「これからもずっと一緒に」
期末パーティーが終われば、リズテアナ魔法学院は一ヶ月の長期休暇に入る。多少前後するものの全生徒が家へと帰宅し、その間に学院内の清掃を行うのだ。
学院長に頼んで寮に残らせてもらおうと考えていたルシィだったが、エレンナに「その間うちのお店を手伝って」と誘われ、彼女達夫婦の世話になることした。共に生活することに懐かしさはないが、妹のように接してくれるエレンナ達との距離は気にする間もなく直ぐに縮まり、花屋の手伝いも数日習うと一人でこなせるようになっていた。それどころか習っていないことまで出来るようになるあたり、きっと以前も同じように手伝っていたのだろう。
朝は早いが、我儘でみぃみぃ煩いお嬢様の面倒を見るよりは楽である。良い花を見繕えば客は嬉しそうに礼を言ってくれるし、時にはお菓子をくれたりもする。エレンナ達も労ってくれる。無言で口にクッキーを捩じ込んでくるより感謝を感じられた。
「このまま学院に戻らずエレンナさんのもとで勉強して、いつか独立してお店を持とうかな」
そうルシィが話せば、向かいに座るコンンラドが笑った。
場所はエレンナの花屋がある市街地の一角、そこにある喫茶店。日の当たるテラスは心地よく、噴水を囲んで子供達が遊ぶ光景はなんとも長閑だ。
一般階級ばかりが集う――なかにはコンラドのような者もいるはずなのだが、彼を含めてあまりに溶け込んでいるため見つけるのは至難の業だ――この場所はリズテアナ魔法学院や社交界のような気品や華やかさはないが、それでも活気に溢れている。
そんな町並みを眺めつつ、二人で一般階級の店らしい味わいの紅茶とケーキを堪能していた。
長期休暇に入り、一番ルシィが顔を合わせているのがコンラドだ。市街地に慣れ親しんでいる彼は美味い店があるだの馴染みの店があるだのと頻繁に店を訪れて連れ回してくれる。
「私とばっかり会ってて、オルテンシア様はいいの?」
「それはルシィも同じだろ。クラウディオから『お前ばっかルシィと遊んで』って恨みがましい伝言の猫が毎晩届くぞ」
「だって、クラウディオさん急ぎで進めてる研究があるって王宮に篭ってるんだもん」
「同じく」
結局のところ、お互い恋人に構ってもらえずこうやって過ごしているのだ。クラウディオもオルテンシアも何やら研究に没頭しているようで、思わずルシィとコンラドが溜息をついた。
いったい自分達を放ってなんの研究をしているのやら……もっとも学院トップに君臨する二人がこれほどまでに時間を費やす研究なのだからよっぽどのことで、説明されたところで理解できるとは思えないけれど。
そうルシィが考えつつケーキを口に運べば、向かいに座るコンラドがはたと顔を上げ、そして手にしていたフォークを落とした。
カラン、と音がする。社交界では恥ずべき失態だが、この喫茶店ではさして気にすることではない、拾って替えを頼むだけだ。だが待てども彼はフォークを拾わず、それどころではないと硬直したまま空を見上げている。
いったいどうしたというのか、ルシィが問うように首を傾げる……が、いつの間にやら自分達のテーブルに影が落ち、バサッとまるで何かが翼を震わせるような音を聞いて慌てて空を仰いた。
そこにいたのは巨大な鳥……ではなく鳥の亜種。もとい元猫のリルだ。
「な、なんでリルが……わ、わわ!?」
驚いて立ち上がれば次の瞬間ふわと体が浮き上がり、慌ててルシィが周囲に手を伸ばす。
だが皿やテーブルクロスが役に立つわけがなく、唯一浮力に抗えそうなコンラドもルシィにしがみついてしばらくすると踵から徐々に地面を離れていった。
そうして悲鳴もろくにあげられないまま、上空で待ち構えるリルの腕の中へと吸い寄せられる。
灰色の太い腕が離すまいとガッチリと掴み、先端の丸まった短い片腕がこちらもと届かないながらもパタパタと揺れる。グルグルと喉を鳴らす振動が、触れている肌からも伝わってくる。
そうしてリルがゆっくりと翼を動かせば、重力に逆らい浮き上がる不快感と共に喫茶店の屋根が小さくなり、そして遠ざかっていく。バサと大きく一度動かすだけで随分と飛躍するのだ、これを鳥だと押し通すのは無理があるんじゃないか……と、そんな場違いな考えすら浮かんでしまう。
今更『ドラゴンに攫われる!』等と怖がることもないが、かといってリラックス出来るわけでもないのだ。なにより事態が理解出来ず、いったいどこに連れて行くのかとリルに尋ねたところでご機嫌に喉を鳴らすだけ。
