手を回すオルテンシアをルシィが「あとちょっとで手が届きますよー」と煽りながら眺めていると、元よりにぎやかだった講堂内が更にざわつきだした。
立ち話をしていた生徒が慌てて空席に駆け寄り座る。それに倣いルシィもオルテンシアと共に手近の席に腰を下ろし、講堂の出入り口へと視線を向けた。
そこから姿を現したのは、教師らしき数人の男女とそして紺色のケープを羽織った二人の男子生徒。ケープを留めるボタンは赤く、彼等が先輩だと分かる。
片や赤い髪、片や金の髪をした……。
「クラウディオさん」
覚えのある姿に、ルシィがポツリと彼の名前を口にする。
だが次の瞬間に聞こえてきた「クラウディオ殿下だわ」だの「今日も素敵」という熱っぽい声に慌てて口を押さえた。
「一年生の諸君、おはよう。今朝はよく眠れたか?」
檀上に上がったクラウディオが一人一人の顔色を確認するかのようにゆっくりと新入生達を見回す。
堂々としたもので、五十を優に超える人数から視線を注がれても臆することなくこの態度なのだから流石である。
「昨日も紹介があったが、リズテアナ魔法学院の生徒会長を務めているクラウディオ・バレクだ。素性はみんな知ってると思うが、学院では『先輩』や『会長』と呼んでほしい」
そうクラウディオが告げる。
だが彼はこの国の王族、それも第二王子という身分なのだ。本人が言い出したからといっておいそれと気軽に呼べるわけがなく――そもそも貴族と言えど下級の者からしてみれば声を掛けること自体が恐れ多いことである――どうしたものかと誰もが顔を見合わせる。
そんな新入生達の困惑を察したのか、クラウディオがニヤリと笑みを零した。その笑みに、困惑の表情を浮かべる生徒達が自然と彼に視線を止せる。
「今日は君たちの魔力測定の進行を任されているから、殿下って呼んだ生徒は容赦なく後回しにするつもりだ。明日からの授業に間に合いたければ、今日中に覚悟を決めることだな」
悪戯気な笑みで話すクラウディオに、対して新入生がキョトンと目を丸くさせる。だが次第に彼の纏う気さくさに当てられ苦笑を浮かべて肩の力を抜いた。
そうして彼が背後に目配せすると、教師達が大事そうに抱えていた箱を壇上に設けられていた台座へと運んだ。そっと蓋を開け中から取り出すのは……透明な丸い球。
それを後生大事に台座の上、それも球体を置くために敷かれた囲いと布の上に置けば、新入生達からまた毛色の違うざわつきがあがる。
そんな中、ルシィは一人で首を傾げていた。「おぉ」だの「あれが」だのと声が聞こえてくるが、どう見ても壇上にあるのは只の透明な球体なのだ。
「そりゃ確かに丸いですけど、今更丸いものに驚くっていうのも変な話ですよね」
「別に丸さは関係ないわよ。いいこと、あれこそリズテアナ魔法学院が誇る魔法具よ」
「……あんな丸い球が魔法具ですか」
「ところで、ルシィ?」
「測定って魔力使うんですよね? あんまりやりたくないなぁ、今朝のことまだノートに書いてないし」
「……みぃ」
「大丈夫ですよ。もうシールはついてません」
やたらと切ない「み」の音を出したオルテンシアを宥めて再び壇上に視線をやれば、いままさに説明せんとクラウディオがざわつく講堂に声をかけた。
「みんな……いや、殆どの生徒は知ってると思うが、これは魔力を測定する魔法具、これから何度も使うことになるだろう。だが難しく考えなくて良い。使い方は簡単、手を添えるだけだ」
そう説明しながらクラウディオが球体に片手を伸ばした。
手のひらを触れさせゆっくりと指先まで這わせば、次の瞬間、球体の中に小さな靄が浮かび上がった。それが次第に大きくなり、揺らぐたびに色をつけ……わずか数秒後には透明だった球体が輝く黄金に変わる。その変化、そしてなにより黄金の眩さに生徒達が感嘆の声をもらし、男子生徒は彼に憧れるように視線を向け、女子生徒は「さすがクラウディオ殿下……いえ、クラウディオ会長ね」と熱っぽく語りあう。
