「……え、交換日記!?」
会場は既に賑わい、楽団の音楽が邪魔をしない程度に華やかさを演出している。普段はケープやローブを羽織っている生徒達も今日だけは色とりどりに着飾り、数人で談笑をしたりパートナーと寄り添って語り合ったりとそれぞれの時間を楽しんでいた。
そんな会場もルシィ達が姿を現した瞬間賑やかさがざわつきに変わり、誰もが視線を向けてくる。もちろん、ルシィ達がこのパーティーにおいて異例であり注目のカップルだからだ。
誰もが嫉妬や興味といった様々な感情を胸に抱いているのだろう、その視線が居心地悪いとルシィが臆するも、共に会場に来たオルテンシアはフンと得意げに澄ました表情で会場を見回した。
「この程度、些細なものよ。もっと注目されてもいいくらいだわ」
「そうですか、流石オルテンシア様」
得意気なオルテンシアにルシィが溜息をつく。
そんな女性二人に対して、それぞれの手を握るエスコート役達はと言えば、
「……落ち着かない」
「何を言ってるんだコンラド、オルテンシア嬢に情けないところを見せるな」
と、これまた真逆な反応を見せていた。
片や全生徒どころか国中からも注目される第二王子とローズドット家の御令嬢、対して自分の生まれも定かではない一生徒と弱小家の子息なのだからこの反応の差も当然である。だがクラウディオの言葉にコンラドが意を決し、注目を気にするまいと背を正すとオルテンシアの手を引いた。
「オルテンシア嬢、会場を見て回りましょう。……お、俺と二人で」
「……みぃ」
先程までの得意気な表情もどこへやら、ポッと頬を染めてオルテンシアが頷く。
そうしてコンラドに手を引かれて去っていく姿はまさに恋する乙女そのものだ。物足りないと言わんばかりだった周囲からの視線も今は彼女に届いていない様で、ただウットリとコンラドだけを見つめている。
一部からあがっていた「どうしてコンラドが」だの「不釣り合いだ」だのという声も流石にこのオルテンシアを見れば理解することだろう。
そんな二人を見送り、ルシィがクラウディオを見上げた。彼もどこかへ誘ってくれるだろうか……と、期待を抱けば、その視線に気付いたのか青い瞳が見つめ返してくる。
飾りつけされた庭園に誘ってくれるだろうか、どこか椅子に座って二人でゆっくりと話をするのも良い。ダンスに誘われたらどうしよう、上手く踊れないけれど彼はリードしてくれるだろうか……。
そう期待を抱いてルシィがクラウディオを見つめれば、彼は言わずとも分かるといいたげにコクンと一度頷いて、
「分かってる、好きなものを食べてこい」
と優しく微笑んでくれた。
「クラウディオさん、さすがに私もこういう時はムードに浸るというものでしてね……」
「え!? そ、そうなのか」
「いいです、食べてきます。クラウディオさんなんか放ってケーキを食べてきます」
「悪かったルシィ、そう拗ねるなって……。しまった、今日は髪が編んであって撫でにくい」
普段通りポンポフして宥めようとしたのだろう、だが今日のルシィは髪を編み上げており、上手く手を置けないとクラウディオが困惑する。そんな彼に対してルシィが悪戯気に笑えて一歩離れれば、今度は行かせるまいと強めに手を握ってきた。
悪かった、と苦笑を浮かべて謝罪してくる彼は畏まった装いに反してどこかあどけなく、そして可愛くさえ見える。ルシィもこれには拗ねた表情を破顔させ、仕方ないと掴まれた手を握り返した。
どこにも行きませんよ、と小声で告げれば、彼の表情に安堵の色が浮かぶ。
「それじゃ、俺と一曲お願いしてもいいかな」
「……その前にちょっとケーキを」
「ダンスには自信がないとみた」
しれっと逃げようとすれば、クラウディオがクツクツと笑って再び手を握ってくる。
そうして「大丈夫だ」と告げると、視線を足元に落とす。つられてルシィもまた足元を見れば、彼の靴が一瞬だけキラと輝いた。魔法だろうか、だがいったい何の魔法を使ったのか分からず、ルシィが彼を見つめることで尋ねた。
「靴を強化したんだ」
「靴を?」
「君に踏まれても良いようにね。さ、行こう」
存分に踏んでくれ、とクラウディオが楽しげに笑って手を引いてくる。
それに対してルシィは失礼なと拗ねた表情を浮かべつつ、それでもダンスには自信が無いので言及することなく彼に誘われるまま会場の中央へと向かった。
既に何組かのカップルが奏でられる音楽に合わせて華麗なダンスを披露している。
流石はリズテアナ魔法学院、生徒と言えど誰もがダンスを嗜んでいるようで、その姿は優雅の一言に尽きる。
そんな生徒達ですらクラウディオが近付くと足を止めて視線を向けてくるのだ。女子生徒は目の前にパートナーが居ると言うのに羨ましそうに、男子生徒ですら期待と憧れを抱く様に、その視線は当然だが彼と向かい合うルシィにも注がれ、居心地の悪さに拍車がかかる。