ルシィとコンラドが参ったと顔を見合わせ、落とされはしないだろうか念のためにと灰色の太い腕をギュッと掴んだ。
「よし、成功したな」
「あら、コンラドまで連れてきてくれたのね」
とは、クラウディオとオルテンシアの言葉。ゆっくりとした飛行の後リルが着地し、それを出迎えたのが彼等である。
ちょっとした空の旅を満喫させられたルシィとコンラドが何事かと彼らに視線を向けたのは言うまでもない。場所はもちろん喫茶店ではなく随分と広い庭のような場所で、整備された美しさが余計に混乱を招く。
ここはいったいどこなのか、なんで二人がいるのか。成功だの改善点がどうの、交わしている言葉を聞いても何一つ理解できないのだ。
「ルシィ、久しぶりだな」
「クラウディオさん、いったいなんですか?」
上機嫌で再会を喜ぶクラウディオに、対してルシィは怪訝そうな視線で返す。さすがにこれはポンポフでは済まされない事案だ。
なにせ……、
「まだケーキを食べきってなかったのに」
「ルシィ、今はそれを気にしてる場合じゃ……しまった、俺達支払いをしてない!」
「無銭飲食になっちゃう!」
ルシィとコンラドが喚けば、クラウディオが手近にいたメイドを支払いに向かわせる。
その際にケーキのテイクアウトも頼み、さらにルシィをギュッと抱きしめてポンポフしてくるのは、ルシィが恨みがましげに「ケーキィ……」と唸っているからだ。
「ルシィ、ケーキなら今買いに行かせたから」
「……まぁ、それなら唸るのはやめてあげます。ところで、ここはどこですか?」
「王宮の中庭」
「とんでもない!!」
平服なのに!とルシィが慌てだせば、クラウディオがのんきに「まぁまぁ」と宥めてきた。相変わらず抱きついたままで、離す気がなさそうなのは久しぶりだからだろうか。彼の腕に抱かれる心地よさに一瞬ルシィが絆されかけるが、これで陥落してはチョロいにも程があると自分を叱咤した。
「それで、そもそもなんでリルが私達を連れだしたんですか? 研究とやらは終わったんですか?」
「ルシィ、俺達は君を連れてくるための研究をしていたんだ」
「……私を?」
いったい何の話だとルシィが首を傾げる。対してクラウディオは得意気に笑い、なぜかオルテンシアまで胸を張っている。
そんな二人の様子からルシィよりも先にコンラドが事態を理解し溜息を吐いた。自分の連行はついでであったこと、それどころかルシィにしがみついたからだと察し、それでも不要と判断して振り落とすことなくちゃんと送り届けてくれたリルの鼻先を撫でる。何も言及するまいと悲観すら感じさせるその表情は、さすがクラウディオと長く付き合ってきただけある。
「俺はあの一件以降、魔力探知の研究をしていたんだ。そしてオルテンシア嬢は言語魔法の研究。それぞれ難しい分野だったが、国内問わず学者を招いてなんとか満足のいく能力を手に入れた」
「オルテンシア様、言語魔法なんて使えたんですね。……まさか、み゛っ!?」
「今までずっと、周囲は私が尊く気高いあまりに常に私の意思を察し私の言わんとしていることを汲み取ろうと努めているものだと思っていたけど違ったわ! これ魔法だったわ!」
「普通は気付くでしょう!」
「み゛ぃいい!」
黙って話を聞きなさい!と「み゛」で怒鳴りつけてくるオルテンシアに、ルシィが「分かりましたよ」と渋々と従う。これもまた「み゛」の成せる業である。
そんなやりとりの末にクラウディオがコホンと咳払いをして場を改め、再びルシィに向き直る……というより強く抱きしめなおした。今の今までずっと抱擁しっぱなしである。
「俺は高位の魔力探知を習得して、いつどこに居てもルシィの魔力を探れるようになった。もちろん、魔法を発動すれば直ぐに分かる」
「私は言語魔法を極めて、遠距離でもリルとの会話が可能になったの。どこまで遠くに飛んでも、私の声が届くのよ。羨ましいでしょ」
「そして今日、俺達二人で簡易式の浮遊魔法を開発した。リルを拠点にし、大人数人程度なら引き寄せられる代物だ」
「……それはなんとも素晴らしいことで。でも、それが可能になってどうするつも……」
どうするつもりですか、と問おうとしたルシィが言葉を途中で詰まらせた。
クラウディオとオルテンシアが笑っている。それはもう爽やかに美しく、そして未だかつてないほど胡散臭い。
その笑みに嫌な予感しかせずルシィがまさかと額に汗を浮かべれば、コンラドがポンと肩を叩いてきた。
「ルシィ、諦めろ」
「コンラドさん……」
「失礼だなコンラド、俺達の努力をそんな風に言うな。公表すれば世界中から注目される研究だぞ」