もっとも、ルシィだけは目の前の光景に「きんた……!」と声をあげかけ、出かけた言葉をなんとかで飲み込んで周囲にあわせて拍手をおくった。
そんな拍手を受けたクラウディオがそっと球体から手を離せば、ゆっくりと黄金がひいていく。そうして再び透明な球体に戻ってしまうのだ。戻るまでの間わずか数秒、クラウディオが手を添えた時から数えても数分もたっていない。
さすがリズテアナ魔法学院の魔法具だとどこからともなく声があがり、クラウディオを褒める言葉と混ざりって静まる気配はない。
「あれほど美しい黄金を球体いっぱいに描くのは王族の中でも優れた方しか出来ないのよ。さすがクラウディオ様だわ」
「本人はあの赤い髪の生徒としゃがみこんで震えてますけど。あれ絶対きんた」
「み゛っ!」
「失礼いたしました。つまりあの球体に手を添えるだけで魔力を測ってくれるってことですよね」
「そうよ。魔力が高いほど球体が覆われ、本人の素質と性格を基に色を変えるの」
「面白いものもあるもんだ」
感心したとルシィが呟きつつ透明に戻った球体に視線をやれば、笑いつくしたのかクラウディオが立ち上がって再び新入生達に声をかけた。
フゥと深く息をつくのは彼の中での仕切り直しだろう、隣では赤髪の生徒が未だ口元を押さえている。
「今のようにやってくれれば大丈夫だ。それにこれは君たちの現状を把握するためであり、測定の結果でクラスや対応が変わるわけじゃない。色が小さかろうと薄かろうと問題は無い。……コンラド」
クラウディオがチラと隣に立つ赤髪の生徒を見る。背の高さはクラウディオと同じくらいか、だが彼より幾分体格が良く、精悍な顔つきはどことなく男くささを感じさせる。
二人共それぞれの魅力があり見目が良く、並ぶ姿は様になっていて物語の一つや二つ出来そうなほどだ。一国を担い背を預けあう王子と騎士、そんな感じだ。
だがコンラドと呼ばれた男子生徒はクラウディオの目配せに対しうんざりとした表情を浮かべ、それどころか露骨に眉を顰めて「……嫌だ」とハッキリと拒絶の言葉を口にした。
「良いじゃないか、やれって」
「だけどクラウディオ」
「俺達だってどうせ明日か明後日には測るんだ。一人で先にやったと思えばいいじゃないか」
ほら、とクラウディオがコンラドの背中を叩く。それに対して渋々と言った様子で彼が球体に歩み寄り、先程のクラウディオに倣うように手を添えた。
再び球体の中に靄が生まれる。……だがその靄はクラウディオの時のようには広がらず、球体の中央で渦巻くだけだ。それでも色はつくようで、まるで透明な球体の中にフワリと浮かぶように青く灯った。
色濃く鮮明な青、だが酷く小さい。それが灯るのを確認するや彼はさっと手を離し、すぐさま透明な球体に戻してしまった。次いでクラウディオを睨みつける視線が「これで満足か!」と無言ながらに訴えている。
だがそんな視線を受けたクラウディオはと言えば、相変わらず悪戯気な笑みのままだ。
「今見て貰った通り、魔力が少なくても二年生には進級できるから皆安心して測定を受けてくれ」
「それを言いたいがためにやらせたのか!」
「お前は魔力量に不安を抱く新入生達に希望を与えたんだ、もっと誇れよ」
「クラウディオ、お前覚えてろよ!」
先輩らしからぬ――そして互いの身分差を感じさせぬ――二人のやりとりに新入生達が笑みを零す。
きっと肩の力を抜かせるための演出だったのだろう、現に誰もが表情を綻ばせ、それを見たクラウディオが満足そうに頷くと一人目の生徒の名前を呼んだ。