やっぱりケーキを食べに行けばよかったかな……と、そんなことを考えてしまうほどだ。
「クラウディオさん、本当に足を踏んじゃいますよ」
「構わないさ。ほら、ゆっくりと俺の動きに合わせて」
クラウディオが音楽に合わせて足を動かす。促されるようにルシィも彼に合わせて足を動かせば、これがまた不思議なことにスムーズに体が動くのだ。
さすがクラウディオ・バレク、女性のリードもお手の物ということか。だが流石と思えどそれがなんだか不服でもあり、ルシィがムギュと彼の足を踏みつけてみた。音楽に合わせて彼のリードに促され、それでも時折はムギュムギュと足を踏む。
魔法が掛かっているためか彼の靴は見た目より随分と硬く、これならば軽く踏んでも痛みはないだろう。そもそも、いくら踏むと言っても傍目からは足取りを間違えたとしか思われない程度になのだ。
「ルシィ、どうした」
「随分とリードがお上手ですこと」
「……まさか、妬いてるのか!?」
わざとらしい言い回しでルシィが告げれば、言わんとしていることを察してクラウディオが目を丸くさせた。次いで嬉しそうに笑むその表情にルシィがふいとそっぽを向く。
彼は第二王子だ、その立場上今まで何人もの女性の手を取ってダンスをしてきたことだろう。
それは当然のことであり、オルテンシアあたりに言わせれば「社交界のダンスで嫉妬なんてみっともない」とでも言い切りそうなものだ。――なにせ彼女とて、本当はコンラドだけと踊りたいのを堪えて『ローズドット家の令嬢』として過ごしていたのだから――
だがそれが分かっても妬いてしまう。それが誰かも知りもしないのに、そしてその時はまだクラウディオと知りあってもいなかったのに『彼とダンスを踊ったどこかの女性』に意味の無い嫉妬心を抱いてしまうのだ。
自分の過去にさえ無頓着だったのに、誰かの過去に嫉妬するなんて思いもしなかった。
そうルシィが小さく呟けば、クラウディオが更に笑みを強める。
堪えきれないと言いたげに緩んだ口元と愛でるように細められた瞳は幸せそうにさえ見え、ルシィが顔を赤くさせて視線をそらした。「妬いて拗ねている姿が堪らない」とでも言いたいのだろうか、あまりにも緩くなった表情に思わずルシィが彼の頬を軽く抓った。
「だらしない顔してますよ」
「何を言う、ルシィのせいだ」
クラウディオの反論にルシィがムグと口を噤む。
だがもちろん怒っているわけではなく、体はいまだに彼の動きに促されつつ優雅にダンスを踊っている。時折は腰に添えられた腕が次に向かう方向を示してくれ、彼の足が歩幅を整えてくれる。これならばダンス初心者だって、歩きたての幼子だって華麗に舞えるだろう。
それ程までに彼のリードはさり気無くもあり完璧で、促されるまま踊っているというのに楽しくなってくる。その思いのままルシィが拗ねた表情をゆっくりと笑んで彼の胸元に擦り寄った。
過去への嫉妬は止めよう。これから先、彼とダンスを踊るのは自分だけなのだから……。
そう自分に言い聞かせて素直に甘えれば、それはそれでクラウディオがますます嬉しそうに表情を緩める。その幸せそうな表情と言ったらなく、もはや指摘する気も起らない。
「ルシィ、何度ダンスの足取りを忘れても、俺が相手なら大丈夫だろ」
「えぇ、そうですね。忘れたらこうやってリードしてください」
そうルシィが微笑みながらクラウディオを見上げれば、嬉しそうに微笑んだ彼がゆっくりと瞳を細めて顔を寄せ……、
「破廉恥なのはいけないのよ!」
というオルテンシアの声にピタと動きを止めた。
次いで彼の表情が恨めしげなものに変わり、「コンラド……」とオルテンシアのパートナーへと視線を向ける。もちろん「どうしてこのタイミングでオルテンシア嬢をここに連れて来た」という意味だ。
それどころかオルテンシアまでもが会場の中央にズカズカと割り込んで、「みっ!」という叱咤の声と共にルシィとクラウディオを引きはがす。
曰く、パーティーといえど学院が主催の行事で破廉恥な行為は禁止とのことで、堅物なこの言い分にクラウディオが返す言葉も無いと頭を掻く。
「オルテンシア様、パーティーの時ぐらいは……」
「駄目よ! 男女のお付き合いというのは交換日記から始めるものよ!」
「わぁ、それはなんとも堅物な」
「もしくは政略結婚!」
「なんでそんな極端なんですか」
みぃみぃと喚くオルテンシアを宥めながら、ひとまずルシィがダンスの場を後にする。
もちろんクラウディオもそれに続く。ちゃっかりとルシィの腰には彼の手が添えられているのだが、幸いオルテンシアには気付かれていないようだ。それどころかこっそりと、「またあとで」と囁くように告げてくる。
これには思わずルシィもポッと頬を赤くさせつつ、後で再びとなればコンラドに頑張って貰わなければと、そんなことを考えて苦笑を浮かべながら頷いて返した。