まったくと言いたげにクラウディオがコンラドを睨みつける。もっともいかにクラウディオ・バレクの鋭い眼光と言えど昔馴染みには効果が無いようで、「へいへい失礼しました」と無礼でしかない言葉で返された。おまけにコンラドは両手を上げてわざとらしい降参のポーズまで取って見せる。
このなんとも友人めいたやりとりにクラウディオが悪戯気に笑いつつ「無礼な奴め」と皮肉を告げ、次いでルシィに向き直った。悪戯気な笑みがゆっくりと優しく暖かなものに変わる。どちらも可愛らしく、そしてどことなくあどけない。
そうして片手でポンポフと頭を軽く叩いてくる。
「そういうことだから。何度忘れても、そのたびに俺のところに連れ戻してやるからな」
青い瞳を細めて微笑まれ、ルシィが観念したと溜息をついた。
今までたくさんの人と出会い別れそして忘れ、思い出しても感情が伴わず「また今度会いに行けば良いか」としか思えずにいた。とりわけ本を無くした今はその内の一握りのことしか思い出せずにいたが、胸には喪失感すらなく、簡素な申し訳なさと「そのうち思い出すだろう」という他人事のような感覚しかなかった。
だからこそフラフラと、虫食いの記憶で行き先を決めて彷徨っていたのだ。適当に地図を見て、理由は分からないがきっとここに行こうとしていたのだろう、とりあえず行けば何かあるかもしれない……と。
ルシィ・ブランシェットは思い出した。
そんな人生の中で、こんな風に強引に腕の中に捕えられたのは始めてだ。
だからこそゆっくりと腕を伸ばし、彼の背中に腕を回して自らも抱き付く。甘えるように擦り寄って、返事を求めて見つめてくる青い瞳に微笑んで返し、返事の代わりにキスを贈った。
本を用意しなくては。
常に、どんなことがあっても、何を忘れても、例えば大掛かりな魔法を使っても。それでも手放さずに居られる小さな本を。
一ページ目にはこう書こう。
『この本を一ページ目から読んでいるということは、また私は全て忘れてしまったのでしょう』
と……そういえば以前の本もこんな出だしだった気がする。
その後に自分が魔法を使うと記憶を失うことを説明し、必要なことを書き足していったのだ。
だけど新しい本にはこう続けよう。
『とにかく、急ぎクラウディオ・バレクの元へ帰ること』
太字で、赤い線を引いてもいい。
あぁでもきっと本を読んでいる最中に……と、事態を理解するより前にリルによって連れ戻される自分の姿を想像し、ルシィが溜息をついた。それをキスを終えた吐息と勘違いしたのか、クラウディオが嬉しそうに微笑んで今度は自分からと再び顔を寄せてくる。
溜息こそつけどルシィにそれを拒否する気はない。ポンポフされるのも心地良いがキスもまた気持ち良いのだ。だからこそ瞳を細めて待ち構える。
もっとも、唇が触れる否かの距離まで近付いた瞬間、二度の破廉恥行為は許さない!と「み゛っ!」と声を上げるオルテンシアに引き剥がされてしまった。
この絶妙なタイミングにルシィとクラウディオが揃って目を丸くさせれば、コンラドが「止められなかった」と無言ながら両手を合わせて謝罪を訴えてくる。対してオルテンシアだけが王宮でキス等という破廉恥な行為に及ぶ二人を正してやったと得意気だ。
「オルテンシア嬢、こういう時は……コンラド、オルテンシア嬢の唇を塞いでやってくれ」
「お、俺が!?」
「み、み゛ぃい!?」
突然のクラウディオの提案に、コンラドとオルテンシアが揃って真っ赤になる。それどころかオルテンシアはあわあわと慌てだし、果てには「破廉恥なことは駄目なのよぉ……」と弱々しく呟いてルシィの陰に隠れてしまった。
クラウディオがその反応を見てクツクツと笑い、先は長いなと赤くなったコンラドの肩を叩く。
この相変わらずな光景がこれから先も……そして何があっても忘れてしまっても続くのかと考え、ルシィが苦笑を浮かべると共にオルテンシアの隙をついてクラウディオにキスをした。
ルシィ・ブランシェットはたまに忘れて、思い出せないこともある。
それでも変わらずそばに居てくれる人がいて、一緒に新しい思い出を積みあげていくのだ。
… end …
『ルシィ・ブランシェットは思い出した。』これにて完結です。
0時頃更新とか言いつつ最後の方は更新時間が間に合わずお待たせしてしまうことも多々あり、申し訳ありませんでした。
そしてここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!




